第3話
待望
生まれ持ってわたしの髪は黄蘗の毛色をしていました。
そのため、悪い魔法使いの呪いを受けてしまったとか、魔物の血筋を継いでいるとか、そんな噂が流れました。
父と母は一人娘のわたしの体質を酷く嘆き、物置き小屋に実娘を閉じ込め、出歩くことを禁じました。毎日毎日、退屈すぎる時間を過ごしていましたが、そんなわたしの心の支えは絵画を描くことでした。
物置き小屋には死んだ祖父母が遺した画材道具があり、わたしはそれらの埃を掃って自分のものとしたのです。最初はただただ拙い描画で、お絵描き程度の余暇でしたが、けれども、他に打ち込むことが皆無のわたしの写実の腕は、日に日に練度を高めていって向上の一途を辿りました。
何年前のことでしょうか。わたしは小屋の小さな窓から、神様の姿を目にしました。
夜空を騎行し、月下を翔ける彼方の形姿は荘厳で、その光景を脳裏に焼きつけ、わたしは筆を執りました。しかし、それから数年経っても絵画は完成していません。気高く、可憐な女神様の凛々しい横顔の部分だけが、描写するには畏れ多く……仕上げに至っていないのです。
せめて、せめてもう一度だけそのお姿を垣間見れば、わたしの止まった筆は再び動き出すやもしれません。しかし、あれから毎日欠かさず小窓の景色を眺め見ても、その窓外に女神様はその身を現しませんでした。
現世の人の平均寿命は六十前後といわれています。けれども、わたしはその半分の年数を生きることもなく、衰弱により命の炎が燃え尽きようとしています。肉体的にも精神的にも、わたしの無二のその生き甲斐は偏に絵を描くことであり、筆を止めたわたしの心身はぼろぼろになっていったのです。
「……」
誰かが、わたしの髪を優しい手つきで撫でていて、それが女神様であるとわたしはすぐに気がついた。
暗い深夜でさえも際立つ清麗としたその出で立ち。それは嘗てわたしが目にした夜景と見紛うものだった。
「……女神様、お止めください。御身が穢れてしまいます」
「……」
「ああ、女神様。お会いしとうございました」
頭を垂らすこともできず、自分の死に目を痛感する。
床に転がる水彩筆に、必死に、必死に手を伸ばすが、わたしのその手は自分の愛筆を握ることすらできなかった。
「……女神様、お願いがあります。わたしの最期の望みです」
わたしの記憶の中に残るその一齣を打ち明ける。
女神様は聞き終えると、残念そうに首を横に振って、静かに開口した。
「貴女が見たのはブリュンヒルドか、シグルドリーヴァのどちらかでしょう。いずれもわたしと同属ですが、呼び出すことはできません」
「いいえ。この身は貴女様をこの絵に描き出したいのです」
「わたしを……?」
「はい。貴女様を。お許し願えませんか……?」
「……」
目を丸くした女神様は本の少しだけ考えると、画架の正面の椅子に座しては背筋を伸ばして、こちらを見た。
「わたしは貴女がその目に映した戦女神ではありませんが、それでも構わないのであれば、ここに座っていましょう」
「!」
もはや虫の息となった掠れた声で謝意を示す。わたしは天に祈りを捧げた。こんなに嬉しいことはない。
魂が肉体と分離しても、僅かな一時、現世に留まり絵を描くことはできるだろう。思い残すことはなかった。
わたしは最期に尋ねてみた。
「女神様は、閉じ込められたわたしのことを、どうして……?」
「……」
女神様が小屋の小窓を仰いで、外の景色を見る。
今夜は満月のようだった。月の明かりが女神様の、その横顔を映し出した。
「わたしも、小屋のその小窓から貴女の姿を見つけました」
「え……?」
「貴女の黄蘗の髪が月の光に反射して、きらきら光って輝いていて、わたしのこの目に留まりました」
「とても綺麗な光でした」と、女神様が微笑んだ。
感極まって落涙する。
今、存在は認められた。
夜が明け、物置き小屋の小窓に陽が射し、絵画を照らしていた。
完成された一枚絵に、わたしは初めて「スイセン」という自署を記して残していた。
スイセン




