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フライト

作者: 能勢恭介

 耳許で警報音が鳴っている。

 考えるよりも早く身体が動く。

 右手、手のひらと、薬指と中指で軽く保持している操縦桿を左に倒す。同時に右のフットペダルを強く踏み込む。蹴るのではなく、強く踏むのだ。機体は左へロールし、機首はそのまま下を向く。ダイブ。

「レーダーを照射されている!」

 後席のWSO(武器士官)が短く叫ぶ。まだ顔なじみになってから日の浅い相棒。パイロットは、日々乗る機体は異なるが、前席後席の組み合わせは滅多に変わらない。これでひとつの最小行動単位……チームだからだ。

 パイロットは振り返ることもなく、スロットルレバーを押し込む。アフターバーナーには点火しない、ミリタリー推力。それでも双発のターボファンエンジンは凄まじいパワーを炸裂させる。

「二機だ、二機」

 とっくにマスターアームスイッチはON、自機レーダーも目覚めさせていた。この空域には早期警戒管制機の援護がない。防空ではなく攻撃任務であり、すでに編隊は国境を五〇海里(マイル)ほど北へ越えているからだ。空も下界も蒼い。海上には出ていないはずだが、はるか眼下、新緑が萌えているはずの大地は、この高度からだと蒼く見えた。

「ノルド04、ブレイクブレイク」

 耳に届くのは僚機、ノルド03・イスルギの声だ。

「サクラ、七時に敵機」

 イスルギ機も自機とは反対へ散開、そのままパワーダイブをかけていた。

「わかってる」

「サクラ、」

 後席が呼ぶ。

「なんだ、」

「二機来てる、」

 振り返るのは後席の仕事だ。ネズミのような目をした武器士官の顔が蘇る。飛行学校を卒業したてのような雰囲気さえ漂っていたが、実戦経験は自分とさほど変わらないと笑っていた。

「イバラ、」

 後席を呼んでみる。イバラ。彼女のタクティカルネーム。

「まだ来てる、」

 機体はすでに音速を超えている。そもそもこの機体は低空侵入を得意とする戦闘機だ。高々度で空中戦をするための飛行機ではなかった……原型機は制空戦闘機だから、当然ある程度は空中戦をもこなすことはできるが、基本設計が古すぎ、友軍の89式支援戦闘機との模擬戦でも、よほど策を綿密に立てなければ勝つことは難しい。従って、いま後から追いかけてきている敵機は間違いなく対戦闘機専用に開発された機体であり、すると自分は逃げるしかないのだ。エスコート役の81式制空戦闘機は往路文の燃料を使い切り、三十分以上前に引き返している。

「ノルド01、全機」

 フライトリーダーの声。

「敵機は全部で六機確認した。各個は散開、合流点はウェイポイント7、谷の入り口だ。わかるな」

「02、」

「03、」

「04、」

 また全員生きている。

「増槽は切り切りまで捨てるな。帰れなくなるぞ」

「了解」

 イスルギの声だ。他の僚機は、通話スイッチを二回鳴らすジッパーコマンドで返していた。戦闘中だから許されることだ。普段、リーダーにジッパーを返せば、あとで基地に戻って説教だ。

「サクラ、三〇〇〇切ったぞ」

 後席が言う。高度計の針が勢いよく逆回転を続けている。二万フィートあった高度は、すでに三〇〇〇を切り、二〇〇〇に迫ろうとしていた。大地はもう青さを失い、道路や河川や家々の屋根がはっきりと見える。

「イバラ、敵機は?」

「かなり後方、……まだいる……、サクラ……、伊来中尉、引き起こせ、」

 操縦桿を引く。三、四、……五G……主翼はヴェイパーで覆われて見えない。一五〇〇フィートで水平に。主翼端からは真っ白なヴェイパートレイルが流れている。いつの間にか、空の半分以上に雲が広がっている。

 再び警戒警報音。敵機は身軽な29型だ。64式と比べて二回り近く小型な戦闘機で、双発機だがエンジン推力も小さい。局地防衛用の機体だが、おそらく空中戦に持ち込まれると、64式に勝ち目は全くない。身軽な子どもと、くたびれかけた中年が広場で鬼ごっこをしたとしたら、どちらが勝つだろう? わかりきったことだ。

