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叛逆のヴァルキューレ  作者: 雪野螢
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第80話

笑顔




 政略結婚相手の女性はとても寡黙な人だった。

 笑顔を一切浮かべはしない、そういうご令嬢だった。


 彼女は元々表情豊かで、優雅な娘子だったらしい。

 笑みを失くしてしまった時期は結婚前に遡り、それから彼女は言葉さえも失い、日々を過ごしていた。


「お坊ちゃま! お坊ちゃま! しっかりなさってください!」

「……」


 彼女の実父は急病により既にこの世を去っていて、男の兄弟なしの彼女は政略婚を強いられた。

 しかし彼女は屋敷に勤める庭師に思いを寄せており、縁談などは知ったものかと一蹴する気でいたらしい。


 そんな中、件の庭師が、敷地内で……自殺した。

 主人の一家を慮っての決断だろうと推察され、彼女の実母は涙ながらに事の経緯(けいい)を話していた。


 彼女はそれから無口になって、無表情になったのだが、庭師の思いに報いるために――。

 僕との婚儀に応じたのだ。


「奥様! 貴女の旦那様が今際の際に立っています! せめて、せめて何か一言……お声をお掛けください!」

「……」


 僕は元々病弱であり短命だろうといわれていて、世継ぎを残す意味においては縁談(それ)は渡りに船だった。

 没落間近の貴族の家系と噂を聞いてはいたのだが、初めて彼女と会った時から、僕は……。


 この子を愛していた。


「……」


 僕は今まで一度も彼女の声を聞いてはいない。

 結婚式での宣誓さえも沈黙により応えていた。


 彼女はいつも自室の窓から遠い空を見つめていて、そんな彼女の姿を見る度、僕は心を痛めていた。


「妻と二人で話をしたい。みんな、すまない。離席を――」

「……」


 二人きりになった部屋で、僕は彼女の顔を見た。

 虚ろな瞳は伏せられている。


 お腹は、ほんのり膨れていた。


「身体の調子は良好かな……? 具合いは悪くないかい……?」

「……」

「よくぞ我が子を宿してくれた。君には感謝してるよ」

「……」


 僕との間に子供を授かり、懐妊してから数ヶ月。

 自分のことより、僕は何より彼女の体調(からだ)を危惧していた。


 肉体的にも精神的にも、彼女は不安定だった。

「今から大事な話をする」と、僕は一言、前置きした。


「できれば、僕も自分の子供を見てから死にたかったけど……どうやらそれは不可能らしい。とても残念だけど」

「……」

「そこで、今後のことについての遺書を一筆(したた)めた。家のこととか、政務(しごと)のこととか……それを君にも伝えておく」


「君には我が家を出てもらうよ」――彼女がきょとんとこちらを見る。


 僕は「あはは」と一笑しつつ、彼女の頭を一撫でした。


「安心して。別に君を追い出そうってわけではない」

「……」

「僕と死別しても君は我が家の人間だ。当家の家名は捨てられないし、いずれ子供は世継ぎになる。だけど、その日が来るまで、君には……元気に、豊かに生きてほしい」


 僕は彼女を不幸にしたくはないと常々思っていた。

 政略婚で彼女が心を病むなら、それは本意でない。


 自分の死期を知ってからは方々に向け、根回しした。

 彼女の今後のその人生に、憂いや陰りはないはずだ。


「君は一度、実家に帰ってお義母さんと暮らすといい。多分、その子もそちらの屋敷で育てたほうがいいだろう。本家のことなら心配せずとも遺書に記しておいたから、誰にも文句は言えないよ。お金の懸念もないからね」


 遺言話はまだまだ途中で、半分くらい……? だったのだが。


 彼女が両手で僕の手掌を握り、それを遮った。


「……ごめんなさい」


 初めて彼女の地声を聞いて、はっとする。

 美人さんの彼女に似合う、とても綺麗な声だった。


 どういう意味での「ごめんなさい」か。

「愛せなくて、ごめんなさい」か。

 それは僕には分からなかった。


 彼女の涙を一筋、拭う。


「君と結婚できてよかった。僕は幸せ者だったよ」

「……」

「できれば、一目だけでも……君の笑顔が見たかったな」


 遺言話は途中だったが、まあ、支障はないだろう。

 目蓋がとても重たくなって、僕はそのまま目を閉じた。

 

 そうして、僕は愛する人に看取られ、息を引き取った。


 妻子が幸福たり得ることを、僕はただただ、切に願う。




ミムラス

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