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最終話『トゥルーエンドの味がする』

 レイジニアの精神を燃やした煙が消えていく。

 願わくばその魂は消えず、それでもその魂にも刻まれてしまっていたであろう黒ずみは、あの炎と共に燃え尽き、残りは白い煙と青い空とほんの数枚の花弁によって、清くなれば良いと思った。

 理由はどうあっても、私は転生者なのだ。次は、彼女の番かもしれないから。

 

 そうして私は、転生したお陰で、一度死んだお陰で、こんな自分や、周りの人間を好きになれたのだから。だけれど私だけが呟ける『ありがとう』という言葉は、言わない。言ってはあげない。

 私と彼女は、そんな風で、良い。いくら私が彼女の記憶を持っていて、情に流されてしまっているとはいえど、これからの私は、その記憶を背負いながら、私の生命を生きるべきなのだ。

 それに、彼女の事を考えて周りの安堵の邪魔をする事が野暮だって事くらい、分かっていた。


「終わり……ましたか。全員、生きていますよね?」

 皆から見れば、レイジニアの火葬が完全に終わるまで、緊張が抜けなかったのだろう。

 火葬が終わってから、しばらくしてやっと、ブラウンが地面にへたり込む。

 やる時はやる男ではあるけれど、やっぱりそういう所が小者らしくて、でも今は嫌いじゃない。

 それは、やる時はやるという人としての良さを手に入れたからだ。


「ふむ、しかし禁呪で傷を与える、か。考えを改めねばな、ウェヌ・ディーテ。小娘だと侮っていたが、どうも胆力はあるようだ」

 相変わらず偉そうなアポロ王子だけれど、それは言葉の使い方が下手というか、独特なだけで、結局はいつも素直に怒ったり、褒めたりしていることに気づけば、多少は可愛らしい。

「ふへぇ?!」と驚くウェヌも、やはりこういう自然な弱さや可愛さを持って生まれた上で、更に元々持っていた芯と、成長によってあんな事が出来るようになったのかと思えば、私が最初に思っていたような自分勝手な行為に、改めて反省をした。


 アポロ王子は、落ちていた王の剣を拾い上げ、力強く剣についていた血を振り落とし、鞘にしまってジェスに渡す。

「愚父の持っていたものとは言えど、王が持つ剣だ。お前も国に仕えた身、丁重に汚れを落としてやってくれ」

「……私に任せて頂いてもいいのですか? であれば殿下の剣も……」

 ジェスが少し困り顔でそう言うと、アポロ王子……というよりももう既にアポロ王になるであろう彼は二ッと笑い、自らが使っていた剣を床に放り投げ、腰に刺したままで、鞘から一回も出していない剣をジェスに手渡した。

「女の髪を斬ったような無粋な剣はもういらぬ。だがジェス……我が元々使っていたコイツは、お前が使え。とは言え折られたままだがな。これは最後まで我に着いてきた褒美だ。お前が直して使え、我の後に続くならば、お前も権威の象徴と成りうるのだからな。これから国は随分と騒がしくなるぞ、良く励め」

 彼は、私とクロが折った剣を、密かに持ち合わせていたのだ。それをジェスに渡すと、ジェスは感極まり、目元を隠す。意外と涙脆い所もあるかもしれない。

 思えば、私達は戦ってばかりで、誰が何の食べ物が好きだとか、そういう事をあまり知らない。

 それでも、これから知っていけば良いのだと思った。


「ニアさんの身体年齢の問題はどうなるんでしょうかね? 元の身体は国王の物ですが……経験を受け継いでいるならばもしくは年齢も……」

 ノア先生が心配そうな顔をしていた。確かに、禁呪の深みまで辿り着いたレイジニアならば分かっていたのかもしれないけれど、その深みに辿り着いていない私には、分かりようがなかった。

