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古本の神様  作者:
17/17

最終話:spiritual of secondhand book



 ふと、窓の外が目に入った。


 開けられた窓から、少し湿った風が蒼太の頬を撫でる。いつの間にか、夕立は止んだようだった。

 ピチョンピチョンと、屋根から雨水の名残が地面に落ちていく。先ほどまで、ドンヨリと黒い雲に覆われていた空が、機嫌を直したかのように色を変えている。

 下巻を探して家を飛び出したのが、昼を過ぎた頃だった。それから気付かないうちに大分時間がたっていたのだろうか。

 桜川総合病院の病室から見える空は、綺麗な茜色に染まっていた。



「えっと……」


 ホツリと、桜が呟いた。

 蒼太と桜が出会ってから、少し時間が経っていた。ずぶ濡れの状態だった蒼太の衣服は、少しだけ乾き始めている。


「まぁ…そりゃ驚くよな…」


「…うん」


 桜が上体だけ起こしてベットに寝ている横で、蒼太は丸イスに座って頬を掻いた。


 タライから大量の水が落ちてきて、その後桜が蒼太の病院に来た理由を知って、桜は自然と静かに涙を流し、蒼太は自然と優しく桜の頭を撫でた。

 そしてその後、桜が落ち着きを取り戻し始めたのを見計らって桜をベットに戻して、蒼太はこれまであったことをポツリポツリとゆっくりと話した。

 初めて「数奇な運命」に出会った経緯や、桜の手紙を読んだ事、そしてその手紙の内容に惹きこまれた事や、学校で本を盗られそうになった事、取り留めの無い手紙の内容を読んで頬を緩めた事、突然の別れの手紙に激昂した事、下巻を探して走り回った事。

 全てをありのままに桜に話した。取り繕いもせずに、誇張もせずに、その時蒼太が嬉しかったことも、怒ったことも、全てを桜に伝えた。


 本に出会うきっかけを作ってくれて二人を繋げた老人も、強い言葉で蒼太を送り出した母親も、笑って導いてくれた親友も、全員桜に知って欲しかったから、その人への感謝の気持ちも一緒に、そのままの蒼太の気持ちのままで。


「…………」


「…………」


 話し終わってから、少し居心地の悪い沈黙が続いた。

 否、蒼太が話したいことはまだ山のようにあった。まだ桜の手紙で知った桜の事の十分の一も蒼太のことを話せてはいない。

 しかし、ふと蒼太は今の状況を冷静に考えてしまった。

 お互い初対面で、蒼太の方は大雨の中を必死に走って来た。幾分かドラマチックではあったのではないか、と蒼太も自分で思う。

 必死の思いで走ってきてそして出会えた桜は、自分が想像していた通り、いや、視界に桜が映った瞬間はまるで天女を見たかのような不思議な感覚に包まれた。


 でも、お互いが落ち着きを取り戻して、改めて状況を考えてしまったら、気恥ずかしさがほんのりと湧き上がってきた。

 少し前まではあんなに桜のことしか考えていなかったのに、いざ会ってみると言葉が上手く浮かんでこなくて、少し気まずい。


 現実は、意外と落ち着いたものだ。



「…あのね」


 そんな風に、少し自虐的な気持ちが生まれていた蒼太に、桜はポツリとつぶやいた。

 それはとても小さな声で、蒼太が気づくのにも一泊ほど遅れるほど弱々しい。


「…あ…ごめんね。ちょっと頭混乱してるの」


「え? あ、あぁ」


「こんなこと、起こると思ってなかったから」


 またポツリとつぶやいた桜は、横の小さなテーブルの上に置かれていた『数奇な運命』をそっと撫でた。


「私ね。この本にこんな手紙書いたけど、本当に誰かに届くなんて思ってなかった」


「………」


「この本もね、ただのイタズラだったの」


 フワリと、自然な動きで蒼太の方を見た桜は小さくほほ笑んだ。

 その笑みは、季節外れの桜の花のようだと思ったが、同時に少し憂いを含んでいる。


「私、7歳ぐらいからずっとこの病院で入退院を繰り返してるの。一応、小学校にも通ったことあるけど、ほんの少しの間しか通えなかったから、ほとんど友達も出来なかった」


 七歳、ということは小学一年生からずっと。

 予想していたよりもずっと長い期間入院しているのだと、蒼太は驚いたが、実際に桜がどんな気持ちなのかは漠然とも浮かんでこない。蒼太にとって、桜の歩んだ人生は全くの未知の世界だ。


「私にとってこの病院が「私の世界」で、学校とか友達とか青春は「外の世界」だった」


「外の世界…か」


「うん。だからずっと外の世界に憧れてた」


 そう言って桜は、今度は窓の外を眺める。


「自分の病気のことは知ってたの。だから学校に通えないのも理解してたし、自分が外の世界にはきっともう馴染めないのも分かってた」


 とても残酷なことを、桜はほほ笑みながら吐露する。

 その不条理を飲み込むのに、どれ程の時間と精神力を有したのか、蒼太には分からない。

 ただ目の前の少女は、自分の不条理をすでに飲み込み終えている。

 気丈だ。気丈すぎると言ってもいい。蒼太にとってただお転婆なだけであった少女が、また違う顔を見せた。



「だから、外の世界にイタズラしようと思って」


「それが、この本だったのか?」


「うん」

 

