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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
2章 サヨナラ、世界
25/31

【9】眠いときが寝るとき





 研究室から忍び足で自室に戻った私は、朝の着替えを行う時間まで古書館で借りた料理本を読んでいた。

 眠れなかったということもあるが、何より博士に借りて読んだ資料の内容が頭から離れない。


 博士から渡された紙の束に少しでも自分を前向きにさせる内容がないかと文字を追うが、結局さいごまで読むことはできなかった。

 扉の正面に見える大きな窓越しに朝焼けの気配を感じ、残り数ページというところで読破は諦めて部屋へ戻ったのだ。

 夜明けまで無人だったと誰かに知れたら、流石に怪しまれる。疑われることは構わないが、疑心を盾に過剰な詮索を受けるのは避けたかった。


 全体を通して見れば、あれは資料として成り立つのだろう。

 でも3人目の女性だけを取り上げるなら、日記として見るのが正しい気がする。

 ひび割れに覆われた女性の経過観察が何十ページも続き、文面が精査されていたのは最初だけ。


 彼女に関する内容にのみ、博士の私情が激しく入り交じっていた。

 私情と主観、書いている当人の心情が目立つ内容は、日記としか呼べない。


 そして彼女の観察は、あの哀しい文章に終止符を打たれた。



 長く続いた日記が終えると、以降、他の訪問者の観察を箇条書きしたような内容ばかり続く。


 いくつかの人数を間に挟んではいたが、所々に世話役としてアリーシャの名前が載っていた。

 まだ読み残したページはあるけど、そんなことより気になることがある。


 例の女性以外、あの資料のどこにも、異なる世界から来た人がその後帰ることに成功したとは書かれていない。命を消耗しきってしまったことは書いてあっても、憔悴しながらこの世界で生き延びた人の最期は書かれていなかったのだ。


