第二十話『思ってもいない事を言うのが嫌いだ』
ウェヌが主人公としての素質に目覚めてしまった翌朝。私はブラウンからの連絡で目を覚まし、顔を青ざめる所から一日が始まった。
――ウェヌが、とある旅人に連れられ家に戻ってきたというのだ。
してやられた。と思った。一日に二回もフラグが発生するなんて、想像もしなかった。
逆に、ノアに時間を取られすぎていたのかもしれない。あの異常な雨を、イベントと捉えられなかった自分が憎い。ゲームをしてきたようで、ゲームの中にいると分かっていながら、私はこの世界の一人の人間として生き始めている証拠だ。
すぐに動こうとして、赤い目を擦る。通話用魔法具の呼び出し音に驚いてクロも飛び起きたようで、彼女は心配そうに私の事を見ている。
そんな彼女をこちらに呼び寄せて、私はそっと彼女の事を抱きしめた。
「大丈夫よ。なんとか、するからね」
それは、彼女の心配を解いてあげたいのではなく、彼女の温もりを感じて私の言葉を聞いてくれる相手が必要だっただけなのかもしれない。
「ニア様が良いならいーんだ。クロは、クロの出来る事をやる。変わらない。ノアも上手くいったんだよな?」
「ええ、彼はもう、私の家の学者よ」
事情を知っているクロが、小さく溜息を吐いたのを見る。この子に心配されるようじゃ、私は悪役令嬢失格だろう。そもそも、人間としても失格だった私に何かを言う資格なんて無かったのかもしれない。
昨日の、私の秘密に辿り着きかけた彼女との、気まずいでは言い表せない程の別れ。
私はきっと、浮かれていたのだ。自由気ままに、この容姿で胸を張って、自信を持って、やりたい事が出来たから。
やっている事が善行かもしれないと思い込む事で、色んな可能性を消した事を忘れた振りをして、それでもウェヌの人生を変えようとして、変えられたと笑って。
それが、私から見た彼女の為だとしても。
彼女から見た幸せは、用意されているというのに。
おそらく、ウェヌと共に家に帰ってきたらしい男はフラグ持ちの最後の一人だろう。
ブラウンが言う所に寄れば、彼はディーテ家を訪ねて来た旅人らしく、しばらくディーテ家に滞在するらしい。
――ウェヌの、力に纏わるストーリー。
これはおそらく、この世界の根幹に関わる重要な話のはず。
だからこそ、世界の妨害は大きい。逆に言えば王子とのフラグ自体が早々に立っていて何も動きが無かったのは、彼のルートは単なる玉の輿ルートだからだったという事なのだろうか。
ノアのフラグも、世界は強引に立てようとしてきた。それは私が思った通りであれば、趣味という共通点からの手の取り合いという凡庸ながらも自然な話、それと同時に年の差という作りやすい壁。
そういった展開で話として上手く成立していたからなのだろう。
実際、ノアのフラグ消滅の影響がどうなるかは分からないにしても、昨日の私には後処理が残っていた。私がいない間に使ってもらう薬の作成依頼や、定期的な状況報告、住む場所を兼ねた研究室の手配などを一日で終わらせた。彼は多少不安気ではあったけれど、それを緩和してあげる暇なんて、今の私にはない。
昨日の私は、ウェヌの事はブラウンに任せ、良きにはからってもらおうと思っていたのだ。クロをあの大雨の中追いかけさせるのも酷だと思ったし、何より何を伝えたらいいのか分からなかった。ウェヌの中で答えが出かけていたとしても、私には考える時間が欲しかった。
――だって私は、主人公なんかじゃない。
赤い目のまま、私はクロを抱きしめたままだった事を思い出し、パッと話す。力が籠もっていただろうに、彼女は何も言わなかった。
青ざめた顔に、赤い目。レイジニア・ブランディも落ちぶれたものだと皮肉な事を思った。
「ウェヌのとこ、行くのか?」
私が選ぶべき、正しい行動。
ウェヌが気づき始めている私の、世界の秘密。
そうして彼女に近づいて、思い通りにしようとしている定められた運命。
だけれど、世界も私も同じ事だ。
――あの子の意思なんて、尊重したことがない。
だからこそ、私は向き合わなければいけないと、そう思った。
あの大雨を歩きながら、思っていた。
愛想笑いと、何となくで場を流していた頃の自分の事。
そんな自分が、それを受け止めてくれてしまう周りの人間が、大嫌いだった事。
でも、昨日のウェヌはきっと心から、私の事を想って、案じながらも心配し、困惑し、それでも向き合っていたのだ。
