第二十四話『逃げ回るのは嫌いだ。だけど』
少なくともこれで、ウェヌは世界の枠組みからある程度外されたはず。
だけれど依然として主人公であるという決まりルールは決めつけられているままだ。
だから、これで私のハッピーエンド、私達のハッピーエンドとはなってはくれない。
「世界は、何としてでも貴方を思うがままのハッピーエンドに導く……はずよ。まずは屋敷にいる男からかしらね」
「だけど、そもそも私の身に何が……? 禁呪の類が関わってくるなら、私が良い思いをするという事は無いはずです。じゃなくって……! 無いはず……」
やっと対等になった私達の会話は、極めて明瞭で、ハッキリとした同じ声量でやり取りされる。それが何処かこそばゆいようで、慣れないけれど、嬉しかった。
「ふふ、ウェヌが私に敬語じゃないなんて、新鮮でいいわね」
「ふぇあ……駄目でした? ……駄目じゃないよね!」
少し強気に甘噛みするような言葉を吐く彼女も何処か可愛らしい。
――こういうところに、きっとヒーロー達は惹かれる事になっていたんだろうな。
そう考えてしまうのが、少し悔しい。彼女もまたこの世界によって作られた存在であることは間違い無い。
それでも、此処から作っていくと決めたなら、大丈夫。
「駄目じゃないけど、しばらく笑わせてもらうわね」
私はこみ上げる笑いを咳払いで止めて、ウェヌの目を真っ直ぐ見つめる。
「私の見立てであれば、あの騎士と、貴方が出会ったというこの国の王子、それと今この屋敷にいる三人。そいつらのフラグを折れば、私達の勝ち」
「負ける条件は……」
「いくらでもあるわね。何せこの世界そのものが敵なんだもの。まさか作り上げた主人公が悪役に寝返るなんて思いもしないでしょうから、ここからは……」
ここからは実力勝負。世界の配下と、私達のぶつかりあいになる。
「とりあえず『四人』対『世界』……かしらね?」
扉が開いてドタバタと駆けてくる音に辟易としながらも、私は変わらぬ態度でやかましい元ボンクラを叱りつける。
「アンタは! そういうところよ!」
「す、すみませんニア様。事情が事情なもので混乱してしまい……」
流石に言い訳として虐めてやるような状況でも無い。しかもそりゃ事情が事情だ。混乱するのも無理は無い。
「クロ、アンタはちゃんと伝えたわよね?」
「おー、大体はなー。ウェヌがマズいかもってのは強調しといたけど! だいじょぶそうだな!」
クロはウェヌの顔を覗き込んでニカっと笑う。
その腰には、ディーテ家の何処ぞから拝借してきたであろう短剣が二本鞘に収まってくくりつけられていた。
「……似合うわね。使えるの?」
「ブラウンがくれたぞ。コイツも覚悟キマってんな!」
ちらりとブラウンを見ると、彼は心配そうな顔をしながら、しかしいざという時の為なのだろう。ちゃんとした戦闘用の装備を携えてきていた。話を聞いてとりあえず対応はしてきたらしいけれど、よくもまぁ見つからずに此処までやってきたものだ。
「追っ手が来ないあたり、その上手くやってるみたいね。アンタ、道覚えてたでしょ。しかしまぁ、一蓮托生なのにアンタも馬鹿ね……」
「えぇ……まぁ。しかしボンクラよりは馬鹿の方がいくらかマシです。何かあるとは思っていたので、小狡いと言われるとぐうの音も出ませんが、なるべく人目に付かないように動く道順くらいは」
ブラウンの生来の気質はこういう小狡さが強かった。けれどその気質も叩き直せば『狡猾』という武器になる。今の彼が今までの彼では無い事は私が一番よく知っている。
「とりあえず、逃げるのが正解? それとも速戦即決? これはこの家にいた二人にしか分からない事だけれど……」
