第十六話『負けるのは嫌いだ。でも』
困惑しながら私の後ろをついてくるブラウンが、小さく不安の言葉を溢す。
「レイジニア様のお力は知っております。勝敗明白では、ありませんか」
そういう言葉は正直、私の中では減点だ。
「私に魔法を使う暇が無ければ、どうかしらね……」
だけれど彼は男で、私は女という身体的なギャップは存在する。
私は魔法と近接戦闘の二足の草鞋を履いているけれど、彼の場合はブランディ家で執事についてのノウハウや、まともな実力者が近くにいる上での自己鍛錬をを受ける前から、少なくとも両方の心得くらいは、多少なりともあっただろう。
その点、私はレイジニアの記憶を持っているにしても、前の世界の『碇二朱』として、まだ剣を振るうという行為そのものに抵抗もあるし、本来は技術に追いついていたであろうはずの身体も、そんな思考によってブレが生じる。
だから、私が騎士のフラグを折った時に剣を振るえた理由は、単純にレイジニアが元々心得があったというその一点と、多くの努力によって魔物を、生物を殺すという事について努力をしたからだ。だから、私はこの世界のレイジニアになってから、一度も剣の鍛錬をした事は無いといっても過言ではない。
そりゃ、多少の事はした。それでもそれが正解かどうかを考えている暇は無かった。
――剣は魔物を倒す為だけに使う物じゃあない。
人を殺す為にも、剣は振るわれるのだ。
これから行われるのは、木剣などを使ったものではなく、実際に人を殺しかねない実戦。勿論、お互いに急所にあたる部分については魔法や衣服によって防護措置を取るけれど、必ず、実際に血は流れる。
私は震えそうになる手を抑えて、ブラウンに返事をする。
「貴方は毎日、喧しかったわね」
「それは……」
ブラウンは明らかに萎縮している。だけれど、その喧しさが止まなかったという事が、私は少しだけ嬉しくもあったのだ。
「だから、いい加減辞めてもらいたいのよ」
「申し訳有りません……そんなご不快にさせてたとは……」
私じゃなきゃ、きっと本当に注意されて辞めさせられていたのだろうなと思う。実際に苦情は幾つか聞こえてきてはいた。その意見達を封殺したのは私だ。
――私が連れてきた従者に何か文句でもあるのか。
その言葉は、レイジニアという立場を利用していても、いなくても、いつのまにか本心になっていた。
「不快……か……」
「あたしはおもしろかったけどなー! 馬鹿みたいに頑張るヤツは嫌いじゃないぞ!」
私が小さく呟いた頃、庭が見えた、いつの間にか私達の元に追いついていたクロが私達の声色と表情を読んだようで、おそらくは意気消沈しているであろうブラウンの肩を叩いているようだった。
「そう、そこが貴方の悪い所でもある。私はね、喧しかったとしか言っていないの。不快だなんて、私を舐めているのかしら? 不快だったなら、即日貴方なんてあの場にいられない。それに、貴方を此処に連れてきてやしないわよ」
「で、でしたら何で……」
――人はいつだって、変われる。
この短期間で、ブラウンは顔付きが少し変わった。それはある意味、ウェヌの家。ディーテ家にいた重圧から解放されたという事もあるのだろう。私の厳しさもあったけれど、その怠惰な態度も、感情的な部部分も、そうして自分自身の弱さも、見つめ直して律しているように、思えたのだ。
「見せて欲しくなったのよ。あの喧しかった、努力の成果を」
これが私の立場から、一執事への、精一杯の、励ましだった。
なんせ、私も美人なのだもの。色恋沙汰という意味で下手に男性を振り回したくはない。
「……はいっ!」
その声にやっとやる気が灯ったようで、ホッとした。
テケテケとクロが私の隣に来て、クシシと笑う。
「ニア様もちょっと口下手だな!」
「だまらっしゃい!」
庭の天気は、今にも雨が降りそうになっていた。
「おてんと様はいなくなっちゃったなー」
「構いやしないわよ。雨風程度で私の予定を狂わせるもんですか」
集まってくれた使用人達と、ブラウンに、今から行う試合のルールを説明する。
一つ、これは私が技術を磨く為に行う実戦形式の試合であるという事。
一つ、私の魔法によって最低限の急所への攻撃は弾く様にしてあるという事。
一つ、急所以外の傷の有無についてはお互いに気にせず撃ち合うという事。
一つ、身分を忘れ殺す気で打ち合うという事。
最後の一つを言葉にした時、どよめきが起こった。
それも当たり前だ。一執事が名家の令嬢に対して本気を以て殺そうとする試合など、どうかしている。
だけれどこれは、ブラウンにウェヌの身辺を任せる為のテストと同時に、私が必要な時に人を斬れるかというテストも兼ねている。
