第三十四話『磨かれたフラグは、信念と共に』
名前はなんだったかな、と思いながら、足元へと飛ばした粘着魔法は思ったよりも大漁の敵兵を釣れず、複数人見えたうちの二人を地面に拘束した後、前のめりに倒す事しか出来なかった。
魔法の概念、レイジニアの記憶として沢山の物を思い出す事は出来るけれど、名前がパッと浮かぶ物と浮かばない物があるのは、つまり本来のレイジニアが使う予定だったかそれでなかったかの違いなのだろう。
だけれど魔法社会、物体と物体を強固に繋げる工事用の魔法みたいなものだってある。私が使うのはそれの応用、赤い色は何とも悪役っぽいからに尽きる。白い糸をイメージする事だって出来るけれど、視認性が悪い。それと同様に、ブラウンの剣も赤い光沢を帯びている。
「さってと、やりましょっか!」
「しかしこの状態で人死にを避けろというのも……まぁ納得は出来ますね、では頑張りましょうか……」
ブラウンが私の魔法で拘束された二人の間を抜けてきた敵兵に剣を振るう。
それを見ながら私は前のめりにつんのめっている入口の二人の手に拘束魔法をかける。
粘着に拘束、何とも嫌らしい構成の魔法の連続だけれど、痛みがないだけマシというものだ。ブラウンの相手は死にはしないものの、しっかり痛みがつきまとっている事だろう。
――さて、まずは2人vs97人だ。
既に覚悟が決まっているブラウンの確実な一撃は、手に持っている剣からその鋭利さを剥奪されていたとしても、敵兵の一人を倒すのに成功していた。彼自身にエンチャントはかけていなかったのだけれど、良くやるものだと思う。元々素養があったのか、それとも努力の賜物か。
それは分からなくても、少しだけ感心しながら、私は入口に縛り付けてある二人に躓いたお馬鹿さんに拘束魔法をかけ、口だけご立派な敵兵を増やしていく。
「この、魔女めがっ!」
百人やそこらいるのであれば、勘が働く兵士もいたらしく、ブラウンの横を抜けて私に真っ直ぐ剣を向けてきた兵士もいたが、私はその兵士を睨みつけながら、鋭利性の失っていない剣でその剣撃を受け止める。
「貴方達はウェヌ・ディーテを捕らえに来たのでは無くって? 禁呪の使い手たる者が、そう簡単に捕まえられるとでも?」
正直、この盤面では私がウェヌを騙ろうかとも思っていた。
だけれど実際の所、それでは彼女という存在の、何処か綺麗な部分に傷をつけるようだと考えた時に、結局の所私は悪役に徹するのが性に合っているような気がして、あえて彼女の名を騙る事はしなかった。
結局は嘘を吐いていないだけで、この言葉を聞いた敵兵全員が私をウェヌだと勘違いするだろうけれど、この際それについては良い。私の自己満足だ。
言い出せばキリがない、結局私は我が儘で、頼まれてもいないのに不殺の籠城戦を行っている。とはいえもう乗り込まれてはいるけれど。
不殺を誓ったのは、ウェヌが悲しむだろうからという一点にある。そこまで彼女の事を考える私もどうかとは思ったが、きっとこれは彼女に抱いていた罪悪感のようなものなのかもしれないとも思っていた。
――そう、ついさっき、ぼうっとビーフジャーキーを齧りながら。
結局、人と人の付き合いなんてもの、相性なんてものがどういうふうに形になるのかは分からない。
どうすれば仲が良いだとか、どうすれば恋人だとか、ハッキリ説明出来ない事は苦手だ。
それでも『私がこの人にこうしたい』という気持ちだけは、ハッキリと説明出来るようになった。
私の、碇二朱の母、お母さんには、毎日に怯えずちゃんと幸せになって欲しかった。
お父さんを歪めたのも、きっと私が不甲斐ないせいだ。早い所、孫でも見せて上げられたら良かった。
母はともかく、父だって普段は大人しい人達だったのだ。私が亡くなったあの事故で、二人は塞ぎ込むかもしれない。
少しだけざまあみろって思ったりもする、だけれど今もし私が二人に言葉を贈れるのなら『ごめんね』の一言だ。それがきっと、言えなかった。
でも今なら、今なんだ、今になってやっと、言えるようになった。
届かないけれど、祈っていた。きっとあの二人なら、私がいなくなって、少しは反省するだろう。
お母さんが紅茶を飲める日を祈っているし、お父さんが酒に頼らない日を祈っている。
というより祈っていた、さっきビーフジャーキーを齧りながら。
そうして、私に剣を向けた兵士には、怒鳴りたかった。
