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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
1章 コンニチハ、世界
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【3】億劫で喧噪





《――! ――!? ……待って!》




『……っ、はあ……、はっ――くッ――……』



 それまで見ていた夢の影響で、ベッドから勢いよく跳ね起きる。

 まるで睡眠中ずっと酸素を吸ってばかりいたように、勢いの良い二酸化炭素が肺から過剰に飛び出していく。



 自分でも突然のことで、胸の動機は収まりそうにない。

 呼吸が落ち着くまでに、かなりの時間が掛かった。



「大丈夫⁉︎」



 意識を内臓に一点集中させていると、いつの間にか先に起きて退出していた昨日の男が戻ってきた。彼は荒い呼吸を繰り返す私に駆け寄り、背中を優しくさすってくれる。



『もう大丈夫っ、だからっ』



 自分がどんな夢をみて飛び起きたかも忘れ、男が取った行動に礼を言う。物憂げな表情は崩さず優しい手つきをやめた相手に、私は笑顔を向けた。



『何かの夢を見た気がして……でも思い出せないから、たぶん大事なことじゃあないと思うの。だから、本当に大丈夫』



 覇気のない笑みを見せられ尚も憂いの表情を浮かべている彼に、私は心配いらないと言外に伝えた。


 記憶の片隅にも残っていないのなら、それはたぶん自分にとって重要ではないからだ。

 そんなことに自分の時間を費やしてしまうのは、あまりにも滑稽なことだろう。


 彼は私の瞳の中を探るように見つめ、少しして諦めたように微笑み姿勢を正した。



「この後、城のみんなで集まって朝食を摂るんだ。君もどうかと思って誘いに来たんだけれど……。――――気が向いたらでいいからね」



 きっと気になる要素はあっただろうに、彼はそれ以上何も言わず静かに部屋を出て行く。



『私、どうして……』



 いま、自分が抱いた考えに妙な心地を抱いた。

 どうして彼の関心が、自分の夢に関連していると思ったのだろうか。


 けれど内なる小さな疑問は、部屋の扉をノックする音に遮られる。


 ――――コンコンコン。


 音がして直ぐ、「失礼します」という女性の声が続く。

 今度は誰が入ってくるのかと、ベッドの上で呆然と待ち構えた。



 数秒間。

 謎の沈黙が続いてしまい何か返事をした方が良いのか思案していると、「入ってもよろしいでしょうか?」と扉向こうから更に声がかかる。



『は、はい。どうぞ……』



 私の応える声を合図に、カチャ、という静かな開閉音と共に西洋風の綺麗なお姉さんが入ってくる。

 彼女はそのミルクティーブラウンの長髪を両肩にさらりと落とし、精錬された礼を取った。



「おはようございます。此度はあなた様のお側で勤しむよう申し仕りました、アリーシャ・アリュシデントです。側近騎士と侍女を兼ねておりますので、何でもお申し付けください」



 顔をあげ挨拶をした彼女の透き通るような山吹の瞳が、真っ直ぐ私を映している。



『あの……えっと、私は……』


「ご自身のお名前を口にするのは控えたほうがよろしいかと……」


『あ、はい……』


「わたくしのお役目はこちらでの生活を支援させていただくと同時に、これから訪れる可能性のある危険に対処するための盾や武器でもあります。どうぞご存分に、わたくしをお使いくださいませ」



 いまだ状況が飲み込めず戸惑いながらも名乗ろうとした私に、彼女は形のいい桜色の唇で制止をかけ、改めて説明し柔らかく微笑んだ。



『あの、……というか生活、って……?』



 生活を支援する、と確かに聞いた。

 言葉の意味ではなく、その内容について疑問がある。



「はい。こちらでは別の世界から迷い込んできた方が、ご健勝で自身の世界へお戻りいただけるよう、基本的なことですと衣食住、必要ならば金銭を支援する制度が整っております」


