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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
2章 サヨナラ、世界
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【4】ひとりでいる理由




 廊下の窓から見上げると、陽はまだ天に届いていない。アリーシャはこの時間、昼食の支度をするため調理場にいるはずだと、途中で出会した侍女から聞いた。


 大きな部屋一つ分離れた間隔で並ぶ柱の陰から、調理場を出入りする人たちの様子を窺う。廊下はしん――と静かで、室内を忙しなく行き来する者の気配を余計に際立たせた。


 そーっと目的の部屋に近付くと、調理場の扉が開いた。出てきた誰かを、ひらいた扉の裏に潜んでやり過ごす。その誰かは、私のいる場所とは反対方向に歩いて行った。

 そのまま閉じていく扉に手をかけて、わずかに開いた隙間から中を覗く。



「~~~~っ!」


「――――っ」


「――あの――、あれが――っ!」



 ちょうど今が一番忙しいようで、大声やら指示やらが飛び交いハッキリとした言葉までは聞き取れない。

 そんな中にアリーシャを見つけた。


 彼女は調理場の中心で静かに立ち、偶に調理人達から指示を求められている。顔に浮かべている表情は、真剣そのものだ。

 扉をソッと閉め、壁にもたれて座り込む。



『はあ……』



 彼女は真面目な人だ。

 一生懸命で、真っ直ぐな人。


 それを私は……――。



「――主様……?」



 声のする方を見れば、調理場の扉からアリーシャが顔を覗かせていた。

 調理場からはまだ忙しそうな声が聞こえているのに、彼女はそのまま廊下へ出て扉を閉めてしまう。



「どうかされましたか? 主様」


『ううん。何でもないです』


「このような場所に座られては、お身体に障ります」


『アリーシャさんは、戻らなくて良いんですか?』


「ふふ……っ、せっかく主様がおられるのです。お側においてくださいませ」



 さっき私がみた顔とは対照的に、誰もがホッとするような笑みを浮かべるアリーシャ。



『すみません』



 やっぱり私がいると、彼女に迷惑をかけるだけだ。


 頭を下げると、アリーシャは困惑した目で私を見る。



「……わたくしが勝手に、傍らに置いていただきたいと望んでいるだけなのですよ」



 ああ、そうだ。彼女は優しい。


 意図の伝わらない謝罪なんて、きっと訳が分からないだろうに。



「さあ、主様。そろそろ昼食のお時間ですから、大広間までお送りいたします」


『いえ、一人で行きます。アリーシャさんは、みんなのところへ戻ってあげてください』


「……左様にございますか。――では、失礼いたします」



 彼女はスッと背筋を伸ばして礼を取ると、扉の奥へと消えた。中からは、戻ったアリーシャの指示に応える声が聞こえる。

 調理場の人たちにとって、彼女は欠かせない存在なのだ。


 対して自分はどうだろうか。

 産み育ててくれた親を置き去りにして、自分の願望に支配されこんな場所にいる。挙句に会いたいと思い浮かべる相手は、小さい頃に良く遊んでくれていた近所のお姉ちゃんと彼女が好きだった著者だけ。