 ただ、もしこの身体が少なくとも碇二朱の父よりも年上だったであろう国王の身体の状況と全く同じであれば、今この瞬間に身体負荷を感じているはずだ。

 それが無いという事は、きっと大丈夫なのだと思いたい。というよりも、それが可能だからこそレイジニアは余裕ぶっていたのかもしれないと思った。

「きっと、大丈夫ですよ。アポロ王子、お父上に持病だとかはありまして?」

「あぁ……持病とは言い難いが、古傷で少し左肩が悪かった。だが、レイジニアの動きにその淀みは見えなかったな」

「でしたら、あの禁呪は精神のみならず、肉体の情報も奪うのでしょうね」


――禁呪は世界に作られたものだ。

 要は設定として、いいとこ取りをした物。雑に作られた物だということでもある。

 良く練られたゲームは数多くある。だけれど私が経験したこの世界の設定は、何とも言えず雑だという事は分かりきっていた。

 私とレイジニアが精神体で戦うというのも、禁呪の設定ではなく、もう既にデータとしての消し合いという世界の意図しない戦いだったのだろうと、改めて思う。


 結局、私の仮説が正しいのならば精神転写の禁呪は不老不死の禁呪だ。

 使い続ける限り、適応者を見つけて、何らかの方法でストックしておく限り、私のようなイレギュラーが彼女の前に現れなければ一生肉体を変えて生きていける。

 だからこそ、私はこの禁呪を本当の意味で禁じようと思った。


――そう三度も、四度も、転生してたまるか。


 一度の生を謳歌出来たなら、それが一番幸せなのだ。

 私は一度の生を謳歌出来なかった。それをやり直せただけで奇跡だと言って構わない。

 それ以上を望むのは、禁じるべきだ。それこそ、私まで人の生命を奪いながら生きる呪いの化け物になってしまう。

「何にせよ、禁呪は此処で終わり。少なくとも私も、貴方もね? それに年齢の事を言い出すなら、私はそもそも……あれ? 皆の年齢って幾つ?」

 そんな事すら知らなかった事に、笑いが込み上げてきた。

「今それをお聞きになるんですか?! 自分は、22歳ですが……」

「ブラウン殿、奇遇ですね。私も同じです」

 ブラウンとジェスが22歳……同じく剣を持つ人間として、なんと無しの切なさを感じるけれど、それもまた一興なのだろう。ブラウンはこれから取り戻していくのだ。だってほんの数ヶ月であのボンクラがここまで格好良く……まぁ格好良くなれたのだから、いつかジェスの横に並び立つ未来を想ったって、良い。


「僕は、29歳ですね。この中だと最年長……ですかね?」

 ノア先生については、絶妙だなと思った。

 30歳には満たないけれど、やっぱりちゃんと年相応の大人っぽさがある。


「私はニアと同じだから、17歳……もうちょっとで18歳だよ。あ、そういえばクロちゃんは?」

「わたしは……幾つだろ? じゅう……ご?」

 確かに、クロにはそういった決まりきっている設定は無い。

 それに奴隷として買われた身だ、分からないのも無理は無いけれど、とはいえ15歳と申告しているならそれでいいだろう。少なくともそのくらいか、もう少し下が良いところだ。

 誕生日がないなら、私が彼女と出会った日にすればいいだけの事。


「ではこの中ではノア・ガーデナーに次いで我が二番手か、23だ」

 アポロ王子が少し偉そうに言っていて、思わず私は吹き出してしまった。

「ん? 何がおかしい?」

 もう、そこまで取り繕う事も無いか、と思って私はスーッと息を吸う。

 無駄に歳を重ね続ける事に、不安も感じていたからこそ、碇二朱としての年齢を皆にいう事は無かった。

「残念でした、王子。私は元々、24歳です。この身体になる前は、ね。お酒も好きよ? 飲めば罰せられるでしょうけど」

 その言葉に、全員が一瞬固まる。特にウェヌの驚いた顔には、笑ってしまった。

 そりゃそうだ。何処か俯瞰的に見ていた気がしたのだ。ブラウンやジェス、アポロ王子の事を、それにウェヌやクロの事も、弟や妹というか。性格としてではなく、なんとなく少し歳下の新人の子と話しているような感覚に陥るような時があった。

 そう思えば嫌味な上司だったのかもしれないとも思うけれど、その理由はこれか、と今更になって気付く。

「成る程……道理で……」

 ノア先生が小さく呟く、これは褒めてくれているのか。よく分からない顔。

「ふむ、だからか」

 アポロ王子が不満足げに呟く、これはきっと悔しいのだろうと、よく分かる顔。

「ま、今は18歳だけれどね。気持ちとしては皆よりも少し大人なのよ。それも結構擦れたね」

「でも、今は違うよね? 最初会った時よりも、うんと変わったよ、ニアは」

 ウェヌのその言葉は、ありがたい。

 あの時の私に愛想を尽かさず、それでも着いてきてくれた彼女が、嬉しい。

 だってあの時の私はきっと、ありのままの私で。今の私も、それもまたこの日々を経て変わったありのままの私だから。

「そのうち、皆でご飯でも食べましょうよ。そのくらいしたって良い。まだまだ、やらなきゃいけない事もあるし、ね?」

 そう提案すると、各々が頷く。

 大変だったこの世界のしがらみや、レイジニアの存在を越えて得た、自由の毎日。

 だけれど、その毎日もきっとまだ大変だ。後始末は沢山残っている。


「まぁ、多少時間はかかろうが、誰であれ待てない事も無かろう。まずは皆、休め。折を見て各々に国から正式に招待を送る。まずはそうだな……そろそろ着く隣国の使者と上手くやらねばな……」