『良く、迷い込んでくるんですか』



 そんな世界があるなんて、聞いたことがない。

 私は迷い込んだわけではないが、自分以外にもこの世界にきた人がいるような口振りや制度というものに、疑心を向けずにはいられない。


 それよりもここは私の夢の中だと言われたほうが、よほど現実味がある。

 やれやれ。別の世界へ行く夢を見るなんて、ついに私の回想夢も末期に突入やむなしか。



「はい。割合としては、百年に一度くらいでしょうか」



 思考を明後日のほうへ向ける私を余所に、彼女は玲瓏な声で質問に答える。

 提示した数値が多い部類なのかそうでないのか、全く分からない。


 恐らく、こちらが抱く常識や異なる世界に関する認識は全く宛てにならないだろう。



「それより、ネグリジェ姿では風邪を引いてしまいますよ、主様。さあさ、早くお着替えくださいませ」


『何かあるんですか?』



 彼女にスッと手際よく寝間着を脱がされ、下着に覆われていない素肌が朝日に照らされる。どこか楽しそうなアリーシャの様子に訊ねると、にっこりと微笑まれた。



「ええ、朝食のためにお着替えを。――――主様には……こちらのお召しものなどいかがでございましょう?」


『はあ。あ。えっと、朝ご飯はちょっと……』



 正直、私は朝ご飯をあまり食べない。

 どうしても空腹に耐えられなくなると仕方なく摂取するが、今日は空腹感もなかった。


 遠慮しようと一言呟けば、彼女の表情に翳りがさす。

 私より少し背丈が低い彼女の澄んだ山吹の瞳に上目遣いされ、非常に可愛らしいと思ってしまった。



『楽しみです』


 としか続けられない自分に、思わず苦笑する。


 けれど瞳をきらきらと輝かせ、目の前ではしゃぎ出すアリーシャの姿を見てしまったら、例え着せ替え人形に近い拘束を受けても苦言や文句の一つも出てこない。



 所々に黒い薔薇の刺繍が施された深青のシンプルなドレスを着せられた次は、肩甲骨辺りまでの髪を丁寧に結われる。

 その間にアリーシャの姿を鏡越しに確認すると、視界の端に男の姿が見えた。



「わあ、綺麗だね! 以前に来ていた服も似合うけれど、こっちのドレスも凄く良く似合っているよ!」



 私をこの世界に連れてきた彼の第一声は、私が着る衣服を大絶賛する言葉。

 吊られて私も生きている間にこれだけ素敵なものを着用できることに、嬉しさから鏡の前でスカートをひらひらと動かしてみた。


 確かに下肢を覆う膨らみは大きすぎず、しかし、ふんわりとした形を崩さず着心地も良い。が、着ている当人に似合っているかどうかは、また別の問題だ。


 そして、そんな子どもっぽい様子を見られていたらしく、鏡越しに柔らかい視線を向けてくるアリーシャと目が合う。



「お気に召されたようで何よりです。良くお似合いですよ」


『あ……、ありがとう、ございます』



 隠そうとした感情が筒抜けで、返す言葉に詰まる。

 恥ずかしさもあり改めてドレスを見たが、どう考えても私の背丈では足らないようで裾が床に擦れてしまいそうだ。



「本当に良く似合っているよ! まあ、本当は俺の見立てたドレスを着て欲ッ――ぐゥッ……」



 軽く屈んで裾丈を確認した間に、彼の身に何かが起こったようだ。


 野太い呻き声が聞こえ周囲を見回すと、腹部に手をあてがい顔を真っ青にしている男を見つけた。その額には冷や汗を浮かべている。


 可哀想に。

 確実にナニカが起こったのだろうけれど、そばで私の身嗜みを確認しているアリーシャの笑みが先程より深く、こちらから問いかけられるような雰囲気ではない。



「酷いよ、アリーシャ! 殴るなんて! 次元を超えるかと思ったじゃあないか‼️」


「では、そのまま未開の地で朽ち果ててくださいませ。それと、わたくしの名をその口から出さないでいただけますか? 非常に不快ですので」



 おやおや?

 当初の印象はどこへやら状態の二人に、見てはいけないものを見てしまった心境で状況を静かに見守る。



「いや待ってよ! もとは俺のドレスを着てもらう予定だったじゃあないか!」


「あなたの仕立てた穢らわしい物を、主様のお召し物などに宛がえるはずがないでしょう」



 アリーシャ。――――辛辣な個性をお持ちでいらっしゃる……。



「酷いよ! 俺だって一生懸命用意したのに!」


「わたくしの用意したお召し物のほうが、何っ倍も主様の魅力を引き立てます」


「確かに可愛いけれど‼」



 否定できないことが悔しいとでも言いたげに、地団駄を踏む彼。


 そこは認めるんだ。

 フフッ、と小さく声をもらし笑ってしまう。



「そうでしょう!」


「確かに魅力的でッ――ぐはッ……――」



 彼の視線に寒気を感じると、そばのアリーシャが前に立ってくれた。



「主様にイヤらしい目つきをしないでください!」



 そして、そのまま視線を交え火花を散らし始める二人。


 服良し。髪良し。化粧もまあ――何もしていないけれど――良し。


 どんどん過剰になっていく彼らは放っておいて、自分の格好を確認し先に廊下へ向かう。

 もう二人の調子に合わせることは考えない。


 そうだよね。人には色んな一面があるものだよね。

 悟りを拓くとはこういうことかと新境地を噛み締めつつ、そうっと扉を開けると、後ろから二つの声が追ってくる。



「あ、ちょっと! 君の主が部屋を出たよ!」


「あ、主様! 少しお待ちくださいませッ――。まだ仕上げがッ……!」



 直感的だが二人の猛追に、凄く嫌な予感がする。



「ちょっとッ、主様に近付かないでください!」


「良いじゃん! 俺がエスコートするんだからっ!」



 もう、良いかな……?



