行き交う人々行き交う品々
「ロイヤルポーション三個分の弁償金は給料から差し引くからな!」
「しゅびません…」
この野郎ォ~言わせておけば調子に乗りやがってェ~ヨォッ!こちとら初心者なんじゃい!もっと優しくせんかいボケェ!という目で睨みつけたいけど、レオンスがクッソ怖くて涙目で鼻声になっている私。
「割れた瓶で怪我はしてないな?」
「はひ」
…ふーん、優しいじゃん…ちっ、違う違う!私の心が大怪我だよッ!
「オイ」
「はひっ!!?」
「俺は店内の掃除をする。お前は表の掃除と花壇の水やりな。道具はカウンター裏の道具入れに揃ってるからな」
「ひゃぃ…」
私は言われるがまま、ダボダボの袖と裾を捲り上げた服で掃除道具片手に表の掃除に向かった。扉を開くと、右から左へと一面に伸びる冠通りに面する店の店主や店員が朝の支度にとりかかっていた。私同様に竹箒とチリトリで石畳の目地まで綺麗に掃除する人や、露店のテントを張る人、看板代わりの黒板に今日のお品書きをかくコックコートの人、どこの店かは知らないが朝礼でスローガンを唱和している人の声など、思ったよりも慌ただしい朝。きっと、この冠通りに住まう人、勤める人からすれば何気ない日常風景なのかもしれないが、昨日から生活が一変した私にとってはすべてが新鮮だ。いずれこの風景も慣れ親しんでしまうのだろうけど、今は全くそれは考えられない。怒られて涙目になったばっかりなのに、不思議とワクワクが止まらない。ブルッと一度身震いしてから私は竹箒を持って数年ぶりの掃除に専念した。
色んな人が踏み固めた石畳は、色んな汚れがついている。カピカピに乾燥している足跡は泥か沼地を踏んだ後なのだろうか、これは後で水洗いしよう。こっちはさらさらとした砂の粒が散っている。砂浜もしくは砂漠で冒険を繰り広げたのだろうか。おや、赤黒い顔料みたいなのは…さて。
箒をデッキブラシに持ち替えて、バケツに汲んだ水でこびり付いた汚れを浮かせて、デッキブラシで無心で擦る。大したことのない掃除も長年まともに動かずに錆び付いていた体にとっては、昨日の全力疾走の蓄積ダメージもあってか、まあまあ堪える。
「おンやぁ?そこの珍しい赤毛のお嬢ちゃん。新しく雇われたのかい?」
背後から低めでひょうきんな声が私の手を止める。折角波に乗って来たのに、誰が邪魔をするのかとメンチを切りながら振り向くとそこにはへちょむくれの髭達磨が居た。
希少種族ドワーフ。身長は私とあんまり変わらず、男はずんぐりむっくりして浅黒く身体と森のように蓄えられた髭や眉、四角い耳が特徴的な種族だ。逆に女のドワーフはどういう理由か八、九頭身のモデル体型でグラマラスだが、見えない毛の部分が肌の浅黒さ以上にアドベンチャーワールドなのだそうだ。
ドワーフの男は鉱物に対する嗅覚が鋭く、希少金属の鉱脈を掘り当てる鉱山夫も多いが、ドワーフの常套句と言えば鍛冶だ。鉱物を炉で溶かした際にその変質する匂いや脈々と受け継がれてきた職人の勘で培われた鍛造技術に長けており、その隆々とした腕で金床を叩けば切れども折れぬ刃が出来るそうだ。
一方、女ドワーフは手先が器用で美的感覚に優れており、王都に献上する調度品や装飾品の大抵は女ドワーフが一枚かんでいると言っても過言ではない。
だが、ドワーフは同じく希少種族であるエルフ同様長命ではあるが、そのエネルギー効率はすこぶる悪く、高燃費ならぬ悪燃費とも言える。私たち世界で大多数を占める種族、ナチュラルは三食ないし、二食賄えば六十か七十位の齢は全うできるが、ドワーフはその倍食べて飲まないと極端な話、餓死するらしい。
実の所原因は不明だが、魔法は何故か種族:ナチュラルしか使えず、他の希少種族は魔法を羨みながらも己に兼ね備わった能力や特質を武器に生きている。類まれなる能力がその悪燃費を辛うじて帳消ししているのだ。
「はぁ…?」
「ほぉ~こりゃあ。よくよく見ればべっぴんさんだぁ」
「いえまぁ、それほどでも!良く言われます~」
私の特技のひとつ熱い手の平返しが真価を発揮する。
「俺ぁ、モルドレッド。モルドレッド=カーボンマインだ」
「はぁ、カーボンマイン?カーボ…カーボ?カー?」