「傷物にして良いって、言われてたかしら!」
そう敵兵を怒鳴りつけると、相手は剣を引く。だから私は剣を振るい、戦う気があるという事を示す為に、わざとエンチャントで鋭利性を失っていない剣で相手の手を軽く斬り、即座に風魔法で相手を入口付近まで吹き飛ばした。
もし私が本当にウェヌだと思って、敵兵が切りかかってきていたならば、それは怒鳴られて然るべき事だ。だから手傷くらいは負わせてやろうと思った。
嫌な事、悪い事をした人間は、それ相応の報いは受けるべき。
だけれど、それが命令の上であるのならば、それ相応の対応はしてあげるべき。
「じゃあ、暴れましょう? レイジニア」
内に眠っている、もう消えているかもしれない『レイジニア・ブランディ』の感情を思い出す。
――私は、私は魔女で構わない。
入口に魔法で土槍を放ち、拘束された六人の敵兵を大広間に残し、一つ分の入口を潰す。
「ブラウン! 他の入口手前で待機、危なくなったら下がりなさいよ!」
「だったらとっくに下がってますよ!」
言うようになったわねと思いつつも、私は少し笑っていた。
まさかあのボンクラが此処まで言うようになったなんて。彼が握る剣は、彼が振るう剣は、彼がその心に打ち立てた信念は、紛れもなく、磨かれた一本の旗だ。
「やるべきは時間稼ぎ、入口なんてものは、一つあれば充分!」
「なら一つになる前に入ってきた奴らは、お任せを!」
彼が各個撃破、私が入口を封鎖、流石に百……はもういないにしても数十人の相手は面倒だ。
だからこそ私は、廊下に飛び出て、危害が及ばない程度に、そうして通れない程度に天井を崩し、時々ブラウンの方に目をやり、倒れている敵兵に拘束魔法をかけて回った。
私が、この場を二人で乗り切れると思った理由は至極簡単だ。
一つ、敵兵はこの任務をただの小娘の奪還と考えている。ウェヌが大魔法使いだという情報など一つも聞いていなかったはずだ。ただ、禁呪というイメージから魔法使いのイメージはあったかもしれないが。
だからこそさっきの敵兵は私を魔女と呼んだのだろう。
そう、それが二つ目の理由。この砦には、魔女がいる。
魔女と呼ぶには、少しズレているけれど、私がいるのだ。
――魔女よりもうんと質が悪い、悪役令嬢がいる。
そうして最後の三つ目。
命令の上で動いている敵兵と違い、此処には己の信念で動く男がいる。
世界に人生を操作され、私に恋愛のフラグを折られて尚、自分を磨いて、この場に、私と並び立った男がいる。
「フン、悪役令嬢がヒーローと共闘だなんてね。さて、このシナリオ案は通るのかしらね?」
一人で呟きながら、大体の出入り口を塞ぎ、大広間に戻ると、もう既に数十人は拘束済みの姿で、口汚く私達を罵っていた。
魔法は私が任意で解いてあげるまでは解けないはずだ。だけれどまだ足りない。
「んー……出入り口はもう殆ど無いけれど、思ったよりも釣れないわね。これで半分ってとこかしら?」
「これだけ拘束出来ただけでも御の字だとは思いますが……これからはどうするんです?」
入口が塞がれている以上、強行突破という事も出来ないのだろう。
相手に魔法使いがいたとして、レイジニア・ブランディという魔法使いが全力で大暴れした跡を見て対抗して来るとは思えない。
つまりは一旦攻撃の手を止めたという事なのだろう。
「クロの方に行きたいけど……時間稼ぎとしては短いわよねぇ」
とりあえず私は拘束済みの敵兵達を魔法でひょいひょいと片隅に置いて、大声を上げて逃げていってくれた何ともな役割の兵士達が出ていった残りの出入り口の方を眺める。
「全員を閉じ込められたらいいのですが、そう簡単には……」
難しい顔をしながら出来なさそうな事をとりあえず言ってみるブラウンの言葉で、ピンと来た。
彼は出来ないと思って言ったのだろうけれど、出来ない事もない。場合によっては。
「そっか、招いてあげればいいわけね。ブラウン! そこらへんの兵士脱がしなさい!」
「ええと……それはどういう……」
私はブラウンの耳元でごにょごにょと作戦の説明をすると、彼は本気で嫌そうな、悲しそうな顔をしながら溜息を吐いた。
「本当に、ニア様には敵いませんね……」
「そりゃもう、私の横に立ったんだもの。それに貴方だって、悪役もそれなりに板についてきたでしょ?」
笑う私に、彼の溜息が重なる。
