ヴァルハラ捜査9
サクラと別れ、大樹の枝から大食卓へと立ち戻る。
当たり前のことではあるが、辺りは静まり返っていた。
とっくに昼食は片付けられて、今や夕飯前である。
サクラと交わした同郷話に花が咲いてしまったのだ。女神ちゃんには悪いことをしたな……。
俺は反省した。
「うん……?」
何やら厨房奥から話し声が聞こえてきた。
二人の女性の声のようだ。
抜き足差し足、接近した。
(ガーちゃん、何か食べ物ある……?)
(あるけど、調理が必要ね……)
(長居してると見つかっちゃうよ……)
(分かってるわよ、そんなこと……)
後ろ姿で一確する。そこにはヘリアンサスがいた。
話し相手は食糧庫の中……。
俺は彼女の背後に立つ。
「……こんなところで、何をしてんだ?」
「ひゃあ!」
「なになに! どうしたの!」
ヘリアンサスの尻尾を掴んで、ぐいっ、ぐいっと引っ張ると、彼女は悲鳴を上げつつ、ぺちーん!
尻尾で俺をビンタした。
凄い威力の尻尾ビンタで俺の身体は吹き飛ばされ、食糧庫から何事たるやと話し相手が顔を出す。
「あ、お前は猫耳娘!」
「猫耳娘言うんじゃない!」
ヘリアンサスと一緒にいたのは魔王軍の元幹部、十一将の一角だった猫人、ガーベラにゃんだった。
……そういえば、ヘリアンサスとは元同僚に当たるのか。
俺を打った女悪魔が、慌てて駆け寄り、膝を折る。
「ユカリ、ごめんね……? びっくりしちゃって……」
「効いたぜ。すんごいビンタだな……」
「いやいや、リアンは悪くないでしょ……」
「それで、何をしてるんだよ」
察するに、食いもん漁りをしているように見えたのだが。
ヘリアンサスは恥ずかしそうに、俯き、ちょこんと座っていた。
「というか、お前、ここんところは姿を見せなかったよな。説教されて謹慎中とか、噂が飛び交ってたぞ」
「……」
「リアンはね、人間時代の知人に毎日追われてて。あたしの部屋で匿ってたの。それで、お腹が空いちゃって」
「こいつんとこの女神ちゃんは飯とか作ってくれないのか……?」
「わたしんとこの女神ちゃんは自主性重視らしくて……」
「……」
ええっと、名前はエルルーンか。ほわほわしている戦女神。
……確かに、あんまり料理だとかは得意ではない感じがする。
「あー、それで大食卓へと二人で忍び込んでたのか」
「この子、元々温室育ちで料理はからっきしなのよ。だから何か作ってやるかと、中をね、漁ってたんだけど……」
「ゆっくりしてもいられないし」――猫耳娘がぼやいた瞬間。
「リアン様ーっ!」――大きな嗄声が、厨房奥まで響いてきた。
(……不味い! この声、爺の声だ!)
(ガーちゃんガーちゃん、どうしよう!)
(どんどんこっちに近付いてくる!)
え、なになに……? どういうこと……?
(察しなさいよ! 鈍ちん男!)
(ええっ! 察せるもんなの? これ!)
(説明している時間はないわ! 逃げ場もないし、仕方がない……っ!)
(ええい、ままよ!)――猫耳娘が、ヘリアンサスを押しつけた。
誰に何を押しつけたのか。俺にヘリアンサスをである。
(むぎゅ……っ!)
(おい、猫耳娘! いやいや! ちょっと……何しやがる!)
(あんたの図体でリアンを隠すの! 役得でしょうが! 感謝なさい!)
(もっと強めにくっついて! もっと強めに抱き締めて!)(あんたは向こうに背中を向けて!)――猫耳娘が無茶苦茶言う。
(ああ、リアン! それじゃ厳しい! 派手にいろいろ食み出てる! 角とか翼、折り畳んで!)
(折り畳めって言われても!)
どったんばったん!
厨房奥にて三者三様騒ぐ中、間もなく大きな嗄声の主、ボルネオ老がやってくる。
俺は背中を向けているので、様子は分からないのだが……。
老爺の彼は息も絶え絶え、恐らく、こちらを見据えていた。
「やい、爺! 何を見てんの! 見せもんなんかじゃないっての!」
「そなたは、確かガーベラ嬢……付かぬことを訊くが……」
「ええ……?」
猫耳娘の「しゃーっ!」の威嚇もボルネオ老には通用せず。
……ヘリアンサスの胸の鼓動が、どんどん大きくなっていく。
「リアン姫を、ヘリアンサスの行方をご存知ないものか……?」
「知らない知らない! あたし知らない!」
「それでは、そちらのお二人は……?」
「えー、あー、これはあれよ! カーコス! カーパス、コスモスよ!」
「おお、カーコス! かの有名な……」
「そうそう! 爺も知ってるでしょ!」
「いいからさっさと消え失せなさい!」と言わんばかりの語調である。
けれども、一方、ボルネオ老は「うーん」と唸りを上げていた。
「しかし、わたしの見立てによるとあのお二人は奥手であり、恐らくお手々を繫いだことさえないと思っていたのだが……」
「うっさいわね! 考察すんな! 気持ち悪いから! 殺すわよ!」
「何もそんなに怒らなくとも……」
「とっくに貫通済みじゃい! 阿保!」
本人たちがいないからって言いたい放題言っている。
こいつ、あとで怒られるぞ……。
聞かなかったことにした。
「おら、爺! もういいでしょ! とっととここから出ていって!」
「むう……」
「あー、鬱陶しいわ! 老兵はただ去りゆくのみ!」
「こ、小娘! 何をする!」「いいから抵抗すんな! 爺!」――猫耳娘はボルネオ老を羽交い絞めにし、立ち去った。
あとには俺たち二人だけが残り、互いに沈黙した。
ヘリアンサスの金の髪が頬に触れて、擽ったい。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……爺さん、行っちまったぞ」
……。
「……もう、離れて大丈夫だぞ」
「……」
「……」
「……」
「……」
ヘリアンサスは何も言わずに、ただただ黙ってしまっていた。
決して離れようとしない。俺は困ってしまっていた。
こいつの身体は柔らかくって、その……理性が飛びそうです。
それに、あまーい匂いがする。悪魔とはいえ、女の子だ。
見やれば、彼女は細い尻尾をふりふり左右に揺らしていた。
案外……? 機嫌はいいのだろうか……? 分からん。
再び口火を切る。
「お前の人間時代の知人、ボルネオ爺さんだったんだな」
「……」
「飯なら女神ちゃんが晩飯作ってくれるから。それまで時間もあることだしさ」
「……」
「話を聞かせてくれ」
ヘリアンサスは上目遣いでちらりとこちらを窺って、
「……うん」
とても小さな声で、やっとこ、俺に返事をした。