京都の秋物語
京都の四季をバックに、安奈の成長を描きます。”春””夏”についで”秋”です。
秋深まる京都の街は、古都の風情をより強く感じる季節でもある。
紅葉の色付く京都の観光地は、多くの観光客が訪れる時期で、
北の大原三千院や、西の嵐山・嵯峨野の寺院なども京都の秋を求める人々で一杯になる。
私は京都に住みながら京都の観光地を、あまり訪れた事の無い自分を不思議に思った。
”杉本安奈”25歳。OL生活6年目の私の名前である。
私は、清んだ秋の空が広がる四条大橋の上で、駆け足で過ぎて行こうとする秋を感じていた。
高校3年から付き合って、22歳の夏に死んでしまった”亮太を思って、
鴨川の畔から、五山の送り火を眺めた過去の夏の日を思い出していた。
あれから更に3年の年月が過ぎていったという、時の流れの残酷さと、
彼を失った傷跡を他人に隠し通して、明るい笑顔を保っている自分に不思議な感覚を覚えた。
25歳になった自分を客観的に見ると、亮太と共に無邪気に笑っていた自分の笑顔と、
今の自分の笑顔は、どこか違うように思える。
22歳までの自分は、天真爛漫で開けっ広げな笑顔が出来たのに、
今の私は、何故か作り笑いをしているように感じる。
とりわけ笑った後に、笑顔の裏側に不思議な影が漂うような笑いになる。
笑顔は振りまいているが、心から笑っていないような心境になるのは何故なのだろうと思う。
それは、私が22歳の無邪気な時期を通過して、大人の女性に移行する通過点なのか、
それとも、完全に塞がれていない過去の傷跡から来る憂いの表情なのか解らなかった。
しかし、私は過去を振り返らずに生きて来たつもりだったし、
これからも、自分なりに自分の人生を生きていこうと決意をしていた。
3年前の夏の”五山の送り火”を見ながら私は、祖母に呟いた。
”亮太のためにも、私は明るく生きていくから・・・”と。
その言葉を聴いた祖母は、私に慰めと戒めを込めてこう言ったのを覚えている。
”安奈はん、これからは自分の為の生きておくれやす・・・」と。
私は四条大橋の上で秋空を見上げ、そんなことを思い出しながら自分を見つめていた。
東山の峰々は、薄っすら紅葉し赤や黄色の錦を織り成していた。
鴨川の流れにも、水面に落ちた数枚の紅葉が浮いて流れていた。
京都の秋は、感傷的な心の翳りを映し出す鏡のような季節だった。
私は1年前から趣味で通っている”信楽焼き”の陶芸教室に向かって歩いていた。
私の陶芸の趣味は1年前の私の誕生日に、友人がプレゼントしてくれた焼き物から始まった。
その焼き物の、何とも言えない素朴さと温かさに触れて虜になった私が居た。
そういう趣味に自分が凝っているのも、大人に成長した証拠かなと思って見たりした。
10人ほどの小さな教室だったが、休日の趣味としての陶芸は楽しかった。
単なる粘土から形を造り、乾燥させ、素焼きに焼き上げ、釉薬をかけ、
本焼をして出来上がる皿や花瓶は、私だけのオリジナルになる。
そんな私の作品を使って、私自身が料理や生け花をするのも楽しい趣味だった。
私は、陶芸教室で焼きあがった自分の作品を眺め、満足そうな笑みを浮かべていた。
1200度以上で焼き上げられた”花挿”は思った通りに出来上がっていた。
この”花挿”を、私の祖母の誕生日のプレゼントにしようと、作ったのだった。
私は、その作品を色んな角度から眺め、どんな花が似合うのかイメージしていた。
私の満足げな顔を見て、陶芸教室の若い先生が言葉を掛けた。
「安奈さんの作品は、プロの作品に負けないほどの仕上がりですよ」
先生の言葉に、嬉しくなって私は言った。
「ありがとうございます。私も、陶芸作家に転進しようかな?」
先生は、噴出して笑いながら言った。
「まあ、そんな甘い物じゃないですがね・・・」
私も噴出しながら答えた。
