第9話
救出
魔王軍のその勢力は驚異的なものだった。四人の勇者の力を以っても討伐に至ることはなく、西と東と南の勇者は消息不明となっている。唯一、北の勇者だけは母国に生還したようだが、帝国の操り人形として利用されているらしい。
兎にも角にも四人の勇者は敗北、魔王は健在で、国と民とを預かる我らは迅速な対応に追われていた。
停戦協定は魔王軍の侵攻に備えるためのもので、諸国が領土を警護するべく制定された法だった。
聖王であるわたしが発案、戦争の一切は禁止され、東西南北の四大陸はこれに合意したはずだった。
思い返せば、停戦の認可も帝国の策略だったのだろう。北への警戒を解いたところで聖王国は襲われた。
人間同士で争っている場合でないのは自明の理。にも拘わらず、帝国領は進軍を開始したのである。
「オオオ……ッ!」
処刑されたわたしは天に召されることを拒み、魂だけの存在となり北の帝国を目指していた。世界の鎖と呼ばれるものが齎す苦痛は凄まじく、常時身体を紅蓮の炎で炙られているようだった。
人の言葉も失くしかけたわたしは魔物も同然で、半ば理性も削ぎ落としつつ彼の地へ這いずり続けている。しかし、辛苦に苛まれようとわたしはこの歩を止めはしない。
目的の先は帝国領土。目当ては妹を救うことだ。
「貴方が聖都の国王、メネス。噂は兼ね兼ね……聞いていたが」
やっとの思いで北の大陸に辿り着いた、そんな折。
わたしは目先に立ち塞がった若人一人に、足を止めた。
鋭い視線。冷たい声。首の絹布の襟巻きにより顔を半分隠している。
悪寒がした。これは、決して……ただの人間などではない。
「帝都の北の勇者と名乗れば経緯は察してもらえるだろう。貴方を討つべく馳せ参じた。遺恨の多寡はお見受けするが」
「……」
「悪いが、消えてもらう」
北の勇者。思わぬ刺客。いや、予測はできたはずだ。既にここは北の大陸。衝突は必然のことだった。
四人の中でも北の勇者は魔法の天才といわれていた。最上級の高位魔法を複数同時に行使でき、無尽蔵の魔力をその身に宿しているとのことだった。
問答無用の法陣展開。北の勇者に容赦はない。気付けばわたしの周囲全面に結界魔法が発動し、更に内部に、その内側に新たな法陣が生じていた。
これは――爆破を意味する文字。炎属性の高位魔法。
「……ッ!」
炎の赤い文字が書き綴られたその瞬間、形成された法陣により大爆発が発生した。
耳を劈く激しい轟音が結界内に響き渡る。仮に一介の魔法使いが再現しようとするならば、十人以上の魔力を以っても構築に七日は必要だろう。四方を囲んだこの結界は炎を留めるためのもので、わたしに対する強い殺意が如実に表されていた。
これが……勇者の有する才華。これが北の勇者の魔法。
生前であればいざ知らず、それはわたしに対応できる力を遥かに超えていた。
「……」
結界が解除されて塵煙が辺りに拡散する。目蓋を開けると、北の勇者はこちらを見てはいなかった。
驚いたのは我が身が無傷で、無事であるということである。しかし彼方はそんなことには興味を示していないようで、北の勇者のその瞳には、西の勇者が映っていた。
「兄様っ!」
そして自身の無事よりわたしを歓天せしめたのは、我が最愛の妹、ケイトが目前に現れたことだった。
「兄様、わたしが分かりますか! ケイトです! 貴方の妹です!」
「……ケイト」
「ああ、メネスお兄様……こんなお姿になって……」
「……」
聖王国のトケイ姫といえば、有名なものだった。母親譲りの絶世の美女で慈愛に満ちた聖人であり、各国からの縁談などは後を絶たないほどだった。
トケイを「ケイト」と呼び親しむのは彼女と親交のある者のみ。わたしはケイトの兄である。
再会を果たした実の妹を、見間違えようはずがない。
「王よ。生前は世話になった。お互い、苦労が絶えんな」
「……クローバー」
「今は言葉を出すことさえも苦しく、難儀なことだろう。あとは戦女神に任せるといい」
「……?」
「俺が加勢する」
見やれば、更に新たな法陣が周囲に浮かび上がっていて、北の勇者のそれとは違う白い文字で成っていた。クローバーの防御魔法だ。彼がわたしを守ったらしい。
西の勇者が剣を抜いて北の勇者に相対する。一方、ケイトはわたしの胸で、大きな声で泣いていた。
一体、何が起きたものかと半分錯乱していたが、クローバーの助言を聞いて全てに合点がいった。
「……」
戦女神ヴァルキューレ。魂を選定する存在。わたしの頬に片手を添えて労わりの御目を向けてくれる。
そんな彼女は妹よりも少し幼い少女だった。
「聖王国のアキメネス王。貴方の思いは届きました。我が名において死後に犯した罪の全てを不問に付し、神の剣と相成る貴方の世界の鎖を裁断します」
まさか自分がエインヘリャルの宣告を拝受しようとは。ケイトは涙を拭いながら「お揃いです」と笑っていた。
差し向けられたその手に応えて、世界の鎖が断ち切られる。妹に次ぎ、この身までも……。
わたしの心は震えていた。
「見ての通りだ。北の勇者。聖王の亡霊は浄化されてエインヘリャルと相成った。それでも帝王の命とやらに愚直に従事する気か?」
「……ちっ」
鍔迫り合いを嫌うように北の勇者が剣を弾き、西の勇者を睨みつけると地を蹴り、大きく後退した。
両者は同時に剣を収め、ようやく緊張の糸が切れる。張り詰めていた空気が消えて、辺りは静寂に包まれた。
「忌々しいやつ。西の勇者め。お前は何も変わっていない」
「やはり南の勇者がいないと俺たちは諍いばかりだ」
「……」
ふわりと外套を翻すと、北の勇者は口を噤んで、無言で姿を消し去った。
クローバーが一息ついて胡坐を掻いて座り込むと、ケイトが彼を労うために一目散に駆け寄った。
女神様は悲しそうな、牴牾しそうな横顔で、北の勇者が消えた先を――静かに佇み、見つめていた。
アキメネス