ヴァルハラ捜査10
西の大陸、諸国の一つでとある事件が発生した。
王女殿下の失踪事件。数年前の出来事だ。
王女殿下の安否所在は長らく不明のままであり、執事であったボルネオ老は自ら彼女を捜していた。
驚くことにヘリアンサスの出自は高貴な生まれであり、彼女こそが西の国の王族、姫君だったのだ。
「ええーっ! お前が王女様! 全然見えない! ……ぐげげげげ!」
ヘリアンサスは生まれた時から才華の開花を果たしており、大陸一の賢姫と呼ばれてその名を大きく広めていた。
引く手数多のヘリアンサスを巡って度々戦が起き、彼女こそが傾国姫だと噂が流れるほどだった。
そんな折、その名を聞きつけ、一人の人物が現れる。
魔法使いのその男性は所謂「誘拐犯」であり、彼女の前に姿を見せると、転移魔法を発動した。
「魔法使いはわたしの才華を目当てに、遥々やってきた。転移先は、今でいうなら魔王の居城と呼ばれる場所」
「それで、前にも聞いた通り……お前は悪魔になったのか」
「分かったでしょ? 王族なんてね、烏滸がましいんだ。とんでもない。わたしは国も民も捨てて、こんな姿になったの」
「……」
「今更、わたしが姫様だなんて呼ばれる資格はないんだよ。面目なくて、立つ瀬がなくて、合わせる顔がなかったから……」
「だから、ずうっと逃げてたのか」
「……うん。わたし、酷いよね」
今、俺とヘリアンサスは虹の橋の途上にいる。
彼女はすっかり肩を落とし、人間界を見つめていた。
「傾国姫の指定を受けたわたしは、とっても落ち込んだ。近隣諸国は戦続き、全部わたしのせいだった。こんな王女、いないほうがいいって自分で思ってて、そんな時に……ほんとに突然、誘拐事件が起きたの」
「……」
「わたしは悪魔になったことで人が変わってしまってね、好戦的で心の冷たい、そんな女になっちゃった。ユカリと出会って以降は、まあ……随分丸くはなったけど、それこそ、人を殺すことにも……抵抗、なくなっちゃったし」
「……」
「もはやわたしは別人なんだ」と、ヘリアンサスは自嘲した。
彼女は本来、被害者だった。なのに義憤を感じている。
誘拐犯の魔法使いは魔物の王を召喚し、ヘリアンサスは悪魔に姿を変えて、後に俺と出会う。
まさかお姫様だなんて当時は思わなかったのだが……俺は彼女を巻き込み、自爆。
そうして、今に至るという。
「それで、これからどうすんだよ。爺さん、お前を捜してるぞ」
「……」
「顔は割れてんだから、逃げ続けるのは不可能だろ」
「……」
「筋を通すことが王女の責じゃないのか?」
「……」
「ヘリアンサス、お前、ほんとに……今のまんまでいいのかよ」
こいつは決して自分の意向で悪魔になったわけではない。
強制されてのことだったのだ。断じて止むを得なかったのだ。
魔王に悪魔にされたことでその人格が一変した。それも一種の副作用で、こいつが望んだことではない。
「……」
何か、何か一言、付言しようと思ったが、その時、とても強い突風が――。
瞬時に、この場に発生した。
大きな影が凄い速度で目鼻の先を横断する。
風圧により俺の身体が危うく飛ばされそうになり、ヘリアンサスが獅噛みついてこの身を支えてくれていた。
「!」
見やれば、先ほど別れた、どでかい飛竜がそこにいた。
召喚獣のシルヴァーナだ。もちろんサクラも一緒である。
ずしん……っ!
虹の橋に着地。飛竜は興奮状態で、こちらに向かって哮り立って、竜の怒号を上げていた。
「シルヴァーナ! どうしたの!」
「サクラ!」
「あっ、ユカリさん!」
半ば振り落とされるようにサクラもその場に着地して、両者の間に割って入る。
飛竜はこちらに手を出せない。
「サクラ、一体、何が起きた……?」
「分からないんです! わたしも!」
「……」
「この子、普段は大人しくって、とってもお利口さんなのに……ユグドラシルから下りてきてたら、急に怒鳴り始めて……」
「……」
ヘリアンサスは縮こまって、俺の背中に隠れていた。彼女たちは面識がある。
そうか! 俺は、はっとした。
サクラの才華はヘリアンサスとの初邂逅時に開花した。
つまりサクラの召喚獣も女悪魔のことを知っていて、敵の気配に気付いてしまってここまでやってきたのだ。
「……っ!」
飛竜を制して宥めながら、サクラがこちらに目を向ける。
猜疑心を含んだ視線。
ゆっくり、彼女は開口した。
「……ユカリさん、どうかしました? わたしに何か隠してます?」
「いや……」
「後ろ、誰かいます? 隠さないでください」
「……」
ヘリアンサスはサクラの命を奪った張本人である。
二人を対面させるわけには――。
女悪魔が、姿を露にした。
「!」
空気が凍りついた。不和の沈黙。硬直する。
ヘリアンサスは覚悟を決めたような、そんな瞳をしていた。
一方、サクラは両目を見開き、ヘリアンサスを見つめていた。
徐々にその身は震え始め、一歩、二歩と……後退する。
「あっ、あっ……あっ、あっ……」
「サクラ、落ち着け! サクラ!」
「――」
異世界転移したとはいっても、サクラは普通の女の子だ。純粋無垢な女子高生だ。
この反応も無理はない。
ヘリアンサスへの遺恨があるかは自覚がないとのことだったが、殺害相手を前にしたなら、彼女も――。
召致が暴走する。
「サクラ、駄目だ! 正気に戻れ! 俺の話を聞いてくれ!」
「嫌だ! 嫌だ! 近付かないで!」
「……っ!」
「こっちに来ないでよ!」
意識の外で形成された魔法陣が発動する。
八つの頭、八つの尻尾、巨大な体躯の怪物が、赤いその目を光らせながら――。
ヴァルハラの地に出現した。