ヴァルハラ回想5
宮殿内に舞い込む夜風が、頬を撫でて……心地がいい。
泥酔しているエインヘリャルを各自の部屋に送り終え、物思いに耽りながら、わたしは回廊を歩いていた。
今日は少し酔ってしまった。こんなことは珍しい。
思えば、頻りにお酒を勧めるバーベナたちにしてみれば、浮かない顔をしている家族を慮っていたのだろう。
今夜は彼らと話せてよかった。彼らはわたしの誇りである。
わたしは、わたしのエインヘリャルとなった彼らに報いるべく、来たる世界の終末の日に――備えなければならない。
「……」
錯綜している蟠りを一旦、胸に仕舞ってから、わたしは明日へと向かうために顔を上げて、頬を打つ。
我らが主神のヴァルハラ宮殿、戦女神の並び間前。
大回廊の壁を背にして、女悪魔が立っていた。
「何だか涼しいね。今夜は」
「貴女は……」
「んふふ。こんばんは」
不敵な笑みを浮かべる彼女は一見、一人きりである。
大食卓で別れるまではユカリと一緒にいたはずだが、今は彼女の尻尾の先には彼は存在しなかった。
「大丈夫だよ。安心して。ユカリは部屋に届けたから」
「部屋に……?」
「わたし、そのままそこに泊まり込もうとしたんだけど、ユカリ、ずーっと怒ってて。頭を引っ叩かれちゃったよ」
頭を垂らし「たんこぶ見てよ」と女悪魔が抱腹する。
ユカリの話をしている彼女は、何とも楽しそうだった。
「それにしても、まさかユカリがエインヘリャルになるとはね。いやはや、感慨深かったよ。最初は驚いちゃった」
「……」
「わたしとユカリの再会。それが戦女神との約束でね。選定の条件だったんだよ。びっくりさせてごめんね」
「……」
彼女をエインヘリャルとしたのはエルルーンという同輩で、わたしたちの中では至って柔和な戦女神である。
本来、ユカリと女悪魔は相打ちをした仲なので、死後に両者が対面するのは通常ならば憚られる。しかし二人を随えるのはエルルーンとわたしなので、然して時を待たずしても再会するに至ったのだ。
「わたしは構いませんが、しかし……ユカリの気持ちはどうでしょう。貴女に驚き、何度も何度も噛みつき、唸っていましたが」
「うん。すんごい嫌われてた。ほんとは軟派されるくらいの第一印象だったのに、わたし、一回振っちゃったから。それは自業自得」
「……」
「でもね、別に負げてないよ。勝負はこれからなんだから。ユカリがこっちを見てくれるまで、わたし、頑張るつもり」
「……」
白い歯を見せ、にっかり笑う。
「んへへ」とはにかむ女悪魔の素顔は、少女の笑顔だった。
「貴女はユカリと出会わなければ死することもなかったのに、生前、興味もなかった相手に何を以って好意を?」
「……うーん」
困ったように上を向いて自分の角を弄り出す。
広げた翼を前に畳み、顔を半分隠していた。
「わたし、強い人が好きで、その……わたし、負けちゃったし」
翼を開くと、頬に手を当て、女悪魔は火照っていた。
わたしがじーっと見つめていると、彼女は慌てて逸らかした。
「とにかく、今日はありがとう! それだけ! これからよろしくね!」
逃げるように尻尾を巻いて、回廊を走り去っていく。
そんな背中に声をかけて、わたしは彼女を呼び止めた。
「ユカリに意地悪しないのだったら、いつでもどうぞ。歓迎します」
「ほんとー? それじゃあ、毎日来るね!」
「え……」
「んふふ! お休みなさい!」
悪魔は交わした約束全てを、破らないし、忘れない。
口を両手で覆い、わたしが迂闊な失言を悔いていると、女悪魔はくるりと振り向き、胸に手を当て――。
声を立てた。
「そうそう! わたし、ヘリアンサス! 名前、好きに呼んでね!」
「……」
女悪魔、ヘリアンサス――。
彼女はそのまま立ち去った。
ユカリは遥か遠い世界から召喚された異界の人。
きちんと仲良くしてくれないと、わたしも困ってしまうのだが……。
「……へくち」
酔ってぽかぽかしている身体が外気で冷えていく。
少し長居が過ぎたようだ。わたしも明日に備えよう。
きっと、明日は一目散にユカリが文句を言ってくる。
はてさて、何と言い訳するか……。
わたしは、くすりと笑っていた。




