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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
1章 コンニチハ、世界
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【15】私を繋いでいるもの




 ほんの数分だけ続く沈黙に、不思議と不快な心地は抱かない。


 だけどそれは、周囲には伝わらない類のものだ。

 こちらが無言でいることに何か思ったらしく、人の表情に敏感なレニーが私を見て首を傾げ、それに伴ってキリスまでがこちらを見た。


 感じるものはあるものの、その正体がうまく掴めない様子。

 顔の筋肉の変化には気付けても、うちに潜む感情の機微には疎いのだろう。先ほど私の感情を見誤ったレニーを思い出し、不自然に捉えてしまわないよう口を開けた。



『どうして言葉が通じるの?』



 この世界で何のキッカケもなく意思疎通が可能であることに、まるで雲を掴むような空振りした居心地の悪さを覚えている。



「う~ん。どうしてだろうね~」



 そして返ってきたのは、全く答えにならない言葉。それと、わずかに緩んだ笑み。

 ただの話のつなぎだ。分かっていた。


 彼は答えない。


 それが答えられないからなのか、答えたくないからなのかはさておき、私はこの殆ど意地悪な成分で出来ているであろう博士が、理由もなく嘘を吐くとは考えていない。


 まあ返答は期待していなかったけれど、この人物の妙に意図を含んだ言い草が気に障ることはどうしようもなかった。



「勘違いしないでね? 考え得る候補がひとつに絞りきれなくて、僕としても心苦しいんだよ」



 君とは少し意味が異なるだろうけれど――――と言葉を付け加えて、彼は無造作に自身のボサボサな後頭部を掻く。



「ひとつ例題をあげるならば、――……いや、今の時点では仮説だなー」



 そう話し始める博士はアクリル板と向き合い、一つの釣り竿と一匹の魚の絵を描いた。


 ……画力は……想像通り歪である。

 細部が緻密で繊細なのに対して、全体像が乱雑なおかげで逆に気持ち悪い仕上がりだ。


 魚の絵に関しては、鱗の模様で辛うじて判別できるレベル。

 こちらの引き攣った顔に目もくれず、続きを勝手に話し出す博士の顔は最初より活きているように見える。


 持論の展開が好きな性分なのだろう。今の私にはとても有り難いとは思えない説明だけれど、沈黙に再び入ることを――またレニーがこちらの様子を訝しむことを思えば、ここは話を聞いていた方が良さそうだ。



「君の何かが、この世界の何かに引っ掛かっているんだ。釣り竿についた餌に釣られて釣り針を食む魚のようにねー。どっちが君かは、仮説の段階では断言できないけれど」



 一旦話を切った博士は、絵の上下に書いた『私』と『世界』から線を引き、その先端を左右の絵二つに向けた。


 つまり、例えるなら私が世界に釣られているか、或いは私が世界を釣っている状態らしい。そして、『世界と私』の中間にある餌のついた釣り針が、お互いを引き寄せ引っ張り合っているということだろう。


 博士は上下の固有名と左右の絵を一つずつ囲み終えると、こちらに向き直って話を再開した。



「その何かがきっと、君がこちらで過ごす上で不自由がないように取り計らってくれている、という考え方が出来るね~」


『自分の知らない間に、内側に眠る良く解らない機能でここでの言語を支えられているなんて……。――――何だか不愉快だわ』



 表情筋を限界まで使って顰めた顔を向けると、彼は「そうだね」と苦笑し言葉を続けた。



「要は、君が惹き付けられているという見方でも、君に惹き付けられているという見方でも良いんだ。大事なのは、例え互いに惹き付け合っていても、この世界はこうして存在し続けているし、君もこうして生き続けている。君の捉え方次第だよね~」



