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第二十三話『本当は嘘が嫌いだ』

 今からするお話に、お茶もケーキも必要無い。

 どうせお茶なんて、飲んでもすぐ涙に変わる。ケーキがいくら甘くたって、味を感じる余裕もない。


 きっとそれは、ウェヌも、そうして私だって同じ事。

 ただ、彼女の場合は涙で、私の場合は汗かもしれないけれど。


 それでも私達は、神妙な面持ちで、初めてこの庭園に来た時に座ったテーブルの前で、少しだけ目を合わせてから、向かい合って座った。お茶会なら、良かった。

 だけれどそのお茶会をするために、乗り越えるべき壁だ。

「まずは、貴方が私に言った。今の貴方が忘れていた事。それから話すべきなんでしょうね」

「忘れて……いた事? 確かに、あの雨の日の記憶は曖昧で、ただ何か酷い事を言ってしまったような気がして……」

 目に涙を溜めるのは、まだ早いと思ったが、彼女の心も、かき乱されているのだろう。

 だから少し、おどけてみせた。

「ねぇウェヌ、私どう? 似合ってるかしら」

「……えっ? あの、その……」

 溢れる前に涙は止まり、困った顔に変わる。どうせ『レイジニア・ブランディ』には似合っていないけれど、これが、きっと私が選んだ正しい私だ。

「印象は変わりましたけど……似合ってないなんて事は無いです。ただ、きっと何か大変な事が、あったんですよね……?」

 どうやらお世辞くらいは言ってくれるようだ。そう考えてしまうのは、結局元々私自身の自己肯定感が薄いからなのだろう。容姿以外の全てをすげ替えた程度でも、そりゃあ印象は変わる。こんな世界なら尚更だ。それによってイジメだって起これば、評価だって変わる。どの世界だってそんなものだろうとは思っているけれど、貴族なんていう物がいるこの世界では、尚更の事だろう。

 今後の溜まり場として使うつもりだった学校の保健室はどうしたものかと、今更ながら少しだけ困った。けれど、学校で折るべきフラグはもう無いはず、ならそれはそれで良い。

 どの道本当に必要ならば学校側でなんとかするだろうし、私だって家柄こそ捨てど、持っている物は変わらないのだから、きっと大丈夫。


 それよりも、眼の前の少女だ。

「そう、何か大変な事を、言ったのよ。覚えてないって事は本当に……嫌になるわね」

 私は軽く舌打ちをする。それをウェヌは怯えた様子で見ていたけれど、無理もない。

 こういう風なのもまた、私なのだ。苛ついたら舌打ちの一つくらい、する。

 ウェヌにそうなってほしくはないし、決して良い事だとは思えなくても、そのくらいに私は世界に苛立っていた。

「貴方はね、私の事をレイジニア様と呼んだの」

「えっと……普段もニア様と呼んでますし、変わらないんじゃ……?」

「でも、きっと貴方はあえて意識して、私を"レイジニア様"とは呼ばなかった。だってそれが初めて合った日の、最初の約束だから。そんな貴方があの雨の日、酷く冷たい目で、私を問い詰めたのよ」

 キョトンとしながら話を聞いているのは、本当に身に覚えが無いからなのだろう。

 であれば、黙っているのも一つの手段かもしれない。だけれどさっき彼女が世界から受けていたであろう思考の干渉を止められたのは、一時的だと思っていた。

 あの程度で止められる程、世界の意思の打破は、きっと簡単じゃない。

 私が服装を変え、家柄を捨てる事で世界の干渉から逃れられたのは、あくまで私が『名家の悪役令嬢』という設定を、壊し。

 おそらくは固定として設定されていた見た目を完全に壊し、そうして名前すらも違う物を名乗るという行為をしたからだ。それでやっと、私への干渉は止まった。


 だけれどウェヌは違う。『主人公』という肩書きは捨てようが無い。

 見た目もそうだ。誰かのフラグが成就したとして、その運命(シナリオ)でどんな格好になるかなんて知る由が無い。もしかするとブラウンと一緒になれば質素な格好かもしれないし、未だ謎に包まれている王子に娶られれば王女だ。騎士の帰りを待つ良い妻かもしれないし、ノアと共に学者を志しているかもしれない。


