王都でニートがバイトする
前略、父上、母上様お元気ですか。時々、落ち込んだりする事もありますが私は元気です。
紹介していただいた店で私は住み込みのアルバイトをしているわけで。店主さんは厳しいですが優しくしていただいています。
「オラァ!いつまで寝てるんだ!穀潰し!」
「ヒェェェ!!!」
とってもやさしいわけで。
「飯抜きにするぞ!」
わけで。
「~~~!」
で。
日光を遮っていた厚手のカーテンが開かれ、ベッドで横たわっていた私の網膜をじりじりと焼き焦がす強烈な光で無理矢理覚醒させられる。その上、うっすい掛布団を剥ぎ取られると、辛うじて温まっていたこのか弱い乙女の四肢がぴんと張り詰める寒気に晒され、この世の終わりを感じさせる。なんだこの男は、御伽噺の世界を滅ぼした悪魔か創世神か何かか。
男は昨日私に割り当てた少々埃っぽい自室を後にする。実家であればもたもたしていても、食事にあり付けるのだが…ここでは家訓が違う。テキパキと寝巻から昨日借りたブカブカの服に着替えて、
調度品に囲まれたダイニングに向かうと、既に朝食の用意がなされていたがどうも様子がおかしい。皿に盛られた黒い物体…。
「な、なんですかコレ…」
「目玉焼きだ」
「はぁ」
いやいやいや、何をどうすればこんなに目玉焼きがこんなに焦げるんだ!?…と、言いたかったが、ぐっと呑み込んだ。
「…バーンアウトカスタムだ」
何かっこつけて誤魔化してるんだこの男。単純に調理に失敗しただけじゃねえか。女子力マイナスの私でも卵くらい半熟で焼けらぁ!と、叫びたかったがぐっと堪えた。考えてみれば昨日の出された晩飯も大抵酷かった気がする。食材の切り方は荒く、下ごしらえはとても雑、味付けは試行錯誤した跡を感じさせる複数の調味料で織り成された複雑な舌を怯えさせる味。時折、何故か入っていたジャりっとした卵の殻が悲しみのアクセントになっていた。口に入れる度に寒気と吐き気を催すあの料理は一体なんという名の毒なのだろうか。
自ら生み出した毒を平然と食べていた男は、見た目も相まってある意味ツワモノだ。いや、よくよく思い返せば若干の脂汗を流していたような気が。
「冷めないうちに食え」
「は、はぁ」
威圧めいた声に悲しいかな身体が自動的に動く。あえてお手製の目玉焼き?を避け、たくさん藁籠に入った手の平大の堅焼きのパンに手を伸ばす。こちらをじっと真正面から凝視する男の目が怖い。案の定パンは硬く、普段使わない顎が鍛えられるのを咀嚼の度に感じられ、噛む度に麦の香ばしさと甘みが口の中に広がる。素焼きのコップに入ったミルクを口に含むと、パンがほんの少し柔らかくなって食べやすくなる。パンだけでいいやと思い始めたが、正面の男はそれを是としない。
鋭すぎる男の視線と殺気じみたオーラに耐え切れず、フォークを手に辛うじて生き残った目玉焼き?の可食部であろう黄身をつついて口に入れるとモサモサとした食感とオマケに絡み付いていた炭化した白身の苦さと、かけ過ぎた塩が朝から猛烈なパンチを脳天に喰らわせる。それが喉元を痛めつけながら胃に落ちるのだからたまったものではない。ふと視線を正面に向けると目玉焼き?を食した男も真正面で見事に苦悶の表情を浮かべている。どうやら味音痴という訳ではないらしい。
「生きる為には食えるモノは食えるうちに食っておく。それだけだ」
私の生温い視線に知ってか知らずか、偉いストイックな事を言って格好つけてるけど、その表情を止めろ。苦悶の表情から鬼の形相に血走った目…クッソ怖いわ。
慌てて毒物の通った道をミルクで洗い流すと、舌の妙な痺れと傷付いた粘膜が乳成分の膜でじんわりと再生されてゆくのを感じられる。私は朝から何故この様な責め苦を受けねばならぬのか。
「それを片づけたら、仕事だ。わかったな」
この空間に優しさなどなく、内臓を破壊せんとする料理と内心を破壊せんとする男の言葉、そして王都を駆けずり回った結果の筋肉痛が私の繊細な体を蝕む。行き先不透明な未来に怯える他ない。
水を溜めた洗い桶にタワシを使いながら、朝食に使用した食器類を洗う。たかだか食器を洗うだけなのにこれが意外と面倒だ。実家暮らしなら母がやっているという事が当たり前になってしまっていた家事。そこに感謝などなく、陽は昇り沈み、物を上から落とせば下に落ちる位にそれは自然の摂理同然と勝手に解釈してしまっていた。ただでさえでも働くという事自体が嫌々なのに、金にもならない家事を奉仕しなければならない。
