第四話:アンタは今何をしてるんだ?
「どうしたよ蒼太? 寝不足?」
「むむ、その声は我が親友でありよき相談相手である北条猛その人ではないか」
「何故、説明口調?」
さてさて、所変わって学校である。より詳しくいえば、登校風景である。
どうせ夏休みだからとかなり夜更かしをして『数奇な運命』の解読作業をしていた蒼太は、偶然にも日付が変わったその日が登校日だということを脳の記憶を司る部分から抹消していたのである。早い話が”忘れてた”のだ。
深夜に「さぁ一眠りするか」ともぞもぞ布団に潜り込んだ時に「明日提出の課題やった?」との猛の着信が蒼太の携帯電話に届いた時点でようやく気付いたワケだ。
そこから朝まで、絶対必要な分の課題を処理して現在にいたる。
「眠い…超眠い。もう世界が滅びればいいのに」
「起きろ危険思想者。もう朝だぞ」
フラフラと蛇行しながら歩く蒼太の頬を猛が軽く叩く。
おそろいのブレザーを着た二人組みの他にも、登校風景には男子とは違ってデザインに力を入れている女子の制服がチラホラと見える。男子も女子も大体がのんびりと数人で世間話をしながら笑いあっている。いつも通りの光景だ。
ふと、蒼太はずっと病院で暮らしていると書いてあった”せんば桜”のことを思い浮かべた。
学校には行っていないと書いてあった。そして、十七歳と書いてあった。丁度、自分達と同じ年頃だ。
学校に行ってないというのは、どんな感覚なのだろうか?
寂しくないのだろうか?
友達と呼べる人はいるのだろうか?
勉強とかはしているのだろうか?
睡魔が波状攻撃を仕掛けてくる蒼太の脳内にぼんやりとそんなことが浮かぶ。昨日解読した文章は、せんば桜の病院での生活のことがずっと書かれていた。
婦長や先生との日常や隣の老人との会話とか。たまに散歩に出かけたとか、屋上で空を見たとか。
その全てに多少の規模の差はあれども、必ずイタズラの類が混ざっていたのは笑い話で済ましていいものか悩む所であるが。
でも、しかし、『数奇な運命』に書かれた”せんば桜”の手紙には蒼太が心配するような暗い類の話は無かった。
会った事もない少女は、いつも病院関係者に様々なイタズラを仕掛けては怒られて、たまに法律スレスレ、またはちょっとアウトな所を綱渡りして。
とても病院に長期入院するような病弱な印象は感じられない。とってもお転婆な女の子。
ボーとする蒼太の頭にはそんな印象しかなかった。
「……おーい。蒼太生きてるか?」
「返事ガ無イ。タダの屍ノヨウダ」
「ふむ。重症だな」
隣で蒼太の頬を叩く手が多少強くなる。痛みを伴うほどの強さで。
擬音語がパシパシからバシバシに変わっていた。
「ぐ、ごふ。痛い痛い。やめんかバカチン」
「ところで蒼太、その後生大事そうに抱えている本はなんぞや?」
猛が暴行を止めて、蒼太が大事そうに抱える本を指差す。
表紙に小さく黒い字で『数奇な運命』と書かれた以外には特に飾り気もない古びたハードカバーの本だ。
「これか。これは手紙だ」
「手紙? そう言うストーリーなのか」
「……いんや、本当に手紙なんだよ」
これも何かの縁だ、と猛に昨日あった本との出合いを話した。
仙人みたいな老人に「古本の神様」を教えられたことや古本市でこの本に偶然出会ったこと。中身が女の子の手紙だったことは大まかに話すが、細かい内容は割愛した。何となく恥ずかしいのと、手紙の内容を第三者に教えるのは気が引けたから。
「……ふむ。それはまぁロマンチックな」
「そりゃどうも」
「それに『古本の神様』か」
「胡散臭い話だけどな」
「いんや、そうとも限らんぞ」
眠い目を擦りながら学校へ歩いていると、隣で猛がニヤリと笑う。
「その女の子…せんばさくらちゃんだっけ? その子はずっと病院で暮らしてるんだったな」
「あぁ」
「お前は体が丈夫な方だから、入院するようなことも病院に行くような事も無いだろ?」
「うん」
「じゃあこの本が無ければ、お前と桜ちゃんはかなり高い確率で出会えなかったわけだ」
「あ、そういやそうだな」
深く考えていなかった所をあっさりと相談相手に当てられた。
蒼太はいたって健康な男の子だ。これまでに病院に入院した経験は一度も無い。今まで出会ってきた女性も、殆どが健康的なごく普通の女性達だった。
そんな蒼太には、病院に長期入院するような病弱な女の子と言われてもピンとこないし想像もできない。
しかも病弱でありながらイタズラ好きのお転婆な女の子の姿など下手すればファンタジーの世界の話だ。
…もし、古本市でこの本に出会わなければ…もしこの”せんば桜”からの手紙に気付かなければ、
きっと蒼太は、何も変わらなく過ごしていたんだろう。
いつもどおり猛ととり止めも無いバカ話をして夏休みの中の登校日を過ごして、当たり前のように高校に行って、高校に行けずに病院で暮らす女の子が居る事など想像もせずに。
どこかの病院で、きっと今日も病院関係者にイタズラを仕掛けては怒られている女の子のことなど知らないで。
こうやって”せんば桜”のことを想像して夏休みの一日を過ごすこともしないで。
二人はずっと違う世界で生きて、お互いが気付かずにすれ違うことさえも無いぐらい遠くの存在のはずだった。
お互いのことを知らずに、一生を終えることだってありえるぐらい。関係無い存在だった。
――――でも、『数奇な運命』が二人を繋ぎ合わせた。
「「古本の神様」は前の持ち主と今の持ち主との出会いを司る…だろ?」
隣で微笑んだ猛の言葉が、妙に蒼太の耳に残った。