――要は、彼女には差分が多すぎる。


 私のような一登場人物とは違って、彼女には幾つもの可能性がそもそも世界から与えられていたのだ。

 だからこそ、ある程度の容姿の変更も大した効き目が無いだろう。名前を変えるなんて事をすればそもそもの彼女の未来が壊れてしまうし、やはり一番の問題は『ウェヌ・ディーテ』がこの世界の『主人公』であるという曲げようの無い事実。

 だからこそ、彼女自身が自我をちゃんと持ち、真実を受け止め、要はバグに侵されるという意味で世界に反抗する異分子になってもらうしか道は無い。


「私はね……貴方と初めて出会った日からもう、貴方の知っていた……この世界の皆が知っていた『レイジニア・ブランディ』なんかじゃなかったの」

 そこからの話は、彼女にとっては荒唐無稽も良いところだっただろう。

 だけれど、彼女は困惑しながらも、真剣に私の話を聞いてくれていた。

「最初は、貴方の事……というよりも世界に選ばれた主人公という立ち位置が嫌いだった」

 その『主人公』という言葉にもピンと来ていない、当たり前だ。

 こんな事実は私と、そうして世界しか知らない事なのだから。


「貴方はね、この世界に於いて。どう足掻いても幸せになる為に生まれた、たった一人の特別な人間なのよ。それを私は、ぶち壊そうとしたの。だって、勝手に幸せになるなんて、気に入らないと思わない?」

 端的に言いすぎたような気もしたけれど、それでも彼女は無言を貫き、私の言葉を聞いている。

「信じられないでしょうね。でも事実、貴方はどうしようもなければあのブラウンと恋仲になっていたし、私が助けに行かなければ森で騎士と出会い恋に落ちる。そうして学校で保健医との接触を防がなければ、同じ事。そうして今この瞬間も、此処まで言えば察しも付くでしょう?」

「信じ……られません。だけれど、その全部をニア様が……」

 ウェヌの顔には、悲しみと落胆のような表情が浮かんでいた。

 ある意味、今話した言葉だけでは、私が彼女を裏切った事を告白しただけだ。


 だけれど、私の気持ちは、本当の気持ちはその先にある。

「全部、壊してやった。だけれど、世界は貴方をどうしても思い通りに動かして、運命とやらで誰かと結ばせたいみたいね……。私は、それが気に食わない」

 私が、元の世界で死に、この世界に来たという事。

『レイジニア・ブランディ』という立場を借りていた事。

 そうして、この世界は現実ではあっても、私が知る上での作り物だという事。

 それらの説明を受けて尚、彼女は冷静だった。


 それはきっと、あまりにも私が、真面目に馬鹿な事を口走っていたからなのかもしれない。

 だけれど、私にとっては事実なのだから仕方がない。いくら馬鹿げているように思えたって、信じてもらえないとしたって、私にとっては本当の事で、納得してほしくて、だからこそ、声も荒げるし、顔も紅潮する。


――涙すら、滲む。


「だから、だからさ。ウェヌ。私はね、気に入らないの。貴方が、貴方の知らない内に、決められた運命なんかに動かされて、たとえそれが幸せなのだとしても、貴方の意思だと思い込まされて、それを受け入れて生きていくのが、悲しくて、苦しくて、苛ついて……」

「ニア様……」

 困らせているのは、分かっている。

 それでも、私は、向き合わなければ。


 貴方と、向き合わなければ。

「貴方に与えられる、作られた幸せが、嫌い。旅人はきっと、禁呪を元に貴方と接触する。そのうちに貴方はきっと彼の優しさに惹かれていってしまう。だけれど、それは世界が仕組んだ、貴方がこの世界に選ばれたからこその幸せ。私は、貴方がそれを望んだとしたって、そのフラグを、全部圧し折る」


――悪役令嬢になったからには、貴方のフラグを全部圧し折る。


 貴方の為に、私の為に。

「私が邪魔なら、全力で阻止して頂戴。きっと世界が、貴方を後押しする。それでも、だとしても私は、悪役として、貴方の前に立ち塞がる。私は、私がそう決めたの。だから貴方は、貴方が決めて」