そうして彼は敵兵から鎧と、顔を隠す為に兜を奪い、エンチャントのかけた剣ではなく、本当に人肌を切り裂ける剣を持った。
私は着ていたローブのフードを深めに被り、拘束している敵兵達に眠りの魔法を放ってから、彼と一緒に、最後の出入り口の方へと歩く。
「こっからは口八丁ね。上手くやんなさいよ?」
「そういうのはニア様の得意分野では? 私は合わせる事に徹しますよ」
それに頷きながら、私はそこらへんに転がっていた手錠を自分の腕につけて、敵兵の格好をしたブラウンから首に剣を突きつけられたまま、未だ数十人がたむろしている砦の出入り口までやってきた。
「おお! よくやった! ソイツがウェヌ・ディーテか?!」
他の敵兵よりも少しご立派な鎧を着ている男がまんまと声をあげ、少しこちらへと歩を進める。
だが、ブラウンは手に持った剣を、その刃が当たる寸前まで私の首元へ近づけて、敵兵の大将らしき人物の歩みを止めさせた。
此処は私が一滴程度の血を流さなければ、リアリティがない。
「……はい。ですが内部では我が兵達が数十人囚われの身となっております」
「ふむ、その女が単独で、か。よくやったものだな」
敵将もやや状況を危ぶみながら、言葉を返す。中に誰もいないという事は、未だバレていないようだ。
「つまりは人質交換という事。未だ人死には出ておりません、穏便に事を済ませたいと、あちらのリーダー……レイジニア・ブランディが言っております」
嘘は、ついていない。私が言い出した事だ。
「人質交換? この場にウェヌ・ディーテを連れてきて何を言っている? そんな事をする必要は……」
そこで、ブラウンの刃が少しだけ私の首元に触れて、ちょっとした痛みが走る。私は少しだけ抵抗するふりをして、彼に諌められた。その手が、震えているのが見えた。
「一旦停戦をし、砦内部の大広間にて人質の交換。その条件が飲めなければ、この場で彼女を殺せと、そこまで肝が座っているようです」
「小癪なことを、数の利で負けているからと生意気な……だがしかし、飲むしかあるまい。一兵卒のお前程度にそんな事が出来るとは思えぬが、此処で娘を殺されては堪らん」
ブラウンを挑発する大将の目を、私はギラリと睨んだが、彼は鼻で笑うだけだった。
一方ブラウンも怒りを顕にしているかと思ってチラリとその目を見たが、そこに怒りは灯っていなかった。最初はあれだけ挑発に弱かった彼もまた、今は生命をかけたブラフに必死だと言うことなのだろう。
なんせ、バレてしまえば数十人との死闘が始まり、手が下手に動いてしまえば私の首が飛ぶ状況。
作戦を教えた時に彼が嫌な顔をした事も頷ける。
「では、人質の運搬もありますので皆様、こちらへついてきてください」
約半分程度まで砦内部で粘ったのにも意味がある。外で待機されていてはたまらない。残った敵兵達が砦の中に入る事に、意味があるのだ。
五十人程度の兵士と、ウェヌ・ディーテの人質交換という嘘は通じたようで、私とブラウンの後をぞろぞろと敵兵が追ってくる。そうして、大広間についた所で、ブラウンはやっと大きな溜息を吐いて、私の首元から剣を下ろした。
「はぁ……これで全員じゃなかったらどうするんです?」
「そん時はそん時よ……ッッ起爆!」
さっき、ブラウンに首を切られもがいた瞬間、出入り口の天井に時限式の爆破魔法をかけておいた。
だから今この砦に、出入り口は無く、敵も味方も、全員がこの大広間に集まっているという事になる。
「さぁって、どうしましょっか? 敵将さん?」
私は目を丸くしている敵将に向けて不敵に笑いかけて、ブラウンの持つ剣をそーっと撫でて、エンチャントをかける。
ブラウンはガランと兜を投げて、私の隣で剣を構えた。
――2人vs50人ってのも、なかなかに厳しい話ではあるけれど。
各個撃破していたあの状況と比べて、今は眼の前に約五十人の敵兵がいる。
それを打破するのが厳しい話であるから、此処に連れてきたというわけでもある。
騙されていた事に気づいたであろう敵将が、私達に言葉を放つ事すらせず、即座に兵士達に命令を下すと、敵兵が馬鹿みたいにしっかりと粘着魔法を用意してある床へと突撃して、すっ転んでいく。
ちなみによく地面を見ていれば躱せる程度の事だ。だからブラウンと私は普通に歩いて避けられた。
けれどそれを知らない猪突猛進な、命令待ちの、それこそ一兵卒達は、それには気づかない。