 あれだけの内容では、博士が異世界の人の生死に無関心な印象を受ける。

 私でさえ気付けたのだ。あのアリーシャが気付いていないなんて有り得ない。彼女はずっと彼の傍らで、彼の観察の手伝いをしていたのだから。


 温もりのない笑みを浮かべる男は、冷たい意思で人と接しているのではないか、と。


 今朝離れたばかりの研究室に、再び向かう自分の姿を想像した。





 ――――。


 二時間もしないうちに再会したキリスは、変わらず無表情で出迎えてくれる。


 彼の後ろでテーブルに突っ伏していた顔を上げる博士は、無言のまま苦笑した。


 先ほどと何ら変わらず、寝不足で出来た隈をしきりに擦る男にベッドへ行くことを勧めようとしたら、目の前で眠りこけ、ついで机に思いっきり頭を打ち付けている。

 支えるはずの腕は下に垂れ、顔面を打ったはずの当人は痛みで目を覚ます様子はない。



『キリス。博士をベッドまで運んであげて』



 スッと真っ直ぐ背筋を伸ばす黒くて細身な男は、私のお願いに肯いて白衣の男を抱えた。

 彼らが奥の部屋へ引っ込むと、反対側のカーテンで仕切られた部屋からレニーが眠そうな目を擦りつつ出てくる。


 模擬人間は眠らないといつか話していたけれど、キリスだって再調整したのだから、彼女も調整の際に睡眠という機能を加えられたのかもしれない。



『レニー、おはよう』


「――……あ、お姉ちゃん!」



 肩からずれ落ちそうになっている寝間着を直しつつ、彼女のフワフワと浮く寝癖がついた頭を撫でた。

 まだ寝ぼけ眼でぼうっとする彼女は、私にされるがまま再びおそってきた睡魔に身を任せようとしている。



『レニー、せめて布団で横になろう?』



 寝ることに関して、私は反対しない。


 寝るのは良いことだ。二度寝なんて至高だ。

 ましてや急いで出掛けなくてもいい用事を後回しにして、毛布に包まりウトウト……なんてする瞬間の心地よさは筆舌に尽くしがたい。


 私は基本どこでも寝ることが出来るが、やはり、きちんと寝具に包まれて眠れることが一番の幸せだと思っている。

 それくらい、睡眠に関して言えば私の中で優先順位は高い。


 もちろん他と比べるまでもなく、だ。


 眠いなら寝るを肯定する派閥にいる者として、レニーにベッドへ戻ることを促した。

 けれど彼女は首を横に振るばかりで、撫で続ける私の手にその柔らかいブロンドヘアを擦りつけてくる。



「レニー、ちゃんと起きる。お姉ちゃんと遊ぶの」



 彼女の可愛い言葉を聞き、《睡眠推奨連盟会長》として《可愛い少女の発言にすべて従う連盟》の増設をしなければと大真面目に考えた。



『うん。私も、レニーと遊びたいな』



 あと、《少女の誘惑に逆らわない連盟》も設けるつもりだ。






 レニーの私物で溢れる部屋からカーテン越しに見ていたが、キリスが入っていった奥の部屋の扉はさっきから静止している。



「ねえ、お姉ちゃん」


『――……あ、ごめんね。どうしたの?』



 博士の部屋に意識を完全に向けていた為、反応が遅れる。少女に視線を合わせると、彼女は小さくて桃色の唇を尖らせ頬を膨らませた。

 胸の前で両手を合わせて頭を下げると、レニーは機嫌を直したのか金春色の瞳を煌めかせた。が、すぐに顔を曇らせる。



「……あのね、お姉ちゃん」


『ん?』



 暫くモジモジとして話しづらそうにしていたが、やがて決意した表情で私を見る。



「あのね、お姉ちゃん。……きのう、たくさんの紙を読んだでしょ?」


『ん? うん、読んだけど』


「……最後まで?」


『ううん。最後のほうは読めなかったよ。部屋に戻らないといけなくって、それで』


「そっか……。わかった」



 話し方や容姿は警戒心を抱かせないという目的のため少女を模しているが、彼女は感じて考え配慮できる賢い子だ。

 そんな彼女の思い詰めた表情が気になった。



『どうして、そんなことを聞くの?』


「お姉ちゃん、少しだけ空気が変わった」


『どう変わったのかな?』


「前はたくさん匂いした。でも今は、匂いが少なくなったの」



 匂いと言われても、自分が普段どんな香りを纏っているのかすら知らない。彼女の意図するところが上手く汲み取れず、笑みを浮かべながら内心では困惑していた。


 そこへ目を覚ました白衣の男がやってくる。

 わずかな仮眠だけ取ったのか、目の下の隈はまだ色が濃い。



「レニーくん、ちょっと来てくれるかな?」



 だらしなく垂れる袖の縁で手招きする博士だが、レニーは私にしがみついて「いやっ!」と首を横に振る。



「レニーくん、言うことをきいてくれないかい?」


「やだっ!」



 研究室の中心となる部屋とレニーの部屋を隔てるカーテン。その先からこちら側へは、博士もキリスも入ってこようとはしない。

 理由は分からないけど、博士は心底億劫そうに顔を歪めた。


 すると、痺れを切らしたのかキリスが少女を宥めにかかる。



「レニー。お願い」


「……ぶー。……師匠が言うのなら、承諾しました……」



 二言で終了した。

 応えた本人は不服そうにしているが、無表情で棒立ちするキリスの隣で博士は深く溜め息を吐く。



『あ、レニー。待って?』


「ん? なにー?」



 こちらへ振り返るレニーの向こうで、博士の底冷えする眼差しと目が合う。



『あ、ううん。やっぱり何でもない』



 レニーとの話で浮かんだ疑問は、二人きりの時に聞くことにした。






