第十七話『良い人が割を食うのが嫌いだ』
正直、この世界での書類仕事ばかり慣れていくし、増えていく。
それはレイジニアの記憶にはあまり無い物だ。
元々の彼女は執事の誰かしらに任せていたから、この世界での雇用契約等の、様々な書面でのやり取りによって行われる事柄による知識は持っていなかった。
だがしかし! 私個人が持っている。この世界のルールを知ってしまえば、伊達に会社勤めをしていないし、ブラウンがボンクラじゃなくなった今、元ボンクラの私であっても私が私として生きていた社会のルールとして書類作成くらいはしたことがある。
だからこそ、そこが少しだけ噛み合ったのが嬉しかった。何故ならこの世界に来てから全てがレイジニアの力で回っているような気がしたから。とはいえ書類を用意したところで、ブランディ家の権威でなんとかするから何ともいえないのだけれど。
「じゃあブラウン、頼むわよ。ウェヌには一応学校で話してあるから」
魔法具の用意に少し手間取り、なんだかんだ雨の中で格好つけあった癖に、ブラウンの出発はその1週間後になった。
その間もブラウンは喧しい鍛錬に勤しみ、私は学園にて保険医の様子を伺いつつ、ウェヌにブラウンについて話したりしていた。彼の代わりぶりに驚かなければいいのだが、というか折ったフラグを旗にしたのは私だ。また折るのは御免なのでそこだけはしっかりして欲しいとウェヌにも、特にブラウンにはきつく、きつーく、しょっぱく、口うるさい程に言っておいた。
しかし、魔法具の用意には時間がかかった。魔法はあるくせに、電話が無いというのは何ともはがゆい。
魔法という概念のせいで、物の発展が遅れているのだろうと思った。確かに空を飛べたら飛行機はいらない。本当はいるけれど、欲しいという気持ちにはならないかもしれない。
魔法具も、精々危険時に魔力を強く飛ばす事で少しの間会話出来ると言ったもので、一度使えばもう一度魔力を込め直さなければいけない、しかも距離によって使う魔力が変わるので、魔法具に入れた魔力が満タンの状態であっても、ウェヌの家と私の家で会話をしたならば、持って一分くらいのものだろう。それなのに必要な魔力を溜めるにはそこそこの時間がかかる。
要は、緊急用というわけだ。ウェヌには持たせていない。見つかると面倒だからだ。ブラウンに持たせる分には、私を引き合いに出せば事が済む。
一応私とは必要な時に応じて、ウェヌの農園から野菜等を運んで貰う契約を結んでいるという事になっている。実際は嘘だけれど、ウェヌにも再雇用の話はそのままに、そう伝えてある。
実際、ディーテ家的にはあまり良い返事を聞けた雰囲気では無かったが、そこはそれだ。ブランディ家としてはそちらの家の執事さんが失礼を働いたので教育させてもらおうと善意でどうのこうの、なんて言っていたら何とも言えない顔で「それはそれは……」どうのこうのという感じで事が進んで行った。
正直貴族との会話は面倒で嫌いだ。
「それで、アレからブラウンはどう?」
「んー……あまり話して来ない……かな。見かける事もだいぶ少なくなったかも。だけど力仕事の時とかは結構頑張ってくれるよ。流石ニアだね、すっかり変わっちゃった」
へへへと笑うウェヌに、恋慕の情は無さそうで安心した。
だけれど、それ以上の問題が、実はこの一週間で起き続けていた。
ブラウンについては、もう終わった話。だけれど現在進行系で学校では保険医とのフラグ発生が連発していて、実は私とクロは必死に校内を奔走していた。
ウェヌは別にそこまで体力が無いわけではない、なのに体育の時間は必ず何処かしら怪我をしそうになる。グラウンドでは何も無い所で躓くし、ボールはあらぬところから飛んでくるし、挙げ句の果ては鳥がウェヌに向かって突進までしてくる始末。
――要はどうしてもウェヌに怪我をさせたいらしい。