 ウェヌ・ディーテという一人の主人公は、小さく頷いて、こちらを見つめる。

「私は、嘘が嫌いです」

 出会ってから、一時足りとも嘘を吐かなかった少女の言葉が、私の胸に刺さる。

「だからこそ、私が今、この胸に感じていた感情を表す事が出来なかったんです。確かに、私はあの雨の日、名前も知らない旅人さんの優しさに少しだけ惹かれました。それに、ニア様が今言った事達も、信じ切る事は、難しいです……ごめんなさい」

 馬鹿正直とはこの事をいうのだろう。顔を少しだけ赤らめながらも、自身に芽生えた小さな恋心すら、告白をするような子、ウェヌという子はそんな子なのだ。

 その子は、涙が滲む程感情を顕にしていた私に、小さく微笑む


「だけれどニア様。私ね、幸せになりたいだなんて、思った事が無いんです。だって、今で充分幸せだったんですから。ニア様がいて、クロちゃんがいて、嫌なことは少しずつ減っていって」

 その言葉は、彼女が紡いだ、正しく主人公としての、私からみた主人公としての、言葉。

「だから、何を信じるかは、今は忘れていたい。少しだけ、待っていてください。その、世界というものが、主人公? という存在が私であるのならば、分かってくれないでしょうか? だって、世界は私を幸せにする為に、色んな運命を与えてくれたんでしょう? でも私は今、幸せなんです」

 

 最初から、幸せで居続ける主人公など、いやしない。

 何か問題があるから、ヒーローが現れ、問題を解決して、幸せになっていく。

 ゲームとは、その過程を楽しむ物だ。


――ならば、だとするならば、もう既に。


「だから、大丈夫ですよニア様。これは、今ニア様が教えてくれて、そうして考えてみて、気付いた事。私は、ニア様の言っていた世界さんの運命じゃあなくて、私が選んだ幸せの中に、きっともう、いるはずなんです」

 

 その言葉が、世界を完全に否定した。

 お前の力は必要無いと、言わんばかりの、完全な運命への否定。

「ウェヌ……貴方……」

「だって、ニア様がいて、クロちゃんがいて、お茶を飲んで、学校で笑いあって。それ以上の事を、私は望んだりしません。いつか恋をしたとしても、それはきっと、私が決める事。ニア様が言っていた事が本当なら、私もそうでありたい。そう思います。旅人さんは確かに優しかった、けれどそれは私が悲しみの底にいたから、安易にそう感じてしまっただけなのかもしれない」

 そう言ってから難しい顔をして、彼女は首を横に振る。

「へへ、やっぱり分からないです。もしかしたら本当に惹かれているのかもしれないし、世界さんの運命に干渉? されているのかも。だけれど今、今この瞬間の私は、恋をしていない。だから大丈夫、大丈夫ですよニア様」


 私の眼の前には、一枚の絵にするには勿体無いくらい、微笑んでいる主人公がいた。


「ウェヌ……じゃあ、貴方は……」

「信じきれるかどうかは、わかりません。だけれど、私が一番好きなのは、ニア様。そうして、クロちゃんだから。それを世界さんが邪魔してくるっていうのなら、お話が違います、よね?」

 彼女は正しく、正解に辿り着いた。


 世界は彼女を幸せにさせるために存在している。

 だけれど、その彼女が幸せだと言い切ったのならば、そこに付け入る隙なんて、無い。


「ありがと……ウェヌ。これで、貴方の本当の問題と、向き合える」

 これからウェヌが世界の干渉を受けるかは分からない。

 それでも、彼女が今幸せであるという宣言は、間違いなく世界に対して効果のある言葉だったはずだ。

 私は、笑ってウェヌに握手を求めた。


「はじめまして、ウェヌ。私は『ニア・レイジ』。良ければ友達になりましょう? ニアって呼んで?」

「こちらこそ……はじめまして、ニア。これで、いいん、だよね?」

「うん、それでいいの。ちょっと気恥ずかしいけど、私達は、やっと友達になれた。そうよね?」

 照れた顔が、少し眩しい。けれどきっと、彼女の目にも私の顔が眩しく映っているのかもしれない。


 絵になんて、絶対にさせてやらない、二人の笑顔。

 そこにはお茶もケーキも無い。

 だけれど、それ以上に大切な物で、私達は、繋がっていた。

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