第五章
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AD三二六八年八月二一日
何度も、通信で叫んだ。
フェンリルの領土である湿地帯への、大規模な侵攻作戦を、陸海軍の合同で実施した。総司令は、陸軍のウィリアム・ハインツ大佐だ。
三日続いた雨によって水かさが増した河に海軍の艦船を動員し、水上からの援護射撃を実施しつつ自分達ルーン・ブレイドを筆頭とした海軍の中でも陸戦を得意とする部隊を雨で発生した濃霧に紛れて矢継ぎ早に動員、ルーン・ブレイドや一部に先行で配備された軽量型バウンドロットを用いた中隊などで攪乱し、陣営をズタズタにした段階で本隊を導入し、一気に湿地帯を制圧、フェンリル本土侵攻への足がかりとする。
相手は、インドラ・オークランドを招聘しており、総指揮はこの男が執っていた。相手にとって不足無し、そう思っていた。
それに、ルーン・ブレイドは、敵に一目置かれる存在になっている。攪乱も陽動も、果ては敵を恐怖のどん底に叩き落とすことも、何でも出来た。
ダリーの威武は、それだけ知れ渡っている。何せ結成三年間の間に脱落者、戦死者を出したこともなく、挙げ句無敗だ。
いけるはずだ。そう思っていた。
だというのに、この現状はなんなんだと、ザックスは怒号を上げた後に思った。
フェンリルは、自分達に対して全く同じ作戦を当ててきたのだ。濃霧が明けてみれば、気付けば自分達の軍勢の目の前に、フェンリルが見事な陣形を引いていた。
そして、攪乱に使われた先陣を切るM.W.S.は、見たこともない機体だった。
ハンマーフォールのような、人間に近い形をした機体。今までフェンリルが使っていたM.W.S.とは、フレームそのものが違う機体だった。
それを十二機率いた、インドラの愛機であるプロトタイプエイジス『XA-012紫電』が、物の見事にこちらの陣を蹂躙し続けている。こちらは、まとまっては割られることを繰り返していた。
奢りがあったのだと、ザックスは心底後悔した。状況を確認すると、既に、全軍の五分の一がやられている。その上、陸上空母も、一隻轟沈した。
ハインツが、撤退を指示したのも、五度にわたって陣が崩された瞬間だった。
殿軍に、もっとも深くまで侵攻していた部隊を、残すことになった。
ダリーが突然フィリップ旗下の第一小隊も連れて転進し、自分達の元を離れたのは、全軍の撤退開始から一時間ほど経ってのことだった。
「おい、ダリー、何する気だ!」
思わず、声を荒げた。最近のダリーは、不思議と、いや、不気味な程に、落ち着いていたのだ。
成熟したのだろうと、なんとなく思っていた。何せ、もうウェスパーも、自分もまた、三十路に到達していたのだ。
だからダリーも、そうなのだと思っていた。
だが、この行動は、なんだ。まるで昔の、無軌道な男に戻ったようではないか。
ハンマーフォールから、通信は何も帰ってこない。
一度舌打ちしてから、指揮車両と他の旗下となっている三小隊に、ダリーを追うように指示を出そうとした直後、肩を、ぽんと叩かれた。
目の下に隈を作った、不機嫌そうで、不健康そうな男の面がそこにあった。
「玲、何故、止める」
かつてジェイス・アルチェミスツと呼ばれていた、華狼名門出身の男が、気付けばこの部隊の医療班に、いつの間にか率いていた。今は、アルチェミスツの性を封印し、玲・神龍と名乗っている。
「ザックス、お前、気付いていないのか?」
「あん?」
「あいつ、もう死ぬんだよ」
「当たり前だ! このまま行けば死ぬに決まってるだろうが! 敵陣にたった四機で切り込んで何になる!」
「そういうことじゃねぇんだよ。あいつはな、大病を患ってんだよ。もう、先が長くない」
一瞬、時が止まった気がした。
死ぬ? ダリーが? 冗談だろ。あいつが、死ぬはずないじゃないか。