カーボンマイン…世間に疎い私でもその名前くらいは知っている。魔法という万能の能力がありながらも結局この世を動かしているのは石炭だ。一瞬の爆発的エネルギーで言えば魔法が石炭よりも効率がいいが、魔法を生み出すエネルギーも爆発的に必要になる。それはそれ相応の莫大の魔力と精神力、それに伴った体力を有する。石炭は魔法に比べれば微々たるエネルギーだが、少量の労力と一定の継続的エネルギーを必要とするこの世界にとっては切っても切れぬものとなっている。
カーボンマイン、つまり炭鉱。その中でも特に良質の石炭を採掘する炭鉱を牛耳る一族の名である。魔法使いが魔物を倒す非日常を支えるなら、炭鉱夫は日常を支える大きな柱のひとつである。
では、そのカーボンマインの名を冠するモルドレッドという目の前のドワーフは一体何者か、答えは単純明確。『檄・王都採掘団』という基本的に男ドワーフで構成された炭鉱夫の大集団の代表=権力持ち&金持ちなのだ。
「ファッ!?初メマシテッ!みりあ=あっぷるやーどト申シマス!もるどれっど代表!オ会イデキテ光栄デス!!」
私は、急に緊張してカタコトの異邦人みたいな喋りになってしまいつつも友好の握手を差し伸べた。
私は、あくせく真面目に働いて慎ましやかな生きているだけで幸せと思える人生を歩む事を大地の人生目標として設定してはいるが、こういったパトロンになり得るコネクションを上手く利用して不労所得で悠々と生きるのが第二の人生の目標である。
「お。握手か!いいぞいいぞ!ガハハハ!」
モルドレッドの体型同様にずんぐりむっくりとして実に貫録のある手に握られると、手の平に固いマメやタコがある事に嫌でも気づかされる。間違いなく努力と苦労をしてきた実に頼もしい手なのだろうと、本人がわざわざ語らずとも分かる。正直、これが不労所得の大きな一歩かと思うと心の底から感涙に咽びそうになる。泣かないけど。
「あー…でも、俺ぁ、もうその代表じゃないんだわ」
「へ?」
私はマヌケに口をぽかんと開ける。
「長になると、人員やら管理ばっかりで嫌になっちまうからな。俺ぁ、やっぱり現場第一主義でなぁ。俺も働くって言っても他の野郎共が止めに掛かるもんだからよぉ、代表とかいう邪魔くさい役職は息子のアーサーに託して、もうこちとら、しがない鍛冶屋よぉ」
「はぁ…」
「権利も金も捨てるとヒトは自由になれるもんだ!ガハハハハ!」
泣きそうになる。何だったのだあの握手は。
「お嬢ちゃんは冒険やらとは無縁だろうけどよぉ、包丁やら生活用の刃物が入用ならいつでも究極の一品を特別提供してやるから」
豪放磊落。ドワーフは男も女も皆、豪快だというが特にこのモルドレッドが酷い様な気がしてならない。
そもそも他のドワーフに出会った事がないから何とも言えない。
「はぁ」
「おっと、掃除の邪魔したな。じゃあ、俺ぁこれで、お嬢ちゃん頑張んな!ガハハ!」
「うぐっ!?」
本人的には肩をぽんと叩いたつもりなのだろうが、繊細な私にとってまあまあのダメージを肩に負わせて去っていった。ものの一時で嵐が一過したかの様だ。
「痛てて…加減ってのを知らないのかドワーフは…」
じんじんと痛む肩を擦りながら、私は掃除を続けた。何人かこの街の住人として初顔の私に会釈や軽い挨拶をする度に掃除の手が止まる。挨拶程度で詳しい人となりは分からないが(モルドレッドは例外だが)、少なくとも悪い人ではないのだろう。現時点では。
「お、終わりました」
「…遅かったな。次は在庫の補充だ」
意外な事に予想以上に掃除に手間取った事をレオンスは咎めなかった。私は薄気味悪さを感じたが、逆らえる気持でも立場でもなくただ従うだけ。
「花に水をやったか?」
「はい。一応は…あの」
「何だ?」
何でいちいち威圧的なんだこの男は。怖い。
「あ、いや、えーっと…その…何で、こんな店の中も外も萎びた花ばっかりなんです?」
「…」
「毎日、世話はしている。毎日の水やりは欠かした事はないが、それでも萎びる。花屋に聞いて栄養剤も使ってみたがこれも駄目、駄目元でポーション漬けも駄目、良く分からんが嫁がいた頃は元気だったんだがな」
レオンスの嫁でありヤオヨロズヤの店長である、キャラット=キーン。姿が見えないのは、出産の為に帰省しているらしい。王都で出産した方が利便性も高いはずなのだが、不安定な状況に陥りやすいマタニティブルー時に更に色んな心配事を受けないようにと数日前に行ったレオンスの計らいだそうだ。