「サクラ、ブレイク、右だ」

 イスルギの声だ。振り返らず、声を信じて操縦桿を右に倒す。フットペダルの左を踏み込む。スロットルレバーをアフターバーナー位置へ。速度、四五〇ノット。

 耳許で警報音が野太くなった。

「サクラ、撃った、撃った」

 敵がミサイルを放ったということだ。耳許の警報音は断続的で、ひどく耳障りだ。スロットルレバーのフレアディスペンサースイッチを入れる。アフターバーナーはそのままだ。赤外線を大量にまき散らしている計算だが、最近のおりこうさまなミサイルは、盲目的に熱源へまっしぐらには来ることはない。ミサイルには高価な目がついている。飛行機の形をしたものを記憶して飛んでくる。フレアを立て続けにまき散らしているのは、ミサイルの目を幻惑するための欺瞞情報……それは賢いミサイルの目に届くような特殊な光線……だ。ミサイルは一瞬、狙っているはずの戦闘機が複数出現したと「勘違い」する。その間に狙われているこちらは一目散に逃げるのだ。

 敵のミサイルはほとんど煙も曳かない。なので目視して回避することは不可能だ。フレアを撒くと、フライトコンピュータは危機と判断し、半自動的にパイロットが取る回避行動をアシストする。ミサイルの射線から最適に逃げられるような飛行軌道を一瞬で計算し、動翼を制御、パイロットの意思と強調して機体を持って行く。

「はずれた」

「二発ともか?」

「二発ともだ」

「敵機情報」

 後席のイバラが操作するよりも早く、ストアコントロールパネルに空対空ミサイルの発射表示がフラッシュしている。

<READY AAM-9 ×2>

「当たるのか?」

 伊来はイバラに問うてみる。

「コンピュータの判断だ、」

 返事の代わりに、伊来は操縦桿のミサイルレリーズを押している。旋回中にもかかわらず、しかもパイロット……伊来は一度として敵機の姿を確認していないにもかかわらず、レリーズを押すと、主翼の第三、第六ステーションから、それぞれ、AAM-9(92式空対空誘導弾)が発射された。初速が速く、弾体の大きなミサイルだ。図体は大きいが、排気ノズルは可変式で、身体に似合わない飛行性能を有していた。空中戦が考慮できない発射母機の代わりに、敵のミサイルよりさらにおりこうさまなAAM-9は、その大柄な体内に満載した燃料が尽きるまで、敵機を追いかけることになる。

 伊来はミサイルの軌跡を確認することもなく、操縦桿を左に倒し、川をめがけてさらに高度を落とす。空中戦で高度……位置エネルギーを捨てるのは自殺行為に等しいが、今この瞬間、彼女は空中戦を行ってはいなかった。

「敵機は、」

「逃げた」

「本当か?」

「一機は……撃墜」

「もう一機は、」

「私たちのミサイルは……はずれた……、が、ノルド03だ。イスルギの攻撃で、……撃墜だ」

 高度一〇〇〇フィート。五〇〇ノット。空気が濃い。機体が揺れる。ほとんど目の前に山岳地帯が見える。標高三〇〇〇メートル近いこの地方の名峰たち。深く刻まれた谷がいくつもあるが、氷河地形だという。さらに北部まで行くと、谷はそのまま海まで落ち込んでいる。この戦役がなければ、風光明媚な観光地として自分も訪れてみたいと思ったかもしれないのに。

「サクラ、無事だな」

 イスルギの声。

「逃げただけだから」

「上出来だ」

「ありがとう、助かった」

「ミサイルの性能がよかったんだ。俺も逃げていただけだ」

「他の二機は、」

「かなり離れてしまったようだが、まだ生きている」

任務(ミッション)は?」

「継続だ、もちろん」

 首を巡らすと、すっかり空は一面の雲に閉ざされていた。不自然に風景が明るいのは、CIDSが光量調整と色調補正をかけているからだ。TDボックスに囲まれて見えるのは、ノルド03、イスルギ機。彼もミサイルを二発放ったようだ。

