劇物口に痺れし
「…う、うす」
出会い頭のそこそこイケメンに腕を握られ、いきなりおねえちゃん呼びに私は正直慄いた。刺激強めな双子の件から時間がまだ一刻も経っておらず脳内処理が追い付かない。
しかしこの男―――見た目と内部構造が乖離している。身体ばかり大きくて、中身が育っていない…と言いたいところだが、あの私を助けた紳士的な振る舞いに違和感を感じる。中身が幼子ならば倒れた後に慰めるなら何となく理解できるのだが、何故か倒れる前に私を助けたという事に。
「おねえちゃん?」
こういう手段で襲い掛かる悪い男という線も考えられる。昼間は羊の皮を深く深く被り、宵にまもなくその本性である狼の部分を破り捨てて露出するのであろう。若く飢えに飢えた男はそういう物だと恋愛モノの本が言っていた。
「ひっぱったうで、いたかったの???」
ここまで無垢を振るえるのだろうか。これまでの人付き合いが少ない分、私はこの真偽を見抜く術があまりにも弱い。だから直感に頼る他ない。いやいや、考えすぎなのかもしれない。もっと事柄は単純なのかもしれない。いや、単純だからこそ複雑なのかもしれない。そうだ事実は小説よりも奇なりとも言うし…いっその事なんでそんな感じなのかと聞こうか…いや、シャノンを子馬鹿にするように質問が出来ない。してはいけない様な気がしてならない。でも質問しなければ解決しない。でも…。
…ああもう、これでは自問自答の自己中毒だ。色々拗れた私に誰か答えをくれ。
「そいつは、とある事情で幼児退行しているだけだ」
答えは意外とレオンスの口からぽっと湧いて出るも、その答えに意外さは無かった。
「…は、はぁ、幼児退行…そう…ふぅん…」
「意外だな。悪態ばかりの傍若無人娘かとばかり思っていたが一応、人間らしさも持ち合わせているんだな」
「な…っ?!」
自分でも人よりは少しばかりひねくれた性格している事を自負してはいるが、改めてレオンスという男にその事を指摘されると何故だろう、無性に腹が立つ。
怒りを忘却しようとビートの方を見ると、彼はぽつんとその場で佇み、こちらを見ながら人差し指の第一関節の根元を唇で咥えている。青白く端正な顔立ちをした青年が爪を噛むのではなく、指しゃぶりをしているというのは独特な気味の悪さがあるが、幼児退行していると聞くと仕方ない。同気相求とまではいかないが、現実逃避の為に私自身も自ら生み出した闇に永く彷徨っていたからこそ何か共感し、そして理解できる節がある。
音を立てず静かに指をしゃぶるビートは、何かを思い出したように急にキョロキョロと辺りを見回し始める。商品の陳列された棚でもなく、萎れた花々でも無く、誰かを必死に探す素振り。蛇目と身体のひょろ長さが相まって段々と獲物を狙い待つ蛇に見えてくる。
「ビート。何を探している?いつもの使ってる小瓶はいつもの所に並べてるはずだが?」
心成しかビートに対するレオンスの声色がほんの少し優しい。その優しさを私にも分けておくれよ。
「ううん、ちがうよ。えっと、その、だ、だんなさん。おくさんは…いないの?」
「ああ、赤ん坊が生まれるから地元に帰省中だ」
ビートは、ほんの一瞬落胆したような表情を見せるも「わあ!あかちゃんうまれるんだ!」と、ものの一瞬で無邪気に喜んでいた。まるで穢れや社会の醜さを知らない子どもの様だ。いや、幼児退行しているから子どもで合っているのだろう。それでも無邪気さと反比例した陰鬱とした顔つきと体躯とはどうにも不釣り合いでやはり薄気味悪いものがある。
「ねえねえねえ!いつうまれるの!?」
「手紙で産婆曰く予定日が近いとは言っていたな」
「あかちゃんうまれたらぼくにおしえてね!ぜったいだよ!」
「ああ、ビート。生まれたら、いの一番に教えてやるから安心しろ。それより買い物はいいのか?どうせ、お仕事直前の準備だろう?」
浮かれて喜ぶビートはレオンスの言葉に我に返るなり、そそくさといつも使っているらしいいつもの場所にある小瓶を両手で数本抱えて、カウンターにそっと置いた。
レオンスは、小瓶を指でトントンと触りながら「ひぃふぅみぃ…」と数を数え、単価に数えた個数分の金額を乗算する。