「死ぬはずがない、なんて思ってるんだろうが、そんなもんはてめぇの奢りに過ぎん。あいつは、既に手遅れの状態まで進行してやがる。原因は、医者としちゃ情けねぇが、まったくもって不明だ。正直言うとな、あいつはあの機体に乗ってるだけでも奇跡だ。それくらい、あいつの体はボロボロだ」
バカな、そう、呟いていた。
「何故、黙っていた」
「あいつの希望でな。ダチに知られたくねぇ、だそうだ。どうせお前のことだから、病気のこと知ったら養生しろと言うに決まってる、ってな」
拳に、力が入っていた。
バカ野郎が。何度も、口で呟いた。
最初から、思っていた。不器用な男だと。同時に、くさいことをする、何処か奇妙な男だと。
だが、結局自分は、何もあいつのことを分かってやれなかっただけではないか。
敵軍と、ダリー達が接触したと、通信が入ったのは、その直後だった。
相手は、インドラだった。ダリーを中心にした四機と、インドラを中心にした、十三機の敵。
マーカーが交わる度に、マーカーが消えていく。敵味方問わず、だ。
フィリップの反応もまた、消えていた。死んだのだと、ただ思うだけだった。
「隊長! ダリー大尉から通信です!」
ハッとした。状況を確認した後、オペレーターのヘッドセットを、思わず取り上げた。
既に、味方マーカーで反応があるのは、ハンマーフォールのみ。そして、敵もまた、紫電とその旗下が数機のみしか、残っていなかった。
「ダリー!」
『よぅ。ヘマ、こいたわ』
ノイス混じりの、音声だった。映像は、何も流れてこない。
『レイジングリバー、へし折られた。ついでに、俺もだ。胴体によ、でけぇ穴、あいちまってんだ。腸が、少し出てやがる』
ダリーが、咳き込んだ。バイタルサインを確認させたが、みるみる体温も、心拍数も落ちている。
「死ぬのか、お前」
『そうだ。俺は、死ぬ』
「何か、言い残すことは」
『何も、ねぇなぁ。不思議と、何もうかばねぇ。強いて言や、俺は、この部隊名が、わりと好きだったってことくらいだな』
呵々と、力なく、ダリーが笑った。
『意味を考え続ける剣、か。いいじゃねぇか。俺もまた、人生に意味を見つけること出来たしよ。最強の部隊率いて、最強を欲しいがままにして、徹底的に暴れる。そういう夢を、見ることが出来た。それだけで、俺は本望だ』
ハンマーフォールの自爆装置が起動したと、モニターが告げた。
やめさせようとした。何故、何故あいつが死ぬ必要がある。まだ、助かるはずだ、まだ。
『ザックス、お前、まだ甘いぜ。俺を助ける暇あるんだったら、さっき俺が逃がした、殿軍だった連中が五小隊駆けつけてくるから、それの整理しとけや』
覚悟を、既にダリーは決めているのだと、ザックスは思った。
ならば、こちらもまた、いい加減覚悟を決めよう。自分は、将なのだ。
「全軍、徹底だ! 揚陸艇まで殿軍を誘導しつつ、俺達も下がるぞ!」
『それで、いい』
それを最後に、通信が切れた。
ハンマーフォールの反応が、完全に消滅したと、オペレーターが静かに告げた。同時に、戦闘データも、送られてきた。
目の前が、霞んだ。ダリーが、死んだのだと、受け入れがたい自分がいた。
いや、泣くのは、後だ。今は、退却させるのが、先だ。
紫電は、健在だったが、反応は完全に止まっている。それで、敵の動きも止まった。
急いで、ダリーが撤退させた殿軍を、渡河させ、自分達もまた揚陸艇に入って、そのままフェンリルの領土から撤退した。
フェンリルの防衛圏内から抜けた海上で、一人、揚陸艇の外部デッキに出た。
周囲は、多数の揚陸艇と、護衛艦隊と、海が延々と広がっている。
それが、ザックスには、葬列のように見えた。
日が、むかつくくらい眩しいはずなのに、その日が霞んだ。
泣こうと、ザックスは思った。
何か、ぽっかりと、大きな穴が空いた。そんな気しか、しなかった。