「他の敵機はどうなった」

「向こうも二機やったようだ」

「あとの二機は?」

「雲の上」

「まだ来るかな」

「来るだろうな……また」

「残弾二、」

 イバラが割り込む。主翼の第三、第六ステーションには、自衛用のミサイルはあと一発ずつで計二発。同じ高性能のAAM-4だが、計算としては敵機があと八機以上来ると、もう対処できない。敵の29型に対抗できるのは、速度と対弾性能だけだった。追いかけられたら燃料が尽きるまで全速力で逃げ続け、81式戦闘機が待機している国境の南まに駆け込むか、おとなしく機体を捨てて脱出するかだ。後者は被弾したとき以外はあり得ない選択肢で、そして、国境線を北へ越えているこの地での脱出は、すなわち敵地を丸裸で彷徨うことを意味している。それは避けたかった。伊来中尉もイスルギも、パイロットたちは生存訓練は受けているが、戦闘訓練はほとんど受けていない。おそらく敵の歩兵一個小隊と遭遇しただけで全滅は免れない。

「歩いて帰るのは嫌だな」

 つぶやきが声になっていた。

「サクラ?」

 イバラの耳が拾ったようだ。

「飛んで帰ろう」

「なんの話だ?」

「イバラ、銃、撃ったことあるか?」

「訓練で」

「じゃあダメだ」

「サクラ、大丈夫か?」

 イスルギが続く。

「あんたは、銃、撃てる?」

「……どうしたんだ。……ハケンの連中にやっぱりなにか言われたか」

 55派遣隊の二人。

 入地准尉と……南波少尉。

 身体の一部のようにライフルを持ち、全身、肉体そのものが武器のようないでたちをしていた。入地准尉は、自分とそれほど歳も変わらないように思えた。せいぜいあちらが数歳年上というところだ。南波少尉は、軽い口調と雰囲気だったが、足取りが機械のように性格で、上半身がまったくぶれていなかった。

 第55派遣隊。

 槍の穂先のその穂先、そう揶揄されていると聞いたことがあった。

 もちろん、私……パイロットもまた、空軍では槍の穂先のその穂先だ。そして、穂先が折れれば即座に回収に来てくれる。研ぎすまされた槍はなかなか交換が効かず、生産に時間もかかるからだ。派遣隊のあの二人のように、歩いて半日以上もかかる拠点を、仕方なしとはいえ平気な顔で目指すようなことはしない。むしろ、訓練ではむやみに動かず、遭難地点から離れないように指導される。もし離れる場合も、サバイバルキット同梱のビーコンを必ず所持してからだ。生き残るための術はある程度教えられているが、キットに入っている4716K自動小銃はあくまでも護身用であり、予備弾倉はわずかに一本三〇発。合計六〇発の弾と食料とビーコンを抱えて、私は……敵とは闘えない。

 今回の作戦は、眼前の山岳地を貫く渓谷のそのまた奥に造られた北方会議同盟国の鉱山都市を消し去るというもの。しかし鉱山都市をまるごと消し飛ばす役を任されたノルドフライトはあくまでも最終手段としての存在だ。陸軍の部隊が都市の占拠、あるいは主要施設の破壊作戦に従事している。作戦は数日前から決行されており、現在もなお続行中。しかし、ノルドフライトが現地上空に到達した時刻の時点で、自動的に陸軍部隊による作戦は終了、核攻撃を実施する手はずになっている。

 奪取できなければ破壊せよ。

 おなじみの命令だ。

 単純明快な。

 もちろん時間差を設けているはずだ。ノルドフライトの四機の64式戦闘爆撃機が都市上空に差しかかる前に、当該地区で作戦に従事している陸軍部隊は大急ぎで撤退する。友軍部隊ごと破壊するわけにはいかないからだ。もっとも、時としてやむを得ず、友軍部隊が展開している戦域に近接航空支援を実施するケースもある。そのときは、友軍の地上部隊が全員一人残らず「安全地帯に撤退している」ことを了解した上で爆弾を投下する。これは約束事なのだ。兵士同士の。そして近接航空支援はおおむね当地の地上部隊が要請してくる。パイロットがするのは、機体と機体に搭載された攻撃兵器を無事当該空域まで運んでいき、レリーズを押し、兵器を機体から分離すること。地上の戦士たちの無事こそ祈れど、仮に彼らがまだ目標にへばりついていたとしても、パイロットは黙ってレリーズを押すだけなのだ。