クロに何度かタイミングを見てもらった結果から考えると、ウェヌが怪我をしかけて私がギリギリ止めたタイミングで、いつも保険医は一人らしい。そのタイミング以外ではいつも学園の女子が保険医目当てに集まっているというのに、どうしてか必ず一人きりになるタイミングがある。
つまり、やはり次はこの世界そのものの意思が、ウェヌと保険医を繋げようとしている。
「あの保険医、名前はなんて言ったかしら」
「ノアせんせーって呼ばれてたなー。名字は、えっと、なんだっけ」
レイジニアの記憶には保険医の記憶は無かった、だから名前も初めて聞いた。実はあまり知りたくないというのが本音なのだ。言われて気付く。『ノア』という名前。体育の時に何度か耳にしていた。
大した用事も無く保健室に行く生徒達から聞いた名前、なんとなく感づいてはいたものの、実際に敵の名前だと知った途端、身構えてしまい意識が乱れる。
正直、そのくらい集中してウェヌの様子を見ていないといけないくらいには、最近のウェヌは危なっかしくなっていた。それこそ、体育の授業に限定した事ではない。
このままだと、先手を打たないとこちらが溜まったものではない。
「敵情視察と行こうかしら」
「おー、ニア様もやる気だなー! でも怪我しなきゃ保健室には入れないぞ?」
「でっちあげましょ、丁度疲れで頭痛も出てきた所よ」
そういう事で善は急げだ。私は次の授業でウェヌに危険が無いようにクロを教室に残して、一人で保健室に向かう。
ウェヌは心配していたが、正直に貴方のせいとも言えないので、大丈夫とだけ言って教室を出た。
正直、クロも一緒に連れていきたかったけれど、今は体育以外の授業中でも急に先生に当てられてずっこけかけるということも無くは無い。そういう時に俊敏なクロがいてくれるのは、助かる。
「さぁって、貴方は悪くないんだけど。あんまりな世界なもんだから……お邪魔するわね」
保健室のドアを二回叩くと、優しい声で「どうぞ」という声が聞こえた。
その声に従って開けると、なるほど納得のいい男がいた。見るからに優男っぷり、痩身で白に近い金髪。少し長い髪を後ろで軽くまとめて、白衣を着ている。23.4歳といった所だろうか。私の会社にいたらモテモテだろうなぁという感じ、とはいえ外国人はいなかったけれど。
「失礼、少し疲労から頭痛が来ておりまして、何か良いお薬等をもらえたら、と」
魔法も万能ではない。傷を治せても、体内の事になってくると中々高等魔法に変わってくる。
なので結局、こういった魔法がある世界でも保健室は必要だし、保険医は必要なのだ。なのだろう。そういう事にしておこうと思う。この保険医を出す為に作られた保健室で、他に学校があるとして保健室が存在しない可能性もあるだろうと思ったが、それはもう、私の管轄外、世界に好きにしろと思うしかない。
「これは、レイジニアさんですか。保健室に来るなんて珍しい……いや、初めてでしたね」
「記憶力がよろしいのですね、ノア先生。最近は少し体調管理がままならなくて、お恥ずかしい限りです」
ノアは小さく笑って、机の上の鉢植えに植えてある小さな木から葉を一枚千切り、棚からすり鉢の様な物と小さな種を幾つか取り出して、それらを煎じ始めた。
――あれ、なんだか嫌な予感がする。
頭痛が酷くなりそうな気配を感じながら、私はおそらく頭痛用の薬を調合している先生に、その名前を聞いてみる。この世界がイギリス感に塗れていて、この先生はウェヌと趣味が合いそうな事をし始めた。
そうしてクロは簡単に読めなかった名前、ノアはまぁ。呼ばれているから分かったのだろう。
だけれど名字で呼ぶ生徒はそうそういなかったはずだ。
「失礼ですが、ノア先生の名字って何でしたかしら?」
「ん? 僕はノア・ガーデナーだよ」
なんと直接的な事か。名前がもう『庭師』ときた。
イギリスではそれこそ職業にちなんだ名前が多い。パン屋でベイカー、鍛冶屋のスミスが有名だろうか。執事でバトラーなんてのもある。その中からあろうことかガーデナー、庭師とは驚いたというか。ゲームの制作陣に呆れすら抱いた。
――名前つけるの飽きてきてない?
