表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
期待ハズレの物語  作者: 梅屋卓美
1/12

~生誕 幼年期 part1~

此処に物語を書して行きたい。


誰も興味はないであろう俺の自伝。


かなり変わった俺の生き方が、迷い苦しみ悩んでる方のほんの少しの参考と、ヒントになればと思う。


人間は誰しも物語になる。


世に出るか出ないか。


有名か無名か。


そんな事どうでもいい。


シリーズを通し、皆様の中にどう残るか。


どう映るか。


40数年の茨城県の風変わりなジジイの、期待ハズレの物語にお付き合い頂ければ幸いです。


それでは最後まで。







1977年8月24日。早朝。



俺の出生地は、茨城県友部町。

戸籍上はそうなってる。しかし勿論記憶はないし、どうでもいい。母が俺を出産する時付き添ったのは、母方のばあちゃんと実の姉ちゃん。母が分娩室に入る時、当時4歳の姉ちゃんは、担当医に、


「どうかウチの母上と産まれてくる弟をよろしくお願いくだされ」


と、言ったらしい。



・・・・・・・・。


やはり当時からおかしかったようだ。


俺の名前の候補は3つあったらしい。


1 健太郎


2 慎吾


3 卓美


である。


母は1押しだったらしいが、父のごり押しにより3の卓美で決定。この名前で俺の怪奇な人生スタートだ。


とにかく梅屋家は当時、茨城県内をアッチコッチ転々としていたらしく、一ヶ所に落ち着かなかったらしい。

父の仕事の都合もあったのだろう。


この今は亡き俺の実父は、重度の酒乱で、暴れだすと止まらなかったらしい。


しかし幼すぎた俺の記憶にはないが。


母は殴られ、幼い姉ちゃんは、さらに幼い俺を抱き震えていたらしい。普段は温厚で優しい人だったらしいが、酒を飲んだら180度のフル加速!暴虐の限りを尽くしたらしい。



梅屋家は女が強い。


根底の部分はそうゆう事。


そうゆう修羅場が毎日なのだから・・・・。


母と姉ちゃんに比べたら極妻などカワイイもんである。


なんせ男に媚びず、男の傘の下で強がっている訳ではないのだ。独自の社会的地位と収入。

所詮 男のアクセの極妻など母と姉ちゃんの足元にも及ばない。


性根が違うのだ。


話を戻す。



そんな酒乱の父も、俺が3歳の時に飲酒運転の自爆事故で他界。先日俺は飲酒運転で検挙され、裁判所に行くとき父が飲酒運転で亡くなった事故現場の前を通った。


因果なモンである。


飲酒での死亡事故は当然保険金も下りない。


母の心情を考えてみる。



いくら酒乱とはいえ、普段は温厚な父。母も殴られながらも一緒にいたのだから其処に愛はあったのだ。


朝までは元気だった。


しかし、数時間後には血塗れで動かない。


どうゆう事だろう?


俺からすれば、想像を絶する。


まだまだ女性が社会に出て、バリバリ働く時代ではなかった昭和だ。途方に暮れた母は姉ちゃんの手を繋ぎ、乳飲み子の俺を抱え何を考え、思ったのか。


その頃からちょっと物心がついた俺。


3人での暮らしが始まる。


その頃の梅屋家の住まいは、阿見町 烏山(からすやま)団地。6畳と3畳の2DK。母は内職をしてた。

勿論それだけでは生活は無理だったろうから国からの補助もあったはず。相当苦しかった筈だ。しかし親子3人仲良くくらしていた。


その頃、俺は生まれて初めての喧嘩をする。


俺4歳。



ある日、姉ちゃんと二人、団地の裏で砂遊び&泥遊びをしてた。すると四人組の悪ガキ軍団がせせら笑いしながら、確かこんなセリフを吐きやがった。


「オイ!ミナシゴ姉弟!貧乏クセエ遊びしてんな!」


と。


悪ガキ軍団の前に震える俺を守ろうと立ち塞がる姉ちゃん。


すると、


バシーン!


悪ガキ軍団の一人が、姉ちゃんの顔面にサッカーボールを投げつけたのた!


俺の中の癇癪玉(かんしゃくだま)が爆発した!


「殺してやる」


ソイツに飛び掛かり、手の平大の石を顔面に叩きつけてやった!悲鳴を挙げる悪ガキ軍団。慌てて止める近くにいた大人達。


結局ソイツは7針縫う程度の軽症で済んだが、母は相当嫌な思いをした筈だ。下げたくもない頭を下げ、治療費も支払ったろう。俺もいたたまれないが、ソイツが姉ちゃんにした行為は万死に値する。しかし母は


「次は素手でやれ」


姉ちゃんは


「次は釘で強化したバットにしよう」


だった。



・・・・・・・・。




それから、嫌、それ以前に俺達家族は、蔑まれた目線には慣れていたのかも知れない。



羨ましかったのは、親父と遊んでいる同年代の子供達だ。


「なんで俺には父が居ないんだろう?」


幼い俺には分からなかった。

母によく言っていた。


「俺の父さん何処なの?」


と。


すると母は小さな仏壇を指差し、


「此処にお父さんいるよ」


と返してた。


母も困ったと思う。


しかし俺もスゴく困っていた!


オモチャが大量に欲しかったのだ!


当時の茨城県南地区在住の方なら分かると思うが、2トントラックにオモチャを満載し、売り歩いていた謎のオヤジがいた。

そのオヤジのトラックが音楽を鳴らして走って来ると、チビッ子達が大量に群がり、親に買ってもらってた。


俺は号泣し、母にねだったが無理だった。


だって超絶貧乏なのだ!


ケチって買ってくれないんじゃない。


金がないのだから・・・・・・・・。



でも、母方のばあちゃんが遊びに来た時は別だ!


ミニカー、プラモ何でも買ってくれて、気分は『王公貴族』である!

叔父さん(母の弟)が来た時も同様で、やはり何でも買ってくれた。子供の欲しがる物などたかが知れてるが、子供心にありがたく、感謝の気持ちは未だに忘れない!


しかし、不思議な事に、姉ちゃんが物を欲しがっている所を俺は見た事がない。只の1度も。


大人になってこの事を姉ちゃんに追及した事があるが、亡くなった父が姉ちゃんを溺愛していて、既に当時大量のオモチャを蓄えていたらしい。



だからか・・・・・・。



子供時代から抜け目ない人である。




丁度その頃からだ。



謎のおじさんが頻繁に梅屋家に出入りするようになったのは・・・・・・。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