きっと私は、そんな彼女に嫌われるのが。
人に嫌われるのが、初めて怖いと思った。
――ずっと、嫌い続けた癖に。
そんな思考が頭をよぎる。それでも、それでも、それでも。
私は、ウェヌと……友達と向き合わなきゃいけない。
「ええ、行くわ」
思考と、長い沈黙のあと、私は意を決して、クロの目を見る。
すると彼女は、ニカッと笑った。クロだなんて名前をつけたのに、この子はまるで太陽みたいな子だ。現に昨日のあの膠着状態を止めたのも彼女だった。だからこそ、もう少しだけ待っていてと、クロの為の戦いの事を心の片隅にしまい込んだ。
雨は止み、泥濘む道を、歩く。
「飛べばいーのに、ニア様も変わったなー」
「そう……かもね。これが元々の私」
たまには靴を泥塗れにしたって良い。雨の日があれば晴れの日がある。
道のぬかるみは、雨が降った証拠。そうしてその道を歩けるのは、今日が晴れている証拠だ。
「昨日はありがとね、クロ」
「ん! だってさ、二人とも怒ってないのに、喧嘩してんだもん」
その言葉は、言い得て妙だった。
彼女は質問し、私は狼狽しただけ。
それでもその空気は濁りきっていたと言っても良い。
「しかし、思いも寄らない事は、急に動き始めるものね」
「そうだぞー。ニア様だって私のとこ、急に来ただろー?」
言われて、自分がしていた事に気付く。
執事、騎士、保健医、そうして眼の前の優しい少女。
この人達の運命を変えた私は、思いも寄らない事をしてきているのだ。
執事ブラウンは唐突に自分の粗を見透かされた。
騎士ジェスは夜の森で自分よりか弱い学生に先に魔物を倒された。
保健医ノアは出会ったばかりの生徒に半ば強引に職場を変えられた。
そうして私の大事な専属メイドのクロは、気紛れでも私の手であの施設から抜け出した。
それらは、私の我儘であり、皆にとっては思いもよらぬ事だっただろう。
それが、私の身に降り掛かってやっと実感する。レイジニアなら、そうはならなかっただろう。
元のレイジニアならば、おそらくこんな事にはなっていない。泥濘の上を歩いてはいない。
――だから、これは私の物語だ。
ごめんね、『レイジニア・ブランディ』
私は貴方の身体を借りなきゃ、気付けなかったのに。貴方がすべき事と全く違う事をしている。
結局私はどうしても、二つの朱と書いて、『二朱』と呼ばれるべき、この世界の新しいキャラクターみたいだ。
だから、たとえ主人公なんかじゃなくたって、私が私の為に、たとえ我儘だとしても、失敗したとしても。
それで、誰かに嫌われたとしても、私の想いで動かす、私の世界だ。世界は私すら翻弄させる。何故ならきっと昨日のウェヌの唐突な主人公としての目覚めは、違和感しか感じなかった。
そうそう簡単に、あのいつもふにゃりと笑っていた少女が、冷静な言葉で私の秘密に接近し、私を騙すような事をして、鋭い目つきで私の弱点を突こうとするものか。
「あの子と戦うのか……。悪役令嬢冥利に、尽きるわね……!」
『悪役令嬢ニア』としての初戦だと考えると、私は少し声が震えた。
「戦ったら勝っちゃうだろ!」
だけれど、クロのその言葉に少し緊張がほぐれる。
「そういう意味じゃあなくってね。まぁ……仲直りも戦いみたいなものなのよ」
私はいつも、レイジニアという虎の威を借る狐だった。だけれど今からディーテ家へ乗り込む私は、力こそ、記憶こそ、見た目こそレイジニア・ブランディという存在だとしても、今の私はニアという一人の少女。
フラグでも何でも折ってやる。知りたいなら全部教えてやる。
嫌われたってなんだって、私がそう決めた。私の意思で、そう決めたから、もう偉そうに笑ってなんてあげない。
レイジニア様になんかなってあげない。
幻滅されたって良い。泣きながらだって、想いを叫ぼう。
それで、きっと私は、満足出来る。
『だって、あんな優しい子の幸せを邪魔する事自体が、おかしいのだから』
――ちょっと待て。
私は今、そんな事、考えていない。
一瞬思考がぐわんと、彼女が幸せになるのならばなんでもいいような気持ちに支配されていた。
私はニアだ。この世界で名乗るのならば『ニア・レイジ』とでも名乗ろう。碇も怒りも似たようなもの。
『ウェヌには一杯謝って、その恋を後押ししてあげられたら、それで幸せだ』
――違う。
謝りたいのは本当だけれど、フラグは折る。それは決めていた事。
