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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
2章 サヨナラ、世界
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【2】用意された偽の安息




 即席の揚げ物らしき軽食を買ったのは、ここから少し離れた先の屋台だ。


 何でもそこの商人は漁を生業にしているらしく、どこかにある湖で取れる魚を揚げて提供しているのだった。

 そして、これがまた人気を集めている。私とアリーシャで並んだ時も、最後尾から前に3列ほど進むまで陽の位置が丸二つ分は変わった。


 この揚げ物は、たぶん魚の身だけでなく衣にも味が付いている。湖魚の臭みを消すためだろうけど、調味料頼りで誤魔化そうと躍起になっているような濃い味付けだ。

 いや、よほど個体の持つ匂いが強烈な種類なのかも知れない。料理に詳しくはないけれど、手当たり次第にやってみました感が否めない。


 手に持つものを見つめて、思わず苦笑した。

 そもそも、水源はどこにあるのだろう?



「なにが、そんなにおかしいのかしら?」



 前方から手元に影が差す。

 聞いたことのある威圧的な口調に嫌な記憶が巡り、私は湧き上がる嫌悪を抑えて無表情を相手に向けた。



『なにか、ご用ですか?』



 先日とは打って変わり不自然に敬語を使う私に、彼女は怪訝そうな表情を一瞬だけ浮かべる。私だって使いたい相手くらい選ぶ。けれど、ここは人目がある場所だ。

 せめて人衆の面前では、彼女を立ててあげる。今、そう決めた。


 私もなかなか性格が悪いな。

 少しだけ罪悪感を覚えるが、この相手にはそれくらいでちょうど良いだろう。

 用件を聞いた私を、赤くて綺麗な女の人は上から睨み付け黙り込んでいる。沈黙を我慢するというよりは、何かを考えているような顔だ。



『あの……、』


「さっき、それの味が濃いと申しましたわね?」


『え……あ、これ?』



 なぜ急にそんな話を持ち出してきたのか不思議に思いつつ、揚げ物を彼女に示す。

 手を差し出したまま、どこから自分たちの後をつけてきたのと正直に訊ねていいものか、それとも遠回しに探ったほうが良いのだろうかと真剣に考え込む。


 すると突然、手元にひんやりとした感触を覚えた。



『……――っ!』



 ハッとして下を見ると、手が透明の液体によって濡れている。もちろん持っていた揚げ物は香ばしい衣を湿らせて力を無くしていった。


 肩にかかった赤い髪を振り払い、女の人は白金の瞳を嬉しそうに歪めて腕を組み直す。


 ……ふにゃふにゃの次は、べちゃべちゃ。



『なにを……』


「安心なさい。ただの水ですわ」


『どうして?』


「真水は、濃くなった味を薄くしますの。そんなこともご存知ないの?」



 いや、それ汁物の味付けに対してだけ有効だと思うのですが。


 固形物に水をかけたところで、見た目と口当たりが悪くなるだけだ。現に手元の揚げ物からは、本来の売りどころである香ばしい食感が失せている。



『これが汁物ならまだしも、固形にかけても味は薄くなりませんよ』


「そんなこと知っていますわ!」



 私が不快になるだけの気遣いに負けじと親切心で事実を教えてあげると、相手はクワッと恐ろしい表情を浮かべた。が、それも一瞬で元に戻し今度は咳払いで場を調えようとしている。



『まあ、いいや。どのみち食べきるつもりはなかったし』


「は?」


『私、味が濃いと食事を続けられないんです。普段から、食べるものは極力薄味にしてもらっていて……』


「それで? 食べられなくなったものは残すと?」


『ええ。作ってくださった方に申し訳ないですが……』


「あなた、奇妙な上に最低な方でしたのね。やはり、ロベルト様には相応しくありませんわ」



 それまで高貴な態度を崩さなかった彼女が目を細め冷たい顔になり、その強い気に当てられた私は言葉に詰まった。



「調理人たちにもですが、それ以前に自然に対して無礼ですわ。弱肉強食の上での食物連鎖だとしても、わたくし達は自然を淘汰して生きていますの。それを、あなたは味が濃いという理由でぞんざいに扱っている。これを最低の行いと言わずして、何と表すれば良いのかしら?」