 今回も同じだ。

 鉱山都市の規模は、人口四万人。

 すでに戦端が開かれており、非戦闘員はとっくの昔に住み慣れた街を捨て、北洋州の国境線北側全域にちりぢりに避難民として散っているという。都市に残っているのは、敵の拠点防衛部隊と鉱山施設の維持管理をする運転員、それら関係者のみだ。それでも数百人、あるいは千人単位の人間が残っていることになる。

 NB-55は無慈悲な兵器だ。

 爆心地はおろか、半径一〇キロ圏は更地になるだろう。地形効果を考えると、爆風はさほど広がらないだろうし、熱も渓谷に閉じこめられるに違いない。しかし、いま眼下に、眼前に広がる初夏の美しい風景は消えてなくなる。

 いつも私は上空から眺めてきた。

 私たちが向かう前の風景と、私たちが去るときの風景。

 同じ場所とは思えない風景。

 箱庭のように美しい都市が、私たちが帰るときには黒煙を噴き上げ、あるいは無数のクレーターが穿たれ、または更地となってしまう。

 そういう任務なのだ。

 どちらがましだろう。

 伊来中尉は宿舎のベッドで眠れない時間、天井を見つめながら考えた。

 もともと空軍を志願した。

 適性があったからだ。

 私は、「純粋培養系(アクセニック・カルチャー)」だ。

 夢を見たことは一度もなかった。

 だから、夢がどのようなものかが分からなかった。

 悪い夢でうなされることもない。

 夢と現実の区別がつかなくなることもない。

 心はいつも平坦で、起伏が激しくなることもない。

 空軍に入隊し、パイロット養成の飛行学校に入校し、日々の厳しい訓練を厳しいと感じたことがない。精神的耐性が生来備わっていたからだ。心の底から笑ったこともなければ、怒ったこともない。心が凍りつくような恐怖を味わったこともなければ、同期が訓練中に殉職したところで悲嘆に暮れるようなこともなかった。

 純粋培養系ではない、いわゆる原生種の連中からは、当然憐憫の視線を向けられるか、面と向かわずとも、冷静を通りこして冷酷だと視線を逸らす者も出てきていた。しかしそれすら気にならないのが純粋培養系の精神的耐性だった。

 入地准尉の目を思い出す。

 パイロットの目のようだと思ったのだ。

 澄んでいた。

 彼女は原生種なのだろうか。どちらかと言えば、自分と同じ、純粋培養系の目に似ていた。

 南波少尉は……、いわずとも分かる。彼は明確に原生種であり、しかし訓練で凄まじい精神的耐性を備え付けてしまったタイプによくある目をしていた。空軍パイロットにはほとんどいない。まれにいたとすれば、陸軍出身者だ。そういう変わり種もいる。空に憧れすぎて陸軍を辞め、空軍に再入隊したパイロットを、伊来も何人か知っている。

 入地准尉も出撃したに違いない。

 鉱山都市の任務に就いていないことを、伊来は祈った。

 祈る?

 祈るって、どういうことだ?