実は、ヤオヨロズヤの萎びた花々はキャラットの地元の花を取ってきたモノだ。通りでこの近辺で見かけない訳だ。わざとらしいビビッドな造花にも見える原色の花、虹のみたく一周ずつ色の変化する七色の花、輪郭だけが光の屈折率でようやく見える透明の花、どうみても霜降り肉柄の花弁。花にしてはあまりにも独特な色をしすぎている|。
これらの花々の土壌が合わないのなら、既に萎れるどころか枯れてしまっていててもおかしくはない。少なくともプロである花屋の指示を乞いても駄目、嫁がいた時は元気だった…するとその例の嫁が独特な何かを行っていたに違いない。
「あ、暗示か何かとかですかねえ?」
「暗示?」
レオンスは、私を注視した。怖い。
「料理においしくなあれって言うみたいに、花にも元気になれみたいな暗示を奥さんがかけていたんじゃないですかぁ?」
「あ?」
「ヒェッ」
注視は凝視に変わる。クソ怖い。
「…そうかもしれんな。じゃあ、明日から店の水やりと暗示はミリア、頼んだぞ」
「へ」
意外とピュアな仏頂面に私は拍子抜けした。確かにあれこれ対策を打ってもお手上げ状態ならば、地母神テラにでも祈りを捧げて「私の可愛いお花ちゃんよー咲いとくれー」となるのも仕方ない。レオンスの語り口とその外見上、どうにも花を愛でるような人間には見えないが、嫁が大事にした花々を守ろうとしている気持ちは何となく行動で理解できる。何となく弱みを握ってマウントを取れた様な気がする。
「何ボサッとしてんだ。補充の説明するぞ」
「あ、はい」
商品の補充は実に簡単だ。棚の開いた場所に先入先出し。製造日の古いものを前に出して、製造日の新しいものを後ろに順に並べていく。高価なポーションは特殊な原料と独特な製法が行われているので劣化は少ないのだが、安価なポーションは天然由来の物が多く、最安値のスムージーポーションなんかは薬草のエキスを生成抽出すらせず、薬草を乳鉢やらですりおろしただけのある意味ボッタクリ商品だ。詰みたての薬草そのものを経口摂取するのも回復方法のひとつだが、薬草があまりにも硬く渋く苦くえぐく繊維質で食用に適さない。まだ内臓に流し込めるボッタクリポーションの方が味蕾へのダメージが少なくて済む。駆け出しの田舎冒険者にとってはある意味冒険の入門編とも言える。
王都の宮廷美容家曰く、このボッタクリポーションを牛乳と砂糖で溶いて飲むのが肌にいいとか悪いとかで最近は冒険と無縁なステキな奥様達がこぞって買いに来るそうだ。
私は、瓶の首に掛かった札を見ながら順番に整列させて生まれた空いた後ろのスペースに、カウンター裏の倉庫から物を補充する。何も難しくは無いのだが、順を追って高いポーションの補充をしていくと嫌でも目に入る割ってしまったロイヤルポーションの一個の値段に正直気が引く。贅沢なフルコースのディナーと同等とは思いもしなかった。その上の値を張るミスティックポーション、エリクシールなんかは卒倒ものだ。一定の金額を超えたポーションの補充を始めるとレオンスの監視の目がより一層鋭いものになる。それなら自分でやればいいのにと思いつつ、私の手は小さく小刻みに震えていた。
案の定、ロイヤルポーションをまた落としそうになった時は、レオンスの形相に震えた。
「終わったな。次はこっちの補充だ」
「…ひゃい」
本や言伝だけで知っている道具もこうやって実際に触れてみると、実に面白い。ポーションも実際の液体の色や粘度、瓶の形状、栓に使われているコルク等手つきは震えるものの、本物に触れられることが嬉しくてしょうがない。魔法使いとして冒険出れなかった事に不貞腐れて、伝記、冒険小説や英雄を象った魔導人形に叶わぬ冒険への思いを馳せて閉じこもっていた時間がとても勿体無く感じた。人からすれば空白の期間であろうと揶揄される冒険の妄想に耽りつつ、現実と向き合っていればこの体験がもっとより良いものになっていたのではないだろうかと。
でも、今の私は過去の私を否定しない。過去の私は今の私を形成している。今の私が過去の私を肯定してあげなければ過去の私が惨めって言うか、あれはあれで何もしてないようで葛藤して頑張ってたんだから。
追伸 過去の私、もうちょっと運動しといた方が良いぞ。正直、体が重い BY.今の私