act 4
ソファからおりて、応接間との仕切りの硝子戸を抜け、広い応接間の隅に立っているヘイデンに声をかける。
「部屋に戻ろう」
「はい、ユリウス様」
いくらか癖毛気味の金髪で碧眼。柔和な印象のヘイデンは、笑顔で頷く。
「歩かれますか?」
「うん。歩きます」
広い館だから、自分の部屋が遠い。時間はロスになるものの、散歩になるし、基礎体力づくりの一環として、なるべくヘイデンの転移術には頼らずに歩くように心掛けている。
転移術は高位魔術なので、誰もが扱えるわけじゃないけれど、ヘイデンは騎士学校の魔術科を出ているし、保持魔力が人よりも多いからか様々な魔術を見せてくれて教えてもくれる。
週に二回ほど魔術の家庭教師がついているけど、教え方はヘイデンの方が上手いかもしれない。
「一日にして成らず……」
「え? 何か仰いましたか?」
「いや……ケーヴェンウェーゼの知恵を識りたければ、まず魔術文字を識れ。という言葉を思い出していたんだ」
ケーヴェンウェーゼとはルーゼファートの魔術神のことで、全知の神としての一面もある。
千里の道も一歩からとほぼ同義だけど、「魔術文字を識れ」と言われたら、「頑張れ」と言われたことになる。
「ユリウス様とお話ししておりますと、たまにユリウス様が同年代なのではないかと錯覚してしまうんです」
「僕は五歳だよ」
「はい。存じ上げております」
前世は十八歳で幕を閉じた。前世の記憶を持ち越しているのも良し悪しあるよなあ。
ヘイデンの言葉にドキっとしながらも平静を装う。
「着替える前に、少しだけ剣の稽古がしたい」
「承知致しました。剣を持ってまいりますので、正面玄関にてお待ち下さい」
振り返ってヘイデンを見上げると、彼は一礼して踵を返す。
サウトファルヒールに行くのは午後からだから、母上も納得してくれるだろう。
足の長さが違うし、自室よりは近くても正面玄関も遠いから、ヘイデンの方が先に着いてそうだけど、めげないようにしようっと。
でも身長伸びろと、手を組んで腕を上に伸ばし、爪先立ちしてみる。
誰も見ていないしね。
サウトファルヒール公爵家は代々神官の家系だ。
神と言っても地球と違って、キリスト教もイスラム教も仏教も日本の神道もないわけで、神教と呼ばれる多神教が世界共通の統一教として広まっている。
国や地域によって神の勢力図は違うようだけど、宗教戦争が起こったことはこれまでの歴史ではないようで、まあ……小競り合いはあったようだけど、その点では、地球よりも憂いが少ないかもしれない。
そんな背景のある公爵家の神官ともなると、たとえるなら枢機卿……下手すると法王と遜色ないくらいの影響力があるらしいが、詳しいことはよくわからない。
「教会は存在してなくて、神殿と礼拝堂だけっていうのも変な感じだよな」
「建築としてみたら、礼拝堂は西洋の教会っぽくもあるけど」
「かもな」
「どうでしたか。ヴィクトリアさんとエステルさんとの初対面をはたして」
「セリュメ。出てきていいのか」
サウトファルヒール家本邸の裏、国内一の大神殿の中央。鬱蒼と緑のしげる箱庭にオリヴィエ殿下と二人。と、運命の女神。
「最高神官に話はつけました」
「さようで」
オリヴィエ殿下の素っ気ない返しに苦笑して、木の陰から現れた女神に視線を送る。
座っている陽だまりの石の階段はあたたかいけど、冬の外気は厚着をしていても冷たく感じる。
「ヴィクトリアが俺の運命の相手で、雄大が三上ちゃんと再会をはたしたとしても、まだ幼い俺達じゃ、どうにもならないんだけど」
「感動はしたけど、空しくもなったな」
オリヴィエ殿下と婚約のち結婚する予定のサウトファルヒール公爵家令嬢ヴィクトリアはわずか一歳。
花凛の生まれ変わり、ミルスティス子爵家令嬢エステルに至っては零歳。
サウトファルヒール家に到着して、母上と一緒に挨拶をしたあと、居合わせた夫人やその子供達からも挨拶を受けて、その中に王妃様とオリヴィエ殿下、ミルスティス子爵夫人とエステルがいたことに驚いた。思わずエステルに手をのばしたりもしたけど、スヤスヤと寝息をたてる赤ん坊は壊れ物みたいで、そっと前髪を撫でるくらいしか出来なかった。
俺の事だってまだわからないだろうし、新野雄大だと名乗れるのなんていつになるかわからない。
俺とオリヴィエ……数馬と違って、花凛の魂の損傷は激しくて、前世の記憶を取り戻すのはまだまだ先になるらしく、転生に際してセリュメが立ち合うことも許されなかったのだとか……神にも許されないことがあるのかという疑問は残るけれど、それも生命の神秘なんだろう。
オリヴィエ殿下とヴィクトリア嬢も握手を交わすくらいで、俺達は早々にこちらの大神殿まで逃げてきた。
オリヴィエ殿下と一緒なら、国内で入れない場所はないだろう。
殿下付きの護衛騎士も二人ついて来たけど、庭までは入って来なかった。
大神殿だけあって聖騎士も魔術師も常駐しているし。