スタートライン
翌日は土曜日で一日空いていたため、午前中に病院の広場を訪れた。彼女はいなかったが、この病院にいる人の中で僕が知っているもう一人の人がいた。お一人で休憩中のようだ。その人の近くまで歩いて、こちらから挨拶する。
「おはようございます。昨日はどうも」
看護師さんは僕に気付いて、おはようございます、と返してくれる。
「あなたに言われてあの子の様子を見に行きましたけど、大丈夫そうでしたよ。むしろ少し上機嫌でした」
この看護師さんと話をするのは実はこれで三度目。一度目はもちろん初対面の時、二度目は“あの子”の病室を出た後。
なんだかんだ彼女の体が心配で、たまたますれ違ったこの看護師さんに事情を話したのだ。彼女にナースコールを止められたと伝えると、看護師さんはあの子らしいと呆れていた。その際看護師さんは、“彼女が大丈夫と言うなら心配ないですよ”と言った。無責任ではないかとも考えたが、ちゃんと様子を見に行っていたならそんな非難もお門違いだ。心の中で看護師さんに謝る。
「上機嫌ならよかったです」
「えぇ。やっぱり同年代の子と話す機会なんてないですし、あの子もあなたとお喋りできたのが嬉しかったんでしょう」
彼女の求める“何か”の一助となれた、ということだろうか。もしそうならそれ自体はとても喜ばしいが、全く関係のないことが気になってしまう。
「あの、僕年下ですし、何も敬語じゃなくても…」
二度目の時もそうだったが、あの時はすぐに去ってしまって言うタイミングを逃してしまっていた。大学生くらいの年齢の人に敬語を使われるのはむず痒い。僕自身が同年代の彼女にタメ口を求められた以上、なおさらだ。
「私はあくまで看護師、つまり仕事でここにいるわけです。距離を保ちたいとかではなく、これが病院を利用する方々への標準的な接し方なんです」
「はぁ…そういうものですか」
病院なんてほとんど来ないから、何とも言えない。こちらが返答に困っていると、彼女も困ったような顔で口を割った。
「というのは建前で、実はプライベートでも、同年代相手でも敬語です。癖なんですよね」
恥ずかしそうに、頬を掻く。まさか敬語常用者がここにいるとは。
ともかく、と看護師さんが話を区切る。自分の話はあまりしたくないみたいだ。
「あの子には隣で話を聞いてくれる友達が必要なんです。だから、あなたという話し相手ができたことを、あの子はきっと心から喜んでいます。これからもあの子の助けになってあげてくれたら、それは私にとってもとても嬉しいことです」
どうやら看護師さんは、僕が“あの子”とお話をするためにここへ来たことはお見通しらしい。彼女への慈愛で満ちた言葉は、じんわりと僕の耳に溶けて、こちらまで温かな心持ちにさせてくれる。
そちらにばかり意識が回り、“友達が必要”と口にした際の看護師さんの語気に少量の悲壮感が込められていた意味にまで、僕は気付けなかった。
看護師さんと別れた僕は、昨日訪れた彼女の病室へ直行した。部屋番号と名前を確認して、二回ノック。どうぞ、という声がすぐに中から聞こえた。
ドアをスライドさせると、彼女は昨日と同じ角度に傾斜させた背もたれに背中を預けた状態でベッドに座り、本を読んでいた。昨日見た黒い革製のブックカバーの本。
僕がベッド横にある椅子に座ると、本にしおりを挟んで机の上に置いた。
「その本は何の本なんだ?」
「気になる?」
「気になるから訊いてる」
「夏目漱石の『坊っちゃん』」
そう言って再び本を手に取り、ブックカバーを外して表紙を見せてくれる。
マニアックな本だと反応に困るところだが、僕も知っているタイトルが出てきた。
「どんな思い入れがあるんだ?」
この質問は、彼女がその本だけに限ってこの部屋への持ち込むのを認めているという彼女の弁を踏まえてのもの。
「ん、別にこれといって」
なのに本人からあっさり否定されてしまう。
驚く僕の顔から彼女は僕の質問の意図を察したらしく、こう説明してくれた。
「昨日のあれはあくまで“本”を持ち込んでいい程度の意味合いで、別にこの『坊っちゃん』に限ってるわけじゃないの」
「あーなるほど」
でもそれは、彼女の持ち込み規制の狙いに、支障をきたすとまでは言えないにしても、多少の抜け穴を作ってしまうのではないのか。生返事をしながらそんな疑問が頭に浮かぶ。本は――本嫌いな人を除けば――読む人に、程度の差こそあれ、満足感をもたらすのだから。その満足感は、彼女に入院生活への慣れを植え付けるに足るものではないか。
それとも彼女なりの妥協だろうか。病気の彼女にそこまで求めるのは酷なのだろうか。
「矛盾してる、って思うでしょ」
またしても彼女は的確に僕の考えを見抜いてしまう。彼女は『坊っちゃん』のページをぱらぱらと捲っていく。
誰だってそう思うでしょうね、と前置きしたうえで、