「身分など、普段は忘れるわけがないこと! だけれど、たった今、それを私が忘れろと言っているのに手を抜くのは、それこそ身分の差に於ける無礼にあたります!」
「それもそーだなー」
気の抜けたクロの同調が、周りへと伝播していく。
「レイジニア様、どうしてそこまで……」
「……貴方に必要なのは、何だったかしら」
お互いに剣を手に、向かい合う。
私には少し重く感じる剣も、彼は難なく手にしていた。
――無駄な行為はなるべく減らしたい。一つずつ収穫を得ていく。
まずは、私に合った剣を探す事。
「私に、必要な事。それは執事としてまともな……」
「そう、執事としてまともな男になって、ウェヌを守る事だとは、思わないかしら?」
その言葉で、ブラウンの目に炎が灯ったような気がした。
ウェヌへのフラグはもうとっくに折れている。
そうして、ウェヌもブラウンの好意を受け取る事はきっともう、無いだろう。
――それでも人の心は、簡単には変わらない。
「来なさいよ、ボンクラ執事。あの時みたいに殴られてはあげないから」
「……分かりました。素晴らしきご好意、感謝いたしまっ!」
ガギン、と剣と剣がぶつかる音、私はブラウンが丁寧に私への感謝を述べている間に、速度魔法の詠唱を終え、重たい剣を思い切りブラウンの横っ腹へと薙いだ。
剣は変えるべきだ。
それでも今持っている剣は重い。近接主体の人間との戦闘行為ならば、私には魔法というアドバンテージがある。相手に魔法が使えなければ、それによって今ある私と彼の筋力ハンデくらいは、補える。
ただ、この強襲は一度きりだ。彼もそこまで馬鹿じゃない。優しい目つきが、戦士の目つきに変わったのが見えた。
「あいっかわらず……! 良い性格をしてらっしゃるよう、でっ!」
彼はぶつけあった剣で、無理やり私の事を押し飛ばす。その行為にもしもの為の回復担当達や使用人から声があがる。
正直、ブラウンはブランディ家で一番格下の使用人だった。結局私にしてくれた事はどれだけあっただろうかと考える。
だけれどそれもあえての事。彼は、『執事』に『バトラー』にならなければならなかった。
戦うという意味でも、本来の意味でも、力を持つという意味でも、そうして意思を貫くという意味でも、戦う人間にならなければ、ボンクラのままなのだ。
私の体制は崩れた。速度魔法で即座に距離を取るが、中庭で戦うと言った以上、いくらある程度広さがあるとしても逃げ回るには限度がある。それに走り回るという事は、体力を使うという事。
魔法を使えたのは相手が油断していたから、簡単な詠唱をしたって、距離を詰めるには充分な時間を与えてしまう。
それでも、私に必要な事を頭で考えるくらいの余裕は、ある。
レイジニアとしての鍛錬は私の身体に宿っているのだ。人を斬るという勇気が足りていない。
しかも、こんな場で無ければ元のレイジニアは近接に持ち込まず魔法で先手をうちそれで決着する。
だからこそ、私は魔法ばかりに頼ってはいけないという心づもりを持つべきだ。
元のレイジニアがやっていた事よりも、更に上へ、前へ、強く、ならねばならない。
――だって多くの悪役令嬢は、その慢心で身を滅ぼすのだから。
近づいて来るブラウンの目は真剣そのもの、私が少し重たいと感じる剣と、走り回った事による疲労を彼からは感じない。普段の喧しい鍛錬は、伊達じゃなかったという事だ。
私の頬を彼の剣がかすり、血が滴る。
溢れた血と、その痛みで、あの日を思い出す。
母と父の喧嘩の仲裁で、私が死に、レイジニアになった日の事。
思えばそう長い時間は経っていないのに、忘れていた痛みだった。
もしかすると、私が悪役令嬢であるという事を以て、忘れようとしていたのかもしれない。
――けれど、私は怒りの名を冠する。
現実だろうと、この世界だろうと。
「ったいわね!」
だから、血ぐらいで、痛みくらいで、怯むつもりなんて、内。
彼は、私に血を流させたという動揺があったのかもしれない、もう一撃踏み込めるだろうに、頬を掠った時に飛んだ血を見て一瞬の躊躇を見せた。
「血くらいでビビるな! ボンクラ!」
私は重たい剣を地面に思い切り差し込み、片手でその場所を軸にして、躊躇で手が止まっているブラウンに怒鳴りながら横蹴り、つまりドロップキックをかます。
そうしてブラウンの腹部に私の蹴りは突き刺さり、その勢いで私とブラウン、両者共に後ろへと後退するが、私は蹴りの反動で、片手で持っていた地面に刺した剣を引き抜きながら両手持ちに切り替え、踊るように回転しながら、速度と共に、唐突に蹴りが入った彼の腹部へと、次は剣の横薙ぎを振るう。
「私の傷は、私が許す! ならそれと向き合わないと、アンタは一生ボンクラでしょうが!」
