第一話:古本市
「………ヒマだなぁ…」
海原蒼太はうだるような夏の炎天下の日差しの下、一人公園のベンチに四肢を投げ出してダレていた。
ミンミンと喧しい昆虫を虚ろな目で睨みつけ、ゆらゆらと揺れるコンクリを見ながら地球温暖化を危惧する。
周りには、大量の太陽光の下元気に遊ぶ少年少女が居るだけで同年代である高校生の姿は一人も居ない。
今頃友達共はクーラーの効いた部屋で優雅に勉強中なんだろう。蒼太は今年で高校二年生だが、特に部活をしているわけではないので長い長い夏休みを持て余しているのである。
普通ならば、蒼太も例に漏れずにクーラーの効いた部屋で昼寝を満喫しているはずなのだが、今日だけは少し違っていた。
とにかく暇だったので、暇つぶしに外に散歩に出かけたのだ。今は絶賛大後悔中だが。
「あぢぃ…」
熱すぎて、この日陰のベンチから移動することが出来ない。
そもそも、外に出てから早々に太陽光に負けて何も出来ずにココに避難してしまったので、まだ何にもしていない。
流石に何もせずに家に逃げ帰るのは、高校男子として何となく悔しいのでココでボーと虚ろな目をしているのだ。
しかし、このままココにいても体力を奪われるだけだろう。早急に暇つぶしと更に快適な避難場所を探さなければ、と周りに面白いものは無いものかとキョロキョロ虚ろな目を動かす。
「…六坂神社…古本市?」
少し遠くの方に、パタパタとなびく黄色いのぼり旗が見えた。
六坂神社と言えば近所にある古びた神社だ。縁日や夏祭りなど地域のイベントごとのたびに敷地に夜店が立ち並ぶ神社である。
今回も地域のイベントごとだろうか。蒼太はそういったイベントにはあまり参加しないが、”古本市”という単語に少し心が躍った。
顔に似合わずと言うか、蒼太は運動も好きな反面読書も好きであった。
「これは何かの運命を感じるぞ」
一人呟き、蒼太は勢い良くベンチから立ち上がった。
どうせ暇だったのだから、多少クオリティの低いイベントだろうと問題は無い。
古本だったら欲しかった本が安く手に入る可能性がある。欲しい本が手に入ればその分暇つぶしが出来る。
急にウキウキワクワクと気分が良くなってきた蒼太は、サイフの中身を確認して走り出す。
うだるような暑さも忘れて、神社を目指した。
「ムム、意外とクオリティが高いぞ」
ガヤガヤと老若男女(老と男が圧倒的に多いが)が練り歩く六坂神社に蒼太はいきを切らして辿り着いた。
それなりに広い敷地には、幾つもの簡易テントが建てられていて、その下には大量の本達が所狭しと並べられて客達に吟味されてる。この神社にある本だけで、この街の本全てを集めたんじゃないかと思わせるほどの量だ。正に本の山・本の海と言った表現がふさわしいだろう。
おそらく街の有志が店を開いているんだろう。店主らしき人達は、客と世間話に花を咲かせている。
蒼太も、遅れてはいかんとばかりに、袖を捲り上げて鼻息荒く古本の海へと飛び込もうと準備体操を始めた。
「これ、そこの若人。おぬしじゃ、チョイ待ち」
「幻聴などは気にせず、いざ! 古本の海へ!!」
「またれぃ! 若いの!! 誰が幻聴か!!」
蒼太はクラウチングスタートのポーズを止めて、幻聴のする方向に首を捻った。
すると、一度捻った首は目標を捕らえることが出来ずに、目線を10度ほど下げることによってようやく声の主を視界に捉えることが出来た。
そこには日本人平均身長をクリアしている蒼太の腹辺りまでしかない人間が一人、蒼太の前に佇んでいた。
純和風の灰色の着物を着て、仙人が持つようなベタな杖を持った腰の曲がった老人だ。口髭を生やしているので男性だろう。
いかにも仙人というか、賢者というか、RPGに出てきそうなご老人だ。
しかし、蒼太にRPGに出てきそうなご老人に話しかけられる心当たりは無い。知り合いでもない。
「なんでしょうかご老人」
「ウム。おぬし、『古本の神様』に御参りはしたのかね?」
「古本の神様?」
聞き慣れない単語に疑問符を浮かべる。
その反応を見たご老人は「それみたことか」と呆れたように首を左右に振って持っていた杖を蒼太に勢い良く突きつけた。