レオンス曰くのいつもの小瓶は売れ筋のポーションと違い、コルクの上に太めの針金で何重にも厳重に巻かれて栓を成されている。瓶に貼りつけられているラベルには禍々しい髑髏マークが付いており、中の液体もとろりとした粘度を持つ毒々しい色をしている。断定できないが、人体または魔物に対して効果のある何かしらの危険物なのだろうか。提示した額とぴったりの額をレオンスの掌に収めるビート。レオンスは、手早く茶色い紙袋に小瓶を入れつつ緩衝材を詰めて手渡した。
「えっと、じゃあ、いってきます!おねえちゃん、またね!」
「ああ。気を付けてな」
キラキラとした笑顔を見せながら、開いた扉をするりと風を縫う様に店を出るビート。私は胸元で小さく手を振って彼を見送った。
「ミリア、今の商品を補充しておいてくれ」
間髪入れぬレオンスの指示。今の商品の補充…というとあの劇物に違いないだろう。私は思わずレオンスに問いかけた。
「は、はぁ…あの劇物、私が触っても?」
「劇物…?いや、あれはサンショリーフという天然の痺れ薬だ。そのままでは、舌がちょっと痺れる程度の薬味だが、そのエキスを濃縮抽出する事でものの数秒全身を痺れさせることができるアイテムだ」
「へ?たった数秒?」
唖然。
「そうだ。数秒。駆け出し冒険者や緊急の撤退時には心許ないが、安価の割に効力が高いから玄人にとってはコストパフォーマンスのいい売れ筋だ」
レオンスは、やれやれとカウンター裏の椅子に腰かけた。
「お前の言う通り、高価な劇物を売るには売れないこともない。が、高価な分扱いが面倒でな。物によっては定期的に撹拌しないと成分が完全分離して売り物にならなくなったり、ちょっとの振動で連鎖爆発したり、そんな繊細な管理だけで日々の売り上げと精神が飛んじまう」
気だるそうに伝票に目を通しながら、台帳に色々な事柄を記帳するレオンスに私は「はぁ」といつも通りの相槌を打った。
「蛇の道は蛇、て事だ…さて、お喋りは終わりだ。さっさと仕事しろ」
穏やかモードOFF。ヒェッ、睨むな私を。怖いやんけ。
こんな店主だから、どうせ客入りなぞ少なかろうと高を括った予想に反して人の入りは多く、どの時間にも常に一人は客が居る状態だ。ゆっくりだらりと仕事を覚えて行こう(もしくはサボタージュしよう)と壮大な計画は初めから破綻していた。レオンスの眼力に気圧されて諦めざるをえず、指示の元、商品を補充をしたり商品の梱包をしたりと、作業の連続を淡々とこなす他なかった。
慣れない作業も数回、数十回と繰り返す度にコツが掴めてくる。商品の場所、陳列の仕方、綺麗な梱包の方法、たどたどしいながらも自分なりの接客。失いかけていた向上心が沸々と湧き立つ。
「ヒィ…ヒィ…」
めまぐるしく過酷(と思い込んでるだけで、実際には軽作業レベル)な労働は、(自堕落ニート生活で弛みきった)か弱い私の御身を徐々に腐蝕してゆく。芽生えつつあった向上心は音も無く崩れ去り、如何に客とレオンスの目を盗んで休憩できるかという暗殺者張りの任務が始まっていた。
しかし、猛禽類の如く執拗なレオンスの監視の目は私に“安息”の二文字を絶対にもたらす事は無く、店内にしれっと隠れる事は無謀であり、商品の補充の為に裏手に行っても、レオンスが会計のカウンターからちょっと身を逸らすだけで見つかってしまうのだ。
素直に「休憩させてくれ」なんて言ったら何かもっと恐ろしそうな事になりそうだし…私の人生はこのまま休憩できずに終わるのだろう。さようなら。お父さん。お母さん。やっぱり社会復帰は緩やかに始めるのが良さそうです。 かしこ
「おい」
だいたい初日からスパルタってのがいけないよね。こちとら社会人生活一日目だというのに。
「おい」
つーか、なんだよあの目は前世でどんな業を背負ったらあんな全てを破壊する様な目になるんだ。
「おい」
「はいィ!?」
うるせえ!この悪徳強欲奴隷商人!こちとらしんどいんじゃボケ!私は「おい」なんて熟年亭主関白夫婦の様な名前じゃなくミリアっていうちゃんとした名まe
「休憩だ。昼飯は上のテーブルに置いてあるからな。ある程度したら呼ぶから好きにしてていいぞ」
「えっっ…」
トゥンク…やだ、レオンス様…お優しい…。
私は、残る気力体力を振り絞ってカウンター裏の上へと続く階段を一歩一歩のしあがる。これは私だけに踏破の許された王者の道。私は今悟った。労働の対価の報酬は金ではなく、休息にあるのだろう。ンンー、これは名言だ。いずれ書籍化されて間違いなく重版出来するであろう私の語録の一つにしておこう。
