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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
1章 コンニチハ、世界
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【5】似て非なる存在




 ――さて、と……。


 この世界で土地勘のない、しかも見知らぬ(いえ)にお邪魔した私が好き勝手に城内を動き回れるほど、恵まれた待遇を受けているとは思えない。


 食器が片付けられていく様をぼんやりと眺めながら、これからの予定を考える。


 アリーシャや調理人達の仕事の手を止めるわけにはいかないので、食事時はともかく他の時間をどう過ごそうか考える。けれど同じ場所に留まっていても考えは纏まらず、ひとまず部屋を出ようとしたところで慌てた様子の声に引き留められた。


 振り返ると、私をこの世界へ連れてきた張本人の目が微かに潤んでいる。



「ごめん! 本当に悪いんだけれど、これから用事で離れなくちゃあいけなくて……。でもメイドが来てくれるから君はここに居て。本当は部屋に連れ込みたうっふぉっ!」


 最後のおよそ健全とは言えない発言に、私は容赦なく彼の鳩尾に拳を打ち込む。


「うん……なかなか逞しいね、君」


『ごめんなさい、つい』



 思わず手が出てしまったけれど、込めた力の強さはそれで済むレベルではないはずだ。

 少し屈んだ彼から、冗談なのに……という声がボソリと聞こえた。


 まあ、でも好機だわ。



『いい。待ってる』


「うん。本当に悪いね。――――あ。でも勝手に城内を歩き回ったらダメだよ?」



 私からの返事にどうしてか子どもに注意するような言葉を残し、彼はすっ飛んで行ってしまう。


 しめしめ――――。


 一人になったことを絶好の機会と取り、私は扉を開け廊下に視線を巡らせた。

 辺りに人の気配はない。



『よし。それでは、しゅっぱーつ』



 小声で自身に合図を送り、まるで探険だな、と胸の高揚を抱え適当な廊下を進んでいく。



 それにしても、あの大始祖様は本当に何者なのだろうか。


 あの時、まるで何もかもがお見通しかのように、私が食べない理由を代弁するタイミングは絶妙だった。

 ぼさっとしていて冴えないおっさん風なのに、ああいう口調なためか、相当な歳を重ねているように想像してしまう。


 きっと、彼のような風体を賢者と言うのだろう。と何も考えず物語内のキャラクターを個人に当てはめて見てしまう。


 物心ついて直ぐの幼少期から、虚構の物語に影響された私の思考は単純だった。

 まあ、この状況そのものが自分の妄想である可能性だって捨てがたいけれど。



『今はこの瞬間を楽しもうではないか、我よ』



 寝ていた部屋もそうだが、廊下の装飾に至る細部まで自分の知る中世西洋の装いなので、どうしても言葉や歩き方が西洋貴族を意識した調子になってしまう。

 ちなみに西洋貴族がどのような話し口調だったのかは、私の想像の域を出ない。



『誰か。大始祖様について詳しい人はいないかな』



 暫く歩いていたのだが、一向に誰とも出会さない。

 人の気配が微塵もないというのは、もはや入ってはいけない場所まで来てしまったとしか思えない。


 後ろを振り返る。大丈夫だ。

 前後左右どちらから来たかは分かるので、戻る方向を間違えることはない。ただ、ここからどう進んでいいのか分からないだけだ。


 訊ねる人すら見つからない、無人の廊下へ来てしまっただけである。



『これ、絶対怒られるやつだあ』



 何に対する喪失感なのか、自分の口から出た声に抑揚はなかった。


 進むか戻るかの二者択一を小股で歩きながら自身に課すと、少し先の曲がり角の向こうから人のヒソヒソとした話し声が聞こえてくる。

 声の不鮮明さからして、こちらから距離はだいぶ空いているようだ。


 メイドさんかまたは他に見知った人であるかどうか、そーっと覗いて確かめた。


 最初に目に入った姿は、先程とは違って白衣に身を包んだ大始祖様の背中だ。


 他二人は顔をこちら側に向けているが、大始祖様に阻まれ見つかる心配はない。

 片方は、軍服姿で軍人らしい話し方をする男。もう片方は、いかにも思考回路が軽そうな若い男だった。そして更にもう一人、大始祖様のそばに控える男は直立不動を貫いている。


