第一話 聖剣殺し
静かなる災厄によって居住域と人口が縮小し続ける世界。限られた領域を物理破壊兵器で損失しない為、国家間で取り決められた協定により、国を代表とする剣と鞘同士が闘い、勝者が相手国の居住域、或いはそれに同等するものを得る。
此処は残された国の一つにある学生により運営される学園都市ブレイドワークス。
都市は二十三区からなり、全ての区に都市が定めるペルティエを育成する学園がある。そして、学生は序列によって二十三の学園に割り振られる。
その一つ、第十一区にある学園に剣である一人の少年が入学の時を迎えていた。
第十一学園の講堂で学生達が整列された椅子に座している。そして、講堂の壇上に一人の少女が登壇する。
少女の容姿は長い黒髪を後ろで束ね、痩せ型だが胸は豊満だ。
その容姿だけなら見蕩る者も多いだろう。現に新入生の中にも男女問わず、見蕩る者がいた。だが、そんな浮わついた感情で近付こうものなら痛い目を見ることになる。
「入学、或いは進級おめでとう、私は生徒会長の革那肖です」
第十一学園、生徒会長革那は無愛想な短い挨拶を終えて降壇する。
「これにて第二十期の入学式を終える」
教職員の一人がマイクで閉式を伝えると所々で生徒が立ち上がって強張った身体を解すかのように伸びをしたり、周囲の者と会話をしたりしている。
そんな様子を横目で見ながら革那は三人の者を引き連れて講堂から退場する。
「会長、お疲れ様です」
黒髪の爽やかな少年が歩きながら革那の右斜め後ろから声を掛ける。
「少し緩みすぎだな、新入生は兎も角として二、三年があれでは…副会長、風紀委員長を即刻退学に」
「アヤちゃんそれはやり過ぎだよ」
その言葉に革那は立ち止まり、振り返る。
振り向いた先には癖毛の小柄な少女がおり、革那が振り返ると同時に向けた鋭い視線に癖毛の小柄な少女は肩を竦めていた。
「…そうっすよ会長、また運営委員会から呼び出しを受けますよ」
肩を竦める癖毛の小柄な少女を擁護するように少女の左隣にいる軽薄そうな少年が言った。
「知ったことではない」
革那はどうでもいいという風に言って捨てると前へと向きを直ると一人、先に歩いて行ってしまった。
「会長、いつにも増して機嫌が悪いっすね」
「例の転校生の件で今朝方、色々とあったようですから…」
「ふむふむ…姫崎副会長、それはどういったことで?」
その場にいる三人とは違う声が三人の後ろから聞こえた。
「聞かずとも情報は掴んでいるのでしょう?新聞部部長、写見真耶」
生徒会副会長、姫崎と他二人は後ろを振り返る。
「ネタには裏付けが必要なのでね」
そこには赤い縁の眼鏡を掛けた少女がおり、少女の瞳には記者魂が滾っていた。
「では、失礼するよ」
姫崎は気にも止めずに立ち去ろうとすると写見は姫崎にしがみつく。
「そこ何とか」
「全く、しつこいですね」
姫崎は呆れたように言葉を捨てると振り払うと一人、先に行ってしまった革那会長の後を追う。
姫崎に振り払われて地に臥す写見をそっと避けるように癖毛の小柄な少女と軽薄そうな少年は姫崎副会長の後を追おうとしたがホラーの如く写見は二人の足首を突然、掴む。
「逃がさん」
「そこまでにしとけ」
「ぐふっ…」
少年の声が聞こえ、その声と共に写見は頭を叩かれ、写見の手が二人の足首から放れる。
その隙に癖毛の小柄な少女と軽薄そうな少年は駆けていく。
「…何するのよ、折角の情報源に逃げられたじゃないか」
写見は後頭部を擦りながら立ち上がると眼鏡と髪を整え、制服の埃を手で払う。
「それでも探究心に満ちた新聞部部員なの?」
「何事にも節度は必要だよ、マヤ」
「分かってる」
写見は慎ましく答える。
「それでそっちは裏付けが取れたの?」
「目撃した生徒から証言は取れてるよ」
「では、文字に起こして入稿……おや?」
写見は意気揚々と作業に向かおうしたが何かを見つけると駆け出した。そして、写見を諌めていた新聞部部員はその後に続く。