「たわけが。古本市に来ておいて『古本の神様』を知らないとは、まったく最近の若いもんは……チョーサイアクじゃわい」
「い、一瞬、過激な若者言葉が飛び出した気がするのですが……『古本の神様』とは何でしょうかご老人」
老人の過激な言葉に戦々恐々としながらも、冷静に食い下がる。聞かれたご老人は小さな体を大きく見せるようにふんぞり返り、大仰に構えた。
「フム、良かろう。耳の穴かっぽじってよ~く聞けぃ。古本の神様とは、古本市に現れる、それはそれはありがた~~~い神様じゃ」
「…胡散臭」
「チェストォォオオオ!!!」
「ふべらッッ!!??」
老人の杖が蒼太の頬を捕らえて、吹き飛ばす。割と太めの杖で。
「ぼ、暴力をふるった!? このジジイ、いい年こいて暴力をふるったぞ!!」
「だ~~まらっしゃい!!!」
一方的に叩き落される理不尽な言葉と杖の殴打。
警察を呼んだらすぐさまご老人を逮捕してもらえる状況だが、あいにく警察は周辺にいないようである。
それを良いことに、ご老人は蒼太の襟首を強引に掴み取り、小さな体に似合わない怪力で蒼太を引きずる。
神社の奥地まで蒼太を引きずり回したご老人は、ある場所にそのまま蒼太を放り投げた。
「痛いッ!! やめんかクソジジイ!!……って、何処だココ?」
「ここぞ正しく、古本の神様の祭られる場所じゃ!!」
「祭られる場所って……なんともリーズナブルな」
蒼太が放り出された場所は、特に神秘的でも厳かでもない、普通の店の前だった。
店とは言ったものの、要は簡易テントの下に古本が並べられた古本市の店だ。周りの店と大差ない。
しかし、強いて言うのならばその店の前には小さな神棚があった。家にでもありそうな普通の神棚が、店の前にポツンと置かれていた。
そして、その神棚には大きく『古本の神様』と彫られている。蒼太は思う。胡散臭い、と。
「古本の神様は古来より、古くなった本の行く末と、その本の新たな主人との出会いを司っておられる」
「なんともまぁ局所的なご利益だなオイ」
「本を愛し、本を大切に扱ったものには新たな本との出会いを。本を蔑ろにし、本を手荒に扱ったものからは本を奪い去ると言われておる」
「なんと! それは殺生な!!」
思わずと言った風に両肩を抱く。本を愛でる者の端くれである蒼太にとっては、本を奪われることは恐怖でしかない。
しかも、本を大切にしているかと問われれば、堂々と頷くことが出来るかは微妙である。
その様子を見ていた老人は、まるで悪徳宗教関係者が、良いカモを見つけた時のように怪しい笑顔で手を差し伸べる。
「安心せい若人よ。そのためにココに神棚があるのじゃ。さぁ、ワシの後に続け!!」
突然叫んだ老人は、杖を投げ捨て堂々と仁王立ちすると神棚の前で両手を合わせて合掌した。
杖無くてもいいのかよ。と突っ込むべき蒼太であるが、意外と必死に老人の後に続いて手を合わせる。
「古本の神様。どうかこの哀れな少年に良き本との出会いをお導きください。なむなむ」
「なむなむ」
傍から見れば、少年と老人が意味の分からない行動をして、それを他の客は怪訝な眼差しで見詰めていた。とだけココに記しておこう。
「さて少年、これで一安心じゃ。思う存分古本市を楽しまれるが良い」
「そうだな。手始めにジイさんの店から攻めてみるか」
改めて聞いてみると、この神棚の店が老人の店らしい。
ここで殴打されたのも何かの縁だ。と、ズカズカと老人の店の中へと足を踏み入れ、本を物色する。
入ってみて最初の印象といえば、まず始めに本が綺麗だ。よく手入れが行き届いている。
そして品揃えが面白い。今まで見たことも無いような奇抜なタイトルの本や一目見ただけで興味をそそられる本で溢れかえっていた。
このままでは面白そうな本を手当たりしだいに購入して、財布の中身が吹っ飛びそうだ。と蒼太はニヤニヤしながらも、それでイカンと老人の方へ向き直る。
「ジイさん。おすすめの本とかあるか?」
「そうじゃな、その右端の箱の中なんか良いじゃろうて」
