第6話
魅惑
この世界には「才華」と呼ばれる超常的な力がある。人間が持つ資質や才能に近い能力概念だが、人は生を享けた時に必ず才華を与えられる。
神から賜るものというのが一般的な通説で、それがどんな人間だろうと才華は一つのみである。
しかし短い人の命で才華の発見は難儀であり、その大半は一生涯でも自覚を持つことすらできない。故に才華に目覚めた者は強い権利と権威を持ち、善人だろうと悪人だろうと超人的な存在となる。
多くの場合、人の才華は常軌を逸した力であり、才華が目覚めることを俗に「才華の開花」と表現する。
ただし、才華は人にとって有益千万なものではなく、個々に一概に多大な幸福を齎すものとは限らない。有する能力如何によっては災いを招く場合もあり、逆に不幸になってしまう才華の持ち主も少なくない。
あたしのように、才華を理由に死んだ人間も多いだろう。
「いらっしゃい」
時刻は未明。夜のしじまの東雲前。
今日の最初のあたしの酒場の戸口を開いたお客様は、見目麗しい出で立ちをした小さなお嬢ちゃんだった。
「え、お嬢ちゃん、まさか一人? 親御さんとかいないの?」
「……」
「というか、どうしてこんなところに? 表は物騒なはずだけども」
野暮なことを訊いてしまって、あたしは少し後悔した。このご時世だ。幼い身でも人には事情があるものだろう。
そもそもこの場に留まっているあたしが言えた義理ではない。あたしは両手で頬を叩き、聖都一の笑顔を浮かべて少女を客席に案内した。
「ごめんね。どうぞ座ってちょうだい。遠慮しなくていいよ」
「……」
「お店は取っ散らかってるけど、接客くらいはできるからさ」
多くの酒瓶は割られてしまって駄目になってしまったが、商売道具の店の品は僅かながらも残っていた。
あたしの前に座る少女。机上に掌をぺたりとつけてこちらを見上げる。可愛らしい。
「何にする? 何がいい?」
「お酒」
「おやおや、御老成だねえ……」
あたしが生まれたこの国内では、お酒は十六からである。お嬢ちゃんは十二か十三、盛っても十四くらいだろう。
瓦礫に塗れた自分の酒場を眺めて、あたしは鼻で笑う。飲酒の年齢規制なんて、あたしも守っちゃいなかったな。
「まあ、こないだ滅びた国だし、法令なんて無関係か」
聖王国の城下町の路地裏。それも最深部。
そこにあたしのお店はあった。もっとも、聖都は落ちたけども。
「そーら、お酒だ。たーんとお飲み」
「!」
「目の色が変わったわね……」
凛としているお嬢ちゃんの澄ました真顔が、やや崩れた。
よっぽどお酒が好きなのだろう。きらきら輝くそんな瞳に、昔の自分を思い出した。
両手で硝子杯を握り、ゆっくり、こくこくお酒を飲む。
けれども、どうやら肝心のお酒は期待に反してしまったようで、お嬢ちゃんはお気に召さない仏頂面を浮かべていた。
「これ、お水……?」
「いやいや、お酒。優しいの選んだけども」
「……」
空になった硝子杯の底を見つめて、目を細める。
どうやら嘘でも背伸びでもなく、お酒に文句があるらしい。首を捻った彼女の顔は不満と不服に満ちていて、肩を落としたそんな姿が店主の矜持に火を点けた。
「よーし。それじゃあ、聖都で一番強いのご馳走するわ!」
「!」
「待ってなさいよ。秘蔵のお酒が奥に隠してあるから!」
「……」
聖王国の酒職人が手懸けた逸品、至高の美酒。値段も度数もべらぼうすぎてお店の据え物になっていたが、あたしはここが切り時と見て酒瓶の開栓を決心した。
というか、これが最後の機会と心のどこかで思ったのだ。こんな無邪気な少女相手に大人げないにもほどがあるが、悪いが、あたしの結びの酒だ。
彼女にも付き合ってもらうとしよう。
「……」
お酒を胸に抱っこし、持ち場へ戻って目を落とすと、お嬢ちゃんが一人の人間の死体を抱いて、こちらを見た。
女性の亡き骸。吐血の痕跡。紫色の髪飾り。自分の頭の同じ装飾を一撫で、あたしは自嘲すると、悲しそうなお嬢ちゃんに虚勢の笑顔を向けてみせた。
「あーあ、気付かれちゃった?」
「……」
「こっち側は店主の持ち場で、お客は立ち入り禁止なのに」
あたしの死体の両目を伏せ、お嬢ちゃんは何も言わずに元いた座席に戻っていく。
不和の沈黙だけが流れ、あたしは酒瓶を開栓した。音すら立たないほどに静かに硝子杯にお酒を注ぎ、片手の掌を表にしながら「どうぞ」と一献を促した。
お嬢ちゃんはすっかり滅入ってしょんぼりとしてしまったが、それはそれと言わんばかりにお酒を凝視していた。
「……ふふ!」
そんな様子のお嬢ちゃんが得も言われぬほど愛くるしく、あたしは彼女の頭を撫でて「飲め飲め」と飲酒を強要した。
あたしも自分の分を注いで、半ば自棄にお酒を飲む。いやはや、本当に強いお酒。
酔って正気を失ったって、こいつは仕方がないだろう。