少年は講堂で一人、誰にも話し掛けず、話し掛けられず、講堂に入る際の受付で渡された生徒手帳に目を通しながら座っていた。
すると突然、妙に周囲が騒がしくなり、少年は視線を上げて辺りを見回す。
そして、此方に向かってくる少女に視線が止まる。
「あれって今朝の」
「あの人が」
そんな声が所々から聞こえ、少女の進行を妨げないように生徒達は避けるようにして道を開ける。そして、少女は少年の目の前で止まる。
「君、ちょっといい?」
少女は少年の返事を待つ間もなく、少年の手首を掴み、そのまま引っ張っていく。
少年は状況が掴めずに言葉を出し倦ねていると少女は人気のない庭園の大樹の前にてようやく手を放し、少女は少年の方を向く。
「君、私の剣に成りなさい」
開かれた口から発せられた唐突な言葉を起点に二人を囲むように模様を配した円が現れる。
少年は驚き、咄嗟に後退ろうとしたが少女に襟元を掴まれた為、後退することが出来ずにいると突然、少年の唇に少女の唇が重なる。
そして、その直後、少女の胸を剣が貫いた。
少女の胸を貫いた剣はすぐに少女の中へと消えるように霧散し、二人を囲んでいた円が消える。すると少年の唇から少女の唇は離れる。
「あれ…どうしたんだろう…」
少年は急に身体の力が抜け、意識が遠退く。
少女は倒れてきた少年の身体を優しく受け止める。
「これで兄さんの…」
「その子、医務室に連れてった方がいいんじゃないか?」
思いもしない所からの声に驚き、少女は支えている少年の身体から手を離しそうになるがすぐに掴み直し、ゆっくりと木に少年の背中を預けるように地面に座らせる。
そして、少女は上を見上げるとそこには木の枝に座り、本を読む少年がいた。
「驚かせたようで悪かったな。しかし、こっちも驚いていたからな。まさか突然、ペルティエの契約を始めるとは思わなかったから声を掛けるタイミングを失っていてな」
少女は何も答えずにいると……。
「あぁ、医務室なら私が連れていこう」
白衣を着た黒髪の女性が現れ、少年の様子を見て言う。
「あぁ、心配しないでくれ見ての通り私は学園の医務職員だ」
その白衣の女性は疑心に満ちた瞳で見つめる少女に言うと木の上を見上げる。
「あと君、そろそろ授業が始まる時間だぞ」
木の上の少年は本を閉じ、木から飛び降りるとゆっくりと歩いて校舎へと向かう。
白衣の女性は少年に近付き、軽々と抱き上げた。
「君達も部活は程ほどにして教室に向かいなさい」
林の中から二人の学生が出てきた。
それは新聞部部長、写見とその部員の少年だった。
「分かっていますとも、いいもの撮れたのでね」
写見は早く入稿したいという落ち着かない様子で言葉、早々に写見は立ち去る。
「先生、失礼します」
写見の代わりに新聞部部員は頭を下げると写見の後を追いかける。
「君もついてきなさい、聞きたいこともあるしな」
白衣の女性は少女にそう言うと自分の職場である医務室に向かう。
少年の前には一振りの剣が宙に浮かぶようにあった。
刃渡り九十センチ程の黒い直剣、所謂、ロングソードと言われる部類の剣。
「どうして……」
少年は怖気と共に言葉が漏れる。
ゆっくりと瞼を開けて悪夢から目を覚ます。
そこは微かに消毒液の匂い漂う医務室。
少年は白いベッドの上で寝かされていた。
少年は左手に温かな感触を感じ、天井から視線を落として自身の左側を見ると見覚えのある少女の姿があった。
その少女と目が合う。
すると少年は記憶が思い起こされて顔を赤らめる。
ベッドを仕切るカーテンが開く。
「おっ、目を覚ましたようだな」
白衣を着た黒髪の女性が様子を診に現れた。
「うん、少し顔に火照りが診られるが大丈夫だろう」
「あの僕はどうして此処に?」
「ペルティエの影響だ、たまにペルティエ後に気を失う者いるんでな」
「…そうだ、オリエンテーションは?」
「もう昼、予定されていた初期講習会は終了しているよ」
「そのことなら心配いらないのです」
小学生かと見紛うほどの背の低い女性が現れた。
「先生は心配したのです、連絡を受けていないのに空席があるのですから」