 アポロ王子が、面倒そうに、大広間を後にする。

「我が国の兵士達の事は、私にお任せを」

 もはや敵兵など一人もいないのだ。だけれど情報の伝達は早い方が良い。

 ジェスもまた、私達に深くお辞儀をしてから、アポロ王子の後に付いていった。


「僕も、この子をまずは植えてあげないと。それにスラム街の皆さんが待ってますしね」

 ノア先生が、相変わらず温和な笑みでフローラを撫でる。今もだいぶきつく締め上げられているだろうに、恋は盲目というヤツなのだろうか。

「自分も付き添います。男手がいるでしょう。ニア様、ウェヌ様、よろしいですか?」

 おそらく、ブラウンが空気を読んでいる。

「クロ様も、行きましょう。ブランディ家で今ニア様の次に偉いのは、貴方でしょうし。物を覚えるのは苦手ではないでしょう?」

 多くの時間を共にした二人だから分かる事もあるのだろう。クロはヘヘっと笑って、少し真面目な顔でこちらを見てから、頷いた。そう、元々この子だって決して頭が悪い子じゃない。

 その言動と、考え方の軽さで一見騙されがちだけれど、私の傍にずっと置いていたのだ。

『むずかしーこと』が分からないとは良くいうけれど、彼女にとってのそれは『どーでもいいこと』の言い換えのような物なのだろうと、思っていた。口癖のように使っていたから、本当の所は分からないけれど。

「じゃーニア様、わたしも行ってくるなー」

「えぇ、ありがとうクロ。貴方は私一番のメイドよ?」

「へへ、ニア様が褒めるなんて珍しいな!」

「だから、ちゃーんと今後のブランディ家の方針を覚えておくこと! 頼むわね」

 別れの挨拶ではない。だけれど、言いながら少しだけ寂しさを覚えた。

 クロはむーっとした顔をしてから、コクリと頷いて、ブラウンの歩幅に合わせるようにトタタっと大広間から駆けていった。


「なんか、不思議だね」

 二人きりの大広間、ウェヌが少しだけ、天井の穴に近づきながら呟く。

「だってさ、ニアだって最初は私のこと、嫌いだったんでしょ?」

 流石に、見抜かれていたんだなと思った。

 でも、それも含めてやっぱりちゃんと話しておきたいとも思った。

 

 全部終わった今だからこそ、改めて、ちゃんと。

「私はね、貴方みたいに、なんとなく恵まれる運命にいた子を、沢山見てきたのよ。創り物、だけどね」

「そう、なんだよね。この世界は、創り物なんだよね」

 ウェヌが、少し寂しそうな顔で呟いたのを見て、そっと私は彼女を瓦礫の上に座らせて、私もその隣に座った。太陽の光が、私達の目の前を照らしている。


「そう、それは間違いない。間違いなかったの。だけれど、本当に不思議ね。私達が本物だと思って生きていれば、結局そんなことどうだっていいのよ」

「そうかな、やっぱり悔しいなって思う。私を中心に……回っていたんでしょ? だったら私は皆を巻き込む為に生まれたってこと、だよね?」

 やはり、理解はそこまでしっかりと及んでいたのだ。彼女もまた、言うべき時を探していた。

 きっと皆も、私達が話す時を探してくれていた。


 それが、きっと今なのだろう。


「元々は、ね。だから私はそんな貴方が、最初は嫌いだったの。何もせずともなんとなく勝手に幸せになるんじゃないわよって、ずっと怒っていたのよ。貴方は何も知らないのにね」

「仕方ないよ。だってニアがいた世界とこの世界とじゃ、殆どのことが違うんでしょ?」

「そうね、私がいた世界には魔法も無ければ剣も無い。魔物もいない。どっちがいいかって言われたら、私にはもう分からない。住めば都だなんて言葉が私の世界にはあったけれど、その通りなのかもね」