「やっぱりね。そうだと思った」
先生と私は、笑いながら作品の良いところと、失敗だったところを話し合った。
陶芸教室の先生は”村岡新太郎”という28歳の陶芸家だった。
年も若かったので、私にとって先生というより陶芸を教えてくれる友人のような存在だった。
彼は東京出身で京都に住みながら、信楽焼きの作家として少しずつ評価を高める若手だった。
彼は、一見すると陶芸家のような雰囲気に見えなかった。
どちらかといえば、スポーツ選手のような体つきに、甘いマスクが印象的だった。
だから、陶芸教室に通う主婦層からは人気があった。
彼の教室の70人ほどの生徒は、80%が女性である事が、それを証明していた。
そんな主婦層が”韓流ドラマ”の男優のように彼を扱っていたが、
私は、恋愛やアイドル的な対象には全く感じていなかった。
彼の事を、教室に通う熟年の主婦たちは”新様”と、陰で呼んでいた。
彼の爽やかな身のこなしと、耳に心地よいトーンの声は好きだったが、
何処か解らないが、私の恋の対象としてのストライクゾーンからは離れていた。
私は陶芸教室が終わると、来週の祖母の誕生日にプレゼントする”花挿”の、
化粧箱を買うために四条河原町方面に歩いていた。
その時、私の携帯電話が鳴った。
知らない番号だったが、私は恐る恐る電話に出た。
それは、陶芸教室の講師の村岡新太郎からだった。
彼は、突然電話した非礼を謝り、私に電話を掛けた理由を話した。
私の財布が、教室に忘れているとの事だった。
来月の月謝を払う為に出した財布を、自分の作品の出来栄えに夢中になって、
机の上から、すっかり入れ忘れたようだった。
私は、陶芸教室に慌てて取りに戻った。
村岡は帰り支度をしながら笑顔で私に、忘れ物を渡した。
私が礼を言って教室を出ようとしたとき、彼は私に声を掛けた。
コーヒーでも一緒に飲まないかと言う誘いだった。
私は、折角の彼の誘いだったので軽い気持で承諾した。
四条通に面したコーヒーショップに彼と二人で入り、私は彼にジョークを言った。
「先生。こんなツーショットを生徒の主婦たちが見たらパニックになりますよ」
彼は、とぼけた表情で答えた。
「ええ、何故ですか?」
私は、笑いながら言った。
「だって、40代以上の主婦の生徒さんは、先生の熱烈なファンですからね」
彼は、照れくさそうに言った。
「僕は、やっぱり40歳以上の女性にしか人気が無いんでしょうかね?」
私は、とりあえずフォローを入れた。
「結構、先生の笑った笑顔は”韓流スター”よりも素敵かもって、私も思いますよ」
彼は、私を見ながら言った。
「安奈さんの、ナイスフォローに、今日のところは感謝しておきます」
二人は、笑いながら運ばれてきたコーヒーを飲んだ。
私は、陶芸を指導する教室での彼のイメージと、コーヒーを一緒に飲む彼のイメージが、
何となく重ならないような気がしていた。
陶芸教室を出て、プライベートな時間に戻った彼が本物の彼なのだろうかと私は思った。
しかし、私は笑って話す彼の顔の表情を見ていて、何か引っ掛かる感覚を感じた。
無防備に笑っているのだが、何か心の底からの笑顔ではなかった。
私は、彼の表情を細かく観察していたが、その違和感の原因を突き止めた。
それは、彼が笑い終わる瞬間、彼の口元に、ふと淋しい影が浮かび上がる事だった。
私は机の上に置いた、彼の携帯電話のストラップに目を止めた。
その小さなストラップには、先っぽに小さな金属のプレートが付いており、
そのプレートにはプリクラの写真が貼り付けてあった。
二人で撮ったプリクラの写真は、笑顔の彼と女性が映っているのが見えた。
私は、軽い気持で彼に尋ねた。
「そのストラップのプリクラって、先生の彼女なんでしょう?」
彼は、一瞬何故か固まり、ストラップに目を移して答えた。
