act 1
短い人生だったなと思う。
通り魔に一矢報いることが出来ただけ良しとしようか。
「花凛……」
ひどく重たい腕を伸ばし、血の気をなくした顔をして倒れている恋人の手をどうにか掴む。
だけど、無様だ。どうしようもなく。
大量出血でも涙は出るらしい。
悔しいやら情けないやらで、笑うと同時に泣けてくる。
実際にはそうする体力もなく、涙が一筋、頬を落ちるだけだったが。
海辺の展望デッキ。逃げ惑う人々の声や足音は遠ざかる。花凛が庇った男の子は友人の数馬が見ず知らずの人に託した。これ以上被害が増えないことをただ祈る。
そうでなければ……なんのために。
俺は恋人の姿をこの目に焼き付けて、どうにか触れることが叶った手の感触を忘れないよう、記憶に刻みつける。
もう俺を見つめ返すことがない黒い瞳が閉じていて良かった。その距離ですら、手を伸ばせないだろうから。
「花凛……」
もし、来世があるのなら、もう一度、君とーーー。
そう願ったところで、意識は途絶えた。
「……?」
目を開けると、白い雲が流れる水色の空を映す、薄く水の張った白い大地が続いていた。
手を空にかざすと、あんなに重かったはずの腕が易々と動いた。水に濡れた白い手と腕だった。
あー……死んだ、んだよな……俺?
「新野雄大さん」
「え?」
状況を飲み込めずに呆然としていると、高く澄んだ声に名前を呼ばれ、ばっと起き上がる。
真横に、この世の者とは思えぬ美しい少女が立っていた。
白に近い銀の長い髪に、底知れぬ瑠璃色の瞳
。真っ白いドレスを着ていて、ゆるく微笑んでいるけれど、悲しげな瞳をしている。
「えーっと……どちら様ですか?」
「初めまして。私はセリュメと申します。正確にはルーヴァ・セリュメ……雄大さんがこれから生まれ変わる世界で運命を司っている女神です」
「……は?」
聞き間違いだろうか。
運命を司る女神って言った……か?
どうにも事態が把握出来ない。
「すみません。ちょっと整理させて下さい」
「あ、はい。勿論です。誠心誠意を尽くしますので、どうぞご遠慮なく」
「……あー、いえ。少し聞きたいだけなんですけど……。まず、俺は死んだんですよね?」
「はい。新野雄大さんは地球での生涯を終えられました。魂は修復されていますので、次の生への移行は恙無く完了する予定です」
「はあ。それで」
それで何故、女神?
死んだらそれが普通なのか? 死者は平等に神と会う機会を与えられる?
いや、それ以前に生前の罪を量られたりしないのだろうか?
天国も地獄もないということなのだろうか。
「運命の女神様が、俺に何の用が……」
そもそも、これから生まれ変わる世界って……地球とは違う世界ってことなのか。
神話に明るいわけじゃないが、セリュメなんて名前の運命の神様は聞いたことがない。
それに今さっき、「地球での人生を終えた」って言ってたしな……聞き間違いでなければだけど。
「……花凛は!? 数馬は!」
「心配には及びません。お二方とも直に会えますから」
「そうか。なら……って、会えるものなのか?」
「特例、とだけ。私がこうして雄大さんと対面するのもその一環なんです」
ということは、誰でも神と会えるわけじゃないのか。
なら、尚更何故だろう。
額に手を当てたところで、はたと気がつく。
落ちてくる、視界に入る前髪が銀色だということに。
「え?」
「鏡を」
水面に波紋をつくり数歩だけ近寄ってきた女神から、ずしりと重たい金縁の手鏡を受け取り
、覗き込むと、そこには銀髪に楽園の海のような青の瞳をした、非常に整った顔立ちの青年が映し出されていた。
「……俺?」
「はい。こちらの世界での、将来の貴方の姿です。今なら多少の変更も可能ですが、いかが致しましょう」
「いや、このままで」
恐らく、これから俺の両親となる二人から受け継ぐ自然の姿がこの姿なんだろう。
ならば、そのままが良い。
両親か。どんな人達なんだろう。こんな息子が生まれてくる両親……想像し難い。
地球とはまた異なる世界なんだろう。それだけは分かった。
白いローブのようなものを着ているが、水を含んで身体に張り付いてくる。
手鏡を女神に返すと、受け取った彼女は撫でるように手をかざす。
そうすると手鏡が薄くなり、どこかへ消えてしまう。
「この魔術は比較的高度なものですが、雄大さんなら難なく扱えるようになるでしょう。単に空間を繋ぐものなので、収納量に限りはありますけれどね」
神様の所為に突っ込むのは野暮かと思ったのに、まさか俺が使えるようになると言われるとは思ってなかった。
魔術があるのか。マジか。
「で、その特例というのは……」
「新野雄大さん。この度のこと、心からお詫び申し上げます。私達の不手際により、多大なる」
「ちょ、ちょっと待って下さい。謝られる意味がわからないんですけど」
「はい。ですから、これからその件についてのご説明を……」
段々とあちこちに視線を泳がし始める女神を前に、嫌でも悟る。
決して、良い話ではないのだろう。