第二十一話『自分が嫌いな私が嫌いだ』
困惑するレイジニアの父と母。だけれど、私に両親と暮らした記憶はいらない。
どんな世界であっても、必要は、無い。
私の変わった姿を見て、二人は狼狽と共に、私を激しく非難した。
だけれど、私にはそれがどうしてもおかしくて、笑いが止まらなくなってしまった。
――だって、まるで二人の話す言葉が吹き出しに囲まれているように見えたから。
これはこの世界の意思ではない。私がそのくらいに下らないと思ってしまっているだけの事だ。
やっぱり、私は性格が悪い。だけれど私はこの両親に、『ノア・ガーデナー』というこの世界の未来の医療を担うであろう人材を紹介している。
彼の価値については、もう既に私がレイジニアとして生きようとしていた、ほんの昨日まで、その昨日の内に完璧に説明してあり、理解も得られている。
悪役令嬢は、当たり前だが身分の高い貴族の家の令嬢ではあるのだ。
つまりその両親もまた、存在自体が悪かどうかは分からずとも、貴族として成り上がってきた人間なのは間違い無い。そうして、金の匂いに敏感なのは、レイジニアの記憶が物語っている。
決して仲睦まじい家族であったという記憶は無い。とはいえ『ニア・レイジ』と名乗った私の、あの両親よりは余程マシだとは思うけれど、それでもまぁ立場上こんな事をする娘にする事はたった一つ。
私が欲していたのはレイジニアという役柄の放棄。
つまり、この両親からの勘当だ。
それを以て私はこの名を捨て、令嬢という立場を捨てられる。
この世界は『悪役令嬢レイジニア・ブランディ』もまた登場人物の一部として、支配しようとしている事は、私の思考を変化させようとしてきた事から明白だ。ウェヌの事を考えはじめると思考が乱れる。
もう既に私を悪役として見ていないあたり、確かに意思があるのだろうと思った。そうして、私の存在が余程邪魔なのだろうとも思った。なりふりかまっていられないらしい。
私の目論見通り、レイジニアの両親は私の変化と、その挑発に上手く乗ってくれた。
ノアの研究からなる利益も引き合いに出す事で、彼の地位も固めた。
だから彼がブランディ家から追い出される事はないだろう。幸い彼はブランディ家の敷地内に研究室を持っているわけではない。だからこそ丁度良く、彼は彼で話をしておけばいいだけの話だ。驚かれるだろうが、彼の恋人はもう既に学問、何かしらの心配はされるかもしれないが、さして問題はないはず。
そうして、叩きつけられる勘当の言葉。クロを連れて行く事だけは譲らなかった。それもまた、論争になりかけたが、そのあたりはクロを傷つけるのも忍びないので、私の大事な友人であり、彼女もまた私と共にいる事を望んでいると言えば、メイドの解雇など簡単なものだった。
これで、私はこの家に未練は無い。ブラウンも丁度良くいなくなってくれた。私との個人的な契約も結んでいるので私がレイジニアで無くとも彼には関係が無い。何よりこの場にいないから見ている必要もない。むしろ彼がウェヌをしっかりと見ていて欲しい。
最初の通信の時点で、なるべくその旅人とウェヌをあまり近づけないようにしろとは命じてあるけれど、それが上手く行く気はあまりしていなかった。何せ彼も人間だ。もう一度ウェヌの嫌がりそうな事をするというのは酷だと思うだろう。それにそもそもウェヌに近づくなとも命じているのだ。無理難題ではあるものの、それを通してこその我儘というもの。尻拭いなら、いくらでもしてあげよう。
激怒している両親の部屋から、心配そうなクロに笑いかけてドアを思い切り閉める。
「案外心配性なのね。最初はあんなに猛犬みたいだったのに」
「そりゃ心配にもなるぞ……ニア様は本当にどうしちゃったんだ? ウェヌと喧嘩したのがそんなにショックだったか?」
その喧嘩という言葉を思うと、やはり少しショックだった。まだ嫌われてはいない、嫌われてはいないはず。
嫌われるとするならば、もう少し先だ。だからまだ、嫌われてはいない。
