第三十五話『悪役フラグは、折られる為に』
ブラウンと別れた私は、風でローブが靡くのを感じながら、姿隠しの魔法をかけて、空を飛ぶ。
思えば当たり前に使っていたけれど、これこそ魔法使いとでも言うべきなのだろうと、今更ながらに思う。
禁呪やらなんやらと、そうして名前も無い魔法や特に理由もなくチグハグな魔法社会。
そんな中でも、自らを隠匿して空を飛ぶのは、少しだけ心地良く思えた。
レイジニアの記憶には、こんな記憶は無かった。無かったからこそ、彼女に与えてあげたいとも思った。
唯一、その生命に報う事が出来ない相手が、私が乗っ取ってしまった『レイジニア・ブランディ』という悪役令嬢の運命だ。世界がどういう意図で、私とこの悪役令嬢を繋ぎ合わせて、その精神の主導権を私という人格にしたのかは分からない。だけれど、これだけは私にはどうしようもない事実として存在し続ける。
とっくに吹っ切った事ではあるけれど、こうやって魔法を使う度に、思い出してしまう。
――もし、彼女が私の取ったような行動を続けたならば、それはきっと悪役令嬢ではなく。
そんな事を考えても机上の空論であることは分かっていても、私は人一人の運命を奪わされたのだ。
だけれど使命は背負わなかった。だからこそ今があるけれど、どの道『レイジニア・ブランディ』は私がこの世界に来た瞬間に『碇二朱』になった。私はこの世界に現れた時にはもう既に、人の人格を奪うという『悪』とされる行為をさせられていたのだ。
「はぁ、やんなるったらないわね……でもどうせ死ぬ運命なら、か」
そんな事を呟きつつ、眼前には街と、奥にある王城が見えてきた。
道中、考え事をしながらも偵察をしていたけれど、敵兵らしい敵兵はいないあたり、あの場所で時間稼ぎは成功したようだ。改めて、付き合ってくれた仲間の兵士とブラウンには感謝をしたい。
しかし、ここまで秘密裏に事が動くものだろうかと不思議に考える。
空から伺った街の様子は、いつもと変わらぬ様子で、兵士が増えたわけでもなく、普通の日常に見える。だけれどその実『ウェヌ・ディーテ』と『レイジニア・ブランディ』は王国の王子と無理やりに婚姻させられようとしている。おそらく砦を強襲した敵兵は今日の朝ウェヌを捕らえ、明日の朝までに王城へ届けるという手はずになっていたのだろう。それで言えば、アポロ王子の言っていた話も合う。
どうしてあの場が見つかったかと言われると疑問ではあるが、逆に言えばあえて見つけさせたという方が正しいのかもしれない。ディーテ家の惨事はマイロが起こした事、そこから私達が逃げおおせるとして、あの砦は絶好の場所。
それに加えて王子がすれ違い様に敵兵に手傷を負わせた事で、より私達がいるであろう場所は特定されたはずだ。
「上手く事が進んでいるのはいい事なのだけれど……」
スラムの入口で私は姿隠しを解いて、小さく呟く。ここからが正念場。
婚姻が明日だと決められている以上、これは世界の設定であることに間違いは無い。
何度もそれに邪魔されてきたのだから、おそらくは確実に明日婚姻が行われるように何らかの妨害が入るだろう。だからこそ危険を承知でウェヌとクロをスラムに隠したのだけれど、私は私で早々に街に着きすぎた。だけれどそれにも理由がある。
――何故なら、敵兵は『レイジニア・ブランディ』も探しているはずだから。
此処で、レイジニアがどのくらいの重要度を持つ人物なのかはわかりかねるけれど、王子の話ではレイジニアもまた婚姻させられると言っていた。つまりは敵兵は私の事も探しているはずなのだ。
だからこそ、私は早めにこの街に来なければいけなかった。
「っと、お兄さん? ちょっといいかしら?」
私は明らかに胡散臭そうな、周りから距離を取っている男に声をかけた。それと同時に、私はローブのポケットに手を入れ、スラムには似つかわしくない金品を少しだけ握る。
「なんだ姉ちゃん。アンタみたいなヤツが来る所じゃ……いや、用事はなんだ?」
ブランディ家から適当に見繕ってきた装飾品を彼の手に乗せると、彼の目の色が変わった。明らかに安っぽくて少し焦ったけれど、彼には充分値打ち物に見えたようだ。
「ちょっとした用事でね。人探しと人買いを……」