 ふふっとウェヌは笑った後、不思議そうな顔をこちらに向けた。

「不思議な世界……でも、魔物がいないんじゃ、そっちの世界の方が幸せに生きられたんじゃないのかな」

 私は大きく伸びをしてから、首を横に振る。

「んー……めんどくさいことばっかりだったわよ? 便利な事はそりゃあったけど。空を飛ぶ鉄の塊だとか、魔導具を越える技術で何処にいても簡単に顔を見て話が出来るとか」

「えぇ?! ……凄くない? そんな世界より、こっちなの?」

「そう、こっちなの。だってまぁ……」


 貴方達がいるしね、とは言わなかった。

 それはやっぱり、今の私でも気恥ずかしかったから。


「でも、私達が、いるから!」


――あぁ、敵わないなぁと思ってしまった。

 彼女がこんな自身満々に、自分を含めた仲間達を肯定するなんて。

 だからこそ、彼女に、惹かれるはずだったのだろう。皆が。私が。


「えぇ、そうね。貴方達の事、見てられないったら無い。そもそも貴方、家をどうするつもり?」

「ひどい! でも家の事か……財産もないし、私の血筋で残ってる人は私だけ? でもお父さんもお母さんも見当たらなかったね……」

 確かに、見当たらなかった。思えばそれが少し不安ではあったけれど、流石にこの状況でどうこうなることは無いという確信はあった。この城にいたならば既に殺されているだろうし、逃げていたとしたなら捕まるのは時間の問題だろう。

「ん、どうせ罰が当たってるわよ。まぁでも……結局は親だもの、生きていたらいいわね」

「だけど、こんな事に加担していたんだもん。私ももうディーテ家の娘は名乗らないよ。学校ももう少しで卒業だし、もらえるならあの家の土地だけ、もらっちゃおっかなぁ……おっきな畑」

 まさかこの娘、あの巨大な屋敷の土地を丸ごと農地にでもしようとしているのだろうか。

 だとすれば、それはもう事業。この歳でそんな事を考えるあたり、馬鹿か天才か。おそらく後者なのだろう。成功させるのだろう。きっとこの子は、泥に塗れながら。

「それはまた、人手がいるわね。ブラウンだけじゃ足りないわよ?」

「そこは、頑張ってみる。私だって一人で何とか出来るって事、証明しなくっちゃね!」

 その笑顔は、未来を、夢を見ている人の笑顔だ。眩しくて、昔の私が憎んでいた顔。

 だけれど今は純粋に、それを応援したいと思った。


「それで、ニアは何をするの?」

「そうね……何も考えて無い。だって結局、私だけが二つの世界を知っていたから。レイジニアだって介入出来ただけで私の世界の事は知らないし。結局私も貴方が皆と恋仲にならないように邪魔し続けるのに必死で、レイジニアの記憶以外にこの世界のルール、殆ど知らないままなのよ? レイジニアが下手に貴族だったせいで、これから始まる平民の暮らしについていける自信も無いしね」

 ウェヌが「うーーん」と口に出して何かを考えてから、パッと何かに気づいたように、こちらを見た。

 その目はまるで小さな子供のようにキラキラしていた。

「私、知りたいな! ニアがいた世界のこと!」

「え、えぇ。そりゃこれからならいくらでも教えてあげるけれど……」

 私としてはあまり面白い話だとは思わないけれど、確かに私の世界でも『異世界小説』という物が流行っていた。このゲームだって私の世界から見れば中世"風"の異世界が舞台のファンタジーだ。

「じゃなくって! それを本にしようよ! さっき聞いた空を飛ぶ鉄の塊? だけでもワクワクしたもの! きっと皆楽しいよ!」

 その発想は流石に無かったな、と苦笑する。


 でも、そんな事をするのも悪くないか、なんて思った。

 だって、私達は失った物こそあれど、正しい終わりと、新しい始まりに辿り着いたのだ。

 

 此処から先は、たとえば英雄譚のように、語られるべきような事じゃあ、きっとない。

 そもそも、密かに起きて、消えていく、私が経験した、一つの物語だったのだ。


 だけれど、私は満足だ。

 私は、この世界が好きだ。

 私は、私が好きになれた。

 私は、人を好きになれた。


「あのね、ウェヌ。私実はね」

 私は思い出し笑いをしながら、他愛もない事を告白する。

「ん? どうしたの? 急に改まって……」

「トマト、だいっっきらいだったの。貴方の作ったのを食べるまで、ね」

 そう言って、二人で笑った。

 だってウェヌが赤い顔をして「知ってたよ」なんて言うのだから。


 光注ぐ大広間に、私達の笑い声が、小さく響く。

 私達は立ち上がって、レイジニアという悪意と、創られたシナリオというレールと、決別した。




 それからは色んな事があったけれど、それはきっと皆同じように、忙しかったのだろうと思う。

 