『……り、リリス……。お姉ちゃん……っ』



 落ち着け。ダメだ。

 このままでは、私は自分を嫌いになる。

 嫌って、傷付けたくなる。



 ――――お姉ちゃん。


 ――――みかげちゃん。



 リリスに呼び掛けても、彼女は応えてくれない。


 でもお姉ちゃんが自分を呼ぶ声は、いつも好きだった。

 本を手にするたび私を受け入れてくれる文章や、頭に添えられたお姉ちゃんの手のひらの心地良い熱を思い出す。



『……――はあ。…………だいじょうぶ、大丈夫だから』



 調理場の前で他の誰かに見つかれば、またアリーシャに気を遣わせてしまう。

 何とか深呼吸をして、先ほどより小さくなった歩幅でノロノロと大広間を目指した。






 ――――。


 昼食の準備が整ったようで、3、4人の侍女がカラカラカラ、と料理を乗せたカートを押して入ってくる。

 手を前に組み下ろし視線を下げるアリーシャの後ろで、カートから手を離した侍女たちが横一列に並び、目の前に立つ女性に倣って目を伏せた。


 左隣にはいつもと変わらず大始祖様が座り、いつも自分の周りを彷徨くはずの男は珍しく私の正面で静かに席へついている。


 テーブルの上に移されていくお皿の行く末を眺めながら、自分の膝の上で握り拳に力を入れた。

 アリーシャはメイド達の粗相を見逃さないよう、全体を見渡せる位置で静かに立つ。しかし、自身を見る私と目が合うと、ソッとこちらへ近寄ってきた。



「何か、ご用でしょうか?」



 彼女の囁き声は少し心地良くてこそばゆい。



『いえ。そういうわけでは……』



 否定の言葉を告げる途中で、やっぱり……と思い直す。



『あの……今晩、少しお話しできませんか?』



 躊躇いつつ口にすると、彼女はにこりと微笑み頷き、自分の業務に戻っていく。

 大広間へくる途中で擦れ違ったキリスからは、紙を使って内密に遣り取りするのが好ましいと教えられた。城の内外問わず、みながそうして遣り取りしている。だから、従来の方法に則るのも間違いではないと。


 規則性のある行いには必ず意味がある。

 そこに、受取手の解釈の簡易化と同一性が見られる。

 そう彼は語った。


 この世界に通じているとおりの解釈をさせる為に、つかう者から仕える者への意思疎通を円滑に進めるため必要な統一行動なのだ。

 キリスの話に納得はしているけど、それでも私は口頭で伝えることを選んだ。


 アリーシャからみて正しい行動だったのかは分からないが、数人の侍女たちが控える先頭に立つ姿は凜々しいままで戸惑っているようには見えない。今の私が気を付けることといったら、用意された薄い味付けの昼食に顔を顰めないようにすることだ。


 モゴモゴと鬱屈した咀嚼を繰り返しながら、いまだ曖昧な彼女との距離を縮めるべきか、それとも深めるべきかで思い悩んでいた。





 昼食後。

 三人分のお皿を下げ終えた侍女たちは揃って、カートを押し大広間を出て行く。

 みなの食事が済み次第行う業務をすべて確認したアリーシャは、私に「今晩お伺い致します。」とだけ告げて、扉向こうに消えかけた侍女たちの最後尾に並んで部屋を去った。


 満腹で少し心地悪いお腹の調子を気にしつつ、考え事をしながら席を立つ。扉に手をかけたとき、顎に当てていた手が唐突に顔を離れた。見ると、大人しくしていたはずの男は真剣な表情をして、私の二の腕を鷲掴みしている。



「ねえ、ちょっと良いかな?」


『……なに?』


「最近、博士のところに良く行くよね?」


『そうだけど、何か問題がある?』


「そうだね。例えば何かされてない? 変なことや妙なことは? 不愉快なことを言われたりしていない?」


『何も』


「そう……」



 博士と会う時このロベルトという男を介していたのは、ほんの三、四回ほどで、彼がどこかへ出掛けている間に何度も会ううち自然と彼の仲介頻度は減った。強いて不快なことを挙げるならば、今この状況が正しくそうなのだけど……。


 はやく私の腕を離してください。


 私の答えに納得がいかないのか、彼は言葉尻を小さくしつつも手を下ろす。


 わずかに圧迫感が残る腕をさすって、不意に相手と目が合ってしまった。

 彼と静かな会話をするのは久しぶりだ。いつもは彼の行動に目をつけたアリーシャと二人、物理攻防や舌戦を交えるのみ。

 加えて最近は、赤い女性のこともあり彼を避けていた。


 何の為に私を傍に置きたがるのかは謎だけど、これ以上この男に関わっていると厄介な女性二人組と再び対峙することになりそうで嫌だ。

 私は彼女達に会いたいとは思わないし、多く関わったことのない相手から受ける理不尽な嫌がらせに甘んじる理由などない。



『もう行っていいかな?』



 眉を寄せ悲壮な顔をする相手に、淡々と告げる。ゆっくり首肯した彼の目は痛みを堪えるように潜められ、やがて俯いてできた陰に隠れた。





 その日の夕食は、昼食時より更に閑散としたものだ。

 昼と同じく、食器を下げて大広間を出る侍女たちの後ろにつくアリーシャの背中を、黙って見送る。


 隣で訳知り顔を浮かべる大始祖様と昼からずっと沈黙を続ける男をおいて、私は城から与えられた自室へ戻った。部屋に入り目にしたのは、入り口からみて左に設けられた浴室から、温もりのある湿気の混じった空気が漏れ出る様子。


