プロローグ
なにが魔法少女だ。
余計なお世話だ。
昨今の日本ではいわゆる男性経験のない女性(三十歳)を指す言葉として魔法少女という言葉が定着しつつある。
三十歳になっても経験がないのは幻に近いものだということかららしい。
悠長に歳を重ねていた頃から見れば自分が魔法少女になるとは思いもしなかった。
周りが結婚出産を迎える中で、なにひとつ手に入れてはいないもので、それに良い男はだいたい結婚している。
姉ちゃんにははやく見つけておきなさい。と言われていたがこのご時世でどう相手を見つけろと?
蔓延した疫病はワクチンにより変動をしてはいるが、未だ終息は見えない。
奮発したホールケーキも食べきれなくなって冷蔵庫へと向かう。
ここはお肌のスペシャルコースをして寝よう。
未来への投資だとはじめた美容品の収集は唯一の楽しみとなっていた。
誰かひとりでいい。
私を愛してくれる人がいてくれたら。
子供は難しいとしても一緒に人生を歩むパートナーはほしい。
寝る準備を終えて寝室へ続く扉を開けたら足場が崩れた。
正確に言えばあるはずの床がなかった。
とっさに掴まろうと伸ばした手は宙を掻き間の抜けた悲鳴とともに下へ下へと落ちていく。
暗闇に飲まれてはいたが体は確認できる。
とくに怪我もなく不思議と怖さは感じない。
暗闇を割くように下から星が上へと流れていく。
星の集合体が体を包みあたりを照らし暗闇が晴れた中から唐突に放り出された。
派手に転んだ腰を摩っていると違和感に気づく。
私を中心に床に光る円状の文字や図形。
周囲には人々が犇めき合いこちらの顔を覗き込んでいる。
その姿はアニメや漫画で目にするような鎧をつけ、その容姿も異国のようだった。
顔を寄せ合った人々の会話の断片から私が召喚されたのだと理解することはできたがこれは一体どういうことだろう。
「……魔法少女にしては些か老けてはいまいか?」
「だが選ばれたのだろう」
こちらを憐みを含んだ視線。
「まあ、魔法少女に変身すれば誤魔化せるだろう」
「そうだな」
ずいぶんと失礼な会話ではないだろうか。
「あの、魔法少女様」
もしかしてこの人私に話しかけているの?
「私たちは貴方様をちがう世界から召喚致しました。どうかこの世界を救ってください」
間違ってない?
確かに魔法少女にはなったけれど私には魔法は使えないし少女でもない。それに冷蔵庫のケーキに差し迫ったクレジットカードの支払いもある。今月の給料移し替えしとかないと止められてしまう。電気ガス水道家賃に携帯。結構死活問題なんですけど。
「私、戻りたいんだけど」
しんと静まり返る。
「……まさか、戻せない、なんて言わないわよね?」
「えーと……」
襟首を掴み上げ詰め寄る。
「おい、さっさと戻せ。こっちは明日も仕事があるんだ。さっさとしやがれ」
「ま、魔王! 魔王なら戻せるかもしれません」
「魔王?」
「こ、この国を滅亡に追いやろうとしているものです」
「だったら今すぐ連れてこい」
「そ、それが」
「魔法少女様」
その一声に当たりのものはいっせいに傅いた。
声を発したのは一際容姿の美しい人だった。
「私はこの国の女王ベアトリス。私からも謝罪するわ。あなたにとってはさぞ驚かれたことでしょう。もとに戻るすべは私が知る限りでは存在致しません」
その後もなにか言葉を連ねていたが、頭を殴られたような衝撃で彼女に抱きしめられるまで意識が消失していた。
「ステッキをこちらへ」
どうぞお取りください。と勧められおそるおそるステッキに触れた指先から身体全体が粒子に包まれる。
歓声に包まれる中を女王様に手を引かれた鏡の中には金色の瞳に赤い瞳の少女がいた。
それは私だって、魔法少女、憧れたわよ?
けれど年齢を重ねたらあれは愛でるもので、孫のように見守るもので、自身がいる立ち位置ではない。
ひらっひらしたスカートも、可愛い靴も、ステッキも。ステッキ。ステッキ。ステッキ。うわっ可愛い。なんだこれは。可愛いを集結させた可愛いさだな。
「魔法少女が誕生した。皆に知らせよ」
いや、だからちがうんです。
私が魔法少女って。
現実との落差があまりにも広い。
沸き立つ群衆の声の隙間で発した王女様の声は耳に残っていた。
「あなたは選ばれし魔法少女です。どうか、この世界を救ってください」
こちとら三十路ですよ。