 アポロ王子は国の為にその身を削り、隣国の支援を受けながら、戦争など以ての外の協力関係を結び、文句を言いながらも国王となった。

 そうして、国王になったその日のうちに、この国に起きていた事を馬鹿正直に国民に洗いざらい話した上で、偉そうな態度のまま「すまん!」と頭を下げた。

 その演説は賛辞こそ多くはなかったかもしれないけれど、彼を快く受け入れた国民は多いだろう。

 

 ジェスはアポロ王の側近として国の兵士をまとめあげ、陰ながら、ではなく表舞台でアポロ王を支え続けた。特にスラム街については、国の状況が安定しかけるとすぐに手をつけ始めた。珍しく随分我儘を言ったと、皆で集まって食事をした際にアポロ王子が溢していたけれど、それが何より嬉しかったのを覚えている。

 ちなみに、騎士では無く、若くして大臣という位を貰ったらしいが、未だに自称は騎士だと譲らないらしい。国政については、隣国からも優秀な人材を集めているようだ。それをアポロ王子が見据えていたというなら、ジェスがアポロ王子を強く信頼するのも納得出来る。

 ウェヌが最初に出会っておきながら、結局は最後に仲間になったのがアポロ王子で良かった。実は一番強固なフラグはあの人だったのでは無いかと、今では思う。長くいたらあの人間の良さにウェヌがやられていたかもしれない。

 

 ノア先生は、相変わらずフローラを愛している。

 ブランディ家は私が焼け崩した跡地に家を建て、娘が不在なのにも関わらず、何やら色々と頑張っているようだ。というより、ノア先生の植物研究に投資をしている様子だった。

 彼に立派な研究室を与えようとしたらしいが、ノア先生はきっぱりとそれを断り、今はなんと植物の中に住んでいる。国一番の変わり者、国の不思議なオブジェとして、巨大なフローラの中で、彼は生活している。

 学校にいなくなった保険医については、結局学校側が魔法使いを雇ったらしくホッとした。

 仕事が減ったというか、これが世界のしがらみが消えた証明にもなった。ノア先生を保険医にさせようという動きの否定は、この世界がシナリオから解き放たれた証明だったから。


 そうして、いつか私がブランディ家の人達を本当に両親だと思える日が来たなら、実家と呼んでもいいかもしれない。その日はきっと、まだ遠いけれど、流石にこの姿をしている以上。親は親なのだから。

 子を失う親は、少ない程いい。それは、身を持って知っている。


 ブラウンは、必死に色んな所を駆けずり回っていた。

 スラムにいたあの情報屋と意気投合したらしく、二人を中心に、スラムから抜け出した人達を集めて『なんでも屋』みたいな事をしているらしい。ブランディ家も、ディーテ家も事実上ほぼ消滅している以上、私達に仕えるという事も無くなったから、私としては良いと思っている。

 ただ、彼は未だに私とウェヌには妙に強い忠誠を誓っていて、定期的に何か困っていないかと声がかかる。

 その頻度が最初こそ少しうっとおしかったけれど、最近は上手い具合にタイミングを見計らえるようになっていっているあたり、やっぱり彼は伸びしろのある人間なのだなと思った。


 クロは、相変わらず私の傍にいる事が多い。けれど少しだけ一人で動く事が増えた。

 それでも彼女と私の関係は、永遠に主従であり、友人であり、仲間だ。


 私の前では「ニア様ニア様」と元気に私の周りを飛び回っているが、別の一面も見え始めた。

 彼女は少しだけ、お姉さんになったのだ。今、彼女はスラムにいた身寄りの無い子供達を引き取って、世話をしている。受付嬢の人達に渡した金品を元手に孤児院を作ったらしい。

 そうしたいとお願いされた時には驚いた。彼女が食べ物以外の物を要求する事なんて無かったから。

 その時はくれぐれも殺しの技術は教えないようにと、口酸っぱく教えて、すぐに許可を出した。孤児院には私も時々クロを含めてしつけをしにいくので、スラムの子達にはやや怖がられている。逆に子どもたちがクロにべったりなのが、少しだけ不服ではあるけれど、クロは私にベッタリだ。