「一兵卒よりかは、自分の方がマシでしょうかね?」
「マシじゃなきゃ私の隣になんていられないわよ? それに私に手傷を負わす事なんて、許さないわよ」
私のその言葉を聞いて、彼はほっとしたように顔を少し緩めた。
つまりは、私自身がブラウンを信頼したからこそ、決行出来た作戦だったのだ。
彼の努力を見た、彼の自己犠牲を見た、彼の信念を、見た。
彼は、もう以前の彼ではないのだから、一人のちゃんとした男として、扱うのが正しいはず。
私がニア・レイジならば、彼はアルビー・ブラウンとして、扱うのが正しい。
――よく彼の名前を覚えていられたな、と少しだけ自分を褒めてあげたくなった。
「アルビー! 逃げるわよ!」
「はあ?! なんで急に!」
それはどちらの意味だろうか。
ただ、そんな事はどうだって良い。
出入り口は完全に塞いだ。そうして見る限りこの軍に魔法使いはいない。
なら次は、塞いだ出入り口を、こじ開ける番だ。
床に拘束され、例のごとく前のめって倒れた十人程度のおバカさんを尻目に、私達は元々の入口へと走り出す。
「させるか!」
そんな声と共に、後ろから敵将の声がする。
そうして風の斬る音が、一つ。
私の後ろに迫るのが、聞こえた。
――マズッた、破れかぶれなんて事をしてくるのか。
完全な想定外、何かの投てき音を聞いた時にはもう、躱す余裕はないように思い、目を瞑る。
「させるか? それは、こちらの台詞です」
もう一つの風の音と、金属音が響く。
振り返ると、ブラウンの剣が、敵将が放ったであろう剣を床へと叩きつけていた。
「ニア様! 入口を!」
彼は、私を見ていなかった。ただ、安全になるその瞬間まで、私を狙う目を見ていたのだ。
助けられた事に感謝しつつ、少し悔しく思いながら、私は入口を塞いでいる瓦礫を爆破し、廊下に出ると同時に、もう一度そこに瓦礫を集める。
「らしくないですね!」
「そりゃあ私だってこんな大立ち回り慣れちゃいないわよ!」
言いながら、私達はそう簡単には出られないように砦を破壊していく。
そうして外に出ると、そこにはもう敵兵の一人すら見当たらなかった。
「全員、だったんですかね」
「そうみたいね、じゃあまぁ、仕上げと行きましょうか」
私は、ディーテ家を燃やし尽くした時のような魔力を練り上げ、砦に向かって魔力妨害の壁を張る。
同時に、全兵士の拘束を解いた。別に命令で来ただけだ、悪い事をしたわけじゃあない。王子は手加減していたみたいだけれど、手傷を負った者もいたみたいだし、大広間は損傷も激しくない。
ビーフジャーキーをつまみに酒でも飲んで、ゆっくりしていてくれて構わない。
だって、それが時間稼ぎになるのだもの。
「そういえばニア様、さっきアルビーって」
「だって貴方、そんな名前じゃなかったかしら? でもなんか変な感じね」
フフッと笑うと、彼も困ったように空を仰いだ。
「本当にまぁ、不思議な御縁があったもので……。確かにブラウンと呼ばれる方が、性に合っているみたいです」
名前で呼んでみたところで、やはり少しもときめくことはない。
だけれど、友として、仲間として、一言くらい呼んだって良いと思ったのだ。
「じゃあブラウン、このまま砦を迂回して、こちら側の兵士達が残していった目印に沿って、合流しなさい。そう遠くない場所で待っているはずよ」
ブラウンはもう充分役目を果たしてくれた。風に靡いているような彼の心に立った信念という名のフラグは、確かに皺一つ無く綺麗に思えた。
「はは、敵いませんね、ほんと」
「いつか敵うわよ。そう遠くない未来にね」
笑って、私は彼に背を向ける。
「あ、ついでに残党がいたら適当に処理しておいて頂戴?」
思い立ったように、私は彼に能力のエンチャントを最大限までかけた。
「こ、この力……! こんな魔法があるならなんで!」
彼は少しだけ不服そうな顔をしているが、それが可笑しくて、私は声を出して笑った。
「あはは、だって。いらなかったでしょ?」
そう、私が隣にいる時の彼の目には、綺羅びやかな信念が灯っていたから、そんなもの無くても良かった。
だけれどこれからは彼一人の行動、私がさっき助けられた代わりとでも、私は勝手に思っておこう。
未だに何かを言っているアルビー・ブラウンという一人の仲間の言葉を背に受けながら、私は微笑んで、次の戦場へと、空を駆けた。