 ――――。


 廊下の壁に等間隔でくり貫かれた明かり取りの窓から、昼前に余裕を見せる陽光が差す。


 今は研究室を抜け出して一人、ただ廊下を歩いていた。

 レニーの部屋で数分待機していたものの、少し居心地が悪くて出てきたのだ。


 しかし、このまま自室へ戻ったところで何もすることがない。

 これまで感じたことがない退屈を、私はただ持て余すことしか出来なかった。



『はあ……』


「やけに辛気くさい呼吸をしますのね」



 数日前にも経験したような状況で、後ろから高飛車な声が響く。



『何をしにきたんですか?』



 振り返ると艶やかな赤髪が見え、炎を宿す白金の瞳と目があった。

 既視感のある出来事に、私は軽い目眩を覚える。



「それはこちらの台詞ですわ。そちらこそ、部屋で大人しくしていては如何かしら? 無防備に出歩いていては、どこぞの者に命を取られても文句は言えませんわね。ふふふ」


『……』


「まあ、ご安心なさってくださいな。――死人に口なし。文句があっても声に出せなければ同じことですわね。ふふふ」


『なに? 恨み言をぶつけに来ただけ? それもと街で為損じたから、改めて実行しにきたんですか?』


「まあ、野蛮なお人。けれど……ふふ。今回は残念ながら的外れですの。――――そんなにいけないことかしら? 婚約者に会いに来ただけだというのに」



 相手は淑女らしく頬に手を添え、コテンと少し首を傾げる。

 それがまた彼女の愛らしさを引き立て、余計にこちらの苛立ちを煽られるのだ。



『婚約者?』


「ええ。ロベルト様は、このわたくしの婚約者ですの」



 ドリルみたいなツインテールの赤髪をサラッと払い、得意げな表情でこちらを見下げる白金の瞳に溺れそうになる。


 また彼か……。私は心底うんざりしていた。


 あの男との将来が決まっている人だと聞いて、寧ろ素直に聞き耳を立てている自分がいる。

 というか願ったり叶ったりなのだが……。


 真っ赤で派手なドレスや立ち振る舞いなんてものは、服や所作を身に付けた人をより美しく、或いは愛らしく魅せるための飾りでしかない。

 煌びやかな装飾を自身の魅力で支配し霞ませるほど綺麗な彼女に、こんな惨めなだけの雑念しか抱かない自分が何を言い返せるだろう?


 ただ一つ不可解なのは、どうして唐突に彼の婚約者宣言をしてきたのか、ということ。


 街で再会する前、この城内で接触した時には――――といっても彼女から一方的に声を掛けられただけだが――――、そんな話には一言も触れていなかった。


 そして、私はちゃんと明言している。

 ロベルトという男のことなんて興味はない、と。


 今でもその答えは変わらない。



『どうして、それを私に言うの?』


「どうして? そんなこと決まっていますわ」



 ふふんと高慢な笑みを浮かべ、彼女は美しい瞳を細めて睨んでくる。



「あなたのように脆弱で役に立たない人間は、餌になるくらいでしか取り柄がないというのに。――――特別な呼び方をされて、少し愉悦に浸っているのではなくて?」



 彼女はまた、ふふんと笑った。


 たぶん大始祖様や博士が勝手に付けた呼称のことを言っているのだろうけど、そもそも彼らが本人に無許可でそう呼ぶだけだ。彼らを中二病みたいなものだと思えば、それも許せる。


 私の呼び名と、彼女の婚約者であるロベルトという男と何がどう関係するのか、全く繋がりが見えない。



「――けれど、それは勘違いというものですわよ」


『えーっと……何のことを――――、……っ!』



 目の前の相手から受けた視線の鋭さと、喉仏を的確に捉える冷たい感触に私はそれ以上声を出せなくなった。

 咄嗟に喉を庇おうと後退したら、そのまま壁に追い詰められてしまう。勢いよく退いたせいで背中を壁にぶつけて、突出した肩甲骨がわずかに軋んだ。



「無知ですのね。とても不愉快ですわ」


『……っんなこと、言われたって――っ』



 首にあてがわれた冷たい物が、私の喉にグッと食い込む。

 背は壁にぴったりと張り付き、それより後ろへ逃げることが出来ない。



「わたくしの許可無く話し出すことは、あなたに限っては許しませんわよ」



 唇を噛んで握り拳を作る。


 目の前にある綺麗な顔に傷をつけるつもりはない。

 顎を上げて汗をかき、外から圧迫された喉をこれ以上圧されないよう、足先だけで必死に高さを稼ぐためだ。



「あなたは、わたくしの独り言を聞いていればよいのですわ。この身に溢れる憎悪を、これからたっぷりと浴びていただきますの……」



 激しく剣呑な目に見上げられて、足が竦みそうだった。これ以上、脚が伸びる余裕はないけど。


 そんな時、視界の端で柱の陰から飛び出る人影が見えた。影は、私を硬直状態にさせる彼女の後ろへ移動する。その相手は、赤くて白金の美しい彼女を主人と従う、あの女騎士だった。



「――誰だっ!」



 突然姿を見せ、いつでも交戦できる構えを取った女騎士の視線は、真っ直ぐ右奥の廊下を見回している。

 合わせて後ろへ振り返った赤い彼女の手元が緩むと、私の身体は突然引き摺られるように右奥へ引き寄せられた。



「博士。の。大事。な。客人」


『キリス⁉︎』



 背後から脇を抱えられた状態で振り向く。動揺して腰を抜かした私の体を支える男は、目を細めて警戒する視線を先方の二人に向けた。


 まだ何かしてくるつもりなの?