もはや、それは私情だった。
――ボンクラは、父が私に良く言っていた言葉だったから。
そう、現実での私はボンクラ以外の何者でもない。
それでも、この世界に来て私が少しでも変われたように。
「アンタも、目的の為に根性見せなさいよ!」
私の体重と、遠心力を乗った渾身の一撃は、高く激しい金属音によって、防がれた。
私は、怒りをトリガーにしたなら、人も斬れるのだなと、最後の教訓を得ながら、敗北を思った。
もう既に、一撃入れられた時点で、近接戦闘の格付けは済んでいた。
あとは私が私としての苛立ちの発散と、それによる攻撃の覚悟が出来るか。
要は、私のテストが最後に残っていたという事。
ブラウンは、私の剣を受け止めたまま、真っ直ぐ私の目を見たまま後ろに下がり、前のめりになった私の手元にぐいっと彼の剣先を入れ、思い切り振り上げた。
前のめりになった瞬間、重たいと感じていた剣への力がぶれた。そのせいで、私が握っていた剣が空高く飛び、地面に突き刺さる。
――これが、彼の勝ち方か。
思わず、笑ってしまった。仰々しい回復の準備までしておいて、結局は頬に傷を負わされただけ。
ブラウンは、相手の無力化という行為によって、私を負かせた。
「これで、よろしいですよね」
「ふふ、やるじゃないの」
彼は剣を鞘に仕舞い、すぐに私の剣を拾いに行こうと背を向けた。
雑に扱ってはいるが、買うと高いのだ。丁重扱うべきものではある。それもまた、執事らしくて笑ってしまった。
「アンタはね、クビよクビ」
いつのまにか、小雨が振り始めている事にも気づかなかった。だからあんな簡単に私の剣が地面に刺さったのかと納得していると。思い切り地面にずっこけているブラウンの姿があった。
まさかこの場で、私の命令にちゃんと従い、私に勝利し、クビを言い渡されるなんて思いもしなかったのだろう。
だけれど、彼はもう必要無い。
「クビって、レイジニア様?!」
彼は私の剣を引き抜き、泥塗れの状態であたふたしながら、私の言葉を待っている。
彼の手によって泥がついているその剣を私は受け取って、鞘に収める。
頬にそおっと回復魔法を使い、傷を直す。滴っていた血も、もう雨が洗い落としていた。
次の言葉を告げないのはちょっとした意地悪だ。だってこんなにすぐ、まともになるなんて、悔しいじゃないか。私は死ぬまでボンクラだったのに。
けれど、剣を受け取った時に手についた土を見て、私は笑った。
「アンタは、土に塗れてるのが似合ってるのよ。戻んなさい、あの子のとこに」
その言葉の意味には、彼も理解したのだろう。
「今のあの子には、家での味方がいない。だからこそ私が、レイジニア・ブランディが命じるわ。私の執事として、私が……貴方が想ったあの子を守りなさい」
今、ウェヌには専用の執事すらいないという状況のはずだ。
ディーテの家だって名家だ。あの子だけが放って置かれるのはおかしい。
彼を引き抜いた私が言うのもおかしな話しだけれど、彼が私の家にいる期間中、あの子が一人きりだったというのならば、それを見かねた私があの子の為に動くという理由も出来る。
今の彼ならば、実は我が家で執事としての修行を積ませていたという方便も成り立つ。
「貴方とブランディ家との雇用契約は私からお父様に言って破棄してもらうわ。貴方は私と個人的に契約を結びなさい」
そのぐらいの我儘は通るはず、ディーテ家に話す方便をそのまま話すだけだ。
だけれど、ブラウンを味方で居続けさせる為の個人的な契約は、彼次第というところだ。
だが、その懸念は簡単に消え去った。
「謹んで、お受けいたします。レイジニア様」
私はフンと鼻を鳴らしながら笑う。はっきり言えばあまりの素直さに少し照れた。
「じゃあ、改めて私の命として、ウェヌを守る事。状況把握の為の魔法具等は後で手配するわ。上手くやりなさい。あの子の立場を知っている身として」
彼は強く頷く。もう、彼はちゃんとした、強い執事の目をしていた。
だからこそ、私は泥塗れの彼の手に向かって、片手を差し出す。
一瞬何が起きたかわからないあたり、やっぱりボン……彼はちょっと抜けているのかもしれない。
「握手よ。有り難く握ることね」
「……ですが泥が」
「気付けているならいいの、私が許すわ。その手の豆に免じて、ね」
そうして、私は折れたフラグを、一本の立派な旗に変えた。
これが、私のすべき事は分からない。
それでも、その一本の旗印は、私の名の下に振るわれる。
泥塗れの握手だって、その為ならば構わないと思いながら、この決闘じみた戦いの後の握手という行為もまたパフォーマンスとして、上手く作用している事を確認して、私は笑っていた。