ただし、まだ。というだけ。嫌われる事を覚悟の上で、私はレイジニアを辞めたのだ。
「大丈夫よ。貴方とウェヌ相手なら、いくら喧嘩したって、どんな方法を使ったって仲直りするもの。"私"はいつも、そうして来たでしょ?」
私の言う私は、この我儘で、性格の悪い、人間が嫌いで、その人間である私自身すら大嫌いな私だ。
それでも私は私を好きでいてくれる人を否定したくない。だからこそ、私は私として、正しい事を、すれ違ったとしても善意を以て、この人生のツケを払いたい。その最後に、主人公じゃなくても、私を好きになれたなら、それで構わない。
荷物はそう多くはならなかった。だけれどブランディ家がお金持ちという事は最後に十分と利用させて貰おうと、私は適当に鞄の中にお金になりそうなものを詰め込む。
「ニア様ぁ、それ綺麗だけど持っていっても腹の足しにはならないぞ」
「お金の概念、教わらなかったかしら……」
結局クロにも、ちゃんとした教育を受けさせる暇が無かった。メイドとしての教育は受けていても、一般教養はまだ殆ど無いような物。まさかクロを任せたメイドも『勘当された時はお金の為に宝石等を持っていくとそれを売ったお金で美味しい物が食べられますよ」なんて事は教えてくれないだろう。
そもそも、彼女はほぼ私と一緒にいるし、ちゃんとした買い物もさっき始めてしたようなものだ。そういう所も、少しずつ教えて行こう。これからはメイド兼、友人として。
両親との二度目の別れ、とはいっても転んで死ぬような事はもうない。
これは生きる為の別れだ。いつか、この世界でやる事が全て済んだ時には、謝りにくらい来てあげよう。レイジニアの記憶の中の両親は決して優しくは無かったが、お金に物を言わせるタイプではあった。
ノアがもし本当にお金になる研究者になったならば、向こうから頭を下げざるを得なくなるかもしれない。何せノアを連れて来たのは私、彼の運命を変えたのは私なのだ。
今はただの我儘かもしれない。それでも結果論を考えるならば、その我儘が好転する事だって絶対にある。
そう信じていなければ、人間は誰とも関わらず、影響もされない寂しい生き物になってしまう。
傷つくかもしれない、正しくないかもしれない、だけれど時々、それをおしてでも言わなければいけない言葉がある。しなければいけない行動がある。
――愛想笑いをしているだけじゃ、人間は変わらない。変えられない。
「名も知らないゲーム風情に、私が負けると思うなよ」
取り繕っておしとやかな言葉を使うのにも、いい加減うんざりだった。
周りはあんな付け焼き刃の言葉で、良く騙されていたものだ。
それこそ、ウェヌくらい元々の性格が朗らかな子と一緒だったからこそ、今まで怪しまれずに済んでいたのかもしれない。
「げぇむ……?」
流石にゲームの知識を彼女に教える意味は無いだろうと思い、私は適当に言葉をはぐらかす。
だけれど、その中にも、本音はしっかりと閉じ込めた。
「あぁ、こっちの話。まぁ、魔法みたいなもんよ。『宣戦布告』って言う名前のね」
これで、私は世界の『悪役』になり、『悪役令嬢レイジニア・ブランディ』ではなくなった。
名乗るならば『悪役令嬢』とも呼べるかもしれない。そうであれば尚更都合が良い。
『悪役令嬢ニア・レイジ』
私が選んだ、私という存在は、この世界にとっての重要なパーツを含みながら、それでいて登場人物というパーツを外している存在だ。
『悪役令嬢』は存在していなければいけない。
『悪役令嬢』は『レイジニア・ブランディ』である。
それが、この世界の重大なミスなのだ。
私は『レイジニア・ブランディ』として世界が決めつけた運命を壊し続けた。
だからこそ、世界もまた私やウェヌの思考を操作してまで、運命を押し付けようとしてきたのだろう。
かといって、私がこの世界に何の関わりも無い人間になってしまえば、クロのような世界の影響外の人間になってしまう。
彼女は私に懐いてくれたし、ウェヌとも仲良くなってくれたけれど、結局の所彼女は世界からの影響は受けず、また彼女がいくら努力した所で、単体でウェヌのフラグを折るという事は出来ないのだろうと思う。
