表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
叛逆のヴァルキューレ  作者: 雪野螢
118/137

第96話

泡沫




『ユーフォ、ほらほら! こっちこっち!』

『何だよ……』

『いいから、早く来て!』


 わたしは東国(ひがし)の姫君としてこの世に生を享けました。

 王室育ちのわたしの暮らしは鹿爪らしさに溢れていて、僅かな時間の隙間を縫っては彼らと集合していました。


『じゃーん! 早速、紹介するね! この子、リナリア! リーナだよ!』

『……』

『あれあれ……? 反応薄い……?』

『紹介するも何もだな……』


 ユーフォとリーナは王家直下の近衛隊の一族で、わたしは王族、そして彼らは二家の貴族の子々でした。

 貴族同士の競争意識で二人は油と水でしたが、実のところは仲良しなのだとわたしは推察していました。


『それにしても……』

『姫様、何か? 忠言でしたらご遠慮なく』

『リナリアなんて、可愛い名前! 女の子っぽい名前よね!』

『あはは! アーネ、言ってやるなよ。そいつ、気にしてるんだから』

『誰が何を気にしてるだと!』

『やるかあ!』

『こらこら、喧嘩は駄目!』


「これは護衛!」と託け、わたしは二人を無理矢理呼び出して、できる限りの三人一緒の時間を、楽しく過ごしました。

 幼馴染みのわたしたちの仲はその後も良好で、わたしにとってユーフォとリーナはとても大事な人でした。


 しかし、ある日。わたしたちの絆は、途絶えてしまいました。

 帝国領への対応如何で王族同士の意見が割れ、祖国の内部で大きな大きな戦が勃発したのです。


 リーナの一家は保守党である国王(ちち)に仕えていましたが、ユーフォの一家は革新党の派閥に専属していました。

 彼らはそれぞれ保革二党の将官として衝突し、多くの兵士を率いながら……戦い、剣を交えました。


『ユーフォ! リーナ! 争わないで! お願い! わたしの話を――』


 ……。


 騎士の二人のその信念は揺るぎがたいものでした。

 もはや些々たるわたしの声など戦場(そこ)には届きませんでした。


 わたしは心を痛めてしまい、祖国(くに)から……遠く離れました。

 国が傾き、民が嘆き、それでも二人は(とど)まらず、わたしはそんな彼らの姿を見てなどいられなかったのです。

 

 東を去って、身分を隠し、とある街へと流れ着き、そこには尊きフレイヤ様の教会堂がありました。

 憔悴しきってしまったわたしは責から逃れた自分を恥じ、フレイヤ様の像のもとで、自ら……命を絶ちました。


 今で尚も天に召されずこの身が残留しているのは、罪悪感が齎すことか、それはわたしも分かりません。

 何十年と月日が経っても東の空を見上げつつ、祖国を思い、わたしはこうして……。


 一人で憂えていたのです。


「……アーネ」


 濡れ羽の鎧の騎士が、わたしの前に現れた。


 ユーフォルビア。兜を外した面貌(すがた)は、昔のままだった。


「ああ、ユーフォ……どうして、そんな……」

「……」

「そんな状態(すがた)に……」

「……」


 ユーフォは既に命を落とし、その身を霊体に変えていた。

 しかし同じく霊体であるわたしと大きく違うのは、彼が世界の理、秩序に背反していることだった。


 再会できた嬉しさよりも、悲哀のほうが勝っている。

 だって、貴方は心も身体も、こんなに……傷めていたのだもの。


「アーネ、すまない……随分、遅れて……」

「ユーフォは何にも悪くないわ……」

「お前も……命を落としてたのか……」

「うん……本当にごめんなさい……」

 

 返り血により鎧が黒ずむ。貴方はそれを嫌っていた。

 だから、元より黒い鎧を。貴方は慈愛に満ちていた。


 ふらりとその身を揺らしたユーフォが、片膝をつき、頽れる。

 彼は呼吸も絶え絶えだった。


 駆け寄ろうと――した瞬間、


「!」


 その場に立ち止まり、わたしは……我が目を疑った。


 フレイヤ様の眷属である、小さな……? 戦女神様。

 そして彼女に付き随って隣りに控えるその人は、年を取って容貌(すがた)を変えた――。


 リーナに他ならなかったのだ。


「リーナ、貴方……」

「アネモネ姫、お久しゅうございます」

「どうして……? どうして女神様と……」

「積もる話は、後ほどにて」


 刹那。さながら獣のような雄叫び声を上げながら、


「リナリア、貴様っ!」


 剣を抜いて、ユーフォが、リーナを……襲撃した。


 同じく抜剣しているリーナはユーフォの剣戟(つるぎ)を受け止めて、互いに何度も打ち合いながら鍔迫り合いを繰り広げた。


「ユーフォ! リーナ! 争わないで! お願い! わたしの話を――」


 ……?


