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しとしとと雨の降る日、ある事件があった。ついに静に文通がばれたのである。もちろん、文子は言っていない。しかし、同じ屋根の下で毎週俊に届け物が届くのは隠しきれなかった。静は今日、いつものように俊の部屋へ顔を出し話を切り出した。
「最近誰と文通してるの?」
驚いた顔をする俊を目の前にして、静は確信を持った。自分で持ってきた熱い茶を一口飲んで、もう一度俊に目を向ける。彼は顔をそらさずに静の目を見つめ返した。その視線は他の青年と比べても、きっと際立って艶やかなものだ。
「文子が毎週忙しそうに、あなたの部屋へ届けてるわね」
「文子には感謝してるよ」
「私が言いたいのはそういうことじゃないの」
誤魔化す物言いの俊に眉間にしわを寄せた。俊はそんな静を見ながら煩わしそうに前髪を指で払った。途端俊を見上げるように肩を小さくして身を縮こまらせた静は、目じりを下げて切なそうな表情を彼に向けた。
「相手は誰?」
「ただの知り合いだから」
地声より低い声音で顔をそらして言う、俊の拒絶ととれる言動に少なからず衝撃を受けて静は自分の両手を握り締める。ますます悲しそうな表情を見せる母の姿に俊も胸は痛んだが、はると文通していることが知れたらもっと大変なことになる。ここでは簡単に自分の思いを口には出来ない。自分をそう言いくるめて、彼は無言で立ち上がる。自分の布団に手をかけて入り、途中まで読み進めていた本を手に取った。その間もずっと静は手を握り締めたままやりきれない思いを抱いていた。
「じゃあ、また寝る前に来るわね」
拒まれてしまってはどうすることもできず、返事も聞く必要は無いと静はそっと部屋を出た。丁度その頃、外から帰ってきた文子が静の表情を見て先ほど起きた事件を悟る。文子に気付かず、静は自分の部屋へと廊下の角を曲がり、それを見届けてから文子は自分の持っている食材を水場に持っていく前に俊の部屋へと赴いた。しかし、彼の部屋の前で立ち止まってしまう。開けてはいけない気がした。そのまま文子は戸も叩くことが出来ず、足音を忍んで水場へ向かった。
湿る薪を釜の下にくべて、まだ小さな弟を背負いながら腰を曲げるはるは額に滲む汗を手で拭う。いつも母である洋子の背に背負われている幸雄は、今日、特に腰痛が酷かった母に代わってはるが背負い、その背の上で大きな目をきょろきょろ動かして夕飯を作る様子を見つめている。その下のはるは真剣な面持ちで菜箸でほうれん草を和えて皿に盛り、出来上がった料理からさっさとちゃぶ台まで運ぶ。隣では洋子が忙しそうに味噌を溶いていた。
先ほどまでおとなしかった幸雄が徐々にぐずり始め、しまいには泣き出してしまった。耳をつんざくような声に急かされ洋子はさっさと食器を片付け、抱き上げた我が子に自分の乳を差し出した。目に涙をためながらも必死で乳を飲む我が子に、自然と洋子は笑顔を零した。その向かいで清が、封の切られた封筒とその中に入っていた紙の書面を険しい顔で見つめていた。はるはいつも眉尻の下がっている父の表情を見ながら味噌汁を飲み下す。このとき、自分にはあまり関係の無いことだろうと思っていた。よしよしと幸雄をあやしていた洋子が清の表情に気付き、どうかしたのか顔を伺いながら言った。
「佳代のところがこの家に身を寄せたいそうだ」
「どうして?」
「旦那が佳代を残して急死してしまったらしい。今十三の娘と二人で暮らしてるんだと」
「それは、大変ね……」
佳代が父の妹であることははるは十分分かっていた。清と違って眉が並より細く弧を描き、奥二重で力のある目と固く結ばれた唇が気の強そうで強情な女の雰囲気を醸し出していた。できればあまり関わりたくなかったが、洋子の顔を見れば風前の灯火の思いであることを感じ取ったはるは何も言わなかった。一家の長男である清が女二人の一番の頼みの綱だったのだろう。食事の後片付けをしながら父と母のいつ来てもらうのか、荷物をどうするかなど先の話をぼんやりと聞きながら腹の底に苛立ちを押し込めた。
佳代たちが秋頃に静岡へ来ることが決まり、はるの憂鬱な日々が始まった。愚痴を言えるような友達なんていなかった。おかげで鬱憤は毎日彼女の中に溜まっていく一方、久しぶりに義妹に会えることが嬉しいのか洋子の心情は晴れやかであった。幸雄も母の前では嬉しい声を上げるが、姉の前では静かに指を咥えるだけだ。