所詮、自分を社会的に満たす為の家事はやらなくていいのだ。道具は使って捨てて、料理という名の残飯をゴミ箱から漁り、衣類は一張羅を着潰して、ホコリにカビにダニに不衛生な環境でおできを腫らして悪臭を撒き散らし、社会のはみ出し者として引き籠っていればいい。
これが辛うじて両親なら許されても、超遠縁の親類の前でそんな醜態を晒す訳にはいかない。恥ずかしいという名の気高いプライドが私の動力源。
そんな気高い誇りを胸に皿洗いに没頭する私の顔を見るなり、食卓を固く絞った布巾で四隅まできっちりと拭き上げた男はアイコンタクトならぬアイフルコンタクトで「早くしろ(殺)」と急かす。優しさの欠片もなさそうな鋭い眼光からは、そのうち城壁位ぶっ壊せる破壊光線でも出るのではなかろうか。
―――ああ、そうだ。この男との出会いの経緯を語り忘れていた。唐突だが、時間を昨日まで少し巻き戻そう。
寄り道を経てオネエに連れられた私は、ようやく目的地であるこの場所に着いた。入口の扉の上にある木製の吊り看板が小さくゆらゆらと揺れている。文字を読んでみると聞き慣れぬ単語に私は首を横に傾げた。
「ヤオ…ヨ…ロズヤ?」
「極東地域の言葉で、確かァ…何でもって意味らしいけど。アタシも聞きかじりで詳しくは知らないのよねェ~」
「はぁ」
外観は商魂逞しい周囲の店に比べて目を引く派手さはなく、元から在った物件をそのまま使ってる無骨な感じがする。店主の趣味なのか鮮やかな花々の咲いた鉢植えが並んでいるが、どれもちょっと萎びているのが気になる。
「じゃあアタシは用事があるから帰るわネ。あ、そうだわァ。その服は受け取っておいて頂戴な」
「はぁ。いいんですか?」
「いいのいいの。どのみち少しくらい処分しないと衣裳部屋がパンクしちゃうからァ」
オネエはウインクを私に放つ。ちょっとキモいが、気前の良さは受け取っておこう。
「まあ、これも何かの縁だし。ちょっとオトナな事に抵抗なければアタシのお店に来て頂戴ねェ」
「はぁ」
オトナな事…。何故だかその言葉にオネエのナリを見ていると悪寒がびりびりと走る。
去りゆくオネエの頼もしい背中に色々と疲れ切っていた私は、力なく手元だけで手を振って見送った。
「…さて!」
気を取り直して、目の前の営業中と札のかけられたドアノブに手を掛ける。表情には見せなかった落胆する両親の為、世間様の目を改めさせる為、堕落した自分を変える為。
ノブを握り締め、一呼吸おいて扉をじんわりと開く。扉そのものが軋んでいる訳でも重い訳でも無く、
どこかに残っていた心の奥の一寸の躊躇いが無意識にそうさせる。それでも今は進むしかない。
世界で一番愛するフィギュアの為に。
「…らっしゃい…」
扉を開き、入ったその先は低く燻った声が私を迎える。少なくとも接客で人を出迎える声のトーンではない。奥の清算するカウンターの後ろで、声の主であろう中年くらいの店員らしき男がこちらをじっと見ている。
槍の切っ先みたく鋭い視線から思わず目を一目散に逸らし、何事もないかのように冷静を装いながら店内を見回す。商品台や陳列棚にはきっちりと商品が並べられており、店主の几帳面さが伺える。手書きの商品札は、あの中年が書いたとは思えない繊細で女性っぽい丸みを帯びた文字。特に目に付くのが、あちらこちらに小さな観葉植物や一輪挿しの花が店内のアクセントとして飾られてはいるのだが、やはりと言っていいのか萎びていて元気が無いのが多い。これだけの状況証拠から推理するに、多重人格者とみた。
…いつまでもそうしている訳にもいかず、意を決して、男の方を向く。
「…」
無言。
店外は多少の生活音がするはずなのに、男の威圧的な存在感で全て打ち消されている。唯一聞こえるのは私からかすかな乱れて漏れる吐息といつもより強いビートを刻む脈の音。
「…」
息苦しい。地上であるのに顔面だけを水面下に沈められているのと変わりない。店内はとてつもなく普通だというのに。
「…」
はじめまして。私、今日からここでお世話になる者です。 と、言えば問題終わって次が始まる。
「…」
早く口を開かなければ、数秒後の自分に更なる重圧がのしかかるというのに。でも開けられない。
「…」
話しかけられる分はまだしも、見ず知らずの人に自ら話しかけるだなんてハードルの高い事…。
「…」
?………何か…何かが来る…。沈黙を破る、体の奥底から私を突き動かす稲妻の如き強き衝動が!