 また、桜は愛おしそうに『数奇な運命』を撫でる。


「誰でもいいから驚かせてやろう。って考えたの。もし、偶然この本を手にとって偶然この本に隠された手紙に気付いたら驚くだろうなって。……おもしろいでしょ?」


 「あぁ、しっかり驚いたよ」


「フフフ。じゃあ成功だったんだね」


 今度は、年相応の自然で少し意地悪な笑顔。


「でも本当に成功するなんて全然思ってなかったんだよ?」


「俺もこんなこと現実にあるなんて思ってなかったよ」


 今度は、二人で笑いあう。

 そして、また少しだけ沈黙が病室を通り過ぎる。今度の沈黙は心地よい。


「じゃあ。『古本の神様』のおかげだね」


 スルリと、桜のこぼした単語。蒼太の最近知った単語で、とても不思議な単語。


「…さ…千羽さんはどこで『古本の神様』を知ったんだ?」


「桜でいいよ」


「あ゛~…じゃあ桜」


「うん。えっとね…確か、五歳ぐらいの頃だったかな? よく覚えてないけど、何か仙人みたいなおじいちゃんに無理矢理お参りさせられて、その時教えてもらったの」


「……………」


「あれ? どうしたの蒼太くん」


「いや…」


 とっても覚えがある。いや、ありすぎる。

 それは先程、桜にも話した老人のこと…ではないのだろうか。

 桜は蒼太の話はピンとこなかったのか、それとも、別の人物と判断しているのか。真相は直接あの老人に聞く以外はなさそうである。


「それで…どうですか? 『古本の神様』のおかげで、「外の世界の人」に出会えた感想は」


 ここで、蒼太は殆ど何も考えずに自分という存在について桜に訪ねていた。

 蒼太が訪ねた理由はただ気恥ずかしかったのを紛らわせようとしただけだったが、それに対して、桜は蒼太の予想していたのとは全く別の、とても困ったような表情を浮かべた。


「よく分からない」


 スパリと、何かを切り落とすかのように桜は呟く。


「会えると思ってなかったから。それも、蒼太くんみたいな男の子が来るなんて夢にも思ってなかったから、よく分かんないんだ」


 困った表情のまま、困ったようにほほ笑む。

 その言葉を聞いた瞬間、蒼太に反射的に小さな反発の感情が生まれた。

 そして、脳みそで考える前に脊髄が命令して、口が動いた。


「友達がほしかったんじゃないのか?」


 ピクンと、桜の肩がほんの僅かに揺れた。そして、また困ったような顔をする。


「そっか、全部知ってるんだよね。当然か」


 恥ずかしいな~と、照れ隠しをするように桜は苦笑する。

 おそらく、書いた本人である桜でも初めから読まれると想定していなかった「数奇な運命」の手紙は、ある種桜の日記のような役割も持っていたのだろう。

 その日のイタズラを日記のように記した手紙は、同時に桜のその時の心理も色濃く残していた。

 蒼太が読んだ手紙は、そういった桜の裏側を記した手紙でもあった。


「あのさ、俺の勝手な手紙の感想だけど、聞いてくれるか?」


「え…あ、うん」


 唐突に、蒼太は前置きをして強引に自分の話に話の方向を向けた。

 それは、蒼太が桜の手紙を読んで勝手に予想した桜の気持ち。本当にそう思っているかは分からなかったが、どうしても聞いておきたかったことがあった。




「キミの手紙を最初に読んだ時、とっても楽しそうだと思った。すげぇくだらないイタズラの話ばっかりだったけど、病院のいい人達と幸せに暮らしている風景が思い浮かんで、こっちも楽しい気分になれた。だから俺はこの手紙が好きになれたし、ここまで読んでこれたと思うんだ」


 桜は、ただじっと蒼太の目を見つめて話を聞いている。


「でも、途中から違和感があったんだ。最初は気付かなかったけど、最後まで手紙を読んで気付いた。この手紙には、『桜のこと自身の描写が極端に少なかった』。「私のことを知ってほしくて」って言ってる割には桜自身のことじゃなくて『桜と桜の周りの人たち』のことが圧倒的に多かったんだ」


「…うん」


「それで、…キミの…余命よめいのことを読んで、やっとしっくりきた」


 じっと蒼太の目をのぞきこんでくる桜の目はもう覚悟を決めたような瞳の色をしていて、油断すれば蒼太が吸い込まれそうなほど強い力を放っていた。


「上巻の最後には「私達のことを知ってくれてありがとう」と書いてあった。下巻には突然「私の、余命は残り、二ヶ月だそうです」と書いてあった。…ここからは俺の勝手な憶測なんだけど」


