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さよなら、世界。  作者: 不知火 初子
1章 コンニチハ、世界
14/31

【13】マイゴジャナイヨ、迷子だよ





 ちゃんと昨日通った廊下を歩いてきたはずなのに、何故だか見たことのない壁の柄を先程から目にしている。


 大丈夫。マイゴジャナイヨ……。



『こんなところ通ったかな?』



 平常心を保つために声を出してみたが、どう記憶を辿っても通った覚えがない。



 そう。


《迷子である》



『はあ……』


「また。迷子。はてな」


『ひっ……――!』



 自分の方向感覚に辟易しながら溜め息を吐くが、何の前触れもなく聞こえた声に飛び上がりつつ振り向く。後ろに立っていたのは、博士の傍らにいたキリスという模擬人間だった。



「博士。会う。だから。いる。はてな」



 最後の《はてな》は、私に対する配慮だろうか。

 彼の話し方はその特性らしく単調的で、驚愕や疑問を感じた時の反応が分かりにくそうだと、ちょうど昨日から感じていたのだ。



『えーっと、迷子ではないです。あなたに会えたので』



 正真正銘の迷子に陥っていたならば、きっと見知った人物には会えていないはず。と強引に自分を納得させ、『博士には会いたくないな。変な人だから』と言葉を落とす。



 こんなところで暢気な会話をしている自分も偏屈だろうことは、この際わきに置いておこう。



『意外と背が高いんですね』



 こちらの会話路線変更にも気付かず、無表情で見下ろしてくるキリスの身長は私の頭二つ分ほど高い。



「そう。博士。作った。でも。文句。いう」


『へぇ。どうしてですか?』


「博士。低い。オレ。高い」


『それは、とても自分勝手ですね』


「そう。なの」



 相手の姿からは想像もつかない言葉に、思わず吹き出す。

 感情が見えない口調なのに、「~~なの」なんて言い方が妙に可愛らしい。



「敬語。不要。オレ。従者。あなた。客人。大切」


『……え?』



 キリスの言葉で、木枯らしに肌を刺されるような寒さを覚える。突き放された気がして、私はそこから上手く会話を繋げることが出来ない。



 彼は既に、私より自分の方が下だと認めてしまっている。


 でも私は、余所者で、部外者で異質な存在で――――。


 本来、この世界にいるはずのない……――――。



「なぜ」


『へ?』


「涙。なぜ」



 泣いているように、彼には見えるらしい。涙は出ていなくても、私の表情は泣き顔のそれだと彼は示す。



『……大丈夫だよ。ちょっと驚いただけだから』



 どうにか取り繕ってへたくそな笑顔を見せても、まだ納得の行かない――いや、無表情であることに変わりはないのだけど――こちらを気遣う顔で私の表情を見る目は、まるで観察しているようだ。



「沈黙。疑問。現状。緩和。不可」



 すらすらと言葉を並べていく彼の静かな目が、何故か今は心地良い。


 きっと考えてくれたのだろう。そして、私の考えすぎかも知れないけれど、自分ではどうにも出来ないのだと嘆いてくれている気がした。



 そう思い始めると、彼は少しだけ優しい表情をしている。心を備えていないはずの彼は、けれど凄く人らしい厚情と探究心を持っているのかも知れない。



『キリスは……』

 ――――優しいね。



 そう口にしようとしたが、横から入ってきた手に声を遮られる。



「やあやあ、君たち。遠くまで彷徨いていると思ったら、もうこんな所まで来ていたのかい?」


「博士。案内。交代」


「よしよし、そうしよう。君はそろそろレニーくんを探してきてくれないか?」


「了承。探知。――認識。移動」


 最低限の単語だけ発する彼を見守っていると、最後の言葉を皮切りにして飛ぶような速度で廊下の先へと消えていく。



『彼は一体……何を?』


「あれは呪文詠唱みたいなものだよ~。単に探して見つけた対象のもとへ向かっただけ。でも、もう少し探知能力を改良しなければいけないね。アレは」


『そう? 私には、物凄く速い流れに見えたけど』



 確かに一拍空いた気がしないでもないが、それも良く注意を向けてなかったら気が付けない程に些細な間だった。



「アレは格下の対人向けではあるけれど、同等か格上を対象とした場合には不向きだね」



 あまり納得できないが、そう説明する博士を見れば顎に手を当てて思考の波に身をまかせている顔をしていた。



「特にレニーくんはいずれ、キリスと融合させちゃうからねぇ~。それまでに微細な差だろうと埋まるよう改良しなければ。あくまで自由奔放で学習能力のある人間らしいレニーくんを使って、キリスの弱点を減らしていこうという試行段階だからさ~」



 え……?