少年は目の前にいる明らかに自分より歳が下のように見える背の低い女性に戸惑いつつも声を掛ける。
「先生?」
白衣を着た黒髪の女性に確認するような視線を送る。
「定番の反応だな」
「どうしたのですか?雨宮先生」
「いや、なんでもないよ、鯉口先生」
失言を誤魔化す。
「それで雨宮先生、夜凪くんはもう大丈夫なのですよね」
「あぁ、一時的なものだからな身体的には何の問題もない」
「なら、今から個別オリエンテーションも可能ですね」
「そんな急かなくともいいと思うが」
「オリエンテーションは必修、今日に修了しないと退学処分なのです」
それを聞き、ベッドにいた少年・夜凪は起き上がり、ベッドから降りる。
自然に少年の手と少女の手が離れ、少女は鯉口と少年を見送る。
「さてと」
雨宮は仕切り直すように一言口にする。
「それで君、名前は?」
「二年、光城雫。私のクラスの生徒です」
「代わる代わる来訪者が多い日ね」
医務室の入口には小太りの壮年男性が立っていた。
「来なさい」
少女は言われる通り、小太りの壮年男性の方に向かう。
「それでは雨宮先生、失礼します」
小太りの男性はそう言うと医務室の扉を閉める。
「他にも聞きたいことはあったけど名前でデータベースと照合すれば分かるか…」
雨宮は椅子に座り、机にある端末に少女の名前を打ち込み、自分の認証コードを打ち込む。
「光城。聞き覚えがあると思ったらやっぱりあの聖剣の兄妹…」
「まったく運営委員会も何を考えているのかだよ」
医務室内に声が響く。
「全くデス」
声は二種類、幼い男女の声。
「荒鷹、白羽、起きてたの?」
「ずっと起きてのデス」
「分かったわ、それで?」
「いやな気配が校内に入り込んでいるんだよ」
「厄介ごとには厄介ごとが付いて回るわけか」
雨宮は椅子から立ち上がる。
「此処が僕の教室」
夜凪は教室の表記を確認すると中に入る。
夜凪が中へ入るとまだ僅かに教室に残っていた生徒達の会話が止まり、室内が一斉に静まり返り、夜凪の動向に視線が集まるが直ぐに元のように生徒達は会話に興じる。
夜凪はその様子に少し動揺していたが、鯉口はある席を示す。
「あの窓側の一番後ろの席が夜凪の席ですよ。まずは自分の席にある端末の教材を確認してくださいね」
夜凪はその席まで行くと教室の入口から鯉口が声を掛ける。
「それが終わったら実技棟の訓練室に来てくださいね」
鯉口はそう言い残し、去っていくと夜凪は席に座り、自分の生徒手帳を取り出して机に置く。
生徒手帳の上にホログラムが現れ、確認中と表示される。
「やっぱりあの件だよな。空気が重い」
夜凪は顔を伏せていても分かるチラチラと向けられている視線を感じながら講堂での出来事を思い起こし思った。
確認終了と表示される生徒手帳を取ると開いて内容を確認する。
「全部揃ってる、けど」
夜凪は表情を曇らせていると突然、隣の席から声が聞こえた。
「多いやろ?」
その声に視線を隣の席に移すとそこには取って付けたような作り笑顔を浮かべ、此方を見る男子生徒がいた。
「俺は十倉互烙や」
握手を求めるように手を差し出すと夜凪は少し驚いたような表情を見せる。
「あぁ、俺は人目は気にせんよ、そうゆうんは嫌いやからな」
その言葉を聞いた夜凪は十倉の手を取る。
「よろしゅうな」
「よろしく、僕は夜凪玄」
「それじゃ僕は実技棟に行くよ」
「場所は分かるんか?」
「手帳の地図を見れば大丈夫…」
夜凪は手帳を開く。
「…だと思います」
生徒手帳に記された学園の地図は複雑にして細かかった。
「まぁ、この学園は似たような施設があるからな」
十倉は夜凪の心境を察すると笑う。
「俺が案内したるよ」
「ありがとう」
「えぇて」
夜凪と十倉は教室を出る。
学園の東方にある円形場の施設。『実技棟』その地下の廊下を夜凪と十倉は歩いていた。
「確かそこ曲がった先にあるはずや…」
十倉は目的の場所を教えると夜凪は十倉の示す路地を曲がると誰かにぶつかった。
「いってぇな!何処見て歩いてやがる」
