第二十七話『私は、その覚悟を好きだと言おう』
森の奥地で大狼を倒した、というかジェスに倒させた私達は、ジェスの馬でディーテ家、もといクロとブラウンの元へと急いだ。
ジェスも騎士というだけあって、伊達に訓練は受けていないのだろう。
速度魔法はあくまでかけられた人間が実感として身体を動かす事で効果が発揮されるもの。
馬にかけられた状態で、その馬の速度を制御するのは少なくとも鍛錬を要する事で、それも高等技術の部類になるはずだ。何故なら本来、馬に速度魔法をかけて走らせる程の事なんて、そうそう起こっちゃいけないような事だから。
それにしても、速い。馬に乗れる人数の都合上、私は浮遊魔法を使ってロープで牽引してもらっているのだけれど、バッサリと髪を切り落としていて良かった。でなければ今頃首を痛めていたところだ。ウェヌがジェスをぎゅうっと掴んでいるのはまぁ、仕方のない事だと思いつつ、何とも言えない目で見つつ、フラグが折れている事を心の中で小さく祈った。ここでこんがらがっている場合じゃあない。
何より、クロとブラウンの安否を確認する事が最優先。
そう思っているうちに、馬が森を抜けた。
その瞬間、ジェスが息を飲んだ音が、風に混じって聞こえた。
トタ、トタ、と馬の速度が落ちる感覚で、何にせよ事は終わったのだろうと察知していた。
そうして一瞬遅れてウェヌの、声に鳴らない悲鳴が溢れる。
スタっと地面に足がついた私は、口が開いたままのジェスを呼びロープを投げ渡して、自分の足で、森を抜けて、ウェヌとジェスが目にした光景を、嫌な気配を感じながら見据えた。
――シナリオとしては、ババを引いたな。
最初に思ったのは、その一点に尽きた。明らかに、状況が悪い方向へと向かっている。
森から出た瞬間に濃厚に湧き立ち、鼻に届いた赤黒い死の匂い、遠くからでも見える瓦礫と、元生物達。
そのショックからか、馬から倒れ落ちてくるウェヌを私は受け止める。
仕方が無いだろう、だってその瓦礫達は彼女が精魂込めて作った庭園のなれの果てで、遠目に見ても倒れているのは人間だ。
「……チッ、してやられたわ」
あぁ、私は随分と悪役令嬢みたいな事を言っているなあだなんて、考えていた。
それくらいに、思考がドライで、冷めきっていた。
ただ、私の足元で、その一歩一歩の地面が燃え上がるくらいに、怒りが立ち込めていた。
「ウェヌはあまり近づかないで、ジェスは……そうね、ウェヌが落ち着いたら一緒に来なさい。落ち着くまでは少し距離を取って周りを見張る事。混乱してるだろうから、ウェヌには話しかけないでね」
「ニア……ッ、私、私……」
「私が受け止めて、貴方達に伝える。だからそうね……、アンタは新しい庭園をどう作るかでも、考えておくのね」
ウェヌの声に、私は後ろ手で返事をして、惨状の結末を見に行く。
「何故あんなにも人が……」
ジェスもまた、困惑しながらも、眉をしかめる。騎士としては放っておけない大事件であることは間違い無い。
「知らないわよ。仮にもブラウンはディーテ家の人間よ? 裏が無いなんてわけ、ないでしょう? 納得出来る理由は、二人から貰ってくるわよ」
――クロも、ブラウンも、立っている。
だからこそ、最悪のシナリオは回避出来たと言っても過言ではない。
一歩ずつ進むに連れ、不快感は深まっていく。
倒れて絶命している人間の多くが、人としての姿が歪だった。
それでも人だとは分かる状態、惨殺されたというのが正しいのだろうか。
だけれど、クロがそんな殺し方をする事は無いという事も理解していた。
理由は、あるはず。
瓦礫の上を歩き、ブラウンがこちらを見て、寂しそうに、悔しそうに、それでも、小さく笑った。
クロは呑気に、こちらへ歩いてくる。
「クロ、この状況は?」
「狼がなー、人だったんだ」
その説明だけで何となく理解は出来たが、クロはハッとした表情を浮かべてから、ブラウンに目配せをした。
「ご無事……でしたか? ニア、様」
「ええ、私達の所にも一匹、大きいのがね。おそらくは今頃は人の死体になってるんでしょうけれど」
ブラウンは、高級そうな衣服を身に纏っている、名前は忘れたものの見覚えのある女性の心臓に剣を突き刺したまま、口を開く。
「どうやら人を魔物に変える禁呪……だそうです。私は見逃されましたが、すみません。マイロは私を囮にして、ニア様とウェヌ様に、今私がしている事を、させようとしていたのだろう、と」