 それじゃあ、二人はどうなっちゃうの?


 私は狼狽えた。博士の言った通りに事が進めば、レニーという少女の存在は恐らく消えてしまう。この事は例え詳しく説明できなくても、感じ取れてしまえる。

 融合したことで、今有るキリス個人の意識が残るという保障がどこにも無いことも。


 そして、それは彼らを実験台として見ているという、博士の意思表明だった。

 言葉を詰まらせ納得がいかないと睨む私を見て、博士は一つ深く溜め息を吐く。



「キリスもレニーくんも、勿論そのことを知っているよ」


『……』


「もしキリスの存在が、未来の僕たちにとって大きな発展に繋がれば、それだけ他の世界に行く危険性を極小にすることだって出来るんだ。つまり希望の塊なんだよ、彼らは。……――それに、レニーくんに子どもらしさを備えたのは、それだけが理由じゃあない」



 そう漏らしつつ、博士の目はキリスが去った方へ向いている。沈黙が続くことに何を思ったのか、次いでレニーのことまで話し始めた。



「詠唱を必要とせず危機や諸々への察知能力が高いとなると、強力な恐怖対象になりかねない。だから、子どもらしさを兼ね備えて、親しみやすさを出してみたのだけれど……どうだい?」


『庇護欲を煽る目的だったなら、大成功ね』



 事実、レニーは非常に親しみやすい印象を受けた。馴染みある会話が出来て、こちらに見せる感情の起伏も子どものそれと大差ない。その上、人工的な冷たさも感じなかった。

 それは、キリスに対しても同じ感想を持ったのだ。



「良かった。なら万事順調だね。とりあえずは」



 鼻歌でも歌い出しそうな調子で歩き出す博士の後ろを、仕方なく付いて行く。



「キリスは探索、レニーは……さしずめ放浪癖ってところかな」



 今後の課題を念仏みたく唱えて歩く白衣の背中を見ながら、今しがたの会話を辿る。


 確かに他世界間との移動を彼らのような存在が行ってくれるなら、危険性の高いことにまで対処出来るだけの技術発展が見込めるのだろう。


 だけど結局のところ、それは結果論だ。

 過程に哀しみが積まれている以上、大きな成果を手放しで喜べるはずはないのに……。





 長い廊下を数回右へ左へと曲がる。

 いつの間にか周囲の壁面には、見たことのある等間隔に配置された窓が見えた。たしか昨日にも、同じ形の窓から陽が照りつける空を見上げていた気がする。


 けれど、今こうして同じように窓枠へ近寄り見上げてみても、同じ時間帯ではないのか陽射しが現われる兆しはない。それどころか、窓から覗く光景はどこもかしこも靄がかかっている。


 前を歩く博士は、外の様子に無関心で先へ先へと進んでいくので、一言訊ねようにも声を掛けづらい。たぶん今は何を話し掛けても、返ってくる言葉はすべて上の空だ。



 ――まあ、いいか。あとで聞こう。



 大始祖様にでも聞けば、案外すんなり教えてくれそうではある。なので、その時はあまり深く考えずに疑問を飲み込んだ。



 博士の後ろに続き、本来の目的であった部屋へ入る。

 この部屋を管理する白衣の男は苦手だけど、この周辺を占める静寂した空間を私は好きになっていた。


 入室してすぐ、博士は奥の部屋へ消える。自分の息遣いだけが鼓膜を突く。


 昨日と同じく真ん中にあるテーブルに着きながら、昨日とは違って部屋全体をゆっくりと見回した。


 正面に見える出入り口の上には、額に一本の角が生えた白くて綺麗な馬の剥製が掲げられている。そして扉のすぐ右の壁にあるのは、歪な表情を浮かべ小さく煌めく生き物たちの、薬液漬けの瓶が置かれた棚。

 その脇に部屋が設えてあるのか、大の男二人が同時に通れそうな入り口はカーテンで仕切ってあった。カーテンの隙間からは、奇妙な目玉や頭髪、ぐちゃぐちゃに書き殴ったような絵や無造作に放置された彫刻がわずかに姿を見せる。


