第55話
陶酔
聖王国の酒蔵杜氏といえば、俺のことである。
生前、俺は聖都切っての銘酒を独自に醸造し、東で無二の酒職人と大きく名前を立てていた。
しかし、職場の地下工房は戦争により埋没し、瓦礫の下敷き。俺は一人で生き埋め。そのまま永眠した。
そんな運びで天に召されず俺が残留しているのは、この世に残してしまった未練が、心残りがあるからだろう。
「お邪魔します」
「あいよ! らっしゃい!」
「……」
「……いつもの癖で、つい」
小さな小さな一人の少女が地下工房に現れて、俺はついつい、いつもの調子で接客笑顔を浮かべていた。
それにしても、こんなところにお嬢ちゃんとは、これいかに。
少女は両目を煌々させて酒造器材を眺めていて、中でも奥に積み上げられた酒樽山に惹かれていた。
「お酒」
「ああ、その通りだが、お嬢ちゃんは……」
「お酒」
「……」
爪先立ちの少女は両手で木樽をぺちぺち叩いている。
喉が渇いているのだろうか。俺は腕組み考えた。
物は試しで発酵前の葡萄果汁を差し出すと、
「貴方も子供扱いですか」
……至って、真面目に怒られた。
どうやら少女は聖王国の出身者ではないらしい。酒の匂いに釣られるままにここまでやってきたのだろう。酒蔵は瓦礫に埋もれているので侵入できないはずであり、彼女が一人で地下工房にいるのは不自然至極だが……。
ともかく、小さな一見客がお越しになったということだ。
愛娘にも十二の時から酒を飲ませた俺である。聖都の飲酒は十六からだが、法令なんて知るものか。
俺は酒樽、椅子と机、硝子杯を用意して、思う存分、お嬢ちゃんに自慢の手酒を振る舞った。
「ごくごく、ごくごく……」
「がはは。どうだい。美味しいかい」
「ごくごく、ごくごく……」
「……信じられない飲みっぷりだ」
聞けば、少女は俺の酒を過去に一回、飲んだらしい。
「人の世界で一番美味」と、嬉しい……? ことを言っていた。
相飲みしつつ、酒に勢い付けられ、素性を明かしてしまう。
驚くことに彼女の様子は至って平静そのもので、俺が死人であると知っても泰然自若を保っていた。
「……餓死ですか」
「いいや、違う。何を隠そう中毒死だ。ここには酒しかなかったからな。思わず飲みすぎちまったのよ」
「杜氏冥利に尽きるだろう」と膝を叩いて一笑する。
お嬢ちゃんは、ほっと一息、酒をぐびぐび飲んでいた。
「――でな、俺は誓ったのさ! 酒職人になると!」
「……」
「神をも酔わせる酒を造る! そいつが俺の夢だった!」
気付けば、俺まで酒が進み、酩酊間際になっていた。
どれだけ時間が経っただろうか……。
とにかく気持ちがよかった。
「……」
お嬢ちゃんは貯蔵樽を次々片してしまっていた。俺は机に突っ伏したまま、夢見心地な気分になる。
こんな泥酔、久し振りだ。思い返すと懐かしい。
娘が聖都に酒場を出して、二人で飲んで、お祝いして……。
「……」
できれば、最期に一目……娘の顔を、見たかった。
「おい!」
「こんなところで寝るな!」――背中を叩かれ、飛び起きる。
「風邪を引いても知らないわよ」と、愛する我が子が、笑っていた。
「バーベナ……っ!」
「うわ、抱きつくなって! お嬢ちゃんが見てるだろ!」
何の因果か、地下工房に俺の娘が現れた。
正真正銘、紛うことなく一人娘のバーベナだが、身体髪膚は生身と違い、俺と……同じになっていた。
「バーベナ、お前、何があった……? 帝国軍にやられたのか……?」
「まあ、斯々然々でね。あたしも訳ありだったの」
「……」
「あたしが実家に帰ってきたのは、この子の小粋な計らいから。久方振りに、親父の酒でも飲んでやろうと思ったのよ」
八重歯を覗かせ微笑む仕草は、死んだ女房にそっくりだ。
愛する娘と再会できたことに、俺は震えていた。
「ま! 親父の酒なんかでも、たまには恋しくなるものよね」
「聖都の名高い匠のお酒と啖呵を切っていたのに」
「あーっ!」
「それは言わない約束でしょ!」と、お嬢ちゃんに食いかかる。
娘はこちらをちらりと見ると、恥ずかしそうに目を背けた。
「ともかく、バーベナ、駆けつけ一杯」
「むう……」
「わたしは暫らく寝ます」
使用していた硝子杯をそのまま娘に手渡すと、満足したのか、お嬢ちゃんは机に突っ伏し、就寝した。
見やれば最後の木樽を除き、酒樽全ては空である。
寝息を立てる彼女の頭を、娘が優しく撫でていた。
「……親父、椅子、あたしの分も」
「うん……?」
「あたしも飲むっての!」
もう一脚の椅子を片手に、元いた場所へと立ち戻る。
お嬢ちゃんの小さな肩に、娘が毛布をかけていた。
「その子、一体、何者なんだ……?」
「あはは。未だに分かんない?」
「……?」
「こういう外見だしね。分かんなくても仕方がない」
無邪気な寝顔のお嬢ちゃんの隣りに娘が腰掛けて、俺の分と、自分の分の硝子杯に酒を注ぐ。
硝子杯を掲げ、俺も釣られるようにそれに倣い――。
ちりんと音を立てて、俺たち親子は二人で乾杯した。
「親父、この子、神様だよ。夢が叶ってよかったね」
言って、娘は硝子杯の中身を一気に飲み干した。
唖然としている俺に、彼女は片目をぱちりと、戯けていた。
グレープ