 最初は隠れることに夢中で何を話しているのかなんて分からなかったけど、それも落ち着いてくると次第に僅かだが聞き取れるようになってきた。



「……本当にこんな方法で?」


「大丈夫だよー。たぶんねー」


「その、多分を付け加えないでもらっていいッスか? すっげー不安になる」


「まあ、いざとなれば兄が何とかするでしょー。あの人は、相手を説き伏せることに長けた言霊師だからねー」


「言霊師とは恐ろしいな」


「言霊師ってなんスか?」


「あくまで物の例えだよー。気にしないでー」


「あとで古書館で調べてこよっと!」


「出入り禁止じゃあなかったのか?」


「え? そうなんスか?」


「なぜ当人のお前が知らないんだ……」


「まあ、お前はそういう奴だー。とりあえず荒らさないでねー。片付けが面倒だからさー」


「いや、オレ荒らしたことないッスよー!」


「良いから帰るぞ。じゃあな、シーモス」


「博士バイバーイ♪」



 ……博士? ……シーモス?


 誰と話しているとか兄がどうとか気になる点はいくつかあったが、聞き覚えのない名前を一つ出して去っていく二人の後ろ姿にホッと胸を撫で下ろす。

 そして、潜めていた息をつい漏らしてしまった。


 次の瞬間まずいッ――と気付き、慌てて口を押え忍び足で引き返そうとする。



「はあ。全く……脳天気なやつらだ。そうは思わないかい? 特異の姫さまー」



 ヒッ……! 気付かれてる⁉︎



『――……え。あ、いや……特には……』



 驚いたが、気付かれてしまったものは仕方ないので隠れるのはやめ、曲がり角から姿を見せる。



「そうなの? 来た時から特異な効果を発している君が?」


『誰?』



 振り向いた白衣の男は――――今朝見た大始祖様とは少し雰囲気が異なる。そんな相手に違和感を覚え、警戒と緊張で自分の喉が締まる。



「へえ? 本当に何とも思ってなさそうな顔だね。特異な力を持つ者は、大概が傲慢で高慢な人格を恥ずかしげも無くひけらかしているけれど。兄然り、僕然り。――――それとも、何も知らないだけか……」



 一人でブツブツ言いながら近付いてくる相手に身体が竦み、本能的に逃げようとした足は一歩半下がったところで動きを止めた。



「君を研究したくなってきたよ」



 いよいよ逃げるべきだともう一歩下がったところで、相手の背後からヌッと現われた何かが白衣の肩を鷲掴みする。



「ダメ。博士。多才人。怒る」


「ああ、そうだったねえ。ロベルトの仲介が必要だったんだ。兄の小言もきそうだし……ねえ? ロベルトは一緒じゃあないの?」


『え? う、うん……』



 どうして彼を介さないといけないのだろうか?