「むしろ、逆かな」
と、自分の考えを整理するように口にした。
「物語は、本来自分が得ることの叶わない経験と感情を追体験させてくれる。
喜び、楽しさ、悲しみ、挙げていったらきりがないけど、どれ一つとっても同じものがない“感情”は全部、私という個人を潤わせてくれる」
そこでページを捲る指を止める。
「それと同時にね、一種の居心地の悪さを味わわせるの。
この人たちのように人生を満喫できない私に」
『坊っちゃん』の端が折れたページに目線を落としながら、単語を一つ一つ選ぶようにして、慎重に文を織る。彼女の真剣な眼差しは、誤解してほしくない、という思いを雄弁に語る。
「でもね、その居心地の悪さは決して“悪い”ものじゃない。
私にとって病院の外っていうのは、この物語の世界となんら変わらない夢の国なの。
だから居心地の悪さは、私に活を入れてくれるの。『お前も早く外に出ろよ』てね」
彼女の考えは、僕が想像し得るそれとは真逆だった。でもそれは――
「辛く、ないのか」
十年余りをここで過ごしているとはいうことは、彼女が抱える病は相応のものと捉えていいはず。自力では動かし得ない外的環境。
自分を鼓舞すると言えば聞こえはいいが、内から湧く熱が彼女自身を傷つけはしないのか。
「辛くなる時もあるよ」
今度はあっさり首肯する。
「でも、私は一人じゃないでしょ」
彼女はそこで顔をあげ、僕に向かって穏やかに微笑んでみせる。
その瞳には、僕も映っているのだろうか。
この日はそのあといくつか雑談をした。
学校については想定していたが、彼女の食指はとどまるところを知らなかった。僕が動物園に行ったことがないと知ると露骨に肩を落とし、満員電車に乗っている時の心情を根掘り葉掘り訊かれた。
僕個人のこと、特に交友関係に話が及ばなかったことだけが唯一の救いである。
日曜日も彼女のもとを訪ねるにあたり、彼女に持ってきてほしいと頼まれていた物があった。
書店で貰ったビニール袋から、書店で貰った紙製のブックカバーに守られた本を取り出す。
「早く、プリーズ」
「ほれ」
差し出されて両手に、取り出した本を置いてやる。
「ありがとう」
「どういたしまして。いい感想、期待してる」
「感想に良し悪しは付けられないよ」
彼女が言うと、何でもかんでも至言めいて聞こえる。
「おー。これが君を臓器提供意思表示カードへと教化した本か」
「随分と堅苦しい表現だな」
「おー。これが君を無償の愛へと教化した本か」
「固有名詞が堅苦しいのはどうしようもないだろ。そっちじゃねぇよ」
しかも抽象化のし過ぎで、絶妙によりわかりにくくなっている。原型を限りなく留めていない。
「君はこの本とどこで出会ったの?」
「たしか、図書委員の仕事で――」
「質問。“図書委員”って?」
彼女は手をまっすぐ、高く上げる。
「学校に併設された図書館の雑務をこなす役割の人、かな」
僕の日常は、彼女の非日常。新鮮な面持ちで僕の説明に聞き入っている。
昨日もこんな風に、説明の途中で質問されることが何度かあった。
「んで、その雑務の中に、本の入れ替えみたいなのがあるわけ。棚に並べられる数は勿論、館内に保管しておける数にも限りがある。それでも新刊はじゃんじゃん入ってくるから、超過分は市の図書館とかに回したりする必要がある。これが本の入れ替え」
「ほうほう、続けて」
「その入れ替え作業をしている合間に見つけたのが、その本。そのまま貰えるわけじゃないし、借りるにしても市の図書館まで返しに行くのは億劫なんで、新品を買ったけど」
「でも、数多あるであろう入れ替え本の中で、この本に惹かれたのはなぜ?」
「なんでだっけなぁ……」
本当は覚えている。
たいていの場合、入れ替えられる本というのは学校の図書館に来てからより長い年月を経た本が選ばれる。辞書とかは別だが。
ゆえにその多くは、盛者必衰の理を感じさせる独特の黄ばみを帯びている。
そんな中で、この本は異彩を放っていた。
真っ白だったのだ。紙からは若さが抜け落ち、年月の隔たりは感じられるものの、肝心の誰かに読まれた気配のようなものは微塵も感じられなかった。
「奇抜というか、無骨というか、何とも言えないこのタイトルに惹かれたの?」
「まぁそんなところだ」
テキトウにあしらわれた彼女は頬を膨らませて抗議する。
ただ、答えたくないという僕の要求は呑んでくれるらしく、
「ま、大事なのは、この本と君との馴れ初めよりも、この本の中身よね」
と、譲歩してくれた。
その日から、僕はひとつ本を持って、度々彼女の病室を訪れるようになった。
彼女の両親は朝方に彼女の病室に顔を出すそうで、その際に彼女が読み終わった本と両親が持ってきた新しい本とを交換していたらしい。そこに僕が持ってきた本まで追加されて大丈夫かと訊いたら、両親から貰う方を減らすまで、と返された。