 彼女の言葉に、衝撃を受けた。


 事実を言われたからではない。

 それを、つい最近会ったばかりの他人に言われたからだ。


 だいたい、今持つ食べ物をお粗末な末路にしておいて、舌の根も乾かぬうちに良くそんな善人ぶった言葉がすらすらと出てくるものだ。豪胆にも程がある。私が食べ物を無駄にしない為にしている行いを知らないで、彼女にとやかく言われる筋合いはない。


 初見は必ず一度は完食するようにしているし、どうしても胃が受け付けない場合は、次回から薄味のものを出してもらえるよう頼んでいる。

 といっても実際に頼んだのは人生で二回だけ。両親と、それから城の調理人たちのみ。後者に限っては、アリーシャを介してだけど。


 こういう時、友だちの家に泊まりに行くというハプニングが起こる心配をせずに済むのは、非常に有り難い境遇だと明るく考えていたくらいだ。


 しかし、彼女は私のそれら全てを否定した。

 相手の言い分を聞かず自分の意見を押し通そうと前のめりになる相手に、私は心の底から苛立つ。



『何も知らないくせに……』


「へえ? そう」



 意識せず漏れた声に、こちらが凍えるほど低い声音が返ってくる。



「……不快ですわね、あなた。とってもよ? とても奇怪で不愉快よ。だから、消えていただけませんこと?」


『……どういう、』

 ――――こと?



 聞こうとした言葉も半ばに顔のすぐ横を何かが音速で過ぎ、そばの壁に当たったそれがカランと足下に落ちる音が聞こえた。

 黙った私を見て、赤い女の人は嬉しそうに微笑む。



「もちろん。物理的に、よ。セレシア」


「承知しました。リュネス様」


『なにを――――』



 事態をうまく把握しきれず呟くも、彼女に呼ばれて出てきた長身の騎士が私の口を塞ぎ、階段奥の細道から更に逸れる脇道へ連れ込まれる。露店のある大通りから死角となる陰に押し込まれ、後ろから騎士に口を塞がれたまま目の前の女の人に凄まれた。



「話すことは禁じさせていただきますわ。余計なお喋りは嫌いですの。わたくしは、邪魔だと思った者が消えさえすれば、それでよいのですから」



 ひゅっ――。


 辛うじて咄嗟に吸い込んだ音が、喉の奥で鳴る。

 騎士は私の口元を解放して、赤く滾るお嬢様の背後に控えるように立つ。この機会を逃してはいけないと口をひらいて、自分の声が出ないことに気付いた。



『――っ!』


「あら? 聞こえませんでしたの? 話すことを禁じる、と言いましたのよ? うふふ」



 ――――やることが狂っている!


 もう、形振り構っていられない。

 ただ逃げたくて視線を巡らせると騎士の手が再び喉元に伸びてきて、赤い彼女が機嫌良さそうに微笑んだ。



「喉までは潰さなかったことを有り難く思うことですわ。はじめから、あなたを窒息させることも出来ましたのよ?」



 どうして、そんなことを……っ!


 ここまでされる覚えなどなく、再度喚こうと大口を開けたけれどやはり声は出ない。騎士の顔は次第に険しくなり、喉へかかる手により一層の力がこもる。



『――ッ!』


「セレシア、放してさしあげて。あなたも理解できたかしら? あなたには、ここで消えていただきますのよ」



 どうして。分からない。


 嫌だ。触らないで。



『やめてっ!』



 相手からすれば予想していなかっただろう大声に、目の前の二人は驚いた顔をする。しかし、今の行動に驚いているのは、私も同じだ。

 困惑しつつ硬直から脱する。


 好機は逃せない。

 逃げだすなら、今だ……!



「……⁉︎」



 騎士よりは質量が軽く見えるお嬢様を突き飛ばすと、私は建物の陰から抜けて大通りへと一直線に走る。

 通りが目前に迫り階段を下りる間際、足下でキラリと光る異物が視界に入った。


 きっと、さっき私に投げつけてきたものだ!