「うん。・・・だったんだけどね。過去の思い出になってしまったんだ」
私は、彼の説明に興味が湧いて尋ねた。
「もしかして、陶芸ばかりしてて、彼女に振られちゃったん?」
彼は、少し考えてから言った。
「彼女の人生に振られたと言うのかな? まあ、振られたことには変わらないな」
私は、意味が解らない彼の答えに、突っ込んだ。
「彼女の人生に振られたって、どういう意味なんですか?」
彼は、少し口ごもったが、ストラップを見て静かに言った。
「2年前の冬、彼女は白血病で死んじゃったんだ。だから、僕は彼女の人生に振られたんだ」
私は、唖然として言葉を無くしてしまった。
私は、聞かないで良い事まで聞いてしまったという、自分の軽薄さに後悔した。
そして、彼の悲しそうなストラップを見る目に、過去の自分の悲しみを重ね合わせていた。
彼はストラップを裏返し、私を見て淋しそうに笑った。
私は、3年前に彼氏である亮太を交通事故で亡くした傷跡が、
心の奥底では癒えていないことは、自分でも知っていた。
そして、村岡の彼女である女性の病死も、村岡の心に大きな傷を作っているのを知った。
似たような境遇の彼が、笑った後で淋しい表情をする出所を知って、私の心が痛んだ。
私は、私の過去の悲しみと、村岡の過去の悲しみに不思議なシンパシーを感じた。
そのシンパシーは、同じ痛みと傷を持つ彼と私に、共通の話題を提供する事になった。
私は随分と迷ったが、彼に私自信の過去の悲しみを長い時間をかけて話す事にした。
彼は悲しそうな目をして、私の話しに相槌を打っていた。
彼も、自分の過去の彼女の運命を、私に時間をかけて話してくれた。
二人の悲しい過去の物語は、お互いを知り合うには有意義な接点だった。
私は、彼に言った。
「でも先生の人生は、亡くなった彼女のものとちゃうし、先生は先生の人生やん」
「考えていても彼女は戻らへんし、先生も前に歩かないと、あかんしね」
「私は、いつも明るい笑顔で歩いていくことが、私の為やし、過去のためやと思ってる」
「あらら、年下の私が、生意気で偉そうなこと言って済みません」
彼は、私を見て言った。
「いやいや、安奈さんの言うとおりだと思うよ。頭の中では解ってるんだけどね」
「でも、安奈さんからハッキリ言われて、何か吹っ切れたような気がするな」
「誰かに言って貰わないと、だめな事って人間あるんだよね」
「いやいや、安奈さん。ありがとう。僕も、頑張ってみるよ。君のように・・・」
私は彼の言葉に、自分自身の傷跡も救われたような気がした。
彼に反論されたら、私の傷跡も再び口を開くような気がしていたからだ。
彼と私は、知らない間に共通の秘密めいた過去を共有することになった。
彼と私は、その過去の共通点によって、何かが繋がっていくような予感がした。
私は、その時、亮太を亡くした3年間を心の中で振り返ってみた。
彼と過ごした4年間の想い出は、確かに私の心の中のアルバムからは消えていなかった。
そして、私なりに祖母の言葉を理解して、3年間は笑顔で過ごしてきたと思った。
あの時の悲しみや絶望感は、祖母の家の座敷で長い間泣くことによって癒された。
あれ以来、祖母の家の座敷で泣いたことは無かった。
その時、祖母は私に、泣きたい時は祖母の家に来て思いっきり泣くようにと言い、
人前で色んな人を心配させるような涙は、見せないようにと言った。
そして祖母は、人前で常に明るく微笑み、強い自分の意思を持ち、他人に涙を見せない、
そんな素敵な京都の女性に成る様にと言ったのを、今でも心に強く焼き付けている。
11月最後の金曜日、私は仕事を終えて家路に着いた。
明日と明後日は会社も休みなので、買い物にでも行こうと考えながら歩いていた。
携帯電話が鳴り、私は携帯を開いた。
陶芸教室の村岡からの電話だった。
彼は、先週のお礼を手短に言って、言葉を続けた。
