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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
2章 サヨナラ、世界
23/31

【7】他の来訪者




 コンコンコン――――。


 それは、寝ぼけ眼で寝間着から着替えている時だった。



『はい、どうぞ?』



 昨夜、アリーシャが語った内容について一晩中考えていた私は、無限に続けられそうなあくびの連鎖を堪えつつ応じる。



「失礼いたします。朝食をお持ちしました」



 かけ声と共に入ってきたのは、アリーシャと二人の侍女だけ。


 彼女たちが押すカートには、銀の覆いが四つほど乗っている。

 この部屋に食事を持ってきてもらったのは、私が瞼を腫らして人前に出られなくなった朝と、それから、私が紅い女性を避け部屋に籠もっていた時以来。



『どうしたんですか?』



 今日は特別部屋に籠もっているような事情もないと思っているのだが、前触れなく持ち込まれた食事に首を傾げる。



「今朝はこちらで召し上がっていただきたく、こうしてお持ちいたしました」



 そう言う彼女は普段の明るい様子とは打って変わり、珍しく気落ちした表情でテーブルに取り皿を用意し始めた。



『何かあったんですか?』


「いえ。……ところで主様、今日のご予定は?」


『……。博士のところに行くつもりです』


「承知いたしました」



 私に座るよう促した彼女はこちらの予定を素直に聞き入れ、そばに呼びつけた一人の侍女に何やら耳打ちする。アリーシャから用事を申しつけられた侍女は、そのまま礼を取り部屋を去った。