 わたしは思わず声を上げた自分の言葉に、はっとした。

 それは嘗てわたしが発した言葉と、同一だったのだ。


 気付けば、わたしのすぐ隣りには女神様が立っていた。

 両膝(ひざ)をついて、両手を握り、わたしは彼女に懇願した。


「女神様、お願いします! 二人をお止めください!」

「……」

「彼らは、こんな……これ以上は争い合ってはいけないのです!」


「見ていて。二人を信じなさい」と、女神様は返答した。


 そして、わたしは……その双眸に、信じられないものを見た。


「え……?」


 リーナの、その外見が……若返っていたのである。

 それはわたしの記憶に残るリーナの最後の姿であり、当然、ユーフォも彼の変化に両目を大きく開いていた。


「ユーフォルビア!」


 リーナの剣がユーフォの剣を巻き上げた。剣は小高く宙へと飛んで――。


 そのまま落下し、転がった。


「……」


 ばたりと倒れてしまい、ユーフォの動きは停止した。

 彼は満身創痍だった。もはや限界だったのだ。


 リーナが彼へと歩み寄る。わたしは咄嗟に駆け寄った。両者の間に割って入る。


 わたしは、二人に訴えた。


「ユーフォ! リーナ! もうやめて!」

「姫様……」

「お願い! お願いよ……っ!」


 悲鳴にも似たわたしの声に、リーナは剣を下ろしていた。

 大事な二人の幼馴染みが死して尚も争い合い、互いに傷付け合っているのが、わたしは……悲しかったのだ。


「……」


 聞けば、リーナは死没後、エインヘリャルになったらしい。

 祖国はその名を聖王国と改め、栄華を極めたが、帝国領との戦によって亡失したとのことである。


 内乱により戦死を果たしたユーフォはわたしを捜索し、世界の鎖を克服してまで各地を彷徨い歩いていた。しかしここは聖女と呼ばれる女性が生まれた街であり、ユーフォは長らく街の内部に進入できなかったのだ。


 聖女が命を落としたことで、ユーフォは廃教会(ここ)へとやってきた。

 そして、今、わたしたちはこうして再会したのである。


「彼がその身に宿しているのは自縛の才華というものです。皮肉なことに彼の才華は死没と同時に開花を成し、世界の理、秩序に対する背馳を可能にしました」

「……」

「もはやわたしが世界の鎖をこの場で裁断しようとも、貴方の穢れてしまった(こころ)の浄化は、恐らく不可能でしょう」


「貴方は傷付きすぎたのです」と、女神様は付言した。

 ユーフォに救いの道はなかった。


 わたしのせいで、ユーフォは……。


「……」


 若返ったリーナの容貌(すがた)は元の外見(それ)へと戻っていた。

 細くなった老兵(かれ)の両目がユーフォを哀しく見つめている。


 女神様は、わたしの声を聞き遂げ、この地に降臨した。

 この期に及んで、わたしだけが……。


 ユーフォの手甲に、手を重ねた。


「……ユーフォ、わたしも貴方と一緒に、同じ場所へとついていく。王女としての責があるわ。選定なんて受けられない」

「……馬鹿言うな。何のためにここまで来たと思ってる。お前の安否が気懸かりだった。本当に、それだけだったんだぞ」


 ユーフォがわたしの頬を撫でる。

 何だか、とっても懐かしい。


 言葉遣いは乱暴だけど、貴方は……優しかったわね。


「だが、お前がエインヘリャルになるなら、俺は満足だ。本望のまま冥府(むこう)に行ける。そろそろ……安心させてくれ」


 憔悴しているユーフォの声に、わたしは頷く他にはない。


 彼は一拍置いた後に、女神様を一瞥した。


「そこの女神は弟さえも傘下に加えてしまってる。ハーデン、お前も知ってるだろう。兄の最期を伝えてくれ」

「……うん」

「リーナ、アーネを頼む。襲いかかって悪かった。剣を弾かれ、頭が冷えた。お前を恨んでなどはいない」


 小さく微笑むユーフォに対し、リーナも目尻を下げていた。


「お前は騎士で、わたしの友だ」――嗚咽混じりの声だった。


「よもや二度も敗れるとはな。ふふふ、全く……腹立たしい」


 廃教会の穴の開いた天井、空を見上げつつ、ユーフォの霊体(からだ)は消滅した。


 ――静かに、雨が降り始めた。




アネモネ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