「へぇ……随分と用事が多いんだな。しかし情報ってんなら任せな、俺は情報通で通ってるからな。ただまぁ、情報を二つって事は支払いもふた……あぁ?!」
私は彼が言い終わる前に眼の前で姿隠しを使い、彼の後ろに回る。
金で物を言わせるだけの弱者は、こういう場所じゃカモにされるだけだろうと思い、彼の死角、首の裏に、ピタリと金属製の装飾品をはり付け、足元に拘束魔法をかけた。振り返ることの出来ない男は、首につけられた金属の冷たさをナイフか何かと勘違いしたのか。身体を硬くする。
「あんまり聞かれたくない話だから、静かにね。それに私、がめつい人は嫌いなの」
「わ、分かった。悪かったよ、はは。その用事とやらを聞かせてくれ……魔法使いさん」
態度を改めたのを確認して、私は彼の首元にはりつけていた装飾品を、後ろからそっと彼の手の上に置いた。
「話が分かる人は嫌いじゃないわ。だからこれはおまけ。ちゃんと私の言う通りに働いてくれたら、貴方を贔屓にしてあげる」
つまりは、人間を操るのに一番てっとり早い方法、金品による買収というヤツだ。裏切りのリスクはあっても、別に構わない。なんせ今の私は素性を明かしてもいないのだから。
それに、そんな事をする為にブランディ家の金品が使われていくのは、なんとも気持ちが良い。
レイジニアの両親に抱く感情としても、私から見たあの夫婦の印象としても、レイジニアは悪役令嬢になるべくしてなったのだなあという両親だったので、此処で私の良心が痛む事は無い。
「まず、子供を二人連れた兵士のような人売りを見た?」
「あ、あぁ……見慣れない姿だったからな。そんな事ならロハでも話したってのに、魔法使いの姐さんは物騒な、へへ……」
もう既に主従が見え隠れしているあたり、単純な男だと思いつつも、ロハ……つまりタダ金で話すくらいの事を溢した事から愚直な人柄なのは何となく分かった。黙っていればいいものを。
突っ込まずにいたけれど、ならその金品返しなさいよと言われても仕方ない状況だ。それでも私はブランディ家の金品はそれこそ、こういう場所にいる貧しい人が少しまともな生活をする為に使われて然るべきだと思い、話を続ける。
「居所は、分かる?」
「えぇ、そりゃあ目立ちますんでね。噂じゃあ娘二人をこのあたりで一番大きい奴隷市場に売りつけた後、名残惜しいのかその付近でウロウロと過ごしていたとかって聞きましたぜ。だからまだそこにいるんじゃあありませんかね? なんせスラム街を出ていこうとすりゃあ、入口……つまり此処にいりゃ目に留まりますんで」
聞くまでも無かった話ではあるけれど、聞く事が大事なのだ。
スラムで人を脅し、金品を握らせ、居場所を確定させて、そうして最後の一押しをする。
「ありがと、それじゃあその男の所まで案内して頂戴? 貴方だって情報を扱うっていうなら、王国の魔法使いの話には興味があるでしょう? 贔屓ついでに教えてあげるわ」
そうして身分を『王国の魔法使い』と偽った私は、より態度を変えてヘコヘコしている情報通の男と共に歩き始める。
奴隷市場の場所こそ分かっていたけれど、彼には話を広めてもらう必要がある。
私がこの男に言うべき事は、もう既に決めてあった。
誰を選ぶかは特に決めてはいなかったけれど、この男なら問題は無いだろうと思った。金で動くし、口も軽そうだ。仕上げにもう一品くらいくれてやれば喜んで私が吹き込んだ事を周りに流してくれるだろう。
これは、一応の安全策。マイロについてはいくら用心しても安心という事が無い。
「マイロ様という魔法使いが、人体実験を始めてね。私はその為のお使いってわけ。金に物を言わす所がこの国の腐敗を感じさせるわよね」
「へ、へぇ……人体実験ですか。魔法の類で?」
「そう、人を魔物にするっていう禁呪の実験ね。だからもし街中で魔物を見ても戦うより逃げる事をオススメするわ、人殺しになりたくないなら」
その言葉に、男がツバを飲む。
「近日中に混乱が起きるかもしれない。私はまぁ、身分で守られているけれど、市民はどうかしらね……貴方も、もしこんなスラムで一生を終えたくないなら、この言葉を覚えておく事ね。そうして出来るだけこの情報を広めて頂戴、ヒーローになりたいのなら」
ジェスの姿が見えたので、彼が気付く前に、私は情報通の男を手で制する。
