1 女の子
ある一人の友人のために書きました。
さて、どこから話せばいいのかな。やっぱり、あの女の子との出会いからが、一番だろうな。そこからが一番ちょうどいいんだ。僕はそう思うね、誰が何と言おうとさ。聞いてくれるかな?
ありがとう、長くなるけど話すね。
その日も僕は、海を眺めていたんだ。青空よりもうんと真っ青で、いつもと変わらない、うんざりするくらいの光景をね。そしてそこに映っているのは、いつもの通り、青色だけじゃない。真っ黒で、醜い、羽根の生えた生き物までオマケに見えてきちゃうんだよ。周りにいる人は、僕の事を“カラス”なんて呼び方をするんだよ? 僕だって、ちょっと変わった“人間”だってこともあるかもしれないのに。人間は見たままのものしか信じないのさ。全く鈍感な生き物だよ。
「いや、お前は何年たっても、死ぬまでカラスだ」
ほら、おじさんのお出ましだ。歯はがたがたで、肌は日焼けで真っ黒。それでも背中はまっすぐで、目はギラギラと光っているんだ。正直怖いときは怖いけど、かっこいいときはかっこいいんだよ?そのおじさんの言う通り、どんな言い訳をしたって仕方がないんだ。僕はカラスとして生まれて、カラスとして生きていく。そして、カラスとして死んでいくのが運命ってやつさ。ああくだらないくだらない。
「そんな身も蓋もないこと言わないでよ、おじさん」
おじさんは今日も船を出して、人間を島までお届けするんだ。羽根があればさっさと行けるのに。全く、不便な生き物だと思わないかい。人間ってやつはさ。
「相変わらず口だけは達者だな、鳥のくせに」
またおじさんはお気に入りの煙草をふかしながら僕につっかかってくるんだ。ほんとは僕のこの真っ黒な羽根がうらやましいって思っているんでしょ?お見通しだよ。
「今日はどんな人が乗るの?」
羽根をはばたかせて真っ先に僕は船に乗るんだ。人間にはできないことだよ?羽根をはばたかせて船に乗るなんてさ。
「ったく、いつも通り変わらん、じじばばだけのむさい客ばっかりだ」
おじさんはそう言ってぺっと道に向かってつばを吐くんだ。汚いなあもう。それでもおじさんは自分のことを海の男だって言うんだよ?きいて呆れるだろ?
「あ、いや今日は違ったな」
「違う?」
おじさんにしては珍しく嬉しそうな顔をしている。顔がゆるんで少し不気味だ。ずっと一緒にいる僕でも慣れないんだ、どんな人が見たって不気味に思うに違いない。子どもなんかが見たら泣いちゃうかもしれない。
「今日は若い嬢ちゃんも来るんだ。ぐへへ、今日は良い日だぜ」
そんなんだからおじさんはおばさんに逃げられたんだよ。いつだって女の人を見たら鼻の下を伸ばすんだ。呆れるよ、ほんとにね。おばさんは今頃元気なのかな。僕にいつでも笑ってえさをくれたおばさんの、しわくちゃだけど綺麗なその笑顔が、今では時々恋しいんだ。
「さっさと来い、カラス」
おじさんはそう言って、僕より先に奥に入っていくんだよ。まあ、僕が先に奥に入っても、とくにいいことはないから、大人しく後ろから行くんだけどね。
僕等が入ってからしばらくすると、ぞろぞろと人が入ってくるんだ。いつもの気難しい顔をしたおばあさんから、乳母車を押すおじいさん。いつもにこにこしている優しそうなおばあさん。その人たちのみんなが、たくさんの荷物を持って入ってくるんだ。美味しそうな匂いがするから、袋にくちばしを突っ込んで、中の匂いをもっと間近で嗅ぎたくてたまらない。だけど前にそんなことしたら、おじいさんに焼いて食べるぞって言われたからやんないけどね。焼かれるのも食べられるのもごめんだよ。おじいさんの口はいつも臭いんだ。たとえ焼かれた後でも、あんな臭くて堪らない口になんて入るもんか。お腹の中はどんな匂いがするのかなんて、想像もしたくないね。
そんな大きな荷物を持った人を眺めているとね、さっきおじさんが言っていた、いつもと違う人が乗ってきたんだ。いつも乗ってくる人より、しわなんて全然ない、つるつるの肌をしているんだ。そして、少しだけ体も小さかったんだよ。みんなより明るい色の服や帽子を着て、とてもキラキラした目をしているんだ。海と勝負しても良いくらいのキラキラだよ?ほんとだ、嘘じゃ無い。
そして大きな荷物を持っているのには、何一つ間違っていないんだ。だけど、一個だけ、大きな違いがある。この僕のつぶらな二つの目から見てもわかったんだ、誰が見ても気が付くに違いない。
それは、縦にとても長くて、食べ物が入っているには、とても大きすぎる。真っ黒で、硬そうで、とても食べられそうにない。こんなものを持ってきて、この人はなにをするつもりなんだろう。
僕はなにがなんだか分からなくなって、慌てておじさんのところに戻ったんだ。
「ねえねえおじさん、あれなに?あの大きいの」
「あ?」
おじさんは船の操縦席に座って、島に出航する準備をしながら、僕の方なんて目もくれずにこう言うんだ。
「あれはな、キーボードだろ」
「キーボード?」
驚いたさ。だって、そんな言葉、今までに一度だって聞いた事がないんだもの。僕は気になっておじさんを問いつめたさ。当然だろ?
