~少年期 stand by me 後編 ~
あれから色々ありながらも、いつの間にか俺達は六年生になっていた。
浩二、雅也、武志。
チャリの改造も限界を突破し、デコチャリの領域に到達していた。
相変わらず浩二はアホみたいな少年野球を続けていたのが俺は歯がゆかった。
だってさ。
何が面白くて、羽鳥達ダサ坊にシゴかれながらも続けんの?
俺の思想に反する浩二は理解不能だった。
当時の学校は週休二日ではなく、土曜日も登校日だ。
でも浩二は俺達と遊ぶ事を自分なりに最優先してくれてたんだと思う。
土曜日は、よくお互いの家に泊まった。
当然、雅也も武志も来ての『プチ合宿』だ。
実は俺達はこの頃から、いわゆる『族車』。
暴走族の車やバイクに傾倒してたんだ。
ウチの親父が、俺達が五年生の頃に、謎の『首都高ドライブ』に連れてってくれた。
常磐道を抜け、三郷の料金所に到達したら・・・・・
見渡す限りの族車の群れ。
その族車達は我が物顔に道路を占拠し空ぶかしをしてる!
デッパ、タケヤリ、ワークスにぶっといタイヤを履かしてる!
俺の感想。
『衝撃』。
運転してんのは、ビーバップに出演してるような人達。
その世にも不思議な車達は、首都高も片側車線を占拠し、大渋滞を巻き起こしていた!
今考えたら、この集まりは『富士グランドチャンピオン最終戦』。
通称『グラチャン』。(詳しくはggrks)
見たこともないそんな車に、テンションは急上昇した。
直管の音。
物凄く心地良かった。
それは今も変わらないが、俺にとっての直管の音は、ギターから弾き出されるサウンドと同意義で、きっと俺が生きてる限り終わる事はないんだと思う。
この音が鳴り止んだら、俺の中の『ロックンロール』が停止し、生きてても死んだも同然である。
呼吸が止まったように。
そんなこんなで、俺達は族車に開花し、雑誌『チャンプロード』や『ライダーコミック』、『ヤングオート』などを買い漁り、研究する。
プラモもかなり作った。
部屋のカラーボックスにズラリとディスプレイ。
この頃からすでに自己顕示欲の塊だ。
もう進路は決定したようなモンだ。
浩二と俺の夢は、
『将来、こんなバイクや車(族車)に乗る!』
だった・・・・。
『プチ合宿』で議論される事は、将来の愛機についてや、中学校に上がったら着る『変形学生服』の事ばかり。
あとは、浩二には五つ上の兄貴がいて、その兄貴からせしめてきた暴走族のビデオ観賞。
普通は初恋の十個や二十個はあんだろうが、そんな事も忘れる位に『ヤンキー道』は魅力だった。
勿論、抜かりなく、拾ったエロビデオで一通りの突出した性教育は済ませてたので、残るは実技のみだったので余裕だ。
そんな俺と浩二は同年代がスゴく陳腐に見えた。
俺達の服装は、浩二の兄貴経由で入手したボンタンに上は赤や紫のトレーナーにMA1。髪型は角刈りをチョイ伸ばしてのプチリーゼントでとても小学生には見えなかった。
同級生達はよくわからないモッサイ格好をしてた。
話など合うはずもない。
勿論、このようなデンジャラスな服装にはリスクが付きまとい、中学生にも睨まれる存在になってた。
散々年上と揉めた俺と浩二だ。
しかし、浩二は少年野球をやっていた為、年上の懐に入るのが上手かった。
ヤツなりの処世術だ。
この浩二の所作が、何度もピンチを救ってくれる事となる。
普通、小学生時代の友人は、コンビニの棚のように入れ替わってくが、俺達はいつも四人だった。
これから波乱の中学に上がる。
出島村立南中学校。
この中学校は、俺達の美並小の他、牛渡小、下大津小、宍倉小の四つの小学校が集合する。
新たな世界が広がる。
様々なクセモン共。
でも何も怖くなかったんだ。
浩二がいたからな。
《夜が来て
辺りは暗く
月明かりしかない時でも
恐れない 俺は怖くないよ
オマエらが側に居てくれんなら
友よ 友よ 側に居てくれないか?
ずっと・・・・
側に居てくれ
もし俺達が見渡す空が 崩れて落下してきても
山が崩れて 海へ消えちまっても
俺は泣かねぇし 涙もこぼさねぇ
オマエらが側に居てくれんなら
友よ 友よ 側に居てくれないか?
ずっと・・・・
側に居てくれ
オマエが大変な時はいつでも 俺を頼ってくれよ
いつでも頼ってくれ》
RESPECT SONG 『stand by me』Ben E.King