「この世界……この国はもう腐敗してる。だからアポロ王子以外を信じちゃ駄目。そして、魔物からは逃げる事。死にたくないし、殺したくないなら、ね? それじゃ、ここまでで良いわ。それとこれは駄賃、金に変えて新聞屋でも営みなさいな。情報通さん?」
その言葉に、彼は何とも言えない顔で頷いて、少しだけ大きな歩幅でスラムの入口の方へと戻っていった。マイロが簡単にディーテ家の人間を魔物にするなら、兵士達を魔物にするくらいの事はやってのけるはずだ。だからこそ、先手は打って然るべき。
「ジェス、来たわよ……っと」
「見えておりました。ご無事で何よりです。ブラウン殿と兵士達は?」
私はジェスに砦での一件を伝え、道中で情報通の男に話した内容を伝える。
「成る程……。安心しました。しかし、マイロが何をするか分からない以上、私も動くべきでしょうか」
「いえ、貴方はアポロ王子側の人間だと知られていてもおかしくない。下手に動くとマズいわね。なるべくこの場で持ちこたえて頂戴。あと鎧は目立つから適当に服も着替えておくのね……」
そう言って私は彼に改めて粗雑な服は軽く買える程度の装飾品を渡す。
「それと、二人を此処へ送り届ける最中、街中で見知った兵士から報告を受けましたが、貴方の捜索も既に」
「ま……ジェスに伝えるって事は十中八九、私をおびき寄せてるんでしょうね。大丈夫? その兵士に後を付けられたりしてない?」
「ウェヌ・ディーテを移送中だと伝えて、道も幾つか変えたので大丈夫かと。ただ、街にいるのはバレた可能性があります」
――であれば、やはり私が取った行動は正解だ。
「私の家の事は、私が処理してくる。とりあえず砦は何とか出来たから、王子と合流するまで何としても隠し通す。その後は、思う存分暴れる番ね。じゃあ、行ってくる」
「二ア殿、お気をつけて」
「言われるまでもないわ。そっちこそ二人を頼んだわよ。貴方も目立たないようにね……そのお馬さんも、ちょっと隠しときなさい。近くに宿もあるでしょうし」
なんというか、そりゃあ目立つだろうとも思った。思えばジェスは馬を巧みに操る騎士なのだ。
そんな男がスラムに一日いるというだけで、目立つ。
ただし、このスラム街が世界の視野の外だという事は、クロが世界の影響を受けないという理由からして理解はしていた。
それでも不安は不安、彼には緊急時のみ騎士として振る舞うようにと言葉を残して、私は元自宅の方へと姿を隠し空を駆けた。
――重要なのは本家ではない。
あんな場所、私がいないと分かれば探す必要なんて無いのだ。
少し街から離れたディーテ家と違い、ブランディ家は街中にある為、マイロの禁呪を使うという事も出来ないだろう。そもそも戦闘を起こす余地も無い。
だが、私という人間を知った上で、禁呪の存在を顕にし、それを以てブランディ家の人間全てを人質に取られたとするなら、私は、どうするべきだろうか。
ジェスに情報を渡す兵士を放っているくらいだ。ジェスが私達と繋がっている可能性は見出されているだろうし、アポロ王子が国外に出た事も把握されているだろう。
そんな状態で、あろうことか呼び出されたのは私というわけだ。
つまり、ジェスの行動がどうこうよりも、たった今、世界に目をつけられているのは『レイジニア・ブランディ』なのだろう。
世界の死角に隠されたウェヌや、フラグを喪失したジェスよりも、存在する『レイジニア』を、婚姻というイベントのパーツとして世界は見出したという事だ。
だからこそ、私がその火消しをしなければいけない。
これは、悪役として生み出されたレイジニアが、碇二朱として動き続けた結果立ってしまったフラグ。
悪役に戻る為のフラグだ。だからこそ、このフラグもまた、私が折らなければいけない。
明確な拒否を、示さなければいけない。
空を駆けながら、遠くに見える本家が燃え盛っていない事も確認し、狼の咆哮も聞こえない事を確認してから、私はこの場でおそらく、私の次に重要になっているであろう人物がいる建物の入口に降り立つ。そうして、この家の中に兵士が押しかけていない事を祈りながら、姿隠しを解いてノックをした。
「ノア先生、ご無事ですか?」
――私の言葉に、返事はなかった。
その代わりに、鍵がかかっていないノア先生の研究室のドアからは、呻き苦しむような獣の唸り声が、小さく、幾重にも漏れ出ていた。