「…」
「あだだだだだだだだ!!!!!」
ピキンと私の御身足が引きつった!普段動かなかった運動不足のツケがこのタイミングで回ってきたのだ。猛烈な痺れを伴う痛みに思わず倒れ、私は床をのたうち回る。さながら陸に打ち上げられた魚のように。
「あびゃあああ!!!」
痺れを伴うふくらはぎの痛みは不快感と悶絶だけを与え続ける。さすがにこれには店員の男も戸惑いながら床で悶える私に駆け寄る。
「大丈夫か?」
「あびゃああ!!だ、だい…じょびゃあああああ!!!」
「こむらがえりか。いいか、言う通りにしろ」
(個人的に)緊急事態であるにも関わらず、眉一つ動かさぬ男の殺人眼光と殺気を纏った声が脳内で私の行動の優先順位を変動させる。親相手なら泣いて喚き散らして駄々捏ねるのが関の山であるというのに。
「痺れる方の足を伸ばして、そうだ。次は、つま先を両手で掴んで。伸ばした方の膝は曲げるなよ」
言われるがままの操り人形の私は、命令通りつま先を何度かゆっくり前後させる。すると、痺れがすぅっと静かに霧散していくのが分かる。
「…お、おお。おおお~!??な、治った!」
介抱する為にしゃがみ込んでいた店員の男は、何事も無かったかのように表情を変えずに元のカウンター裏に戻っていく。私は、おそるおそる物音を立てないように立ち上がり謝辞を述べた。
「あのっ、あ、ありがとうございますっ」
「…ふん。感謝するなら何か買っていけ」
実に変な形ではあるが、会話の切り口ができた。
「はぁ…。あっ!」
ここでいつもどおり、投げかけてきた会話の球を叩き落として終わらしてしまう悪い癖を抑えて言葉を吐く。
「きょ、今日からっお、お世話になりますミリ、ミリア=ア、アップルヤードです!!」
無言。私の自己紹介は反響せず。
「…あのぅ?」
実に面倒臭そうな表情を浮かべる男は、溜息を軽く吐いて再び私の方に歩み寄ってきた。少なくとも悪い人ではないという事は先程の一連の流れで確認は出来はしたが、それを差し引いても近づき難い威圧感に思わず背筋を強張らせる。私自身が一般女性に比べて背が低い事もあるが、男の身長が成人男性の平均を上回る高さがあり、その身長差と肉離れの件から見下ろしているのではなく見下されている気がしてならない。
「そうか。今日だったか」
ぽつりと呟くと、男は私の横を通り抜けて入口の戸を開けて営業中の札を裏面の閉店の表示にひっくり返し、戸締りをして再び私の元に戻ってくるなり、
「ふん、一通りは話を聞いている。どうやら随分寵愛されていたんだな…ああ、先に言っておく。ここがお前の住処になるが、ここはお前の家じゃないからな」
と、随分な台詞を吐かれた。それくらい言われずとも理解できている。蕩ける様な極楽から絶望のどん底の地獄へとやって来た事くらい。その覚悟があるぞと男をキッと睨み返すも、逆に修羅の如く睨み返された。怖い。
「俺は、レオンス=キーンだ。この店の店員だ」
「ん?店員?店主でなく?」
「店主は俺の嫁、キャラット=キーンだ」
…は?
「…は?」
「…何だ」
私は、虚空を見上げた。殺す事しか知らなかった人間が愛を知って、愛を育んでも、所詮はキリングマシーンなのだと。こんな強面の貰い手なんて、売れ残りか醜女くらいだろう。
「こんな強面の貰い手なんて、売れ残りか醜女くらいとでも思ってるのか?」
「!!!! ヒェッ…何故バレた…」
レオンスは大きな溜息を吐く。
「とりあえず店じまいをするから手伝え。拒否権は無い」
「ひゃぃ…」
レオンスは、カウンター裏のタンスの引き出しから四つ折りにされ重ねられた大きい白い布を取り出すと、それをカウンターの上に乗せた。
「これらの布を商品の棚や机の上に掛けていくからな」
私はレオンスの言われるがまま、布を掛けてゆく。棚も机も大小の大きさがあり、それに応じた布を一枚ずつ確認しながら掛けてゆく。時たまレオンスと目が合うが、やっぱりあれは殺しの目。こんな男に娶られた女は奴隷か狂信者か筋金入りの果報者か。
これは、私ことミリア=アップルヤード(が副店主レオンス=キーンに扱き使われる)物語である。
もう辛いので辞めたいです。