プロローグ
プロローグ
AD三二七五年七月一五日午前五時一〇分
日が、僅かに昇っていた。
昔は、この時間で夜討ち朝駆けをやっていたものだ。
暴走族の頭だったときから、既に二〇年経った。若干、朝が最近早くなったなと、ウェスパー・ホーネットは整備デッキへ足を踏み入れながら思った。
老いたのかも知れないと、今更に思う。既に、自分も三八だ。そのくせ、まだ独身である。
もっとも、独身でいいと、ウェスパーは思っていた。自分は機械をいじることの方が、余程好きなのだ。色恋沙汰に時間を掛けるのは、面倒くさいことこの上なかった。
整備デッキには、まだ人はいない。今日行われるKABの最終戦に向けた紅神は、別のデッキで待機している。
今ここにいるのは、そのほかのルーン・ブレイドの機体だけだ。
飛ばされた頭部が恐ろしい勢いで勝手に再生されていく空破はどうしても異様だが、それ以外のホーリーマザー、ファントムエッジ、不知火、レイディバイダーの四機は、静かに整備デッキに鎮座している。
しかし、今思えば、徹底的な少数精鋭になったから仕方ないとはいえ、整備デッキも寂しくなったなと思える。
バイクのけたたましい音が鳴り響いたのは、そんな時だった。
何処ぞの暴走族でも突っ込んで来やがったのかと思ったが、よく聞くと、聞き覚えのあるエンジン音だった。
縦置き三気筒のバカみたいにでかいエンジン音のバイクと、僅かに漂うガソリンの臭い、電気自動車が当たり前になってしまった今の世の中で、こんなのに乗っている知り合いは自分の知っている限りただ一人だ。
自分の前に、これ見よがしに男はバイクを止め、ヘルメットを取った。
「やっぱお前か、ザックス」
ザックス・ハートリーの、相変わらずの禿頭を見る度に、こいつは変わらんなとも思う。
「この時間くらいしかまともに来れそうになかったからな」
「しっかし、お前のバイクも相変わらずだな。あの頃から変わらずのロケットⅢか」
今でもこいつが来る度に頬の傷が疼く。
二十年前は、ザックスと自分の率いていた暴走族しか西ユーラシアにはいなかった。刃向かってきた奴に半殺しは当たり前だったし、敵対する暴走族は根絶やしにした。それで併合し続けていったら、いつの間にかこの二つしかいなくなったのだ。
そしていつも会う度に殺し合いをやった。傷も、その時付いた物だ。
あの時は若かったと、心底思う。それでも、今の自分の部下は気付けば九割が昔の暴走族時代からの側近で固められていた。
世の中どう転ぶか分からないと今でも思う。第一、気付けば自分が、ルーン・ブレイド最古参になってしまった。兵士はいつの間にか若返ったが、首脳陣は無駄に年を重ねた。
叢雲艦長のロニキス・アンダーソンが一番年長者であるが、あの男も来てからまだ四年だ。
こんな整備兵が最古参になってもいいものなのかと、この十周年記念展を見ると思う。
いつの間にか、整備デッキから記念展をやっているブースに来ていた。
当然の如く、中には誰もいない。ただ、門前に最新型のクレイモアが三機待機しているだけだ。
ドアを開けて、適当に中を歩く。流石にガーフィ・k・ホーヒュニング海軍総司令が協力しているだけあって、自分達でやっておきながら無駄に完成度が高くなった。その上ルナ・ホーヒュニングは負けたとはいえ、昨日の紅神と空破の試合は盛況で夜半に確認したら反響のメールが大量に届いていた。
この分なら今度の予算枠も十分に確保出来るだろう。
「よくこんだけの資料出すこと出来たな」
「うちの大将がやってくれたんだよ」
「あのおっさんは娘に甘いからな」
よく分かっていると、ウェスパーは思わず苦笑した。
ガーフィのことは割と昔から知っている。妻を早くに亡くしたからか、あの男はやたら子供に甘かった。親バカ、という奴なのだろう。
歩を進めていたザックスが、足を止めた。
「懐かしいな、これ」
写真を、ザックスが物哀しげに見入っていた。
十年前の、結成して暫く後、初陣を飾った際に撮影した写真だ。今は、既に死んだメンバーが半数以上を占めている。
ザックスは、隊長だったから、自分が思っている以上に、死という物を重く受け止めたのだろう。だからこそ、辛いのだ。
「あれから、もう七年も経ったのか。考えてもみりゃ、俺らあいつと年同じだったんだな」
「だからこそ、俺はあいつの死が余計に頭から離れないんだろうな。そういうお前はどうなんだ、ウェスパー」
「俺だって同じだ。あいつは、整備士の俺の目から見ても、異様な輝きを持ってやがった」
「不思議な男だったな、確かに」
扉の方から、聞き慣れた声がした。
思わず振り向くと、ガーフィが護衛も引き連れず、倉庫に入ってきていた。
「じゅ、准将?! 言えば迎えに来ましたぜ」
「言ったらルナが気付くだろ? 俺はあいつの誕生日にサプライズで来る予定だったんだが、急な会議で潰されたんだ。仕方ないからこんな時間だよ」
お忍び、という奴なのだろうが、甘すぎるだろうという気もする。
「しかし、ホントに暗殺されたらどうするんです?」
「は? 何言ってるんだよ、ウェスパー。お前達のように山ほど護衛がいるだろうが。それに、俺がそう簡単に死ぬ魂か? 死ぬ時は死ぬ、生きるときは何故かずっと生きる。ダリーがいつも言っていただろうが」
ダリー・インプロブス。未だに、あの男の影を追う人間は多い。鮮烈、と言う言葉だけでは言い表せない男だったし、ルーン・ブレイドの基礎を作っただけでなく、何処か、達観しすぎた、そんな男だったのを、ウェスパーはよく覚えている。
だから、あんなことが口癖として出てきたし、何処か人生に対する諦めのような物もあった。
「しかし、この写真のダリーもまた、何処か熱を帯びたような目だな。懐かしいな」
「もう十年にもなりますからな」
「通りで年を取るわけだ。あの頃、まだ俺達も若かったな」
遠くまで来たなと、ウェスパーは今更に感じた。
十年前のあの日から、随分と遠くへ来た。
老いたのかな、俺も。
ただ、写真を見てそう思うだけだった。