「逃げの一手……が妥当でしょうね。ウェヌ様を連れていくのであれば誘拐になりますが……」
ブラウンの顔色を見るあたり、ディーテ家も一枚岩のようで、ちゃんとした対策は整えているようだった。それは門番がつけられている事からも分かっていた事ではある。
「後手は好かないのだけれど……ウェヌを連れ出すのが優先か……」
「えっと……そんなにマズい事が起きてるの……?」
ウェヌが不思議そうな顔をする。それも仕方がない。私が捉えるこの世界と、彼女が捉えるこの世界は全くの別物。言葉で理解して、信用してくれたとしても、まだ彼女には目に見える実害が存在していないのだ。
「そうね……まぁ十中八九マズい事が起きてるから、とりあえずは逃げましょうか……」
「まぁニア様が来たからマズい事が起きてるんだけどな!」
そう笑うクロの頭に軽くチョップを入れる。
「来なきゃ終わりなんだっての! なんで皆危機感が薄いのよ! とりあえず逃げるわよ! ウェヌ、この庭園に外への出入り口って……」
「森の方へ続くのが一つと、家の中へ続くのだけ、かな」
さぁどちらを選ぶ? という事もなく、家の中に突撃するなんて事は出来ない。
せめてフラグを持っている旅人の顔くらいは拝んでおきたかったけれど、そうも言っていられない。
「ん……じゃあとりあえずは森へ。あとウェヌ、ちょっとごめんね……ッ!」
私は即席爆破の魔法を森側の出入り口とは真反対の塀に放つ。
勿論植物に被害は無いように気をつけた。私と違って、ウェヌはこの場所に、胸を張って帰って来るべきだから。
「これで騙される馬鹿ならいいんだけど……!」
「うぅ、びっくりした……」
「流石の私もビビったぞ……」
ウェヌもクロも驚いた様子だったが、ブラウンは静かにそちらの方向へと歩み寄って行った。
ブラフの為の出入り口だ。まさかそこから出るとでも思ったのだろうか。
だけれど、彼が口走ったのは、私も想像していないような言葉だった。
「ここで……別れましょう。皆さんは森方面へ。私は皆さんを探している体を装って時間を稼ぎます……マズい状況、なんですよね?」
「……そうね」
意外としか言いようのない提案だった。だけれど彼の場合はまだ怪しまれる余地は無いだろう。
爆発音に駆けつけて、私かクロと交戦したとでも言えば良い。
どうせ私とクロが入り込んだ事はすぐにバレる。
なら適当な方向を探らせて、後々にブラウンとは個別に魔法具で連絡を取ればいいだけだ。
「ダメそうなら魔法具をぶっ壊して、自分の身を守りなさい。良いわね」
「ニア様も丸くなったものですね……」
ブラウンは小さく笑いながら、私が爆破した塀へと歩いていく。
「じゃあウェヌ、クロ、私達も行くわよ」
「がってんだー!」
「うん……えっと荷物は……持っていけないよね……」
相変わらず少しズレてはいるけれど、路銀は一応山程ある。
それに、逃げ先に森を選んだのにも理由がある。一旦は我慢してもらう他無い。
「ごめんねウェヌ、道中もっと詳しい説明はするから、とりあえず付いてきて……!」
真面目な顔でコクリと頷くと、クロが先陣を切って駆け出そうとする。
「ちょっと待ってクロちゃん……! 速度魔法:エンチャント!」
そういえばこの子はこういうのにも長けてるんだった。初めてみたときは少しやり過ぎだったけれど、私も含めてかけられた速度増加の魔法に違和感は無かった。
「へへ、ちょっと練習したんです」
笑うウェヌの顔を見て、私は改めて安心しつつ、そうしてブラウンのいつのまにか芽生えていた小さな男気のような物に関心しつつ、目的地である所の森の方向へと、庭園を出る前にトマトを一つだけもいでから飛び出した。




