QUEEN&PRINCESS
「何かあったのかしら?」
怪訝そうな表情で、会計待ちをする老齢の貴婦人が階段を下りてきた呆れ顔のレオンスに問いかけた。
「あ、いや…新入りのバイトがいちいち大袈裟なもんで」
「まあアルバイトの人、元気が有り余っているのね。あぁ羨ましいわぁ。これでも私も幼少期は、叱られてばっかりのカラ元気娘だったのよ?」
「ほう、そうなんですか。落ち着き払っていられる今のお姿からは想像もできないですね」
「ふふふ。おばあさんになると体が鉛みたいに重くなっちゃうからね。落ち着いてるんじゃなくて動きが鈍いだけよ?」
冗談めかした台詞も上品さが伺える貴婦人にレオンスは苦笑する。というより苦笑する他なかった。
「また御冗談を―――」
「レオンスさん」
長年の癖で零れそうになったある言葉に対して、反射的に鋭い視線を浴びせる貴婦人にレオンスは思わず咳払いをし、襟を正した。どうにもこの貴婦人の前では調子が狂ってしまう。
「…すみません」
「いえいえ。もう退位して十数年経っているというのに、顔見知りはどうしても癖になっちゃってるのかしらね。冠が無ければただの一般人だというのに」
「いやいや、それなら店先に護衛を立たせないで下さいよ。恰好こそ町娘風でも分かる人には分かるんですから」
窓ガラス越しに如何にも着せられた町娘風の視線の鋭い護衛がレオンスとイダイナの様子を粛々と窺っている。そんな光景にレオンスは、頭をポリポリと掻いて音にならない溜息を吐く。
「ふふ。私は要らないって何度も言ってるんだけどね。娘の心配性とやんごとなき役職の代償なのかしらね。どうせならもうちょっと話の分かる娘がいいわ。冗談も言わないし…ああ、言えないのかしら。結局、任務だからかしらね…結局、生まれというのは呪いなのかしら…」
遠く寂しい目をする貴婦人にレオンスは、沈黙を貫く。下手に色々と言い出せないというのが本音だ。
- - -
「レオンスさぁん。雑巾ってどこですかー水こぼしちゃって」
神妙な空気を潰しながらのろりのろりと階段を下りてきた私にレオンスが見つめる。あれ…?やだぁ…怖くない…ナンデ?
「あ?雑巾なら流しの下にあるだろう」
「あら、貴女がさっきの叫び声の人?」
貴婦人は、大変にこやかな表情で私を見る。私もぎこちない笑顔を作って軽く会釈する。レオンスの手前もあるのだが、身体がそうしなければならない、逆らえない“圧”とは違う何かを感じ取ったのだ。
「は、はぁ。そうですけど?ええと、レオンスさん。誰?この人は?」
「ミリアお前なあ…この人は元女お…ウォッホン!」
「は?モトジョォ??」
レオンスのわざとらしい咳払いに私の頭の上に疑問符が浮かぶ。私に対してはやたらと不遜な態度とるレオンスがこうも慌て取り繕うのには何か裏がありそうだ、と疑いの目を向けたら、当然レオンスの殺人光線級のガンを飛ばしてきた。怖い。ナニコレ。
「…ただの言い間違いだ。こちらは、イダイナさんだ」
イダイナ…?何かどこかで聞いたような名前だが、どうせありふれた名前っぽいと思い、私はやはり「はぁ」とそっけない返事を返した。
「ふふ。よろしくね。ミリアさん」
「あっ、ども」
すっとか細く白い腕を私に向けて伸ばす老いたイダイナ。私は、服の端で掌の汁気を拭ってイダイナの手をワレモノを扱うようにそっと握った。柔らかく、温かく、それなりの歳にしてはきめ細やかな肌触りだ。そして、"圧"とは違う何かを更に感じ取れる。これまでの生活とほぼほぼ無縁だった高貴さだと形容しておこう。たぶん。
握手した後もその高貴さのせいか、私にあるはずもない邪な何かが浄化された様な気がして私はしばらく呆けてしまった。邪さなんて私にはないはずなのに。
「そろそろお暇させてもらうわね。あの娘も気が気でしょうし」
「そうですね。客除けは自分で充分ですから」
レオンス渾身の自虐ネタなのだろうけども誰も笑いもしない。笑っていいのか、笑ってはいけないのか、イダイナも笑みを浮かべてはいるが、社交辞令としての笑み。何とも大人の余裕というものを感じさせる。
イダイナは、私とレオンスに軽く会釈をすると出入り口の扉のノブに手を掛けたその時だ。イダイナは上半身だけをくるりと振り返りレオンスを注視して口元を綻ばせた。