禁呪の種類こそ知らないものの、ウェヌがその身に刻まれている禁呪があるならば、カテゴリーとして幾つかの禁呪がある事くらいは理解出来る。しかし、彼が未だに女性から剣を抜かないのと、彼の言った事で、ピンと来た。何処かで見たという記憶が、その身なりと重なった。
――そうだ、彼女はウェヌの実姉だ。
要は、私かウェヌに、ウェヌの実の姉を殺させるという展開が、用意されていたのだ。
結果はどうあれ、理由はどうあれ、必ずそれによって私とウェヌの関係性は変化する。
それを狙って世界の意思が働いたならば、悪役令嬢どころの騒ぎではない。よくもまぁ、こんな嫌がらせを思いついたものだ。ウェヌの庭園を荒らすだけでも、腸が煮えくり返りそうなのに、実姉を手に掛けたという汚名まで着せようとしたのか。
「元になった人間が強い程、魔物の強さも変わるようで……クロ様も苦戦しておられました」
「トドメだけなー、持ってかれたんだー」
相変わらず、クロだけは呑気そうだ。この血だらけの惨状を作ったのは、おそらく傷を殆ど負っていない彼女だというのにも関わらず。
これはもう既に、定められたシナリオなのか。私達専用として世界がアドリブで創っているシナリオなのかを判別することは出来ない。ただ、『マイロ』と名乗った男が私の預かり知らぬ名を持つ人間であるならば、今の局面はかなり奥に進んだという事なのかもしれない。
フラグだの、フラグじゃないだのと、言っている場合では無いのかもしれない。
それでも、未だにこの国の王子とウェヌとのフラグは残っているはずだ。それは間違い無い。
それを折るという事は二の次にしなければいけなくなるかもしれないが、とにかくこの惨状を見てしまえば、もう私達は平穏を無理やりにでも手に入れなければどうしようもなくなってしまった。
黙っていたならば、動かなければ、この先にはバッドエンドしか待っていない。
――執事ブラウン、騎士ジェス、教師ノア、そうして王子。
私の見立てではもう一人くらいフラグがありそうだと思ったのだけれど、この時点で接触が無いという事はこの四人とウェヌを軸に創られている世界なのだろう。であれば私達が今陥っている状況は、王子のフラグに纏わる話という事になる。おそらく、あの口ぶりと、ディーテ家が所有しているウェヌという禁呪の繋がりから考えて、禁呪で人を魔物に変えたのはマイロで間違い無いだろう。
だからこそ、此処までやっておいてフラグの一人では無いはずだ。
要はラスボス的な存在になるのだろうと思う。
マイロは王城へ向かうと言っていた。であればその後の展開予想はもう既にする余地が無い。
シナリオによって敵味方が変わる可能性もあるし、まだフラグが残っていれば王子と何かしらの接触がある可能性もある。王子シナリオであったとしても、王子のフラグを下りつつも味方に引き入れる事が出来るかと考えると、非常に難しい。
「マイロが来てから、怪しいと思い話を盗み聞きしておりましたが、目的はウェヌ様の絶望……と」
それが何のトリガーになるのかは分からない。だけれど、彼女がやけっぱちになってしまえば、ディーテ家の思う壺だ。ウェヌの両親の思惑は分からないが、実の娘を禁呪により魔物にするくらいだ。
相当ウェヌの持つ禁呪にご執心なのだろう。だからこそ、止めなければいけない。
「だから、こうなるわけね……。クロ、水場で簡単に汚れを落としてきなさい、なるべくウェヌ達に見えないように、急いで」
私の言葉を聞いて、クロは何故かタタタとディーテ家の中に走っていき、ブラウンはホッとした顔でこちらを見た。
足の怪我は、出血で死ぬ程では無いものの、中々に悪いようで、裂傷の上、骨折もしていそうだった。名前も忘れてしまったウェヌの姉には悪いが、その剣で彼女を貫いていなければ崩れ落ちそうに見える。。
「人はまぁ……変わるもんね。しかしアンタって悪知恵は回るっていうか……」
私は彼の足へと治癒魔法をかけて、傷を浅くする。完全に治してはいけない。
「はは……仮にも元主人は貴方ですから……似るんです、かね。クロさんにやらせるのも、ダメだと思ったんですよ」
「正解、ね。しかしアンタがまさか自己犠牲の精神に目覚めるとはねぇ……。でもいいわ。その根性は気に入った。私達はアンタが身を挺したシナリオに乗ってあげる」