杖を持ち上げて指し示す先には、ひとつのダンボールがテントの奥にポツンと置かれていた。
なんとなく寂しい雰囲気をかもし出すそのダンボールは、さっきまで存在さえ気付けなかった。影が薄い。
老人に軽く礼を言いながら、ダンボールを手繰り寄せて中身を確認する。
「むむ!! あんたただ者じゃねぇなご老人!!」
テント内に蒼太の感嘆の叫び声が響く。
ダンボールを開けた瞬間、一瞬中身が輝いて見えた。それはそれは面白そうな本の数々のためだろう。
全て蒼太の好みに合ったジャンルの本や今すぐ読みたくなるような本ばかりである。
その本達を丁寧に傷つけないように、移動させてダンボールの中を物色する。どれもこれも面白そうな本だ。
むしろ、興味をそそられない本自体存在しない。もう古本の神様のご利益があったようだ。
ウヘヘヘ~イ、本のIT革命じゃ~、と訳の分からないことを口走りながら、ゴソゴソダンボールの中を探る。
「…って、ナンダこりゃ?」
と、言ってる傍から、一つ違和感のある本を見つけていた。手にとってじっくりと眺めてみる。蒼太が興味を持つようなタイトルであるのは変わらないが、他の本と比べると少し違和感があるのだ。
少し考えて、蒼太ようやくその違和感に気付いた。この本は、この店にある本に比べて古びているのだ。
この店は、古本屋のクセに並べられている本が全て綺麗に修復されている。
しかし、今蒼太が手に持っている本だけは、何の修復も施されていなくて普通のそこらじゅうにある古本だった。
それが当たり前の姿であるように不思議と似合っている古びた古本のタイトルは『数奇な運命』。傷や破けた場所こそ無いものの、どこか薄汚れていて、手垢がついているようなハードカバーの本だ。
前の持ち主が何度も読んだのだろうか。少し汚れていると言うのに嫌な気は全く起きない、不思議な本。
多分、大切にされていたんだろう。
「…ジイさん。俺、この本にするわ」
暫く無言でその本を眺めていた蒼太は、気付けば老人に聞こえるかどうか微妙なぐらい小さな声で呟いていた。
「むぅ? どれどれ見せてみぃ」
ツカツカ、と杖をつく割には軽快な足どりで老人が歩み寄る。そして、何故か蒼太のの手の中にある古本を覗き込むと、少し驚いた風に目を見開いた。
「…何故に、それを?」
静かに、老人はそう尋ねた。
しかし、そういわれた装太は自らが言った言葉に疑問符を浮かべて困った顔をする。
「何故って言われても…勘?」
有り体に言えば、明確な理由など無いのだ。強いて言えば、この本がこのダンボールの中で浮いていたからだろうか。
古本のクセに小奇麗に統一されているダンボールの中の本達の中で、蒼太が見つけた本だけは、古本らしく薄汚れていた。
おそらく、他の店のそこらじゅうにある薄汚れた古本達と一緒に交ぜて売られていれば、蒼太はこの本の存在すら気付かなかっただろう。
それは偶然とも言えるし、大袈裟に言えば運命なのかも。とボンヤリと蒼太は考えていた。そして、この本が持つ雰囲気も無意識の内に蒼太は気に入っていた。
触っただけで、前の持ち主が大切にしていたのが分かる本は、そうそう無いだろう。
「コレ買うよ。幾らなんだ?」
「フム、本来ならば三百万もするきちょ~~な文献なんじゃが…」
「ぼったくりもいいトコだな」
「百円で良かろう」
「軽ッ!! 安ッ!!」
蒼太は二百九十九万九千九百円まけてもらった。破格の割引である。
そんな軽い冗談を互いに交わしながら、蒼太の財布から一枚の銀色の硬貨が老人に手渡される。
「確かに頂戴した。他にも色々と揃えておるから、ゆっくり見てゆくと良い」
「サンキュージイさん。お言葉に甘えさせてもらうよ」
和やかな挨拶を交わして、老人はゆっくりテントの奥に消えていった。
何とも不思議な老人だ。と、適当に思いながら、蒼太は更にダンボールを漁り、それから老人のテントを見て回った。
結局、夕方まで古本市を徘徊して、蒼太の暇な一日は解消されていったのであった。
さてさて、始まってしまいました。
この作品は私が結構暖めていたものです。楽しんで頂ければ幸いです。