私の我儘は、未だに変わってはいない。私の我儘をぶつけて、彼女に決めてもらいに来たのだ。
「私より、我儘なんだね。世界って」
世界の妨害は、思考にまで影響するのか、と溜息を吐いた。
それはおそらく、私が『レイジニア・ブランディ』という姿に転生したからだ。
もしかするとその思考の変化は既に起き始めていたのかもしれない。
でもその違和感に気付いたのは、私が私を『ニア・レイジ』という一つのキャラクターと認識したからなのだろう。そんなキャラクターは此処にはいない。
ならばいっそ、と私はウェヌの家に行く前に私は街に寄る。
そこからは、クロが目をパチクリしっぱなしだった。
まずは長く綺麗な髪をバッサリと切り落とす。だって手入れが面倒だったから。
そうして、そのまま髪色を茶色に変え、服装はなるべくラフな、いわゆるこの世界の庶民が着ているような、それでも少しだけ余所行きのワンピースに。
後はなるべく現代風の雰囲気が出るように街を練り歩いた。
「ニア様……だいじょうぶか?」
それはきっと、頭の事を聞いているのだと思う。
だけれど、これで私を『レイジニア・ブランディ』と簡単に認識出来る人は減ったはずだ。
『これで準備万端、早くウェヌに会いに行こう。あの子ならこんな私でも受け入れてくれる。だから私もあの子の選択を全部受け入れてあげるんだ』
「――だから、違うって言ってんでしょうが!」
思わず声に出してしまった。世界からの強引な思考の妨害。
私が考えている事に微妙に似せているのが苛立ちを加速させる。
周りの目なんて、もう気にしない。だって私は『ニア・レイジ』
この世界の理の外に存在するのだ。
だから、ウェヌと話す前に、邪魔なんてさせない。
ウェヌの家に行くつもりだった。フラグが立っていたというならば、それは世界の意思によって強制的に早められている事だろう。だけれど私だって、ウェヌという女の子の事を知らないわけじゃあない。勿論年頃の女性として、異性を意識はするかもしれないが、一日や二日で何もかもを信頼してルートに突入するような、尻の軽い女なんかじゃあ、ないはず。
――だから私は、まずは世界の鬱陶しい思考を壊す事にした。
ある程度姿を元の世界の私のように出来たと判断して、私は満足する。
これじゃこの街だと逆に少し浮くくらいの、やぼったさだ。
だけれど、これでいい。これがいい。これじゃなきゃ、駄目なんだ。
「よし、クロ。今日は帰りましょう!」
「えぇぇ……ニア様ほんとーーに大丈夫か! 風邪か? 頭打ったか?」
「なんでもいいわよ。でもね、大丈夫ではないかもしれない」
そう言って、私は買い物途中でついでに買った白い花の髪飾りを、クロの髪につけてあげた。
「ねぇクロ、貴方は私が『レイジニア・ブランディ』じゃなくなっても私のメイドでいてくれる?」
「んー、ご飯はどうなるんだ?」
あくまでこの子の主軸はそこなのかと思わず笑ったが、つけてあげた髪飾りをそっと撫でる仕草に照れが見えて、やっぱりこの子も女の子なのだなと思った。
「減るかもね。でも私も腹を空かしちゃいられないから最低限は食いつないでいくけれど」
私が今からやる事は、決まっていた・
姿を変え、髪色を変え、更には野暮ったい伊達眼鏡までつけた。何故ならこれが私だから。
「でもま、ニア様の事は好きだからなー。少しくらいご飯が不味くても、一緒にはいてやるぞー」
「ん、良く出来ました」
じゃあ、家に帰ろう。
――そうして、出ていこう。
ウェヌとの舌戦は、その後だ。
まずは『レイジニア・ブランディ』との決別が先。
だからこそ、私は、驚く『ブランディ家』の執事達に「声で分からない?」と威圧だけで無理に家の中に入り、父母の部屋の扉をノックした。
後ろでは、クロが少しだけ困惑して立っているが、あえて同席させる。
話す事はもう決めてあるというか、一瞬で終わるかもしれない。
それでも、私は、ウェヌに会いに行こうとする時よりも、ずっと不敵に笑っている自分に気付いて、父母の反応を見て、令嬢らしくない雰囲気で。バンとドアを開けた。
「ごきげんよー、おとーさま? におかーさま? ニアが参りましたわよ、なーんて」
さぁ、始めようじゃないの。
レイジニアの父母には悪いけれど、これから始まるのは世界を壊す為の、時間。
『レイジニア・ブランディ』と、別れる為の時間だ。