 すでに入浴の支度は整えてあるらしい。



『……入って、良いんだよね……?』



 豪華で、ゆうに十五畳はある浴槽。更にその一回りはあるだろう大きさの浴室に併設された脱衣所は広くて天井も高く、非常に開放的な仕様になっている。

 自分の世界でも中々お目にかかることが出来ない広さに圧倒され、湯あたりもしていないのに頭がクラクラとしてきた。


 一人で壮大な空間を陣取る居たたまれなさには、いつまでも慣れることはないだろうな。


 それに……いくら一人が好きだからといっても、自分の動作音だけが響く静寂は妙に居心地が悪くて思わず溜め息が出る。


 夜に話そうと考えたのは、彼女の仕事を思ってのこと。この世界に来て始めの頃は、私が眠るまで傍らにいるという状態だったので、その役割は早い段階で取り消しておいた。


 自分が来たことで、この世界の人たちの日常を変えてしまうのは嫌だ。

 そもそも私が一人を好きなのは、誰にも邪魔されず思考に浸ることが出来るから。自分の世界でだって夜遅くまで外を出歩いていたのは、つまりそういうことなのだ。


 そのキッカケは、勿論リリスなのだが。

 入浴もそこそこに私は湯船から上がり、脱衣所に付属した洗面台で水を掬うと、頭部に籠もる熱を冷ました。





 夜もすっかり更けた頃合いで、部屋の扉をコンコンコンと小突く音が聞こえる。

 部屋の真ん中を占拠する大きなベッドのわきには、あと一踏ん張りで真上に到達しそうな月を枠内に捉えた窓がある。


 それくらいに遅い時間のこと。

 この間から厄介な目に遭遇しているため警戒することも忘れず扉へ近付くと、「主様。アリーシャでございます」と扉越しに柔らかい声が聞こえた。

 張り詰めさせた息が漏れ出て、緊張で乾いた唇を無意識に舌で湿らせる。



「主様?」


『あ、はい』


「ああ……。安心いたしました。お返事がなかったもので。――――入室をお許しいただけないでしょうか?」


『はい。大丈夫です。いま開けます』



 この場合、ノックがされた時点で部屋主が応え、入室の前に名乗ってから部屋主が許可を出すのだと教えられた。主に扉を開けさせるのは失礼に当たるのだと。

 しかし本来なら執事であれ侍女であれ、自らの主の部屋へ入る際に許可を取ったりはしないのだそうだ。


 ここは従来客室な上、私自身が主として扱われることを拒否したために面倒な手順を踏み、私自ら扉を開けるという結果に至っている。

 今のところは望み通りの対応であるにも関わらず、いまだに返事をすることを忘れてしまう。そろそろ、私だけお貴族の規則から外される特別措置を提案する時が来たようだ。



『どうぞ』


「それでは失礼いたします。――――あら……どうして、そのような格好で?」


『あ、ちょっと考え事を……』


「左様にございますか。しかし、主様。髪がわずかに水気を含んでおります。入浴後、髪を乾かしておられませんね?」



 考え事をする為に部屋中を徘徊するなんて、我ながらおかしな行動だとは思う。

 けれどアリーシャはそこについて触れることはせず、まだ湿る髪を一房だけ手に取ると嬉々とした表情で言った。



「ぜひ、わたくしにお任せくださいませ」


『え、……あ、えっと、お願いします……』



 小心者みたくおどおどと頭を下げる私を見て、彼女のくっきりと丸く愛らしい目元がフッと和らぐ。一旦脱衣所へ消えた彼女は、その手にタオルと櫛を持って戻ってくると、布越しに柔らかい手付きで私の髪を撫で始めた。





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