 自動車が一台も通らないと分かっていても、道の真ん中で座り込もうと考えないのは、これは身体が常識に絡め取られているからなのか、本能的な防衛反応なのか。

「またそういう話か、」

 エネルギーバーをかじりながら、路側帯の法面に半身を横たえた南波が私にうんざりした目を向けた。

「お前は考えすぎなんだよ。これだから学士さんはよ、」

「お前だってそうだろう。南沢教授の論文を、原文で読んだって言ってたじゃないか」

「論文を原文で? 本当か、南波」

 桐生がパックパックからチューブを伸ばしてアイソトニック飲料を飲んでいる。

「まあ、興味があったんで」

 歯切れが悪い。南波ももともとは「そっち系」の人間なのだ。「言語の収斂進化」などという話題をあの廃墟の病院でぶつけてきたのは、そもそも南波の側だ。

「どういう興味だ、」

「まあ、……言葉に興味があったんだ。俺たちも帝も会議同盟の連中も、意味は通じないが言葉を持ってるだろう? それが不思議だったのさ」

「何が不思議なの?」

 エナジーバーではなく、チョコレートバーをかじりながら、蓮見が訊く。そう言えば私は蓮見の経歴はよく知らない。

「姉さんにはさんざん話したが、」

 私はうなずく。このエナジーバーは歯にくっつきやすく、アイソトニック飲料なしに大量に食べるのは難しい。もっとも超高カロリー食品なので、一パックあたり三分の一も食べれば、それが一回の食事としては適量になる。これをおやつ代わりに食べてしまうと、一月もしないうちに体型が変わる。もちろん不健康な方向にだ。そのときは血液検査もおすすめせざるを得ない。

「姉さんには話したんだが、言葉って、もともと人間すべてに備わっていたのかどうかって。もともとは暗黒大陸から出発して全世界に散らばったとして、俺たちは最初から言葉を持っていたのか、それとも、『旅の途中』でそれぞれ言葉を身につけて、進化させていったのか。最初から素質があったのか、なかったのか。なかったとしたら、旅をしながら進化した言葉は、根っこが一緒じゃないから、それは『収斂進化』って言うんじゃないか? そう思ったんだよ」

「いつ考えた、そんな話」

 桐生。

「学生の頃さ」

「お前、大学卒なのか」

「まあな……関係ないだろう」

「そうは見えないからな。入地准尉ならうなずけるが」

「こいつだって似たようなもんさ」

 南波はもう食事を終え、路面に上半身も横たえていた。バックパックも身体からはずし、タクティカルベストも緩め、靴まで脱いでいる。あまりにだらしない姿に見えるが、休憩の取り方としてはこれが正解だ。全身を拘束するあらゆる装備をいったん降ろすと、身体はスムーズに血液を流し、全身から疲労物質を取り去ってくれる。ただし、チーム全員が同じことをすると、あまりにも危険なため、いまは南波と蓮見が無防備状態になっている。私と桐生はCIDSもONにしたまま、銃は身体から放さず、片手でエナジーバーをかじり、水分補給をした。

「それで、姉さん」

 南波が寝そべったままで言う。

「居心地が悪いって?」

「そんなことは言ってない」

「道の真ん中に寝転がるのは、気分がよくない?」

「そんなことも言ってない」

「まあようするに、あれだろう。人間は、結局のところ捕食者側ではなく、追いかけられる、追い立てられる、狩られる側の遺伝子が組み込まれてるってことなんだろうよ」

「南波、お前はそう思うか?」

「違うか?」

「だったらなんで私たちの目は真正面について、立体視ができるんだ?」

「他の動物は違うのか?」

「同じように狩られる側の動物の筆頭、シカだとかウサギだとか、あの連中は立体視はできないらしいぞ」

「本当に?」

「そのかわり、首の真後ろくらいしか死角がないそうだ」

「俺もそんな目が欲しいな。索敵に便利そうだ」

「そう考えたら、結局私たちは捕食者側の目の配置と同じなんだよ」

「クマとか?」

「そうだ。ネコとか、犬とか、オオカミとか、」

「サルは?」

「分類的には捕食者側なんだろう」

「索敵するのに必ずしも立体視が必要か?」

「必要じゃないか?」

「俺はむしろ、シカやウサギの目が欲しいな。全方位死角なしなんて、素晴らしいじゃないか」

 そういう考えもあるか。確かにそうだ。私たちはCIDSなしだと、常に首をレーダーのようにグルグル回していなければ、あるいは耳をそばだて、物音に敏感になっていなければ、視覚のみに頼ると、敵がどこにいるのか分からなくなる。