 目の前で考えに耽る相手の言葉に疑問を感じつつ、さっき盗み聞きした名称を口にする。



『さっき兄って言っていたけど』


「……ん? ああ、そうだよー。僕の兄には、既に会っているだろう?」



 あっさりと肯定されて拍子抜けしてしまう。


 確かに似ている。超似ている。


 上から目線の口調や掴み所のない言動、それから雰囲気まで。

 ただ兄弟がいるとは想像できない。しかも兄属性。


 てっきり一人っ子だと思っていた。



「そんなに意外かなー? 僕は結構、兄に似ていると思っているんだけれどなあー」


『色々と混乱中』



 むしろ似ているから驚いている。

 まさかドッペルゲンガーではあるまいし、朝見た冴えないおっさんの姿と目の前の白衣男の姿が被る。



『あれ? ……ちょっと若い?』



 良く見れば――――いや。この場合はボンヤリ見たと言った方が正しいかも知れないが、白衣男はどこか汚らしく体格も貧相で、まるで気品を感じられない。

 手入れを怠っているような無精髭と、散髪の気配もない髪は無造作に纏めてあるだけ。どう見ても大雑把な性格だと分かる。



『大始祖様の方が、品はあったね』


「君ねえ。普通さあ、会って間もない相手にそんなこと言うかい?」



 はっきりと告げる私に、相手はまたしても品のない口調で続ける。



「彼女。正しい。博士。汚い」


「君もはっきり言うね。まったく……」



 品のないおっさんの背後から黒一色の礼服に身を包む男が擁護してくれるが、その言葉は一言、また一言と途切れていた。

 彼から出た博士という敬称に、目前のちんまりした男が白衣を着ている理由に思い至る。



『本当に兄弟なの?』


「信じられないって顔だね。失礼な客人だ」


「客人。事実」


「君も大概ひどいよね」



 言って自分より背の高い相手を小突く白衣男に、それを顔色一つ変えず受けて沈黙する黒い男。そんな姿を見ているうちに、はじめに持っていたはずの危機感はとうに失せた。



「兄は僕と同じ、血の通った極普通の人間だよー」



 黙って見つめる私を見て、博士はそう切り出す。



「名前も勿論あるけれど、僕からは教えられないんだー。勝手に明かすのは禁じられているからねー。神経質だよねえー」


『名前なのに?』


「個体を特定出来てしまうからね、固有名詞っていうのは。ほら、個人の尊厳や環境を保護する為に名前を隠すのは、どこでもやっていることでしょ?」


『あ、うん。まあね…』



 どこか既視感のある管理方法に、私は曖昧な首肯で返す。


 自分(あちら)の世界の場合は法律が守ってくれるけれど、この世界では魔法のようなもので自己防衛しなければならないらしい。別次元にある世界のはずなのにプライバシー保護は存在するんだと、密かに感心していた。


 そうか。だからアリーシャはさっき、名前を控えたほうが良いと言ったのだ。


 これで合点がいったと納得していると、ふと、背後から悪寒の走る威圧を感じた。



「やあ! 思ったより遅かったねー。君のことだから、もう少し早く登場すると思っていたよー」



 博士の声だけが場違いなほど明るく響くなか、恐る恐る振り向くと、彼が放つ空気だけ冷え切っていた。



「……どうも、シーモス博士。ところで……君には部屋で待っていてと伝えたはずなんだけれど。…………どうして、ここにいるの?」



 冷然たる視線を頭上近くから浴びて、自身の背筋が凍っていくのが分かる。


 ――――死んだ。

 実際に死んだわけじゃあないけれど、死んだかのような錯覚に陥った。


 これは、完全に詰みだ。



『えっと……いや、ほら! 歩き回っちゃあダメとは聞いたけれど、……ちゃんと人に会えているし、良いかなって……思いまして……』



 とにかく相手に怒りを引っ込めてもらうため、今から必死の弁解をしてみようと思う。

 しかし思ったように舌が回らない。



「うん。でも、広間にいてね、とも言ったよね?」



 言われましたねっ!



『う、ん……。ごめんなさい……』



 勝手の分からない異なる世界で一人っきりという状況で、同じ空間に何時間も留まることに耐えられる人など果たして居るのだろうか?


 内心で屁理屈を唱えていたら、ふて腐れているのが伝わったらしい。


 彼が纏う空気の温度が更に下がった気がした。これ以上相手の怒気を真正面から受け止めることも出来ずに俯くと、終始見ていた博士が横から顔を見せる。



「ほらー。恐がっているよー。そのくらいにしてあげたらー?」


「……俺が? 恐がらせている?」



 自分がどんな空気を纏いそこに立っているのか、気が付いていない様子だった。

 疑問に染まる顔がこちらに向き、私は何度も首を縦に振る。



「――ふう。……君が部屋を抜けだしたことは、怒っていないよ。ただ……」



 溜め息と共にすとんと肩を下げた彼の声は、落ち着きを取り戻すようにか細い。



『ただ?』


「……ただ、俺は君が心配なんだ。こちら側の人間ではない君が、取り返しのつかない行動を取ってしまうことがとても不安だ。この世界では無意識の行動が大きく影響する場合だってあるんだ。向こうの世界では、ほんの些細なことでも、ね」



 始め戸惑う表情を見せた彼は、少し考える素振りをして言った。


 今ここでされた話なのに、どこか別の相手に話しているような口調だ。彼の暗い影みたいな部分を垣間見た気がして、彼なりに必死になる事情があると思うと異議を唱えることも憚られる。


 自分はこの世界には相応しくない。そんな考えが脳裏を過ぎった。



「とにかく、僕は休みたいしー、人も揃ったから早く僕の部屋に向かうよー」



 少し重くなった空気を払拭する気怠げな声に、黙って首肯する彼を見て、私も静かに同意した。





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