ぶつかった人物は夜凪が謝る隙も与えずに胸倉を掴む。
それは学園の上級生だった。
「新入生のようだね」
夜凪の胸倉を掴む上級生の後ろにいる二人の内の一人が言った。
「なるほどな新入生か…ちょっと面貸せ」
夜凪は胸倉を掴まれたまま連れてかれていく。
そんな様子を十倉は角の陰から見送るとすぐに立ち去る。
夜凪は上級生達に連れられて誰もいない訓練室に投げ込まれる。
「一つ、初心者のお前に稽古をつけてやる」
「三須木、やり過ぎるなよ」
投げられ床に横になったままの夜凪の前に立つ上級生に他の一人から二本の模擬刀が投げ渡される。
「心配ねぇよ、ここは訓練室、痕はのこらねぇよ。それにあくまでも稽古だ」
三須木は不適な笑みを見せ、手に持つ模擬刀の一本を夜凪の前に投げ落とす。
「さあ、取れよ。新入生つっても使い方は分かってんだろ?でなきゃ此処に入学はできねぇからな」
何かを読み取るように二人の身体を線が通過する。
「三須木、いつでもいいよ」
他の二人が訓練室の壁の上方にある硝子窓からそこにある装置を使い、三須木に合図を送る。
三須木はその合図と同時に模擬刀の柄を下方に向けて鞘から引き抜き、床にいる夜凪に向けて腕を振り上げる。
金属音と共に夜凪は後へと飛ばされた。
「おいおい、いきなりやり過ぎだろ」
上の部屋にいる二人の内、一人が三須木にふざけたように言うが返答はなかった。
「どうしたんだよ、三須木」
上方の硝子窓がある部屋から見下ろす二人がざわつく。
そこへその部屋の扉が開く。
「あなた達、なにやってるの!?二、三年生は上のアリーナで実習中のはずよ」
現れたのは白衣を着た黒髪の女性、医務職員の雨宮だった。そして、雨宮の後ろからひょっこりと小学生かと見紛うほどの背の低い女性、鯉口が顔を出す。
学生二人はすぐに職員二人とは反対側にある扉を開けて訓練室に繋がる階段を降りる。
二人はすぐに中に入ると窓から訓練室を覗くと訓練室には床に倒れる二人の姿があった。
「鯉口先生、私は下に降りるから」
雨宮は階段を降りていく。
「知らせてくれてありがとなのですよ」
鯉口は入口の方を向いて言うとそこには十倉が立っていた。
「当然ですよ」
十倉はあいかわずの作ったような笑顔で答えた。
雨宮は訓練室に降り立つと学生二人の姿はなく、床に倒れる三須木と夜凪だけだった。
まず、近くの三須木に近寄ると安否を確認する。
「訓練室の安全機構はきちんと働いているみたいね」
雨宮は近くに転がる刀身の中ほどから折れた模擬刀に気付く。
「これを…」
折れた模擬刀の柄を掴み取ると折れた断面を観察した後に夜凪を見る。
夜凪はまだ意識があるようで僅かに動く。
「主様」
雨宮の傍で危険を知らせるように二つの声が発せられる。
すると雨宮の持っていた折れた模擬刀の刃が切断面から不快な音を立てながら柄の方へと黒く染まる。
雨宮はすぐに上へと放り投げると腕を首ほどの高さで交差するように構える。
「荒鷹、白羽」
雨宮がそう呼び、何かを掴むように両手を構えると刀身も柄も白銀の刀が現れた。
そして、全てが黒く染まりつつある折れた刀を目の前に落ちてきた所で二振りの刀を振り開く。
黒く染まり折れた模擬刀は見る影もなく砕けた。
「雨宮先生、二人は大丈夫ですか?」
降りてきた鯉口が訊ねるが雨宮は周囲を見回している。
先程まで握られていた刀は手にはなかった。
「どうしたんですか?」
「なんでもありません」
鯉口に気付いた雨宮は答えた。
「あと他の二人は何処に行ったのです?」
「私が此処へ来たときにはいなかったから逃げたんだと思うけど、今は二人を医務室に運びましょ」
そこへ担送車を押して十倉が現れた。
「一台しかなかったんですけどこれでええんですよね?」
「えぇ」
雨宮が答え、担送車を受け取ると三須木の傍につけると担送車の高さを地面まで下げ、三須木を乗せて高さを戻す。
「鯉口先生はこの生徒の担任に連絡をお願い」
「はいなのです」
天宮は担送車を押して医務室に向かい、鯉口は先程までいた上の部屋に向かう。