「安奈さん。明日の土曜日から僕の作品を窯に入れる準備するんだけど、見に来ませんか?」
私は、自分の買い物と陶芸の登り窯を天秤に掛けて、登り窯を選んだ。
「はい、是非連れて行ってください。何処まで行くんですか?」
彼は、京都市内から40分ほどの都市の地名をあげた。
「亀岡市に僕の師匠が登り窯を持っているので、そこで焼こうと思います」
私は、自分の住む西京区からだと20分の距離であることに気づいた。
翌日は、家に近い9号線沿いの喫茶店で、彼に拾ってもらうことにして電話を切った。
実際の登り窯を見たこと無かった私は、登り窯を見る事にワクワクしていた。
私は彼に会える事に、心がウキウキしている自分には、まだ気づいていなかった。
翌日、彼のワゴン車は、私の待つ国道9号線沿いの喫茶店に、時間通り到着した。
彼の車の助手席で、紅葉に彩られた山々を見ながら、登り窯のある山里を目指した。
登り窯に到着するまで、彼は登り窯のある亀岡市の歴史や風土を私に説明した。
私は歴史に興味は無かったが、聞いた事のある武将や偉人の名を聞いて、
興味深い土地であることに気づいた。
700年ほど前の鎌倉時代末期に、足利尊氏が亀岡の八幡宮で挙兵して、
京都に攻め込み、建武の中興を足がかりに室町幕府を築いた事や、
400年ほど前に、本能寺の織田信長を討つため亀岡の居城から、
明智光秀が出陣した事など、歴史好きな彼は私に話をしてくれた。
そして、襖絵で有名な円山応挙や石門心学の石田梅岩も、亀岡出身であると教えた。
やがて、なだらかな山の中にある、登り窯のある大きな工房に到着した。
彼の師匠という50歳前後の陶芸家が、人のよさそうな笑顔で迎えてくれた。
早速、私は登り窯に案内され、煉瓦で作られた大きな窯に感動した。
廻りには、松を割った木材が山積みされ、綺麗な工房には多くの焼き物が並んでいた。
彼と師匠は、今回窯に入れる焼き物を一つ一つチェックして見ながら、
窯に入れる段取りや工程の打合せを始めた。
私は、雑木林に囲まれた広大な工房を眺めながら、空気が澄んでいることに気づいた。
赤や黄色に変色した落葉樹の林は、コバルトブルーの空をバックに、
絵画のように鮮やかな色を織り成していた。
その師匠の工房は、登り窯やギャラリーも素敵な施設だったが、
宿泊が出来る大きなログハウスも備えていた。
そのログハウスで、師匠が入れてくれたコーヒーを飲み、
彼と師匠から、陶芸の醍醐味や専門的な知識を聞きながら時間を過ごした。
その時、私の目に止まったものがあった。
彼の携帯電話が机の上に置いてあったが、例の彼女の写真を貼ったストラップが無かった。
彼が、あの日以降にストラップを外した事を意味していた。
私は、彼が過去を見ないで未来を見つめて歩き出した事を悟った。
私は、帰りの車の中で彼に言った。
「彼女のストラップ、外しちゃったんですね?」
彼は、運転しながら少しだけ私を見て言った。
「うん。彼女の思い出の有る品は、全て処分しようと思ってね・・・」
私は頷いて言った。
「私も、明日の日曜に、3年前までの想い出は箱に仕舞ってしまおうかって思ってるんです」
彼は、暫く無言だったが、思い直したように言った。
「お互い、古いコートは脱がないといけない時期かもしれないしね」
私は頷いて、彼の横顔を見つめた。
彼は私の視線に気づいたのか、私を見て優しく笑った。
私は、その彼の笑顔の後に現れる、淋しそうな表情を探していた。
しかし、今日の彼の笑顔は笑顔のままで、今迄の翳りは消えたように無くなっていた。
翌日の午後、私はいつものように陶芸教室に行った。
相変わらず”新様”は、主婦層の人気を独り占めしながら指導に当たっていた。
教室が終了した時、彼は私にコーヒーショップで待っているようにと言った。