 右へと順に視線を巡らせていった。


 まずは化学実験で使う器具の数々に、気味の悪い色の液体が入れられた試験管などが並ぶ低いテーブル。

 それから私が座ったその背後、出入り口の対にあたる壁には大きく切り抜いた窓があり、まるで部屋を左右に二分するような陽の入れ方をしている。


 窓のそばにある棚にはコルクで栓がしてあるフラスコ瓶があり、中は多種多様に揺らめく何かが確かな意思を持つように嫋やかな色彩を放っている。

 そこから今度は先ほど博士が入って行った扉があり、出入り口から中心となる部屋の入り口の扉付近まで続く壁には、透明のアクリル板に似た物質が備わっていた。


 板の中央には博士の文字なのか、ミミズが這うような長ったらしいものが書かれていて、理数系が苦手な私はそれに対しどこか呪文めいた感慨を覚える。



「そんなものを見て楽しいかい?」



 部屋中を隈無く眺めて、どれくらい経ったのだろう。

 いつの間にかこちらへ出てきていた博士を、アクリル板の左側に見つける。



『別に面白くはないよ。何が書いてあるのかも分からないもの。――だけど……』



 そう。どこか不思議と魅入っている。

 この文字を私は、本能的に記憶しようとしていたのだろうか……?



「そもそも、別の世界から来たものは認識すら出来ないはずなんだけれどね~」



 緩い話し方だが、尚も変な者扱いをする彼の口調に、私はほんの少しだけムッとした。



「怒らないでよ~。これまでがそうだったってだけで、別に君がおかしいわけではないって~。たぶん」



 最後に憶測だと強調してくる辺りが、もう既にわざとらしいと思うのだ。



『どうせ、変なやつよ』


「変なやつとは言ってないよ~。特異の姫って呼んでたでしょ~?」



 むくれる私に、弁解のつもりかそう声を掛けてくる。

 特異だなんて調子の良いこと言ったって、言葉の深意までは変わらない気がする。


【特異】――――つまりは、他と比較した際に普通より特に異なっている様であり、特に優れている様子を表す言葉である。

 特異体質というと聞こえは良いが、一般的にはある種の薬物や植物に対して異常に反応を示す体質のことを、そう表現したりもするのだ。


 私の場合は、少しだけ勝手が違うのだろう。ある物に触れて本来ならアレルギー反応を示すはずが、そうはならなかったという点を挙げると、特異体質という理屈にも頷けた。



「ところで、何か用事だったかな?」



 質問されて、少しの間、顎に手をあて沈黙する。



 ――そういえば、なんで来たんだっけ……。



 数分前に思い描いていた内容に、漸く思い至る。何か理由や考えがあったわけではなく、ここで一人静かにしていられる時間が欲しかっただけだということを。



『あの二人のそばにいると、何かと煩いでしょ?』



 博士はそれまで白衣のポケットに入れていた両手を出し、胸の前で腕を組み直して苦笑した。



「ああ、そうだね。確かに。――なら暫くはここにいると良い。僕は用事があるから少し出るけれど、直にキリス達が戻ってくるだろうから」


『どこかに仕事?』



 この部屋に留まることを許してくれたのは凄くありがたいことだが、そこはやはり他人様の部屋。多少の居た堪れなさを感じてしまう。


 身につけていた薄汚い白衣を脱ぎ、皺は入っているものの桁違いに白さが際立つ白衣に着替えると、博士は自身の体格に見合わぬ大きなリュックを軽々と背に担ぐ。


 それでも頭髪や白衣の中から覗く私服は粗雑で、これから探険に出ようとする環境研究家のおっさんにしか見えない。しかしその姿が逆に、仕事へ行ったら最後、長期間は帰ってこないにんげんを見送るような気持ちにさせた。



「うん。ちょっとね~。そこら辺に生えてる草を取りにねぇ~」



 ……草刈りにでも行くのだろうか?


 こちらの頓珍漢な視線に気付き、博士は振り向いて苦笑し微笑を浮かべる。



「まあ、僕もちゃんと自分の役割を分かっているってことだよ~。さあて、そろそろ行かないとね~」



 それだけ言うと、博士は白衣を翻して部屋を出て行く。


 私はただ、静かに閉じていく扉を見守った。





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