二人がいなくなると十倉は夜凪に近付く。
夜凪の近くには折れた模擬刀の刃が落ちていた。
十倉はそれを拾い上げる。
「どないしたら模擬刀を折るなんてことをっつ…」
十倉はそう呟きながら断面を指の腹で触れると痛みを感じ、折れた模擬刀の刃を落とした。
「模擬刀は刃がないはずやのに」
十倉は切った指を見るがそこには傷一つなかった。
「確かに切れた感触があったはずなんやけど」
視線を落とし折れた模擬刀の刃へと移すが何処にも見当たらない。
「まぁ、ええか」
十倉は夜凪に近付き、医務室まで運ぼうと手を伸ばす。
「彼に触れないで」
十倉のすぐ後から声が聞こえた。
「やっとお出ましか。そんなんじゃペルティエとしては失格やで、雫」
十倉の背後には十倉を睨む少女、光城雫が一人立っていた。
「まだ感覚共有がうまくいってないだけよ」
「そりゃ、片思いじゃなぁっ…」
十倉は突然、横に跳ぶ、何故なら光城が十倉目掛けて蹴りを入れてきたからだ。
「ちょっと落ち着いて冷静にあたらんと何も成せんで…」
「貴方達、何をしてるんですか!?」
鯉口が頬を膨らませて怒った様相で向かってくるが見た目が見た目なだけに全く威厳が感じられない。
「何も」
光城がぶすっと言うとそこへ空の担送車を押して雨宮がやってきた。
「鯉口先生は先に医務室へ、あの生徒の担任が来てるので詳しい説明をお願いします」
「分かったのですよ」
鯉口は雨宮の言う通りに医務室へ向かった。
「担架に乗せるの手伝ってくれるか?」
雨宮は担送車を夜凪の横に配置して下げるとその様子を見つめる光城に言う。
光城は何も言わず黙って夜凪を担送車に乗せるのを手伝った。
「分かってると思うがこの子は心配ない」
雨宮は夜凪を案じる光城に言うと担送車の高さを戻し、担送車を動かして医務室に向かう。
光城と十倉は天宮の後に続く。
実技棟の医務室は訓練室から近い場所にあった。中から言い合う男女の声が聞こえている。
「そんな酷いこと」
「私の生徒だ。貴女にどうこう言われる筋合いはない」
「先生方、此処は医務室です。静かに」
雨宮は扉を開けて入るなり、言い合う男性教諭と鯉口を注意する。
男性教諭は舌打ちをし、黙ったまま足早に出ていった。
雨宮は担送車をベッドの隣につけると光城と一緒に夜凪をベッドに移し、担送車を片付ける。
そして、そこで十倉の姿がないことに気付く。だが、雨宮はそのことには触れずに夜凪の眠るベッドから離れ、診察スペースにいる鯉口に近付いて話し掛ける。
「何を揉めていたわけ?」
「あの人、落ちこぼれにはいい薬だと言ったのですよ」
「なるほどな、それは怒るわな」
雨宮は心の内で納得する。
「落ちこぼれの生徒なんていないのです」
鯉口は剥れる。
「綾月と違って細ちゃんは優秀だからね」
左側の髪だけ刈り上げ、長髪を右へ流した左頬に蝶の刺青が入った上下ジャージ姿の青年女性が医務室に入ってきた。
「都蛾家先生、学園では苗字でといつも言っているのですよ」
「いいじゃない、さ・さ・め・ちゃ・ん」
「公私混同は生徒の規範となる教師として良くないのですよ」
鯉口はまたも剥れる。
「からかうのもそのくらいに、ささめ…鯉口先生が本気で怒ると此処にいる誰も止められないんだから」
雨宮は鯉口のことを名前で呼んだがすぐに訂正して苗字で呼び、冗談めく言い方をする。
「分かってるって洗ちゃん」
「もう!ふたりとも」
鯉口は地団駄を踏む。
「愛らしい鯉口先生の姿を見れた所で…」
都蛾家がそう言うと鯉口と雨宮は都蛾家の後ろの足元へ視線を落とす。
そこには大きな白い布袋があった。
二人の視線に答えるように都蛾家は袋を開ける。
袋の中には後ろ手に拘束された意識のない生徒が二人、それは三須木と一緒にいた二人だった。
「ちょっと何をしてるのです」
「見た目ほど手荒な真似はしていないようだな」
雨宮は多少服が乱れているが外傷がない二人の様子を見ると都蛾家を擁護するつもりではなく鯉口を宥める為に言う。