「主様の身を、その穢らわしい手で触らないでいただきたいのです!」


「へーんだ! ここに来るとき、すっごい触っているから! 手なんかも握っているから!」



 うるさい……。


『うるさい……っ!』



 思ったままに言葉が出た。他人の大きな声が苦手な私は、自分の口から出る大声にも耳を塞ぎたくなる。


 代わりに二人の言い争いは静まったけれど、脳内で自分の声が反響して煩い。が、今はとりあえず本日最初の予定を完遂することが先だと判断し、視線は合わせず二人に問う。



『ご飯、食べに行きません?』



 互いに睨み合っていた姿勢のまま、二人は同時に扉前の私を見つめた。






 私が廊下を淀みなく進むのに合わせ、二人は肩を落とし俯いたまま後を追ってくる。



「ごめんね。朝から気分悪くさせちゃったよね……」


「主様、申し訳ありません。さぞご気分を害されたことと思います。わたくしめの処分、どうか主様の采配にて」



 はあ……。


 溜め息を大きく吐きたいところだが、気落ちする二人のそばでそんなことをすれば、より一層面倒なことになる気がしている。


 こちらの視界に入らないところで二人が睨み合っていようが、はたまた物理アタックを互いにしていようが知るところではないのだ。


 けれど建物内の所在を良く知らない私としては、このまま知らない場所へ向かうのに二人のうちどちらかの案内が必要になってくる。



『もう良いですから。私にも何か非があったんだろうし、それに――』


「いえ、主様に非など有り得ません!」


「そうだよ! 君は何も悪くない!」



 話を最後まで聞け。

 遮られ奪われた言葉が、舌の上で右往左往と転がって苦い。



『うん。でも、これからたくさんお世話になるだろうし、宜しくお願いします』



 事情はどうあれ暫くここで過ごす以上、当初から二人の協力者がいるのはとても心強いはずだ。

 ――――しかも現地の人。


 ファンタジーのゲームなんかで良く見られる、一人の状態で始まり少しずつ仲間を集うという攻略法は、私にはたぶん向いていない。自分の世界では現実でもゲームでも一人プレイが基本だし、仲間を作ると色々と面倒が増えるからだ。


 よし。とりあえず、これで収まった。そう気を落ち着かせていると、



「さすがです、主様! なんて御心の広大なお方でしょう!」


「なんて心が広いんだ! 清らかな上に深い慈愛まで持ち合わせているなんて!」



 幻聴か……?


 勝手に高尚な評価を当てはめてくるのはやめて欲しい。当人が誉れに押しつぶされる前に。

 およそ勘違いにも似た不釣り合いな言葉を傍らから頂戴し、思わず肩を竦めた。



『……はあ。先が思いやられるわ』



 朝から吐く何度目とも知れない溜め息は、これからの苦労や不安を暗示しているようだ。


 案の定、私の気怠げな様子を見て心配した彼にお姫様抱っこされそうになり、表情を引き攣らせつつ急いで拒否したまでは良い。けれど横から割り込んだアリーシャに片腕で体を持ち上げられた彼は、ガラスがはめられていない廻廊の窓から空の彼方へと姿を消した。


 あれは、なかなかの飛距離だ。

 人の形をした物体があっという間に遠ざかる様子に感心する。



「安心してくださいませ、主様。わたくしは、戦闘の嗜みも心得ております故、どんな(てき)でも対処してみせます」



 彼と接触した手の平をエプロンの端で拭いつつ、清々しいほど爽やかな笑みを向けてくるアリーシャ。かの男を容赦なく敵と見做し的に見立てて実力行使に出る辺りに、向けられる笑顔の迫力が尋常ではない。



『あ、はい。ありがとうございます……?』



 礼を言って良いのかどうか微妙なところだが、ほんの少しは助かっているので遣り過ぎだとも言いづらい。


 それにしても女性騎士か……と彼女の容姿をなめまわ――――いいや。観察する。

 女性騎士に関しては、あまり珍しさを感じていない。自分の世界でも、昨今の物語中には良く出てくる人物設定だ。けれど彼女の体格からは、すぐに騎士と推測することは難しかった。



 着ているものが茶色のメイド服なのも錯誤の一因だが、そもそも全体の構えや体つきが華奢なのだ。

 いくら筋肉のつきにくい女性とはいえ、騎士ほど鍛錬の欠かせない役職となると少しくらい大きめの肩幅、腕や脚の太さがあっても良さそうなものだけれど。


 それともアレか。脱いだら凄いんです的なアレなのか。

 腹筋とかバキバキなのか?


 アリーシャの四肢を眺め一人あらゆる推測を巡らせていると、彼女が手をぱちんと鳴らした。



「ああ、そうでした! 今日は主様の世界で流行りの食材を使った朝食なのです! ですから、主様もお気に召されるかと!」



 私が気に入る、という内容に、自宅の食事風景を思い返す。

 母が作ってくれる煮物は、格別に美味しい。私の薄味嗜好に合わせているので、好むのも当然といえば当然なのだが。


 想像のままに、ここでの朝食に期待を寄せた。





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