「目がよくない捕食者もいるさ」

 と私とは反対を向いたまま、桐生が言う。

「たとえば?」

 全身を弛緩させた体勢の蓮見が訊く。

「お前はどう思う?」

 桐生。

「目が見えなくて狩りができるの?」

 リラックスしているときの蓮見は、より年下臭さがにじみ出る。

「ヘビ」

 南波が言う。

「正解」

 桐生。

「犬だって視力はそんなによくない」

「色盲ってだけだ。動態視力は凄まじいぞ?」

「そうなのか」

「知らなかったか?」

「俺は犬を飼ったことがないからな」

「歩哨犬の話だ」

 と、桐生。軍用犬の訓練でも垣間見たことがあるらしい。

「でも犬というなら鼻だろう。鼻が利く」

「どういう世界なんだろうね」

 蓮見。

「何万倍なんだろう? 犬の嗅覚」

「嗅覚で個体の識別ができるそうだからな」

「俺も、姉さんの匂いならすぐ分かるぜ」

 南波が白い歯を見せていた。五〇メートル先からでも見えそうな白い歯だ。

「変な話はやめてくれ」

相棒(バディ)の匂いだ。嫌っていうほど間近で嗅いでるからな」

「それをいうなら私もだ。お前の匂いならすぐに分かるさ」

「それって絆かね」

 桐生が言う。平坦な口調。

「クサいな」

 蓮見。冗談のつもりらしい。笑ってやった。

「別な世界だろうさ」

 南波が言う。別な世界? 私が?

「犬の話だ」

「なんだ、」

「先天的に目が見えない人間は、『見える』世界が理解できないだろう。俺たちが嗅覚数万倍の世界が理解できないのと同じように。CIDSはエコーロケーション機能まであるが、それだって、視覚的に音を表示しているだけだからな。コウモリやイルカのエコーロケーションと俺たちのそれでは、たぶんぜんぜん処理方法が違うんだろう?」

「そうだろうな」

 と私。

「かといって、鼻が利かなくても、エコーロケーションができなくても、俺たちは困らない。……先天的に目が見えないってのも、もしかしたら困らないんじゃないか?」

「それは分からない……そうかもしれない」

「人工眼を先天的に視覚障害がある患者に装着させても、物理的には見えているが、視覚として感知できないって話を聞いたことがある」

「本当に?」

 寝そべったままの南波に、蓮見が訊く。

「本当かどうか、これは別に俺は論文を読んだわけじゃないから、ただの伝聞さ。ただ、何となくうなずける話ではあるかな、そう思ったのさ。どうだ、姉さん?」

「たぶん、脳の処理領域の問題なんだろう。……視覚情報を処理してこないのが『普通』の脳は、おそらく私たちの視覚野で処理している情報を、聴覚や触覚から分散させて擬似的に処理しているんだと思う。よく言われる、脳が平素は三〇%程度しか稼働していないっていうのは、あれはまるっきり間違いらしいから」

「俺もそう思うな。もちろん見えるに越したことはないだろうが、極論、俺たちに犬の鼻を付けても、たぶん役に立たないだろう。それに似てるんじゃないか」

「そんな気がするな」

 私。

「南波、」

 桐生がバックパックを降ろした。休憩ターンの交代。あと二十分で休憩時間そのものは終了。再び北へ向かう。

「なんだ、桐生」

「お前と入地准尉は、いつもこんな話をしてるのか」

「いつもじゃないが、退屈しのぎさ。……蓮見の悩み相談室の方がいいか?」

「やめろ、」

「さっきは付き合ってやったろう。お前、案外繊細だな。本当に気をつけろよ。できれば俺はお前に銃を持たせたくないな。お前の銃、弾抜いて俺によこせ」

「バカ、」

「本気で心配してるんだ。頭を撃つなよ。お前のそのかわいい顔がグチャグチャになるのは見たくないからな」

 南波はすでに半身を起こしており、タクティカルベストのハーネスをしめるのとブーツをはき直すのを同時にこなしていた。桐生はすでにバックパックもベストもはずしていたから、身繕いを始めた蓮見の横で、私も思いバックパックと予備弾倉ぎっしりのタクティカルベストをはずし、気が引けたがブーツも緩めた。

 これだけで、身体が一気に軽くなる。

 二十分。

 きっと一瞬で終わってしまうのだ。

 体感的な時間。

 そういう機能は、すべての動物が持っているものなのだろうか。

 時間という概念を持っているのは、私たちだけなのだろうか。

 次の暇つぶしで、南波に仕掛ける話題を、なんとなく私は整理してみた。




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