「当然、事情は聞かないとだめでしょ?ベッドとここにいる生徒の第二教師として」
「だったらもっとやり方があるのですよ」
「でも、反抗的な行動をとられたら実力行使しか私は出来ないから」
「うぅ…」
「鯉口先生。分かってると思うけど都蛾家先生は…」
「分かってるのです、後は私がやるので二人の拘束を解いてください」
都蛾家は二人の生徒の手首につけられた拘束錠を外す。
「んじゃ、後はよろしくね。ささめちゃん」
都蛾家は軽い口調でそう言うと鯉口に何か言われる前に出ていった。
「もう!ほんともう!なのです」
「ほんと、どうせならこんなところに置き去りにしていかないでほしいんだけど…」
雨宮は困った様子で担送車を使い、二人を空いているベッドに運ぶとベッドは満床になった。
「後始末、ご苦労」
都蛾家は医務室から出ると待っていたかのように鯉口と口論していた男性教諭がいた。
「別にあなたに労われるためにやったわけじゃない無能な第一のせいで私の評価を落とさないようにするためにやってるのよ」
「考え方の違いだ、結果だけ見れば同じ第二教師の功績は私の評価となる」
「それはどうだろうな」
刺々した二人の会話に割ってはいるように学園の生徒会長である革那肖が一人で現れた。
「これは革那様、どうされたのですか?」
男性教諭は都蛾家と話していた時とはうってかわって謙った様子で言葉を発する。
「君の生徒の件だ」
「さすがにお耳が早い、では、説明を…」
「結構だ!」
ぴしゃりといい放つと男性教諭は口を閉ざし、少し顔を背けて僅かに顔を顰める。
「そこの第二教師、私と来なさい」
「えっわたし?」
「他に誰が?」
革那はそう言うと医務室の扉を開けて中に入っていった。
「今、ささめちゃんに丸投げして出てきたばかりなんだけど…」
都蛾家はそう思いながら足取り重く再び医務室へと入り、扉が閉まる。
「家柄だけのお嬢様が!」
男性教諭はそう吐き捨てるとその場から立ち去る。
雨宮は扉が開いたのでそちらを見ると長い黒髪を後ろで束ねた細身だが胸のある少女が入ってきた。
「今度は会長さんと…」
「ただいま」
少女の後ろから現れた都蛾家は苦笑い混じりに片手をあげる。
「どうしたのですか?」
鯉口は革那に話し掛ける。
「問題を起こした生徒が此処にいるはず」
革那は奥のベッドが並ぶ場所を見ると四人の人物が寝ている。
「待つのですよ」
奥へと進む革那の前に立ち塞がる鯉口。
「退きなさい」
「何をする気なのです」
革那は小柄な鯉口を簡単に押し退けて奥へと進むと鯉口は尻餅をつく。
「痛いのですぅ…」
何かが砕ける金属音が三回する。
その音を聞いた鯉口はハッとし、お尻を摩りながらもすぐに立ち上がる。
鯉口の視線の先には何かを振り下ろした後のように手が太股を横切る動作の革那の後ろ姿があったが何かを振り下ろしたはずの革那の手は空手だった。
そして、革那は夜凪の眠るベッドに近付くとベッド脇にいた光城が歩み出てそれを阻む。
「また会ったわね、でも、今は貴女にかまっている暇はないのよ」
「傲岸不遜」
「傲慢不遜の貴女に言われたくわないわ」
「そのあたりにしときなさい」
穏やかな年老いた男性の声が聞こえた。
その声に振り返った革那の視線の先には和装の老人が立っていた。
「お祖父様、何故こちらに…」
革那は老人の後方に見慣れた人物がいるのに気付いた。
それは副会長の姫崎だった。
「その生徒の処遇は保留にしてあげるわ」
革那は光城に背を向けた状態で言うと出口に向かう。
その途中、老人の近くで止まり、会釈をした後、出口から出ていく。
副会長の姫崎は部屋の中にいる面々を見回し、一礼すると革那の後を追うようについていった。
「理事、今日はどうされたのですか?」
雨宮が丁寧に訊ねると老人は光城とベッドに眠る夜凪を僅かに見た後、視線を戻して答える。
「…いや、少しな」
「理事、そろそろ」
いつの間にか部屋の中に眼鏡の男性がおり、老人に声を掛けた。
「分かった」
老人は眼鏡の男性と共に出ていった。
