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2 名前

 


「でね、僕はまた、あの不思議で大きくて、優しくて温かい何かに会いたいんだ。ねえおじさん、あれは一体何なんだい?」

僕はあれから船のおじさんに、ずっとあの時の興奮を話し続けたんだ。すごいなんてもんじゃない。僕はあの大きくて優しくて温かいなにかに触れるために生まれてきたんじゃないかと勘違いしちゃいそうだ。もしかしたら、そうなのかもしれないって、今では本気で信じているところもある。

「カラスよ、お前の感動はよくわかったさ。だが、例の子はな、夜には別の船で帰っちまったって話なんだぜ?」

「そんな」

がっくりきたさ。今までおじさんはあんな子を見た事がないって言っていたんだ。つまり、あれが最後の一回だってことは、大いにあり得るんだよ? つまりはね、僕はもう、あの大きくて、優しくて、力強い何かに、出会えないって宣告されたようなもんなんだよ。

「お前は、その大きな何かの正体が知りたいんだな」

「……うん、そういうことなのかも」

おじさんは僕のこの真っ黒な羽根で覆われたお腹の底にある思いを、簡単に言ってのけたんだ。わかったからってどうなんだって話しだけどね。

「俺にはわかるぜ、その正体」

 おじさんは何でもなさそうにそう言い放ったんだ。

「ほんとうかい!」

驚いたさ。おじさんのことだから、そんなもの知るかって言い放つものばかりかと思っていたからね。

「おじさん、早く僕に教えておくれよ。その……あれがなんなのかを」

 言葉が分からないから『あれ』としか言えなかったんだ。もどかしいったらありゃしないよ。

「そいつは駄目だな」

「どうしてさ!」

 僕は羽根をばさばさと広げて抗議したよ。餌をケチって少なくしてきた時以上にね。

「そいつの答えってのはな、自分で見つけなきゃ意味がねえ。俺だって、見つけるのに何年も何年もかかったんだ。言葉だけは知っていたさ。だが、理解するのには、ものすんげえ時間がかかったんだぜ?そんな貴重なもん、簡単にお前なんかに教えられるわけがねえだろ」

 おじさんは、いつも通り意地悪な口調で僕の頭を撫でるんだ。でもね、その手の力が、不思議といつもより優しかったのは覚えているよ。一体どうしてだったんだろう。

「いや、今でも全部ってわけじゃねえけどな」

 おじさんは僕の頭を撫でながら、もどかしそうに言ったんだ。一体どっちなんだよ。はっきりしないなあ。

「難しいものなの?」

「いや、そんなことはねえ、そいつはとっても簡単で、単純なもんなんだ。誰だって持ってるもんだし、その辺りにゴロゴロ転がっている。いっつも船に乗っているじじばばだって、持っているもんなんだ」

「そうなの?」

 僕はなんで気が付かなかったんだろう。今までずっとおじさんと僕は船に乗っていたのだけれど、あの子が出していたものを感じた事は、ただの一度だってなかった。

「そいつはおめえ、鈍感だからだよ」

「鈍感?」

「そう、鈍感だ。気付かなければ感じられない。自覚しなければ見えてこない。そういうもんさ。だから、死ぬまでそれが何なのかわかんねえやつだって、世の中にはいっぱいいるんだ」

 いつもにしては、おじさんは随分と難しいことを言ってくるな。僕にはとても理解が出来ないね。所謂鳥頭ってやつさ。カラスだけにね。ああ、頭がいいっていう、人間のそういうところだけは羨ましいよ、全く。

「だから、お前が見つけたいって思った時点でよ、それを探しに行く権利を持ったんだ」

「権利?」

 また難しい言葉だ。もう沢山だよ、そういうのは。カラスは頭が良い鳥だって言う人間もいるらしいけど、それは大きな間違いさ。僕にも理解できない事は山ほどある。おじさんがいつも煙を美味しそうに吸っている事とかね。

「つまり、探したければ探せってことさ」

 おじさんは、いつも以上に、ゆっくりとした優しい声で言ったんだ。まるで、おじさんなのにお母さんみたいだったよ。僕はお母さんの顔は思い出せないけど。

「いいのかい?」

「ああ、誰も止めねえ、おめえの人生……いや、鳥生ってとこかな。そう、お前の鳥生なんだ、お前の自由だ。なにを探すも、なにを追いかけるも、お前の自由なんだ。誰も止めやしない」