 それを不思議そうに見ている子供達を見て、私はいつも微笑ましく思う。


 クロと子供達の関係は、私とクロの関係と同じ様なものなのだろうな、と。



 そうしてウェヌはといえば、でっかいでっかい畑を作った。

 ディーテ家の財として残ったのは土地だけではあったけれど、結局その受け取り手が彼女になったのだ。結局、アポロ王子が隣国へと自国の状況を報告しにいったのは、正しかった。

 警備を固め、事情を知っている隣国に、偽名を名乗る夫妻が逃げ込もうとしているのが、見つかったのだと、国が落ち着いた頃、約束していた食事会が行われた時に聞いた。

 投獄されていると聞いた時のウェヌが、ショックを受ける素振りではなく、身内が本当にすみませんというような態度を取ったのが、印象的だった。彼女はこれからもっと、強い人間として育っていくのだ。

 でっかい畑は、緑が煌めいている。彼女の人柄のお陰なのだろう。手伝ってくれる人も数多くいた。


 国一番の農家を名乗る日は近いだろう。元はゲームの主人公だって、自由になったならこういう道を辿ったって、良いのだ。

 決して豪華とは言えないような小さな家の隣に、巨大な倉庫。

 ただ、その家の棚には、綺麗なティーセットが置かれていた。


 

 そうして私は、ウェヌの家のお隣に住んでいる得体の知れない魔女をやっている。

 彼女の家にティーセットを置いているのは私の趣味だ。定期的に彼女の仕事の手伝いをしたり、国を見て回ったり、風任せの日々を送っている。

 最高の農家の隣に、最高の紅茶を作る魔法使いが住んでいるというわけだ。


 だけれど、それはレイジニアの知識を使った、裏稼業のようなものだと、私は考えている。

 私は国王の記憶を丁寧に忘却していき、レイジニアの記憶は残した。それはやはり私が背負っていくものだと思ったからだ。禁呪の記憶も、戒めとして残してはいるけれど、その先に辿り着く事はきっと無いだろう。彼女のような狂気は、私には宿らないだろうから。勿論、使う気も無い。

 紅茶は好きだけれど、彼女の力だけを使って生きていくのは、ズルだ。


 だから私は、ウェヌに言われた通りに、私の世界の事を書いた本を書く事にした。

「ニアー? どう? 進んでる?」

 そうして私は作家の卵兼、最強の魔法使いとして杖の代わりに筆を動かす日々。

 ウェヌは、その編集とでも言った所だろうか。勉強が出来ないわけじゃなかった彼女に、ちょこちょこダメ出しを貰いながらも、私はあの世界の事を書き綴っている。

「んー、話は書けてるんだけれど。どうしても主人公の名前とタイトルがね……」

「そこが決まらなきゃどうしようもないよぅ……」

 

 せっかくなら、幸せな話にしたい。

「でも思い切って、付けなきゃね」

 そう言って、書き連ねた原稿の表紙に、私は『RAY』と書いた。

「ん? なんて読むの?」

「レイ、私の世界の言葉で、太陽から降る光の事」

 それを聞いて、彼女は光のような笑顔で、頷いた。

「いいと思うよ! お話にも合ってるし! あとは名前だけだね!」

「そうね……でも今日はちょっと少し寝ようかしら。朝まで書いてると、眠いったらない……」

 私は大きく欠伸をすると、ウェヌは苦笑して、私の隣に採れたてのトマトをトン、と置いた。

「せめて少しでも何か食べてね? それに昼夜逆転は身体に毒だよ?」

「だいじょーぶ……慣れてるから……」

 そう言って、酷い眠気に襲われながら、私はトマトを齧る。

 

 幸せな世界は、続いていく。

 フラグなんて物に、左右されない、自分達で作っていく物語が、始まっている。

 間違えた事も沢山あって、理不尽な事も沢山あって、悲しい事も沢山あって、それでも今私は、沢山の事が好きになれた。

「じゃ、また後で、次会った時には、主人公の名前考えておくから……おやすみ」

「ん、おやすみ。掃除もしようね……」

 ウェヌの優しいダメ出しを聞いて、私はベッドへと潜り込む。


 トマトの味が、口の中に残る。

 いつのまにか、紅茶と同じくらい好きになっていた。

 そんな、大好きな風味に包まれて、私は明日に向かっていく。


 誰も分からない。誰にも決められない。


『主人公』も『悪役令嬢』も『フラグ』もない。


 私達の、私達だけの、世界の続きが、これからも待っている。

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