医務室を出た革那と姫崎は廊下を歩く。
「会長、何故此処に?普段なら風紀委員の管轄の仕事です」
姫崎は前を歩く革那に問い掛けた。
「それは風紀委員が職務を真っ当に果たせていないから」
「本当にそれだけですか?」
姫崎の言葉に革那は立ち止まり、背を向けたまま訊ねる。
「……何が言いたいの?」
「あの転校生、いえ、新入生が気になりますか?」
「………」
「やっぱりらしくないですよ、会長」
革那は突然、振り返る。
「あ~もう!どうしていつもいつも天は見透かしたように…」
今までの凜とした振舞いと打って変わって子供のように革那は姫崎に捲し立てると突然、しゅんとする。
「まあ、昔の肖…」
姫崎は弁えるように言い直す。
「…会長を知っていますから」
革那は姫崎の対応に一瞬、不機嫌な表情を表すがすぐにそれは消え、いつもの凜と立ち振舞いに戻る。
「行くわよ、副会長」
歩き出す革那の後を姫崎はいつものようについていく。
夜凪が目を覚ますと辺りは少し薄暗く此処が何処だか分からなかった。
夜凪は腹部に重みを感じ、視線を下げるとそこには何者かが馬乗りになり、弓形の不適な笑みを見せていた。
誰かと問おうとしたが声を発することができなかった。
それどころか身体も動かすことが出来なかった。
「ふふっ貴方が呪われた聖剣」
手の指は細く雪のように白い妖艶な手が胸へと伸びる。
伸ばされた手は胸を越え、スルリと首に掛かる。そして、手は結んだ輪を縮めるように絞られる。
夜凪は意識が遠退き、視界が霞んで行く。
だが、不気味な笑みの印象をはっきりと残して夜凪の意識は途切れた。
初日に行われるはずだった必修のオリエンテーションは特例によって翌日に行うことができ、無事終了することができた。
兼ねてより学園から割り当てられていた寮の一室で夜凪は夜毎、悪夢に魘されていた。
悪夢から目を覚ました夜凪はベッドに横になったまま額にかいた汗を手で拭うと起き上がり、ベッドから足を降ろして座った体勢となる。
「此処のところ似たような夢ばかり…」
寝汗を洗い流すためにベッドから立ち上がり、自室に備え付けられている浴室に向かう。
だが、その途中、扉をノックする音が聞こえる。
「こんな時間に誰だろう」
外は夜が明けるまで時間があり、闇夜と月光が共存している。
夜凪は浴室の扉を通り過ぎ、その先にある扉のノブを握ると扉を開けた。
「誰もいない?」
外に出て左右を確認するが誰もおらず、物音一つ聞こえない月の光が射し込む静かな廊下があるだけだった。
首を傾げると扉を閉め、部屋の中へと向きを変えると閉まっていたはずの窓が開いており、カーテンが風で僅かに揺れていた。
用心しながら開いた窓へと徐々に歩みを進めて近付いていく。
そして、カーテンを一思いに開くがそこには中庭とその中庭を挟んである寮の建物があるいつもと変わらない風景だった。
「閉め忘れ?いや、確かに閉めたはずだけど」
そう呟きながら窓を閉めると背後から僅かに物音が聞こえ、すぐに振り返るとそこには弓形の不適な笑みを見せる人物が立っていた。
それは連日連夜、夢に出てくる人物だった。
「警告を受け入れてくれないから来ちゃった」
その人物は不適な笑みを見せながら夜凪に近付いてゆき、雪のように白い妖艶な手を伸ばす。
夜凪は恐れを抱き、後退るが窓際にいた為、下がる余地はなく両開きのガラス窓が背中に触れ、汗で濡れた衣服が肌に貼り付き、ゾクリと寒気を感じる。
「そんなに恐怖されると心外ね」
残念そうに言うがすぐに不気味に笑いながら思い当たる節があるため否定する。
「ふふふ、そうでもないわね」
雪のように白い妖艶な手の細い指が触れそうな距離まで近付いていた。
窓ガラスに触れていた背中に体重が掛かり、緩く掛かっていた留め具が外れて扉がゆっくりと開いていく。
身体の重心が後ろへと傾いていき、足が浮き上がる浮遊感を感じて咄嗟に左右の窓枠に手を掛ける。
「でも、このまま部屋の中に身体を引き戻しても…」