私は、言われた通り以前に行った店でコーヒーを飲みながら彼を待った。
彼は10分後に、走ってコーヒーショップに現れた。
待たせた事を詫びながら、彼もコーヒーを注文しテーブルに座った。
彼は、今から私の予定があいているようならと言って、
清水寺の紅葉の夜間ライトアップを見に行こうと言った。
私は彼の誘いを受け、清水寺のライトアップに付き合う事を承諾したが、
東山の祖母の家に、私の焼いた信楽焼きの”花挿”を、
祖母の誕生日プレゼントとして持っていくので、長い時間は無理だと言った。
彼は了解し、短時間で帰ることを約束した。
私達は八坂神社から東大路通を南に歩き、清水道の交差点から東に折れ、
清水寺の参道を目指して歩いた。
夕刻を過ぎ、薄暗い空に清水のライトアップが遠くからも見えていた。
清水寺周辺はいつもと違う幻想的な風景に見えた。
私は、清水の急な参道を登りながら、ライトアップのスポットライトが
綺麗に京都の空に映るのを見ていて、石段に躓いてしまった。
前のめりに倒れそうだった私の腕を、彼が危うく掴んで倒れるのを止めてくれた。
彼と私は、その手と手の触れあいが切っ掛けで、自然に手を繋いでいた。
彼は、私の右手を自分の左手で握ったまま石段を登って歩き、
私は、彼に手を握られたまま、俯き加減で手を引かれて付いていった。
彼の信楽焼きを作る手は、とっても優しそうで繊細な手だと思っていたが、
私の手を握って歩く彼の手は、とっても大きくて、温かい手だと感じていた。
清水寺は煌々と1000本の紅葉がライトアップされ、
幻想的な雰囲気で佇んでいた。
光を浴びた三重塔や清水の舞台が、いつもと違ったイメージで、
私の目に飛び込んできた。
清水の舞台に立って紅葉を眺め、眼下に広がる夜景の中に、
京都タワーの赤いライトが輝いていた。
清清しい目で景色を見つめる彼の手を握ったままで、私は不思議な感覚を感じていた。
彼と一緒にいる時、私の心が何故か落ち着いている事を感じ始めていた。
私達は、清水寺を15分ほどで切り上げ、坂を下りていった。
祖母の家に行く私を気遣って、彼が早めに切り上げてくれたからだった。
急な下り坂も、彼は私の手を握ったままだった。
私も、彼と握った手が不愉快でないのは、彼の事を気に入っているのだろうと自覚した。
彼は、歩きながら私に言った。
「昨日、僕は信楽焼きの師匠を、安奈さんに会わせただろう?」
私は、頷いて答えた。
「うん。気さくな人やったね」
彼は続けて私に言った。
「今度、機会があれば安奈さんの、おばあちゃんに会いたいな」
私は、驚きながら質問した。
「ええ?何でなん?おばあちゃんは何の師匠でもないけど」
彼は、前を見ながら言った。
「僕は、こんな素敵な安奈さんを育てた、おばあちゃんに会ってみたいと思ったんだ」
「だって、安奈さんから聞いた、おばあちゃんの言葉がね」
「まわり回って僕の心に、過去を捨てて、自分の未来を作れって言ってくれた訳だし」
「間接的に、安奈さんのおばあちゃんは、僕の師匠であるわけだ」
そう言って、彼は面白そうに笑って歩いた。
私は、私に言われた祖母の言葉を、彼にアドバイスした事で、
彼の心の中の錆付いていた何かが動いて、彼の未来を変えたのだと感じた。
そして祖母の言葉が、彼と歩く切っ掛けを作ったのだと思った。
私は、彼と手を繋ぎながら歩く内に、昔からこうして歩いていたような錯覚を覚えた。
私の自覚している意識を通り越して、何かが私と彼の手を繋がせているような気がした。
彼と私の間にある、自然の成り行きのような運命は、
無意識のうちに二人を動かしだしたように思った。
私は歩きながら彼に言った。
「ほんなら、今から祖母に会いに行きます?」
彼はビックリして答えた。
「いいんですか?一緒にお供させてもらって」
私は、頷き彼の顔を見ながら言った。