ウェヌは姉にいびられ続けていただろうと思う。現状自体は知らないものの、初めて会った時のあの態度を見て、察せない程私は鈍くはない。決していい関係では無い事は確かだ。
だけれどそれは一方的な話、ウェヌは心優しい子だ。だからこそ、おそらくこの家族の死に、酷く心を痛めるだろう。
たとえそれが、禁呪のせいで魔物と化していたとしても、それにとどめを刺した人間とは、付き合いづらくなるはずだ。
だからこそ、ブラウンは私でもなく、そうしてウェヌ本人でもなく、最後に私とは主従、ウェヌとは友人として認知しているクロでもなく、ブラウン自身がその役を買って出たというわけだ。
「ウェヌ様には……」
「ええ、ウェヌには言わない。けれど他の二人には説明させてもらうわよ?」
ブラウンが何も言わず頷いて、私の後ろの方を見た。
私も、馬の足音が近づいているのは、気づいていた。
――泣き声が響いている事にも、気づいていた。
「これは……一体……?」
ジェスはおそらくブラウンがこの惨状を作ったと勘違いしているのだろう。馬から下り、ブラウンに剣を抜こうとする。
「待ってジェス。話があるの。ブラウンはもう、その剣を抜きなさい」
「すみません、ウェヌ、様……」
剣を抜いて、ブラウンは数歩歩いてから、瓦礫を背に、座り込む。
その目は遠く、ウェヌを見ているようで、その姉を見ているようで、何を考えているのかは、到底分からなかった。
「禁呪……だそうよ。人を魔物に変える禁呪、ウェヌの身体に刻まれている類の魔法と、同列に語られる物、でしょうね」
「で、あれば……私が倒したあの魔物も……」
私はブラウンに向かって私達の元に来た大狼の元になった人間の名前を聞いた。
すると、彼はとある男性の名前を言い、それはウェヌにだけ伝わったようで、彼女の嗚咽はより大きくなった。おそらくは知っている人だったのだろう。
「仕方が無かった……とは言わない。けれど泣く時間なんて無い、わけがない」
私はウェヌの方を強く抱いて、その涙を肩で受けた。
泣き声を、一番近くで受け止めた。
彼女の禁呪は、傷を移し替える。
もしそれが心の傷も移し替えられるのだったら、使って欲しいとすら、思った。
「此処は、しばらく安全なはず、少しクロと、彼と家の中を見てくるから、何かあったら叫んで頂戴」
私はウェヌにそっとそう囁き、頷いたのを確認してから、ブラウンにも同様の事を言って、ジェスを連れ立ってディーテ家へと入っていった。
「酷い有り様ですね……。家主はこの家を捨てたという事でしょうか……」
「そうなるわね、それでもとりあえず家探しが無難かしら。貴方もまぁ、立場的には人殺しになったわけだし、このくらいの悪さは気にしない事ね」
ジェスの懸念は、既に表情で見て取れていた。
私が殺せなかった森での大狼、それもまた禁呪を使われた人間に違い無い。
そうしてウェヌが名前を知っているという事はディーテ家の人間だ。
ということはつまりあの大狼を倒したジェスは、ディーテ家の人間を殺害したという事になる。
「全てお見通しですか。しかし、あれだけの数を、ブラウン氏が?」
「いーえ? 彼が万全だったらいくらかは倒せたでしょうけど、大体は、ほら、あの子よ」
私の視線の先には、血に塗れた衣服を捨て、ちゃっかりとディーテ家のメイド服に袖を通して、いくらか血を拭ったクロの姿があった。
「ニア様ー、どういう事だー? それにコイツ誰だー?」
ジェスは引きつった顔をしてから、小さく溜息を吐く。
「貴方でしたか……」
「そ、あの場を殲滅したのは全部この子よ。あの女性の、最後の一撃だけ、ブラウンが無理を言って譲らせたってわけ、だってあの人は……」
私は、未だに小さく聞こえる泣き声を耳にしながら、小さく溜息を吐く。
「名前は……、そう。リベラだったわね。リベラ・ディーテ。あの子の姉よ」
その言葉に、ジェスは勿論、クロまでも言葉を失う。
「ニ、ニア様、私……」
焦ったように、困ったように言うクロの、余り見せない表情は、泣き顔になりそうだった。
「殺したのは、ブラウン。彼がそう決めた。だから、これは私達だけの秘密」
私はクロの頭をそっと撫でて、事情を説明した。
ディーテ家、及びマイロの目的はディーテの状態をめちゃくちゃにする事。
その為に実の娘までを魔物にし、ブラウンを囮にして、私かウェヌに殺させようとした事。
そうして、結果的に居合わせたブラウンが、クロの変わりにリベラ・ディーテのトドメを刺す事で、ウェヌから見た私とクロの心証を下げまいと、自分を犠牲にした事。