 僕はその言葉で、今まで見てきた空や海が、いつもより数段、青く綺麗に光って見えたんだ。僕の真っ黒な羽根で覆われた胸のところが、むずむずして、自分が早く飛び立ちたいって思っているのがすぐわかったよ。

「わかった、ありがとうおじさん、僕、行ってくるよ」

「ああ、答えが見つかるまでは帰ってくるな。約束できるか?」

「もちろん」

 僕の意志は固い。カラスは脳みそがちっさいんだ。一度決めた事をそう簡単に変えるなんて、器用なことなんてできないのさ。不便な生き物なんだよ。

「次の出航で、町に出る。そっからは自由に飛び回っていい。お前の見つけたいものが、その先にあるはずだ」

 またおじさんは、いつもの自信あふれる声でそう言ったんだ。

「どうしてわかるんだい?」

 おじさんは、僕の疑問に、いつもの通りこう答えたのさ。

「俺が海の男だからだよ」

 そして、馬鹿なカラスの僕は、簡単に納得しちゃうんだ。答えになんてなってないのにね。

 船はいつも通り、おじいさんやおばあさんを乗せて出航する。白い蒸気を青い空にぶちまけて、雲になろうと頑張っているように僕は見えたんだ。馬鹿にされるかもしれないけどね。カラスだって、そんな空想くらいするよ。認めてくれ。

 いつも通りの場所に、いつも通りの時間に、船と僕等は到着したさ。海鳥たちのみゃーみゃーって声が、僕の耳をくすぐって、冒険心をこちょこちょと駆り立てるんだ。ああ、楽しみだ。僕のお腹がむずむずする。

 おじさんはなにも言わずに立ち上がって、僕より先に船を出たんだ。いつもは来いって言いながら行くのに、珍しいこともあるもんだ。

 船を出てから、茶色のねじまがった不思議な石におじさんは腰かけて、煙草をポケットから取り出して、吸いだしたんだ。体に悪いからやめた方が良いと思うんだけどな。

「行ってこい」

 おじさんは僕にそう言ったんだ。自信にあふれた声でも、優しい声でもなかったんだ。ただ、ほんの少し声がいつもより小さかったのは覚えているよ。

「行ってきます」

 僕は、人間の真似をして、ぺこりと頭を下げたんだ。少しだけ、寂しかったよ。それでも、僕は探しに行かなきゃならなかったんだ。あの大きくて、優しくて、温かい何かをね。

「そうだ、お前には名前がなかったな」

「それもそうだね」

 僕はいつだって、カラスカラスなんて呼ばれ続けていたもんだから、名前が欲しいって思った事は一度や二度じゃ無い。いつか言おう言おうって思いながら、すっかり忘れてしまったよ。「お前の名前はそうさな……」

「ポチなんてのはやめてよ」

 犬みたいなのは勘弁だ。僕はカラスだからね、僕にふさわしい名前にしてもらわないと。

「ジョンなんてどうだ?」

「ジョン?」

 人の名前にしては、聞いた事がない。植物や花の名前なのかな。

「どうしてさ」

 気になって僕は訊いたんだ。

「大昔にな、ある漁師が嵐にさらわれて、外国についちまったんだ。何の取り柄もないようなアホなんだこれが。それでもそいつは、努力して、外国にしかないもんをいっぱい持って帰ってきて、たくさんの人に影響を与えたんだ。なかなかのやつだよ。そいつの名前が、ジョン、万次郎って言うんだ」

「変わった名前だね」

 でも気にいった。がむしゃらに僕も、がんばりたいって思ったからね。というか、家出したおばさんの好きな本の主人公も、たしかそんな名前だった気がするな。あれはカモメだったけどね。

「お前にはぴったりだろ?」

 おじさんの言葉に僕は頷いたんだ。その時のおじさんは、あの不気味な笑いを浮かべていたんだけど、不思議と今日だけは安心して見られたんだ。

 今思えば、多分おじさんがいたからこそ、僕は旅に出る勇気が持てたんだと思うな。


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