何故ならば、クロはあまりにも都合よく状況に受け入れられすぎるのだ。
ブランディ家然り、学園然り、誰にもその存在を強く言及される事がない。それはつまり、この世界の登場人物に植え付けられている、世界の心理から『どうでもいい』と思われている証拠だ。ならば彼女には世界への影響力が無いとも捉えられる。
ウェヌが彼女と仲良くなろうとしたのは、おそらく私が彼女にまとわりついていた世界の理を砕いたからなのかもしれないと思っているが、自信は無い。『レイジニア・ブランディ』を演じていた私と一緒にいたから仲良くしてくれたのかもしれないと考えると、少しだけ寂しくなった。
ただ、フラグという世界の理を砕いた後の心の変化は確かに存在するはずだ。
ブラウンも、フラグというこの世界が一番大事にしている理を砕いた後は、彼自身が選択した行動として鍛錬を行い、それが後々ウェヌの状況に影響させる可能性がありそうだとしても、世界からの干渉は受けなくなった。
――ルートに入らなかった登場人物を、ストーリーに出す必要は無い。
そんな理由もあるかもしれない、だからこそ利用させてもらうし、彼にもそれなりに幸せにはなってもらう。なんていったって、私はこの世界の我儘が気に入らない。
だから、私も我儘でぶつかろうと決めたのだ。
私達が未だにあの騎士、ジェスと再会する事も無いのもフラグを折ったお陰なのだろう。ノアもまた、ウェヌと出会う事が無いし、会ってももう既にフラグは立たない。何故ならノアの恋人は学問だからだ。
一つずつ、世界の理を壊していく。
その過程として『レイジニア・ブランディ』も壊す必要があった、それだけの話。
その世界の、それこそ我儘なルールのような物に対抗する為の手段。
『悪役令嬢』という立場を持ちながら、そうして『レイジニア・ブランディ』という人物を捨てる。
今の私は『悪役令嬢』というこのゲーム世界に於いて必要な立場を持ち、無視出来ない存在でありながらも、都合よく動かせる『レイジニア・ブランディ』というキャラクターでは無くなった。
もしかしたら付け焼き刃かもしれない。だがちゃんと両親からは「お前はもうブランディ家の人間ではない」という言質まで頂いたのだ。彼らがこの世界のモブ的な立ち位置の人間で本当に良かった。
世界の認知の外の人間が、世界の影響を受けないのなら、それは大きなアドバンテージだ。
クロと出会えた事もそうだし、今の状況だってそうだ。
クロがこの世界の登場人物だったら決して此処まで協力はしてくれなかった。何処かで世界に操作されていただろう。それと同時に『レイジニア』の両親も世界の登場人物だったら決してゲーム世界の重要人物の名を消すなんて事はしてくれなかっただろう。
だからこそ、今の私は、この世界の、ゲームに於いて最も問題視するべき『バグ』になれたのだ。
「さぁクロ、このクソッタレな世界の我儘を、ぶち壊しに行くわよ」
「よくわかんないけど、なんかやべぇニア様も悪くないな!」
やべぇらしいのは知っている。だって私は元々やべぇ奴だったのだ。
昼間っから酒を浴び、乙女ゲームをやっていた。
他の人を非難するつもりはないけれど、やっぱり私は私が嫌いだ。
だけれど、そんな私を、好きになる為の物語にしてやればいい。
今の私は、自分が嫌いな私が嫌いだ。
ウェヌの為に、クロの為に、そうして私の為に。
「悪くないでしょ? これからも一緒にいてね?」
「もちろん! だってニア様は大事な人だからな!」
そう、大事な人の為に、この世界で、大事な人を一人ずつ、作っていく為に。
私は『レイジニア・ブランディ』を捨て、『悪役令嬢』という属性を持つ、この世界の『異分子』として、世界を壊す為に、片手には大事な友人を、そうして片手には両親が落胆する程度の貴重品を詰めた鞄を手に持ち、防御魔法を使ってから、思い切り自室の部屋の窓をぶち破って、空へと飛び出してやった。ざまあみろと、舌を出しながら。