「というわけで、幽霊だけど……あたしのこと、怖い?」
「いいえ」
「あたしの死体、驚いたでしょ?」
「いいえ。驚かなかったです」
お酒をこくこく飲みながらだが、お嬢ちゃんは即答した。
肝の据わったお嬢ちゃんだ。しかしあたしは安心した。あたしも寂しかったのだろう。
だから、お店で最後のお客をこうして待っていたのである。
「……聖王国と帝国の戦争に巻き込まれた、ということですか」
「まあ、近からず遠からずね。直接の死因は服毒だから、要は自殺だけども」
「……」
「あたし、実は十二の時に才華が開花しちゃってね。お馬鹿な話よ。才華が原因で生きてはいけなくなっちゃったの」
――あたしの才華は異性を魅了し、誘惑するというものだった。日常生活を送っていれば自然と自覚が持てる上に、単純明快な能力故に早期発見に繋がった。
魅惑の才華は便利なもので、あたしの人生は潤った。何かに困れば必ず誰かがあたしを手助けしてくれたし、才華の開花以降の日々はお金の不自由もなくなった。聖都に自分のお店を構える夢まで叶って、幸せで……本当に全てが順調だった。
あの時、あの人と出会うまでは。
ある日、あたしは一人の男に一目で心を奪われた。お城の兵士。酒場のお客。生まれて初めての恋だった。魅惑の才華の持ち主としてはそれは稀少な出来事で、あたしは居ても立ってもいられずその男性に告白した。
けれども、稚拙な恋は実らず、あたしは失恋を経験した。
「好きな人がね、いたんだって。あたしではない別の女性。つまり彼のその真心にはあたしの才華も通用せず、あたしの初恋は才華を以っても成就することがなかったの」
せめて彼が意中の女性と結ばれるように願ったが、お城の兵士だった彼は斥候の任務に失敗し、帝国軍に捕縛されて……そのまま殉職したらしい。
もしもあたしの魅惑の才華が彼に有効だったのなら、もしもあたしが諦めないで彼を求め続けたなら、何かが一つ違っていれば結果は変わったかもしれない。才華のような過ぎたものが自分の中で目覚めても、一目惚れした男性一人と添い遂げることもできやしない。
そんな虚しさ、情けなさにあたしは大いに失望して、気付けば自ら毒を用意し、自殺を考案したのである。
「あたしは自分は才華の目覚めた特別な人だと思ってた。このまま恵みの多い日々を送れるものだと思ってた。だけど違った。あたしの才華は決して万能なんかじゃなく、あたしが本当に欲しいものは手には入らなかったの」
「……」
「人生に絶望してた時に帝国軍が攻めてきて、あたしにとっては渡りに船でそのまま毒を飲んだのよ。どうせ酒場を置き去りになんかあたしにはできっこなかったし、もう……このまま生きたとしても、辛いだけだと思ったから」
昔、自称大盗賊のお客さんが言っていた。自分のものにならないのなら宝石だって石ころだと。
しかし、あたしは石ころだって光り輝いて見えたのだ。欲しくて欲しくて、堪らなかったが……手には入らなかったのだ。
「ところで、お嬢ちゃん。種明かしだ。名前を教えて」
「ヴァルキューレ」
「やっぱりかー」と天井を仰いで、残りのお酒を一気に飲む。
「だったら最初に言いなさいよ」と肩を竦めて、抱腹した。
「つまり、あたしとお嬢ちゃんはお互いに客人だったわけだ」
気付けば、酒瓶の中身はなくなり、すっかり空になっていた。酒豪のあたしをたった一杯でべろべろにしちゃうお酒なのに、お嬢ちゃんはけろりとしていて「流石は神様」と感心した。
お嬢ちゃんがほとんど単独で飲んだ酒瓶を指で弾く。女神様に平らげられて、大儀だ。
お前も本望だろう。
「それで、どうだい。美味しかった?」
「はい。まあまあでした」
「えー」
お嬢ちゃんはお堅い口調を忘れて「ふふん」と笑っていた。きっと今の彼女の姿は普段と異なるものなのだろう。
人も神も、お酒を飲めばこうして心を開くのだ。お店を開いてよかったと思う。
誰かと誰かの出会いの場所を、あたしは作りたかったのだ。
「そこまで言うなら、普段はさぞかし美味しいお酒をお飲みなので?」
「それでは、蜜酒をご馳走します。どうぞご一緒ください」
「!」
座席を立って戸口へ向かい、そうして、こちらを振り返る。
若干、ふらふらしているような……神様に限って、それはないか。
「本物のお酒、ご覧に入れます」
「あー、言ってくれたわねー?」
酒場の店主に啖呵を切るとは、売られた喧嘩は買うしかない。
お嬢ちゃんのその手を取って、二人で酒場の外に出る。
路地裏などには似つかわしくない朝日があたしを照らしていた。
「ああ、そうそう。あたしはバーベナ。お酒、楽しみにしてるわよ?」
心機一転。髪飾りを捨て、あたしは過去と決別する。
お店に入った時と比べて、お嬢ちゃんはいい顔だ。
少しは酔ってくれたようで、あたしはそれが嬉しかった。
バーベナ