 料理の説明をしつつ取り分けてくれる透き通った山吹の瞳は、私の知る穏やかな熱を湛えている。雰囲気にも朗らかさが戻っていて、他におかしな点は見られない。


 あの大広間は会議室などにも使われると聞いているし、急遽食事に使えない事情でも出来たのだろうかと考えを巡らせた。


 私が違和感を覚えているのは、柔らかいミルクティーベージュの髪を揺らす彼女の言葉だ。


 この世界に来て始めのほうは確かに過度な対応をされていたが、それも私がやめてくれとお願いしてからは一切なくなっている。しかし、今日久しぶりに彼女から干渉を受けた。


 アリーシャの言動に、良くない予想をしてしまう。

 あの燃えるような熱を宿した白金色の瞳を持つ、赤い女の人と再会してしまう未来を想像している。良くない方向に思考が傾く。


 ああ、でも。

 正直なところ、部屋まで来てくれたのは有り難い。

 なぜなら、私は昨晩から一睡もしていないからだ。





 ◆◆◆◆





 アリーシャが退室してから、人目を忍んで静かに博士のもとへ向かった。



『どういうこと?』


「こんな夜更けに奇襲かい?」


『私の他にもいたんでしょ?』



 アリーシャが真剣に語って聞かせてくれたのは、彼女が城で任されていた役割についてだ。


 彼女はここで、異世界から来た人をサポートしていた。その制度があることからも、自分の他に異世界の人がいたことは薄々気付いていた。

 簡単に言えば、勝手の分からない異なる世界に来たことで生まれる不安、そこから派生する恐怖観念を少しでも和らげる役目に就いていたそうだ。



 例えば、自分はこれからどうなるのか。


 自分は、この世界で生きていけるのか。



 アリーシャはそういう不安要素を一つでも無くしていくために、侍女としての役を担うのだと話した。


 だけど、その後の展開が見えない。

 私より前にきた人はどうなったのか、付きっ切りだったはずのアリーシャは「自分も知らないのだ」と嘆いた。



 彼らはどうなってしまったのか。


 城の外へ出たとして、どこで生きているのか。


 仮にもう死んでしまっているとして、どんな最期を迎えたのか。



 彼女は、自身のもとから離れてしまった人が寂しく生きているのではないか、哀しい最期を迎えたのではないかと考えると胸が痛いと話していた。

 それもあって、私はその辺りの情報を博士の口から聞き出したかった。


 異世界からきた人を管理していたのが、博士だと聞いたから。


 押しかけ対面した相手は、ハッと目が覚める匂いを撒き散らす草を噛むと、こちらの質問を受けて真っ直ぐ目を見てくる。

 その目は私の真意を探ろうと、最深部まで見透かすつもりの強い視線だ。



「何を聞いてくるかと思えば。いいの? 君、戻れなくなるかも知れないよ?」


『私が聞きたいのは、その人たちがこの世界でどう生きていて、どうなったのかっていうことだけよ?』


「それがもしかすると規定に触れているなどとは考えないのかい?」



 考えなかったわけではない。

 周りが与えてくれた私の救済措置の一部である、情報摂取の規定。それを超えた時、私の身に何が起こるのか経験のない周囲も知らない。


 研究室へ来るまでそのことばかり考えていたし、どれだけ考えても質問する言葉を選べるほどの余裕は無かった。今でも自分がどんな答えを求めているのか、すごく曖昧なのだ。


 それでも、過程と結果を知りたいと思うことはいけないことだろうか?



『もし、超えてしまったら……その時はその時よ』


「特異の姫。君はもっと自分を大事にした方がいい」


『教えてよ。知りたいの』


「好奇心だけでは、真実を知ることはできないよ。それに、君のそれは単なる自己加虐に過ぎないだろう? 自分を赦してあげたらどうだい?」



 ……なにそれ?

 私が自身を許せなくて、先の見えない危険に飛び込もうとしているって言うの?


 それは違う。違うし、知った口をきかないで欲しい。


 私が知りたいのは、聞きたい動機は、純粋な知的欲求からくるものだ。

 そうに決まっている。


 しつこいくらい諭してくる博士を相手に、私は意思が固いことを示すため敢えて無言で見つめ続けた。暫く経って観念したのか、疲れた溜め息を吐いた博士は大袈裟に両手をあげて降参のポーズを取る。



「……わかったよ」



 それだけ言うと彼はよれよれの白衣を翻して傍らの棚から紙の束を取り、真ん中に鎮座するテーブルの上に置くと、その足で奥の部屋へ引っ込んでしまった。


 置かれた紙は本一冊ほどの厚みがあり、手元に引き寄せただけでズシリとした重さが伝わってくる。博士の背中を黙って見送り、私は最初のページを慎重にめくった。





 ――――――――。


 一人目は、不思議な格好をした壮年の男性だった。

 その男は何か言葉を話しているようだが、使用言語に相違があるため、口にする内容の意味は汲み取れなかった。

 が、腰の帯剣と、腕や胸元の小さな金具に設えた紋章から見て、どこかの軍人であると判断してよいだろう。


 しかし男は、こちらに近い場所にいながら、ここではない場所に属していた。互いの姿は捉えられるが、向こうから触れることも、こちらから触れることも適わない。

 試しに自身の手を伸ばしてみたが、こちらを覆う膜らしきものに触れた感触もなければ、伸ばした手の先がどこに触れようとしているのか視覚的には捉えられなかった。そのため、かの場所がどういう状況下にあるのか、こちらから伺えない要因すら不明なままに観察を続けた。


 それから間もなくして、息も絶え絶えの様子が三日ほど続き、その後、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな息遣いでやっと生きている状態が数日続いた。


 が、もちろん長くは保たなかった。

 一週間もしないうちに彼はみるみる憔悴していき、やがて息絶えた。

 あとになり良く考えてみると、食べ物や飲み物を欲していたのかも知れない。そう仮定すると、彼は餓死したということになる。


 例え言語が分かっても、双方の間にある境界線を越えた辺りで伸ばした手が見えなくなる以上、確実に食事を届けられたかについての保証はどこにもない。


 故に、彼を看取る以上のことは出来なかった。

 数日通ってはいたが日に日に亡骸は存在感を無くし、気付くと跡形もなかった――――。





 そこで文章は途切れ、中途半端で不自然な余白だけが後に続いている。紙の下半分を埋める空白のどこにも、オワリを示す単語がなかった。

 紙を更に二ページほどめくると、また別の対象について書かれた文面が載っている。その最上部には《二》を示す門のような記号が書かれていて、それはまるでローマ数字のように見えた。






 ――――二人目の訪問者だ。


 彼の姿を見る限りでは、学生という見解が相応だろう。

 まだ年端もいかない男の子にも見える。

 初めて彼を視認した時から、その男の子はひどく衰弱していた。


 ここからは憶測に過ぎないが、彼は元いた世界でも虚弱だったのではないかと思う。そんな自分に何かしらの変化を与えたくて、こちらへ来るために体力を消耗したのではないだろうか。

