第52話
庇護
嘗て東の大陸には、今では旧王国と呼ばれる大きな都が栄えていた。旧王国は前衛的な政治思想の根が深く、聖王国が興るまでは東の諸国を制していた。
旧王国が聖王国へと取って代わった原因は、お家騒動、王族同士の内輪揉めだといわれている。兼ねて東は北との間に大きな摩擦が生じており、革新、そして保守の二党で意見が対立したのである。
革新派である王族たちは好戦的な主張を述べ、逆に保守派の王族たちは反戦論を固持していた。帝国領への対処について二党の議論は埒が明かず、遂に両者は内紛により衝突するに至ったのだ。
結果、勝利を手中にしたのは保守派の王族たちであり、国の名前を改し、都は聖都と呼ばれて繁栄した。
革新派である王族たちも大赦によって放免され、大団円を迎えたものだと誰もが一息ついたのだが。
しかし、一つ。旧王国で起きてしまった内乱は、歴史にその名を刻むほどの大きな遺恨を残してしまう。
濡れ羽の騎士。黒い鎧を纏った邪悪な亡霊を、東の大陸圏を超えて……世界に放ってしまったのだ。
「やっとこお目見え叶ったぜ。旧都の黒騎士さんよ」
「……」
俺の名前はランプ。東の生まれの賞金稼ぎである。
世界中を股にかけつつ旅を続けて、数ヵ月。
ようやく、俺は念願である濡れ羽の騎士と対面した。
「ちょっと、ランプ! 油断しないで。相手は濡れ羽の騎士なのよ」
「分かってるって。お前のほうこそ、援護はよろしく頼むぞ」
「……うん!」
辺り一帯、黒い空に覆われ、影を落としていた。
相棒である女僧侶に強化魔法を使用され、俺は彼女の前に立ち、濡れ羽の騎士と対峙した。
――濡れ羽の騎士は革新派である王族たちに仕えており、内戦時には兵を率いて自ら保守派と戦った。その際、英雄リナリアにより一騎打ちにて討ち取られ、以降、彼は昇天せずに死霊となってしまったのだ。
濡れ羽の騎士が何を主眼に彷徨うのかは不明だが、世界の鎖に縛られながら各地を渡り歩いている。東西南北、場所を問わずに彼は矢庭に出没し、行く手を遮るものがあれば斬り捨て、前進するのである。
濡れ羽の騎士が徘徊し始め、何十年もの月日が経ち、各大陸は彼の首に懸賞金をかけていた。
彼の手による犠牲者たちは年々増加の一途であり、今となっては賞金額も度偉いものになっている。
「あんたに恨みはないが、悪いが、その魂……俺が貰うぜ」
「……」
「抜けよ。黒騎士、あんたの訃音を旧都に捧げてやるから――」
「……」
瞬間、濡れ羽の騎士の姿が、俺の前から消失した。
一体、何が起きたというのか。俺は周囲を見回した。
切断された剣、両脚、視界がぐるりと回転する。
濡れ羽の騎士は女僧侶の隣りで、外套を揺らしていた。
「ランプ!」
叫び、女僧侶が俺のもとへと駆け寄った。
濡れ羽の騎士は赤く染まった剣を片手に、黙している。
「あいつ、そんな……っ! いつの間に……っ!」
「ランプ、お願い! しっかりして!」
女僧侶が回復魔法で俺の脚部を治療する。しかし急場の応急処置だ。二足は元には戻らない。
抜剣、踏み込み、斬撃さえも……目にも留まりはしなかった。
俺は身体強化された万全状態だったのに、相手は世界の鎖に縛られ、拘束されているのに――。
「ランプ!」
濡れ羽の騎士が剣を払い、こちらにゆっくり歩いてくる。
甘く見積もりすぎていた。
彼には、到底……敵わない。
「おい、お前は一人で逃げろ……っ! 俺が時間を稼いでおく……っ!」
「そんな!」
「いいから、早くしろ……っ! お前だけでも生きてくれ!」
女僧侶は錯乱していた。俺に縋りついている。
彼女に言葉が届かない――。
濡れ羽の騎士が、静止した。
「……?」
その時、俺の前に、戦女神が現れた。
両者の間に割って入り、濡れ羽の騎士を見上げている。
「……」
剣の間合いであっても戦女神に恐れはなく、濡れ羽の騎士も彼女に対して敵意は持たないようだった。
「戦女神よ、取り引きだ! 俺の願いを聞いてくれ!」
「……」
「彼女を救ってくれ! したらば、俺は従者になろう!」
千載一遇。逃せぬ好機。戦女神と交渉する。
女僧侶を胸に抱き、暴れる彼女を黙らせた。
「……」
「それでいいのですか」――言葉にしないで、こちらを見る。
俺は強く相槌した。彼女がそれで助かるなら。
「嫌だ! ランプ、死なないで! わたしを一人にしないで!」
「……」
「ねえ、約束したじゃない! わたしと、ずっと一緒に――」
「……行け!」
戦女神が女僧侶の肩に手を置き、姿を消す。
濡れ羽の騎士と二人きりだ。辺りは静まり返っていた。
「……そういうわけだ。あんたにとっては迷惑千万だろうがな。俺は死ななきゃいけなくなった。悪いが、介錯求む」
「……」
俺の人生最期の言葉を聞いているのかいないのか、濡れ羽の騎士は黙ったままで、遠い空を見つめていた。
「アーネ……」
兜の奥の瞳を、とても悲しく光らせて――。
濡れ羽の騎士は最後に一言、誰かの名前を零していた。
エンゼルランプ