夜凪はそう思いながら部屋の中にいる人物を見た後、少し首を動かして横目で後ろを確認する。
「此処は二階、飛び降れなくもない高さだけど…」
今の体勢からだとただではすまないのは明白だった。
「もう一歩前や」
対面する寮の屋根の上、弓につがえた矢を引き絞りながら部屋の中にいる人物が窓辺に近付くのを待ち構えていた。
そして、その人物が夜凪の腕を掴もうとするために一歩踏み出す。その瞬間に矢を放った。
矢が弓形の不適な笑みを見せる人物の額を撃ち抜いた。
ように見えたが手前の空間でガラスが割れたように亀裂が入り、像がバラバラになるとそれは砕けて崩れ落ちた。
夜凪が再び弓形の不適な笑みを見せる人物の方を見るとその人物の姿はなく、自らの身体を引き上げて窓辺に座する状態までもっていく。
「いない?」
夜凪は部屋の中を見回すが部屋の中に変わった様子はなかった。
「また影か」
矢を放った人物は刃のような弓を下ろし中程の所、弓柄の辺りを両手で持つと押付と手下に別れ、それを身体の背面にある鞘に仕舞うと二振りの刀は消えた。
「あれは何だったんだろう?確かに夢の…それに…」
夜凪は開いた窓から向こう側の寮の屋根を見る。だが、そこには誰の姿もなかった。
「…気のせい?」
そんなこと思っているとくしゃみが出る。
「冷えちゃったな」
身震いした後、すぐに窓とカーテンを閉めて足早に浴室へと駆け込んだ。
「分かってるわよ、そんなまくし立てなくてもいいじゃない。ただ戯れてただけよ」
独り言のように呟く人物。そこは学園施設内の一室、部屋の表には職員室と表記されている。
「って切れてる。まぁ、何を言われようとせっかく見つけた玩具を放っては置かないけど」
弓形の笑みを見せる。
「にしてもあの時の射手には何かお返しをしないとね、影月」
他に誰もいない部屋の中で親しげに言う。
夜が明ける。あの後、シャワーで寝汗を流し、再び眠りについていた夜凪は悪夢に魘されることなく眠っていた。
ベッドの傍らにある目覚まし時計が入学して初めての休日の朝の始まりを告げる。
夜凪は時計を見ずに当て推量で手を伸ばしてアラームを止めると手はスルリと落ちて力なくベッドを叩く。
「うぅ…いつも通り目覚まし掛けてた…」
悔やむ言葉を漏らし、寝返りを打つと眠気眼で時計を目視する。
「よし、起きるか…」
俯せになった身体を押し起こし、猫のように背伸びした後、ベッドから足を下ろして立ち上がる。
部屋の隅にあるまだ未開封の段ボール箱を一瞥する。
「学園では休日でも制服なんだよね」
ハンガーに掛けられた制服一式を取ると寝間着を脱いで制服に着替える。
着替え終えると部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「今度も誰もいないってことはないよね」
疑惑の目で扉を見ながらも近付き、扉を開けるとそこには、見知った人物が立っていた。
それは初日に印象的な出会いをした少女、光城 雫。
「って此処、男子寮だけど」
「分かっているわ。だから誰にも見られないように早朝に…」
隣の部屋の扉のノブが回る。
光城は咄嗟に夜凪を部屋の中に押し込むと扉が開く前に部屋へと入り、扉を閉める。
「うぅ…」
夜凪は不意に押し込まれた勢いで後ろに倒れ、尻餅をついていた。
「あっ…」
振り返った光城は夜凪の様子を見て思わず声を漏らすと夜凪に手を指し伸ばす。
夜凪は差し出された手を素直につかむと光城の顔を見るとこの間、会ったときとは何処となく印象が違って見えた。
夜凪にとっては入学式以来の対面となる。
「あの…」
「そういえば、君には言っていなかったわね。私は光城 雫」
「どうして…」
光城は夜凪が何を聞こうとしているかが分かるかのように答える。
「互いの為よ」
夜凪は光城の言葉の意味が分からなかった。
「だって君の持つ力は私にしか引き出すことは出来ないし、私の力は君にしか使うことができないもの。私は聖剣殺しだから」
聞き覚えのある語句に夜凪の心の中が何かがざわついた。