でも、これでこの人のフラグの立て方は良く分かった。
この人は、ウェヌと接触し、何らかの拍子にウェヌが農園をしている事を知って、きっと似たような趣味から仲が良くなるタイプだ。ただ、これは中々難しいとも感じた。
フラグの折り方が、難しい。
「植物、お好きですのね。お名前にピッタリ」
「あはは、偶然だよ。でもね、この子達は大事にしてあげればあげる程僕らに応えてくれるから、世話をするのが楽しくてさ。本当は植物学を専攻していたのだけれど、どうしてか保健医として誘われてしまってね。あまり需要は無いと思うのだけれど、こうやって自由にさせて貰う分には、とりあえず楽しくはやれているよ」
これは見るからに良い人だ。それに世界の理によって強引に保健医にさせられている。
ある意味、彼も被害者のようにも思えた。ただ、それでもウェヌとのフラグを立てさせるわけにはいかない。もはや私は何と戦っているのか。
それはもう、世界への反逆なのではないかとすら思い始めている。
ウェヌはウェヌで友達として自分の力で幸せになってほしい。クロはクロとして、あんな組織はぶっ壊して同じような境遇の子が生まれないようにしてあげたいし、良い子に育って欲しい。
ブラウンもまぁ、上手い事やればいい。無能騎士さんもまぁまた何処かで会うこともあるだろう。なんせウェヌはもう一回騎士さんが仕えているこの国の王子様に出会っちゃってるのだから。
私が来る前に起きた事は仕方が無いとして、この状況はどうするべきか。
見た感じ、少し話した感じ、この人に悪意を以てぶつかっていくのはあまりに可哀想な気がする。
だけれどもウェヌと会えば趣味はバリバリに合うだろう。さっき少し植物の事を聞いただけで早口になっていた。余程植物の事が好きと見える。
――そこで、頭痛とともに一つの考えが頭に浮かんだ。
この人は『保健医』である。
学校の保健室で出会わせるという世界の意思は、頭痛が起きる程に体感した。
私はノア先生に貰った薬を飲みながら、思考を巡らせていく。
では、この人がもし『保健医』ではないとしたなら?
彼は植物学者になりたいのが本音であることを始めて会った私にも話したくらいだ。それはもしかするとウェヌと出会った時にも話すはずの事なのかもしれないけれど、そこが重要な点。
――良く考えろ、気に入らないハッピーエンドを予測しろ。
そう、彼とウェヌの物語の終わりは、共に農園で植物を育てているはず。つまり彼とウェヌの話は、彼が保健医というしがらみから抜け出すまでの話になる……はずだ。
正直乙女ゲームのハッピーエンドなんてクソ喰らえと思っていたので、良く知らない。
だけれどなんとなく雰囲気的に、そんな予定調和が組まれているとしたならば、私がこの人を保健医ではなくしてあげたら、少なくとも今この人とウェヌの間に生まれている世界の引力のような物は消えないだろうか。
「また……書類?」
私は頭を抱えながら、小さく呟く。
「先生、ちなみに保健医になれって言ってきたのは?」
「それがね、理事長直々なもんで、簡単には断れなくてね……。これだけ大きな学園になってくるとほら、大きな声では言えないけれども権力みたいなものが、ね……」
彼は小さく溜息をついた。コンプライアンスにひっかかりますよ! と言いたくなったが、彼としても世界の強制力によって動かされた被害者であるとするならば、仕方のない事だ。
だが困った、理事長を動かす程の力がブランディ家にあるかといえば、そんな物は無い。
「回復魔法、か……」
この学園の理事長が求めたのは『ノア・ガーデナー』だが、この世界が求めたのは『保健医』であり、彼では無い。
だから、理事長に確実な理を提示したならば、可能性は、無くもない。
――要は、この人を正式な形で保健医で無くせば良いのだ。
「先生、魔法の腕は?」
「いや、僕魔法はからっきしでね……」
だとすると、体内に作用する高等回復魔法の類はおろか、私がブラウンに傷つけられた時に使った簡単な回復魔法すら使えないという事になる。
私は決して利他主義では無いつもりだ。
だけれど、彼とウェヌのフラグを折るには、これしか無い。
「……先生、保健医じゃなくて、植物学者になりたくないですか?」
随分早い段階で頭痛が少しずつ治まってきた。これだけ良い薬を調合出来るなら、やはり彼はこんな所にいる人材でも無い。クロに聞く限り、これだけ女子生徒にモテていても、靡く様子すら無い。そりゃウェヌの運命の人の一人だから当たり前なのだけれど、性格もそのように設定はされているのだろう。少なくともチャラい人でも無い、誠実な人に見える。
「なれるならなりたいけどねぇ……」
彼は溜息を吐くが、私は深く深呼吸をする。これは、私のやり方とは程遠い、ある意味で自分を曲げる覚悟のいる行為だ。
彼とウェヌのフラグを折るのではなく、そもそもそのフラグを発生させないという道。
その方法を、私は頭の中で構築し始めていた。