 身構えたけど、彼女達は小声で言葉を交わすと何も言わず静かに立ち去っていく。2人が向かう曲がり角より手前の位置で、彼女達の視線がわずかにこちらへ動いた。

 私にあてられた眼差しには、彼女の髪より燃え盛る激しい感情が込められているように感じた。



『は、……はあああ~~……』



 誰も現われないことを願いつつ、床に座り込む。


 正直に白状します。本当に恐かった。

 しかし、喉に当てられていた物は一体何だったのだろう?


 彼女は去る時、手に何も持っていなかった。となると隠し武器の類だろうか。

 それは後で考えるとして、ともかく……。



『キリス。ありがとう、来てくれて』



 本当に助かった。

 今漸く、ホッと安堵の溜め息を吐く。


 すると彼は無言のまま私に何かを渡してきて、「忘れ。もの。お届け」とだけ言い残すと研究室のある方へ進行を変えた。


 え? 置いて行くの?

 なんて思っていると、その直ぐ後、アリーシャがこちらに来るのが見えた。



「主様っ、お怪我などありませんか?」



 慌てた様子で駆けてくる相手に、私は放心したまま縦に首を振る。

 こうなった経緯を話したほうがいいのか迷いながら、彼女の言葉に込められた意味を察した。アリーシャは彼女のことを知っている。私とこういう接触を起こすことを、赤い彼女がその身に私への嫌悪を抱えていることを知っている。


 けれど今起こったことで気が動転しているのか、口を開こうにも言葉が出てこない。

 アリーシャに気遣われる中、私はこの世界に自分がいて良いのか迷いを感じていた。





 昼食も自室で済ませ、食器を乗せたカートを引き連れて侍女たちが退室する。アリーシャも今は用事に出ていて、私は一人、ベッドの上に資料を拡げて寝転がっていた


 先ほどキリスから渡されたこれは、この世界にきたと言われる異なる世界の人について書かれている。

 あの白衣のおじさんが錯乱して記した女性のページが多すぎるけど、それにしても彼女との決別以降、接触相手に同様の対応をしているようには見えない。


 簡潔に箇条書きされた内容では、相手への無関心すら垣間見える。一人にしてくれて有り難いが、どうも博士は私への詮索を避けているとしか思えないのだ。現に、私の観察役にあるはずのアリーシャがそばにいないことを彼が咎めている節はない。


 どうも違和感が拭えないな……。


 分厚い毛布に埋もれながら悶々としていると、扉をノックする音が聞こえる。部屋の出入り口に目を向けると既に扉は開いていて、その傍らにアリーシャが立っていた。



『アリーシャさん、あの、何か?』



 行儀が悪いと怒られてしまうだろうか。

 それにしても今まで黙って入ってきたことや、自分の仕事を放って様子を見に来るなんてことはなかったのに……。


 まあ、後半は私が抗議という名の反対をしたから、彼女は主人のお願いを聞いただけに過ぎないのだけど。



「お邪魔して申し訳ございません。……それを、ご覧になったのですね」


『はい。さっき、全部目を通し終えました』


「では、かの男が取った行動もお分かりですね」


『凍結して、他の世界へ連れて行ったんですよね』



 三人目の女性がどう生きたのか、それはたぶん、博士は知らない。


 最後まで見たと報告したのは、ロベルトという男だろう。きっと彼なら知っている。


 そして、私が自分の世界へ帰る方法も、この二人が知っている。

 彼らが知っているということを、アリーシャは知っている。



「わたくしが、ロベルト殿なら出来ると申し上げた意味が、もうお分かりいただけますね?」


『はい』



 私は帰ることが出来る。それだけは分かった。

 その方法が私に対して有効なのかどうか、分かる人は誰もいないということまで。



「……主様は、帰りたいですか?」


『私は、……帰りたいです』


「それならば、ロベルト殿に相談しませんと」



 アリーシャは明るい声で、にこやかに笑う。



「主様は、こちらへ来た経緯や滞在経過がこれまでの方と差違がありますから。わたくしも、順調に行われるよう尽力いたします」


『あ、ありがとうございます』


「いえ。これも、わたくしの役目にございますから」



 彼女の穏やかな声以外、何もこの身に入れたくない。

 でも涙を堪えようと閉じた瞼の裏には、冷たくも荒々しい赤い女性の表情が焼き付いていた。





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