「なにそれ、どんな食べ物?」
「食いもんじゃねえよ、楽器だ、楽器」
「ガッキ?」
今日の僕の二度目の驚きだ。新しい言葉ばかりであたふたするのは好きじゃないんだよ、全く。
「まあいい、カラスなんかにゃ楽器は無縁さ」
「なんなの、教えてよ」
おじさんは僕の言葉なんかちっとも聞かずに、船を出発させたんだ。まいっちゃうよ。僕の言葉がわかってくれる人は、おじさんだけだって言うのに。無視なんかされたら、たまったもんじゃない。
「聴けばわかるさ」
「聴けば?」
「あの子の後をつけてみたらどうだ?」
思ったさ。おじさんにしてはなかなかいい提案だってね。気になるなら行けばいいだけさ。僕の決意はその時に固まったね。そして僕は、とびっきり素敵ななにかに出会うんだ。その時に、それは全部決まっていた事なんだよ。
そして僕とおじさんがいつもの操縦席でいる間に、船はいつも通りの場所に、そしていつも通りの時間に到着したんだ。乗っている人たちが、持ってきた大きな荷物を抱えてアスファルトでできた船着き場に降りて行くんだよ。当然、例のしわがない小さな子も、みんなの中で一番重そうな荷物を、よいしょよいしょと運んで行ったんだ。しわしわの人の荷物も、とっても重そうだったけれど、あの子のは特にだね。僕がもう少し体が大きくて、羽根が太かったら、お手伝いをしてあげたかったさ。当然だろ? 大変そうな人を助けたいと思うのは。
「普通のカラスは思わねえよ」
「もう、おじさんは」
おじさんは僕の言葉や、心の声が聞こえるんだ。不思議だろ?おじさんは人間なのに。何で? って初めて聞いた時には、海の男だからって答えたんだ。説明になんて、これっぽっちもなってないかもしれないけれど、僕は不思議と納得しちゃったんだ。それだけの説得力があったってことさ。そういうことにしてくれよ。
「行ってくるね」
「気をつけてな」
僕は部屋から出て、こっそりと女の子から遥か上空を飛んだんだ。別に僕みたいなやつが後ろにいたって、なにも不思議なことじゃないだろ? 僕みたいなカラスはいっぱいいるんだから。後ろにこっそりいたとしても、なにも不自然なことはない。
その子は重そうに荷物を運んで行くんだ。息を切らして、はあはあって声が耳の小さな僕にも聞こえる。辛くはないのかな、とも思ったさ。だけど、不思議とその子は笑っていたんだよ。何か楽しいものがその先にあるみたいにね。何か美味しい食べ物でもあるのかなと思ったけど、その子の目的地は、広い公園だったんだ。
そしてその子はポケットから、小さな機械を取り出して、耳にあてたんだ。貝殻みたいなものなのかな? って思ったら、突然喋り出したんだ。
びっくりして僕は高く飛んでしまったから、なんて言っていたのかはわかんなかったんだけどね。
少し話をしてから、その子は機械をポケットにしまったんだ。すると僕は驚いたさ。何故かって?その子がおもむろに荷物を開け始めたんだ。ここで開いて一体なにをする気なんだって思ったよ。中から出てきたのは、おじさんのガタガタの歯みたいな白と黒でできている、不思議な機械だったんだ。これが、ガッキなのかな?と思っていると、その子はそれを組み立てて、大きな生き物みたいな形にしたんだ。あんまり立派なもんだから、この子はそれで何かと戦うのかって、本気で心配したさ。
まあ、僕のそんなくだらない想像は抜きにして、だ。その子はその歯みたいな白黒のところを、押したんだ。その小さくて、今にも折れてしまいそうな手でね。そしたら引っ込んだんだよ? その日はびっくりすることばかりだったな。それと同時に僕の耳に来たのは、音だったんだ。音って言っても、海の音や風の音とは違うし、当然人の声とも違うんだ。その独特な音は、とても綺麗に、海や町に吸い込まれていったんだ。
「よし」
その子は手をぐーに握って、嬉しそうに笑った。この子は、こんなものを持ってきて、さっきの音を出そうとしたのだろうかとも思ったよ? でも、本題はその後さ。
その子と同じ身長くらいの、髪の長い子がまたやってきたんだ。町の方から走ってね。待ち合わせをしていたのだと、すぐに僕は理解できた。
ガッキを持ったその子は、手を白黒の歯に乗せて、音をまた出し始めた。それはさっきよりも、優しくて、春の風のように温かかったのは、今でもよく覚えている。
そして、その子は歌い始めたんだ。ガッキの音に合わせて、その子はお腹の底から、思いきり歌ったんだよ。
それは、びっくりしたってもんじゃない。全身の羽根が空で震えて、落ちそうになった。
その子の歌声と、ガッキの音が合わさって、大きな力みたいなものが出てくるんだ。大きいだけじゃ無い。それはあったかいんだ。それでいて優しかった。僕は、今まで生きてきて、それがなにかなんて教わった覚えはこれっぽっちもない。しかもそれは、さっきやってきた髪の長い子にもぶつかっているんだ。痛くないのかな?とも思った。でもそれは、形のあるものじゃない。だって、目に見えないんだから。でも、その大きくて、温かくて、優しい何かは、確かに存在したんだ。その力は、この波にだって、風にだって、夏の嵐にだって負けたりするもんか。そしてそれは、とても心地よくて、僕は一瞬で、名前すら分かりやしないのに、その大きな力みたいなものを好きになってしまったんだ。
そして僕はその日からどうしても忘れられないのさ。
なにがかって言うとね、その子から飛び出ていた、なにか大きくて、温かくて優しい力の強さと、髪の長い女の子の涙だよ。
この物語は、ある一人の友人を動物に分割したものです。放課後の落書きとセットで読んでくれるとうれしいです。