 会話のつなぎでしかなかった質問に、とても親切な答えが返ってきた。


 いえ、本当にね。

 もちろん、これは皮肉だ。






 暫く経つと、コンコンと扉をノックする音に続いて、お皿が乗るカートと共にキリスが入ってきた。どうやら、食事を受け取りに出ていたらしい。



「昼餉。超過」


「師匠、レニーも食べます!」


「レニー。補給。不要」


「え~! つまんなーい!」



 彼らの会話を聞いて自身の空腹を知ることになるとは、自分の体には落胆するしかない。



「あー、そっかー。君には必要だね~」



 博士は私を横目で見つつ、面倒そうに金属製の覆いを外して中の料理を確かめた。



『あんたも食べるんでしょ?』



 運ばれた皿の数はどう見ても一人分で、彼の、まるで他人ごとのように食事の必要性を説く言い方に疑問を覚える。なので、決して彼を気遣って出た言葉でないことは明言しておく。



「僕は職業柄、寝食の時間が定まっていないんだよ。ここまでちゃんとした食事は久しいね。ま、食べないけれど」



 そう言うと、彼は自分が着ている白衣のポケットから袋を取り出し、中から乾いた四角い固形物を手に取り口に放り込んだ。



「博士。間食。良くない」


「栄養面に問題はないさ。これで充分に摂取できる。長年そうしてきたんだ。今さら胃が受け付けないよ。キリス」



 ポリポリと咀嚼音を立てて、彼は自身が作った模擬人間にそう言い放つ。わずかに不満そうな顔をする師匠を見て、レニーが博士をジッと見つめた。



「身長165センチメートル。体重76キログラム。体脂肪率は30パーセント。博士の身体は脂肪で構成されています」


「着痩せするから良いんだよ~」


「レニーは気にしないけれど、それが原因で死なれたら困る。せめて博士の脳内にある知識や経験、記憶のすべてを何らかの媒体にコピーしてから死んでください」



 可愛らしい桃色の唇から紡がれる言葉は、博士に対してだけ厳しい。



「んー? 昨日、修整したところだけれど、まだ微調整が必要らしいなあ」


『そう? 調子が悪いようには感じないけど』



 見た限りでは完璧に近いと勝手に思っているが、まだ成長し高みに行ける余裕があるのだろうか?

 果たして、それは彼女たちにとって良いものだろうか?


 しかし私の静かな問答など、きっと開発者たる彼には些末なことなのだろう。



「いーや? ただね。自主性を損なわず、更に僕へ準じさせるには難しくてさー」



 それを調子が良いとは言えない、と笑う博士。開発者本人だからこそ、自身の技術に問題があると自覚したのか苦い思いを噛み締めるように顔を歪めた。


 そして、博士の手に拠ってキリスたちは、自分達の未開を知らず知らずのうちに修正されてしまうのだろうか?



「博士。不精。非。敬慕」


「最近その影響が著しいキリスくんも、調整が上手くいっていないんだー。おかげで反抗期の子どもを持つ親のような心境だよ」


『あはは……』



 ただ、羨ましいと思ってしまった。

 まだ変化できることに、変化すると分かっていることに羨望を抱いた。


 ああ。ただ、そこに行けたら……。成りたい存在が、目の前に近付いている気がする。



「博士の適正体重は59.9キログラムです。例え一回の摂取量と栄養は補えても、そう無秩序な体型でいられると計測する方は迷惑なのですよ」



 レニーの批難めいた言葉と声に、自分が今どこにいるのか思い出す。私は、また性懲りもなく思考の渦に飛び込んでいたらしい。


 脳内で飛躍したあとにやってくるこの虚脱感を、私はいつも持てあます。

 望むものがすぐ傍にあって、あと少しで手が届きそうなのだ。闇雲にでも縋りたい存在が、そこにある気がする。そして小さい頃から感じていた違和感と、両親の気を遣った笑みがちらつく。


 私はあの時、どうすれば良かったのだろう。故郷ですらない、もっとずっと遠い遙か先へと飛び立つ自我はずっと、ずっと自身が求める答えだけを探している。

 他の、納得に至らない誰かの言葉はすべて無に還してしまう無情もの。それが私なのだ。






 博士から譲り受けた料理を口に運んでいる時のこと。



「そういえば、君はロベルトくんの名を呼ばないね~?」



 人に食事する姿を見られる拷問のような状況に、降って湧いたような突拍子もない問いかけである。


 ……そういえば……。


 思い出したついでに考えてみたものの、自分でも正解が分からず答えられない問いに『さあ?』とだけ告げる。これまで、とりわけ呼ばなければならない状況にはなかったし、特別呼びたい相手でもない為に声に出す必要性もなく、おかげで気付くのが遅れた。