階段を一段ずつ踏み締めて上る度に、疲労が軽減されていく。ようやく登頂したダイニング、そしてテーブルの上には水の入ったピッチャーと虫除けのクロッシュを被せられた皿が用意されていた。これがレオンスが言っていた昼飯なのだろう。高揚感が増し、椅子を引き腰掛けてクロッシュの取っ手に手を掛けた…その時だ。
カタカタと手が震える。
じわりじわりと汗が噴き出る。
呼吸が乱れ、恐ろしいまでに動悸が酷い。
先程までの高揚感は、一転して絶望感に打ちひしがれる。
このクロッシュを開けてはいけないと、体が、魂が、勘が拒否をしている。
しかし、私の腹の虫が「ぐぅぅ~」と唄うとそんな事は些細なものだと、開けない事を否定した。
「…」
私が見ているのは、ふっくらとしたロールパンに切れ目これまでかと言わんばかりに押し込まれた具材らしき暗黒物質。
「…」
ロールパンだけなら美味しいはずなのだろうが、暗黒物質の影響なのか産業廃棄物ロールサンドにしか見えない。きっと、私自身が慣れない事の連続で疲れているに違いないと、クロッシュをそっと閉じて目を瞑り、苦悶の表情で作られたシワの寄った眉間に人差し指の第二関節をググっと押し当てて考える。
迷いは不安を一層悪化させると今までない頭の回転で弾き出された計算に従って一度大きく、大袈裟な深呼吸をして覚悟を決める。
クロッシュを開けて、禍々しい食物?と対峙する私。
「い、いただきます」
震える手で掴むロールパンを小さな一口で齧った。まだ、具材に到達していない。ロールパンの豊かな小麦の香りと甘みをゆっくり咀嚼して味わう。これが最後の晩餐(昼だけど)かと思うと、涙が溢れ、脂汗が止まらない。食欲に負けた私が悲しい。具材の手前ギリギリをもう一口齧ってもう一度ロールパンの美味しさを再認識する。
一応ロールパンの反対側も汚染されていない部分があるにはあるが、もう色々と諦めた。食べれば地獄、食べなければ何らかの罵声を浴びせられるであろう地獄。まさか、休息こそが一番の天敵になるとは。
顎がガタガタ震えだす。つい数秒前までできていた噛み千切るという行為の手順が分からなくなる。口の開け具合、舌の位置、歯で食物を挟むスピードをどうすればいいのか再確認する。
大きく口を開け、舌は自然なままをキープしてロールサンドを奥歯の手前にセットする。そして、断頭台の刃の様に上顎を降ろした。
死なば諸共。さようなら。お父さん。お母さん。(本日二回目)
「ホゲェェェェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
おしまい
「ど、どうした!?」
私の奇妙な絶叫にドタドタと慌てて階段を駆け上がってきたレオンス。
「あぁ…あああ…あああああああ!!!!!」
私は椅子から転げ落ち床に突っ伏しながら、レオンスに大粒の涙を浮かべて驚嘆の表情を見せた。
「まさか…そんな…」
レオンスは悟った。自分の料理の腕の無さに。確かに人並み以下ではあるが、レオンスの料理は別段食べれない訳ではないのだ。毎度基本のレシピより良くなる様にとワンランク上のアレンジ(当然味見はしない)がキマって、食べると吐くか気分がゲッソリするだけで。
しかし、今回はそうではない。自分の料理がついに食物?から凶器の域にまで達してしまったのだ。自分が喰らう分ならいざ知らず、第三者を死の淵に追いやってしまうとは…。レオンスの呼吸が乱れ、玉のような脂汗が噴き出る。こんなに取り乱すレオンス…一応、人の子だったのだ。
「おい、吐き出せ。死ぬ前に吐き出せ!お前はこんな事で死んでいい人材じゃない!」
もしゃもしゃ
「…???」
咀嚼が止まらない。唾液も止まらない。
暗黒物質の正体は何らかのコゲであるが、コゲの苦味に甘味酸味塩味旨味が絶妙にマッチしていて焦げた複数の食材が化学変化を起こしている。食感はサクサクとしていてかつぷるんと張りがあってねっとりしている新食感。飢えを満たすために今か今かと早く飲み込みたいのに、いつまでもこの新食感と味を堪能していたいこの矛盾にカタルシスすら感じる。極美味の中で一生を終えられれば何たる恐悦至極か。
「うーーーーーまーーーーーーいーーーーーーーぞーーーーーー」
レオンスは、踵を返してさっさと下の階へと降りて行った。