 ふと、彼の臀部の下敷きになっている召喚紋と思わしき紋章を見つけた。


 けれど、ここには一切その手の術は掛けられていないと分かる。ともすれば、まさか彼自身が術式を書き、自らを転移させたというのだろうか。


 彼に、直接聞いてみたい。どんな手段を使い、どういった理由でこちらへ来たのかと。

 だが一人目と同じく、こちらの次元に属していない場所にいるため、こちらから直接手を差し伸べることは適わなかった。


 そのまま彼も、目の前で最後の息を引き取った。

 死亡原因は不明のままに、彼の亡骸も徐々に視認できなくなっていった。


 彼の体があった地面に、彼が書き残していったであろう文字があった。

 一人目と同じく言語の違いがあるため、それを解読することが出来ないのは悔やまれる。

 出来れば、これを見た未来の自分、もしくは未来の自分のそばにいる誰かが、これを読み解いてくれるよう、ここに真似た文字を記しておく――――。





 今度は、ページの最下部にそれらしき筆跡がある。しかし真似たというだけあり、そこに残された文字はミミズが這うさまを模していて、とても読み解ける状態ではなかった。


 一人目、二人目ともに枚数でいえば同等で、全体の三〇パーセントしか目を通せていない。


 あとどれくらい続くのだろう……。

 ページをパラパラと捲ると、残された束のうち半数が同じ対象を記した文面になっている。


 その始まりは、こうだった。





 ――――彼女は、特殊だ――――。


 三人目にして、初めての女性だ。


 そして一人目や二人目とは違い、こちら側――――つまり、自分と同じ空間に存在している。この状態も、初めてのことだ。


 言語もはじめは全く聞き取れず、相手もこちらと意思疎通を図れないことを認識してか顔を顰めていた。

 しかし、ものの数分も経たないうちに、互いの言語を認識しあえるようになった。


 彼女がこちらに調和したのか、こちらが彼女に適合したのか、今の段階では不明だ。

 が、言語不明ではどこかに書き記して意思疎通を図ることさえ困難だった為、非常に都合の良い展開ではある。


 彼女自身、突然言葉を扱えるようになり、更には聞き取れるようになったことで少々困惑している様子だった。


 こちらが「どこから来たのか」と質問すると、彼女は「自分はアマゾネスだ」と答えた。おそらく種族のことだろう。

 詳しく伺うと、彼女のいた世界は女性優位の社会が出来上がっており、こちらには無い文化で暮らしていたことが分かった。


 そこからの質疑応答にも、彼女は快く答えてくれる。女性が世界情勢を握っているとはいっても、異性を蔑ろにする意識はないものと見て良い。慈悲深い人だ。

 それからも彼女と質問や会話を繰り返しつつ、自分の家へ招いた。暫くはここを好きに使っていいと話した。


 彼女は「恩に着る」と笑った。初めて、邪でない笑みを見た。


 何より、初めてこちら側にいるのだ。

 初めての女性であり、初めて異世界から来た者と言葉を交わした。初めて尽くしの状況に、この胸は知的欲求の興奮と共に高鳴っている――――。





 博士はこの時、自分の探究心が疼いて仕方ない感覚を得ていたのだろう。

 所々に荒っぽく書かれた筆跡がある。この文面だけ見ても、彼が三人目の訪問者に対して激しい興味を抱いていたことが分かる。


 きっと、博士は彼女を熱心に見ていたに違いない。

 それこそ、一挙一動どんな仕草も見逃すことなく……。


 けれど、その対象が私に取って変わった今、彼が同じだけの興味あるいは熱量を、私に向けているとは思えなかった。


 博士は今、誰を見て、何に興味を示しているのだろう?

 大きなテーブルがあるこちらの部屋に戻った博士は、私の正面でコーヒーを片手に眠たげで虚ろな目をしていた。


 暫くのあいだ横目で彼を見ていたけど、その体勢が変わることはない。

 どうやら、そのまま寝入ってしまったようだ。


 それから直ぐあと、博士が良く籠もる奥の部屋から、大きくて暖かそうな布を抱えたキリスが出てきた。

 手に持つ布を博士の背中にかけた黒尽くめの男に、私は改めて人らしい優しさを感じる。


 一連の流れを眺めてから、私は意識を資料に戻した。





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