「…………」



「上巻と下巻。二つ合わせたのが、キミの本音だ。本音であり目的。キミが本当に手紙の受取人である俺に求めたのは…『近い将来、この世から消える千羽桜の世界、キミの言うところの「私の世界」を「外の世界」の住人である海原蒼太だれかの記憶に残すこと』ちがうかな?」


 桜は、無言だ。

 何も言うでもなく、何か表情を浮かべるでもなく、真剣な目で蒼太を見る。


「キミの全てだった「私の世界」をその世界の中だけで終わらせるんじゃなくて、全く関係の無い「外の世界」に残そうとした。隣の外村さんも、橋本のおばあちゃんも、志藤先生も、婦長も看護婦さんもみんな、キミの大好きだった日々を俺の記憶に記録しようとしたんだよ、な?」


 初めから、「外の世界」を諦めていた。

 外の友達がほしかったけど、自分には不可能だと悟ったから、せめて「外の世界」に「私の世界」を残したいと思ったんだろう。

 ”桜”ではなくて”桜の世界”だから、自分のことは減らして、その分大好きな私の世界の住人のことを残そうとした。

 しかし、予想以上に時間切れ(タイムリミット)は早く来ることが分かって、桜は『数奇な運命』を「外の世界」に放った。

 そして、それを偶然拾い上げたのが、蒼太。



「これが…俺の感想。俺の勝手な、憶測だよ」


「……そっか」


 やたら長く感じた時間が過ぎると、ポツリと桜が呟いた。

 ふぅ、とため息をついた桜は、不思議と落ち着いた表情をしていて、少し俯いた後、自然なほほ笑みでまた蒼太の方を向いた。


「本当は、そこまで深く考えてなかった。でも多分それで合ってるよ」


「そうか」


「自分でも不思議だけど、蒼太くんが言ったことが、妙にしっくりくるの」


 クスクスと小さく笑いながら、桜はまっすぐ蒼太の目を見る。


「無意識かもしれないけど、私は自然とそんな風にしてたのかもしれない。でも、それを初対面の蒼太くんに気付かされるとは思わなかったよ。すごいね」


「そりゃ良かった。全然的外れだと恥ずかしくて死にたくなるしな」


 おどけた調子で、蒼太は肩をすくめる。

 内心では、我ながら憶測でよくあれだけの物を言えたものだ。とヒヤヒヤしている。

 それに対して、どこか安心したような表情を見せ始めた桜は、気軽な調子で蒼太に聞いた。


「…じゃあ、蒼太くん。それを踏まえて蒼太くんはどうするの?」


「どうするって?」


「私の本音であり目的である―――「私の世界の記憶を記録」を引き受けてくれる?」


「嫌だ」


 キッパリと、これ以上ないほど清々しく、蒼太は断った。

 呆気にとられた様子の桜の顔を蒼太はじっくり眺めた。実は少し驚かせようと思っていた。

 予想外だったのか、言葉の出ない桜に対して、蒼太は少し大きめの声で話す。


「桜は一つ勘違いしてる」


「え?」


「俺は記録役バックアップなんて望んでない」


 切り捨てるように、否、実際切り捨てた。

 それまで安心していた桜の顔が、みるみるうちに不安な表情にかわっていく。

 どうやら、この子は病院暮らしが長いせいか、はたまた元からの性格か、他人の気持ちを考えるのが得意ではないらしい。

 そんな桜の様子を意地悪く見ながら、蒼太は宣言するように言う。


「俺は、キミに会いたかった。キミに会うためにここまで走ってきた。キミにあえて凄く嬉しかった」


 取り繕いもせず、誇張もしない、正直な蒼太の気持ち。


「「桜の世界」がすごく楽しそうだったから、ここまで走ってきたんだ。それでやっと桜に会うことができたのに、「外の世界の人」なんて仲間ハズレの役は嫌だ」



 スッと、それまで座っていた丸イスから立ち上がる。

 自然と桜が蒼太を見上げて、蒼太は不思議そうな顔をしている桜に右手を差し出す。







「俺も「桜の世界」の仲間の一人に入れて欲しいんだ。すげぇくだらなくて、あったかくて、居心地のよさそうなキミの世界の一員になりたい。「外の世界」なんて外野は嫌だ。たとえ、短い時間でもいい。桜と一緒にいたい」





 不思議な顔をする桜に蒼太はとびっきりの笑顔で右手を突き出す。

 この手は、握手だ。




「ずっと会いたかった」




 会いたかった。会うために走ってきた。そして会えた。

 これがゴール。蒼太の決めたハッピーエンド。

 でもこれで終わりは嫌だ。物語のゴールはここだけど、エンドじゃない。

 永遠じゃなくてもいい。たとえ短くとも、ようやく会えたこの出逢いを、少しでも永く。

 だから握手をしよう。

 もう名前も知らないアナタじゃないから。






「俺と友達になってくれ」








不意に、窓から風が舞い込んだ。

頬を撫でる風は、サラサラと優しく髪を揺らす。






パラパラと音がする。

風が『数奇な運命』のページをめくっていた。






fin.




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