 そう当たりをつけ素早く屈んで、鋭利に光るものを拾い上げる。それは小さくて細い針だった。短い段を飛び降りた勢いで通りを駆け抜けていると、前方から嬉々とした笑みを浮かべるアリーシャの姿が見える。



「主様! お待たせいたしました!」



 ほとんど無意識に、手にしていた小さな光り物を襟の中へ隠す。彼女は柔らかい髪の毛を揺らして、立ち止まる私へと駆け寄ってくる。



『アリーシャさん……』


「主様? どうされたのです?」


『何でもないです。けっこう堪能したので帰りましょう?』


「ええ、畏まりました。お疲れでしたら、馬車をお呼びしますが?」



 彼女の提案に首を左右に振る。乗り物を呼ぶということは、ここへ着くまで暫く待たなければならない。とにかく今はこの場から早く去りたかった。

 隣の聡いメイドに気取られないようにと考え、不自然に思われない程度で歩を進めていると、ふいに首筋を微風が撫でつける。



《次は逃しませんわよ》



 バッと勢いよく振り返る。けれど、そこに声の主はいない。


 たくさんの人の往来があるところだ。もしかすると、どこかに紛れてこちらの様子を見ているのかも知れない。

 そう考えると、焦りに反して自分の足取りは重かった。




 商人の街ナリスと大始祖様の城があるスヒリス街を繋ぐ境には、西洋風の見張り塔がある。その周りは壁に阻まれ、唯一出入りできる場所は塔の真下をくり貫いた正面の空間のみであった。



「主様、まだ城まで距離があります。この辺りで馬車を拾いましょう」



 スヒリスに入って門前に連なる「馬車貸し出し」の旗を視界に入れると、隣に立つ騎士兼侍女は言った。


 城から貸し出される馬車は城門との送迎でしか利用を許されていない為、城の敷地外は通常一般的な仲介業者から用意される馬車での移動と決まっているらしい。

 それも専属ではないため、必然的に送迎で利用する馬車は別の扱いになる。


 私たちはこれから、城へ戻るための馬車を頼む必要があった。



『馬車?』


「ええ。わたくし、空間移動が苦手なのです。主様のお時間を煩わせてしまい、申し訳ございません」


『あ、いえ。それは良いんです』



 皆が皆、あのロベルトという男のようにはいかないのだろう。移動に何を使うかについて、私自身のこだわりなんてものは無い。


 来た時も馬車だった。帰りも同じものを利用することに異論はない。ただ、あの女の人たちに出会したあとで、密閉された空間へ籠もることに少し抵抗感があるだけだ。



「馬車をお探しでしたら、あちらの店がよろしいかと。御者は優秀で馬は大人しくお薦めですよ。稀有なお嬢さん」



 アリーシャが旗に視線を巡らせているところへ、男性が正面から話し掛けてくる。

 相手はシルクハットと皺一つ無い紳士服を身につけ、控えめに生える口ひげを撫でた。その口元は柔らかな三日月を描いていて、端から見ても第一印象は悪くない。

 だけど先ほど二人組の女性から受けた逃亡阻止宣言を思い出し、その笑みを疑うことは念頭に置いておく。



『あなたは?』



 敢えて姿勢を変え、横目に問う。

 すると相手はステッキを持った手でハットを胸の前に下ろし、もう一方の手を後ろにやり丁寧にお辞儀して見せた。



「おや、これは失礼しました。わたくしめは、しがない商人風情。馬車をご希望のご様子と見て、お声がけ致した次第です」


『営業?』


「ええ。そのようなものです」



 そう恭しく告げたあと、彼は招くように手を差し出す。

 赤い女の人が寄越した人物かも知れないと考えたけど、それにしては気迫がない。身綺麗で品の良さは感じられるが、物騒な雰囲気も纏っていない。



『アリーシャさん、とりあえず見てみましょう? どんなものかだけでも……』



 振り返りつつ、そう彼女に話し掛けて気付く。彼女は顔を俯かせている。



『――アリーシャさん?』


「……あ、はいっ。そうですねっ、――では参りましょうか」



 どうしたのだろう?


 先程までと違い、どこか表情に影がある。

 視線が宙を彷徨っていて、特定の何かから意識を逸らそうとしているような……。



『アリーシャさん、大丈夫ですか?』


「ええ。お気になさらないでください」



 にこやかに否定した彼女の顔は、それ以降微笑みを崩すことはなかった。





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