「その代わり、祖母に叱られても知りませんよ。孫娘をたぶらかしてって言われて・・・」
彼は、珍しくムキになって言った。
「たぶらかしてなんかいませんよ。真剣に安奈さんと・・・」
そこまで言って言葉を止めた彼の顔が、シマッタと言う表情を見せた。
私は笑って誤魔化したが、胸の何処かで心臓の音が高まるのを聞いていた。
妙に汗ばんだ彼の手が、私の手を通して彼の緊張を伝えていた。
そして私は、そのあと思った。
それは、私の緊張した掌から出た汗だったのかも知れないと思った。
祖母の東山の家の古い格子戸を開けると、家の中から祖母が顔を出した。
祖母は、見慣れない若者と訪問した孫娘の顔を見て怪訝な表情をした。
玄関先で彼は、初対面の挨拶を丁寧にして、突然私と尋ねた非礼を詫びた。
私は、祖母の顔と彼の顔を見比べながら、心の中で楽しい気分になっていた。
祖母は、彼と私を座敷に通して、座敷机の床の間側に座布団を置き座らせた。
彼は、見たこと無いような恐縮した態度で座り、しきりに頭を下げていた。
祖母は、熱い番茶を入れてから反対側に座った。
私は、もう一度、彼と祖母を紹介し、彼が祖母に会いたいと言った経緯を説明した。
祖母は口を開いた。
「そうどすか。村岡はんも、辛いことがおましたんやなあ」
彼は、緊張しながらも答えた。
「安奈さんに指摘されて、気持の切り替えが出来たところです」
祖母は彼に言った。
「それは、安奈が、あんさんを通して、自分への戒めに言った言葉でっしゃろな」
「わても、安奈に言った事は、わてへの戒めやったと、今では思うとりまっさかいにな」
彼は頷きながら答えた。
「何れにしろ、その言葉で救われた僕には、大変有り難い言葉だったと思います」
祖母は微笑みながら言った。
「まあ、なんぼ忘れようと思ても、悲しい過去は忘れられまへんもんどすさかいにな」
「せやけど、前を見る自分が、後ろを見る自分に勝てたら、歩いて行けまっしゃろ?」
「それを自分で片付けなあきまへん。人生はそういうもんどす」
彼は、真剣な面持ちで頷きながら祖母を見ていた。
私は、祖母に叱られているように感じながら、正座をして聞いていた。
祖母と彼は、長い間、そんな話をしながら時間を過ごしていた。
私は、祖母の家に来た本来の目的を思い出し、祖母に誕生日プレゼントを渡した。
私の作った信楽焼きの”花挿”は床の間に飾られ、祖母は玄関先から花を摘んできて挿した。
祖母は、一輪の小菊と山茶花を私の”花挿”に生けて、眺めていた。
祖母は、信楽焼きで作った孫娘の作品を褒め、彼も釣られて私の作品を褒めた。
私は、そろそろ祖母の家を出て帰ることにし、祖母と彼を促した。
祖母は私に一言だけ訊いた。
「安奈はん。あんさんは今年で、歳はなんぼに、ならはったんどす?」
私は、深く意味も考えずに祖母に答えた。
「この10月で25歳になったんよ」
そして、私の言葉には答えず、祖母は最後に彼にポツリと言った。
「村岡はん。安奈はんを、宜しゅう、お頼申します」
彼は、祖母の言葉に戸惑いながら、忙しく頭を下げて言った。
「こちらこそ、これからも宜しく、お願いします」
私は彼を見ながら、結婚の挨拶に来た男性が緊張しながら女性の家を去る光景に見えた。
私は、そんな光景を見ながら何だか可笑しくて仕方なかった。
私達二人が見えなくなるまで、祖母は綺麗な姿勢で格子戸の前に立って見送ってくれていた。
私は、何だか祖母と過ごした時間が、一層彼との距離を縮めてくれたように感じた。
彼は深く一度だけ、大きな溜息を付いて、まっすぐ前を見て歩いていた。
私は彼と一緒に、石畳の細い路地を歩きながら、
彼と歩調を合わせている自然体の自分がいる事に気づいていた。
私は、今日を境に自分の進むべき方向が、ぼんやりと路地の向こうに見えるような気がした。
最後まで、読んで頂いて感謝します。