それらを聞いて、ジェスは庭園の見える窓の元まで数歩歩き、怒りを孕んだ強い目で、大きく頷いた。
クロもまた、少しだけしょげたような雰囲気で、こちらを見ている。
「という事で、マイロが王城に行くと言っていた以上、ディーテ家とマイロに繋がりがあれば、私達は国賊という事になる。ウェヌが泣く時間はあるけれど、私達はもう、止まっていられない。ジェスもまぁ人生最悪の日を迎えたって事で、納得して頂戴?」
「私は王に仕える騎士ではありますが、国に仕える騎士でもあります。判断を間違うつもりも、間違ったつもりも、ありませんよ。ニア殿」
殿というのは中々新鮮だったが、中々に男気のある事を言ってくれる。流石ヒーローと言った所だ。
はっきり言って頼りになる。今回は最初から被っていなかった兜のおかげで揺れる綺麗で少し長い金髪や、そのスラリと背の高い容姿も相まって、ブラウンとは格の違いが激しかったが、それでも彼の一世一代の覚悟を、私は認めたかった。
――世界の意思に仇なす人間が、私以外に出てくるなんて。
それは私にとって、ある意味かなり心強い事でもあった。
ウェヌにとって、此処はおそらく物語の一番深い部分、悲しみに暮れ、立ち上がらなければいけない部分。
それを支えるべきは、本来はヒーローのはずだ。
だけれど、そのヒーローのフラグは私がきっちりと折っている。
だからこそ、私が、私達が、彼女を支え、正しいエンドへと、導いてあげたい。
「じゃあクロ、貴方はウェヌを慰めてあげて、上手く取り繕うのよ? 少なくともあの子の姉を殺したのはブラウン、それだけは、絶対に揺るがさない。ブラウンの足も、ある程度治療したから誤魔化しは効くはずだから、上手くやって頂戴」
そう告げると、クロは表情を無理に明るく作り「分かった!」と言って庭園へと駆けていった。
「まだ小さいのに、元気な子ですね……」
「私が買い取ったの、元奴隷よ。この国のスラム、見て見ぬふりしてる事くらい貴方も知ってるでしょ?」
ジェスが悪いわけではないのだけれど、私の鋭い言葉に、彼の表情は固くなる。
「いいの、貴方が悪いわけじゃない。けれどいつか私は、あの奴隷市場もめちゃくちゃにするつもりよ。その時には、気が乗ったなら国を動かしましょう?」
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、相変わらず固い表情のままでいるジェスの顔を覗き込む。国家転覆を狙うわけではない。
ただ、結果としてこれから私達がやり合う相手は国の可能性が高いのだ。
「ニア殿もまた、お若いのに素晴らしい胆力ですね……」
――そりゃまぁ、元の人生で二十数年と、レイジニア・ブランディとしての十数年があるもの。
そんな事はまだ言う事でも無いと思い、私は口元では笑みを浮かべながらも、目の中には、怒りの炎をしっかりと灯らせていた。
「さ、まずはこの家の調査と……」
「調査と……?」
ジェスは正義感が強いだろう事は分かっていた。だからこそ、私の言葉の先に恐れを抱いているのは分かっている。
それでも、私は私の出来る最善策を取りたい。
だから、私は彼の表情も見ずに、指先からポッと炎を出して、すぐに消した。
「もう誰も帰ってこない家、誰も仕えていない家、調査が終われば、清掃ね」
「はぁ……トンだご令嬢ですね……」
溜息を付くジェスではあるが、物わかりの悪い石頭という事でもなさそうで、安心した。
「知らなかった? レイジニア・ブランディといえばもう、悪の権化みたいな女なのよ? でもニア・レイジはね、その上を行くんだから」
怒りは、通り越して笑みへと変わる。
その目に灯った炎は、そのうちに、現実へと変わる。
これはきっと、ウェヌの涙では消せない炎だ。
だから私が少し恨まれたって、構わない。
もし、リベラ・ディーテにとどめを刺したのが私だったら、許されなかったかもしれない。
だけれど、ブラウンという一人の元ボンクラが道を用意した。
これは、だからこそ生まれたシナリオだ。
私は、フラグというしがらみに囚われたウェヌよりも、一足先に手に入れた完全な自由意志を手に入れたブラウンに、心の中で称賛の拍手をしながら、強く拳を握って、ディーテ家に散在する扉の一つを、レイジニア家の両親の部屋を開ける時よりも強く、思い切り蹴破った。