『――名前は知っているけれど、何故か口にすることが出来ないみたいなのよ。というか、本能が躊躇している感じかな』



 物事は早急にと今この場で試してみたが、口にしようと思い浮かべた名前に靄がかかってしまう。ただ脳内で反芻するだけなら何も起こらないのに、これは妙だ。


 私はその手の仕組みどころか、この世界の情報すら知らない。勝手に知ることを許されていないわけだけど、それを踏まえた上で自分から知識を求めにいかないのなら、それは好奇心を捨てたも同然ということになる。



「そうか。まだ彼本人から名乗られていないだろう?」



 こちらの心境を知る由もなく、博士は問いを続けた。



『ああ、そういえば』


「それは珍しい力のかけ方だね。彼にしか出来ないことだ」


『そうなの?』



 そのロベルトという男に出来て、博士や他の人たちに出来ないこと。それは一体どういう力関係のもとで、そういう差違が出来てしまったのだろう?



「この世界には、特定の相手に名前を呼ばせない術がある。そして彼は、その術に独自の力を書き加えて、君に名前を呼ばせないようにしているんだろうね」



 ……そんな他人ごとみたいに……。



『それって、あんたでも解けないの?』



 少し期待を込めた視線で、目の前の博士を見る。けれど、返ってきた反応と共に彼は険しい顔を作った。



「解けるだろうけれど、複雑な術だろうね。下手に解除すると君の脳が混乱を起こして暴発し、肉片と髄液をそこらじゅうに四散させることになるだろうね~。さすがに、それは嫌だろう?」



 そんなの誰だって嫌に決まっている……‼️

 とんでもない事を淡々と告げる相手を前にして、必死に平静を装いつつも心中は穏やかじゃない。



「まあ、解除は簡単さ。君が彼の名前をたった一回呼んであげたらいい。そうすれば、その術の効力はなくなるさー」


『えぇ……』



 それは、何となく嫌だ。


 ここにきて命の危機を小さく感じる羽目になるとは……。

 この制限をかけた男の術中に嵌められている気がして、その提案に頷くことは出来なかった。





 ◆◆◆◆





 《君が彼の名前を呼んであげたらいい。》


 キリスに部屋の近くまで送ってもらい、室内奥の真ん中で堂々とした存在感を放つベッドに横たわる。


 博士の言葉が頭から離れず、ひたすらぼうっとすることに努めているが上手く出来ない。


 私が彼を呼ぶ必要はあるのだろうか。彼の名を口にする機会などあるだろうか。名前を知らなければならない理由は?


 よし。何もない。

 納得して寝返りを打っても、頭のなかで煩く行き来する思考に昼寝を邪魔される。



 結局は、自分の面倒くさがりな性格が祟っているのだ。

 そんなこと知っている。


 もう一度寝返りを打ち、大の字になり天井の柄を静かに眺めた。


 無心になれ。無想だ。無論なのだから。空論にすぎないのだから。


 一旦カラにした頭で考えようとも、誰一人思い浮かべずにいようとも、いつどこで状況や環境など関係なく自分基準。

 自分のことで精一杯だと自覚しているから、余計に質が悪い。笑えてくる。

 どうしようもなく情けない人間でもあった。


 思考を切り替えるように『はあ……』と溜め息をつく。私が疲れたように息を吐く度、不安そうに見つめてくるレニーの顔が脳裏を過ぎる。



 キリスとレニーには、人にない物が備わっているように思う。

 それは決して感情に支配されないこと――まあ、レニーは特別だけれど――と、自己を振り返る必要が無いこと。

 それから何度でも、それこそ体の役割を果たす資本の取り替えが利く限り永続的に、容易く修整がかなうこと。


 私の――――人間の体はすぐに朽ちてしまう。突発的な死すら避けることはできない。


 脆い。とても脆い。

 そして儚い。あっという間だ。

 そんな悩みすら自分の意思に反して、時間の流れに逆らえず記憶の彼方へ押しやられてしまうのだ。





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