「ああ、レオンスさん“彼”がもう動き出しているわよ。今回も油断ならないわよ。ふふ、それじゃあね」
まるで少女の様な悪戯な顔をするイダイナとは反対になんだあのレオンスの形相は、親の仇にでも出会ったかのような修羅の顔と脂ぎった瞳。彼女の言う“彼”という言葉に異常反応するレオンス、“彼”なる人物とは一体…。そんな捨て台詞だけを残し、ヤオヨロズヤを後にするイダイナと護衛の人を私は未だ呆けたまま、窓越しに見送った。
その後、今日一日様々な客がヤオヨロズヤを訪ねたがこれほど印象的な客は来なかった。正確には来なかったのではなく、慣れない仕事に忙殺されてあまり覚えていない。ガタイが良かったり、あるいは極端に華奢だったり、胸に余分なお荷物を二つ抱えていたり…何となく身体的特徴が強い客が居た様ないなかった様な、そんな記憶が曖昧な位に疲労困憊。
もう少し、のんべんだらりとできると思っていたが、コンスタントに来店する客とレオンスの見張りが怖すぎてそれは当然許されない。そんな緊張感と体に合っていないダボダボの服装が疲れをより一層強めている気がする。いっそのこと唯一の一張羅である寝巻で働いた方が楽なのかもしれないが、それも当然許されないだろう。なんだかんだで愚痴っぽい考えは常に思い浮かべども、その思考を許されない位に仕事に忙殺された。
日が傾くに連れて人の波が緩やかになり、やがて完全に人が捌けた瞬間にすかさずレオンスは店を閉めた。
「ちょっと早いが、今日は店じまいだ」
「はぁぁぁ~…お、終わった…」
慣れない仕事と体力不足の私は、店じまいの言葉についに限界とへなへなとその場にへたり込んだ。
「この程度で疲れたとか、明日から不安で仕方ないな」
語尾の語気を強めて鋭い視線を容赦なく突き刺すレオンスに対して、私は返す言葉が無い。あったとしても返す気力もなく、首を稲穂の様にだらんと垂らして疲労の回復を待つのがいっぱいいっぱいだ。
「さて、行くぞ」
「はぁ?」
「あ?」
私が条件反射的に返した不躾な返事を怒気の籠った応酬を頂戴仕ったので「すいません…」と一応申し訳なさそうに平謝りする他無かった。
「行くって、どこに?」
「ミリア、お前の服を買いにくぞ」
「はぁ」
確かに、オネエから貰ったこの服。ダボダボ感がカワイイと一部の客が言っていた(様な気がする)が、体に合って無い服というのは、どうにもしんどい。自分の趣味を優先していた私にとっては、服は人として、世間としての体裁でしかなく、最悪恥部が隠せればいい位だ………まあ、下着姿で外をウロウロする程の痴女的度胸は無いので人並みの服で良いとここに訂正しておく。
ここでダラダラしていたらまた何を言われるか分からないので、やれやれどっこいしょと、重くなった腰を上げる。
外はすっかり夕闇に包まれ始めていたが、やけに暗くなるのが早いと体感時間でも分かる。その原因は高い城壁にある。陽が地平線の向こうに消えるよりも城壁に隠れてしまうのが先だからだ。
オネエ三人分くらいの高さのある魔力灯が周囲を暖かく照らし出す街の光景は、また昼間とは違った雰囲気を醸し出している。
店じまいする店も多い中、逆に今からが稼ぎ時と開ける店もある。冒険者をはじめとした一日の憩いを提供する酒場等が主でもあるが、レオンスの営むヤオヨロズヤ同様、夜専門の道具屋もある。卑猥な意味ではなく、夜を主戦場とする冒険者も少なくないのだ。卑猥な意味ではなく。
レオンスの導きの元、私は疲労感から頭と腕を力無くぶらんぶらんと芯の無いぬいぐるみみたく垂らしながら追従する。
「この方向は…」
この街に特段思入れは無い。が、忘れもしない、忘れるものか。この街並みは死んでも忘れるものか。
一見すれば何気ない細い通り。しかし、同族界隈曰く通称『神宿る小路』と称される私も愛する垂涎モノの魔導人形の販売店舗が並ぶ特別な場所である。
魔導人形とはただの人形に非ず。掌に収まる崇高たる芸術作品である。
ゴーレム錬成で培われた球体可動域、変装術に長けた暗殺者の技が生んだ塗装、錬金術師の叡智ホムンクルススキン、そして何よりも原寸大のディティールを掌大のサイズに落とし込む神造形師の存在だ。写実の物だけでなく、小説などの言葉からキャラクターを生み出すまさに全知全能の神である。
…横道を少し恨めしく思いながらも、私は嫌々前を向いてレオンスの後を続くのであった。