そもそも僕は読書家というわけではないが、生半可な本を持って行っては僕の沽券に係わる以上、おざなりにはできない。
未読の本と既読の本を交換し、それらの本について意見を交わす。
本に関する話が一段落すると、彼女からの外に関する質問、それへの僕の回答と“外の事”への個人的意見、それへの彼女の痛烈な指摘。
これが彼女と僕の日常になっていった。
彼女はジャンルや作風に選り好みをしない。
読者を元気づけるような作品から、むしろ“人生なんてくそ喰らえ”という作者の怨念が聞こえてきそうな作品まで、実に幅広い雰囲気の本を読む。
いつか彼女は、本に必要なのは正負ではなく絶対値だ、と言っていた。
「読者に訴えかけるもの、その強さが大事なの。それが強ければ、私はそこからいろんなことを学べるはずよ。正の感情、負の感情にかかわらず、ね」
前向キストの模範解答だ。
「僕はそんなに割り切れないね。胃がきりきりするようなバッドエンドよりかは、砂糖にハチミツぶっかけたみたいな甘ったるいハッピーエンドの方がマシだ」
「でも、人生は選べないでしょ?」
病気を抱える彼女が言うとむやみに否定ができない、が。
これは罠だ。彼女は時たま自分の境遇さえ利用して、僕を困らせようとする。
こちらをじっと見据える瞳が笑っているのがその証拠。
「自分の人生が選べないからこそ、別の人生くらい、いい気分に浸らせてくれたっていいだろ」
「あーあー、つまんない答え」
その癖、こっちが挑発に乗らないとすぐ拗ねてみせる。彼女がもう少し演技派だったならば宥めようとしていたかもしれないが、現役JKのクラス内ヒエラルキーを賭けた熾烈な騙し合いをこの目で見てきた僕を拙い演技などではごまかせない。
彼女との平和ぼけした時間が愛おしい。何物にも代え難い時間を、二人で少しずつ積み上げてゆく。
いつまでも続けばよかった。だが、先に壊れたのは僕の方だ。
彼女の知らないところで、歯車は逆向きに回る。
学校にて。今日は高校二年生最後の授業日。三月ももう終わる。
ひとつの授業が終わるごとに、どの教科担当からも今までお疲れ様云々の一言二言を聞かされた。
僕の耳はそれらの別れを右から左へ運び出す。相変わらず頭の中に居座り続けるのは、今日は彼女にどんな本を持っていくか、という悩みの種。それだけが丁重におもてなしされている。
数学の授業にて。ノートの四隅にリストアップした候補者たちを選挙する。
各々のマニフェストや噂を横に書き出す。投票者は僕だけ。
国語の授業にて。有力株は前回彼女が大変お気に召した本と同じ作者さんという後ろ盾があるこいつだ。でも同じ作風を続けて読むのを、彼女はどう感じるのか。
物理の授業にて。いざ決戦の時となると、僅差でその本が勝った。僕自身の読後感的にはやや見劣りするものの、前回の手応えが決定打となった。
最近はずっとこんな調子で、本への関心と反比例するように、授業への、勉強への関心は萎んでいった。僕にとってとびっきりぬるい足湯のようだった学校は、彼女との出会いを機に足枷に成り果てた。
こんな事実を知ったら彼女はきっと怒る。間違いなく僕を叱りつける。本の感想を言い合う中で、心からの会話を楽しむ中で、彼女の人物像の概形がおおまかに掴めてきていたからこそ確信できる。
だが、目下のところ僕を制御しているのは、彼女の傍にいたいという欲望だ。
なんとも不思議なことに、彼女の人への真摯さとか質実さと呼ぶべきものは、学校と同様に僕をより卑しい下郎へと堕ちさせてしまっていた。
彼女が振り撒く純潔な熱を、彼女から流れ出る気高き生命力を、そしてこれらが凝縮されたあの目を、もっと傍で感じていたい。それさえあれば、他の全てが不純物の烙印を押されてゴミ箱行だ。
最初期に僕の中で燻っていた独占欲は、今や爛れた渇きにまで姿を変えて勢力を拡大中。
ぶくぶくと肥えていく僕自身の穢さに、理性が蝕まれていくのだけがわかる。
彼女は僕の堕落など露程も気付いていない。気付かせてはいけない。それを気付かせることもまた、彼女を汚してしまうのだから。
その日の、つまりは二年生最後の授業である英語。授業中一切顔を上げない僕に、英語担当かつ我がクラスの担任でもある教師がいきなり怒声を飛ばした。
“最後の”授業だったことが彼の怒りに拍車をかけ、次から次へ出てくる罵声にクラスメイトたちは薄ら笑いを引っ込める。代わりに露骨な敵意をむき出しにするが、その矛先は僕だ。
ここに僕の理解者はいない。
ここにいるのは邪欲の囚人、人の皮で出来た張り子の虎、足元しか見ぬ野心家。
なぜこの人たちはオテントサマの下で自由に生活できて、あの彼女が縛られなくてはならないのか。不条理ではないか。
僕にはその理由が分かる。
それは多分、神様も誰かに恋をしているからだ。
恋をすれば他の全てがどうでもよくなる。
今の僕のように。