第十四話:このドアの向こうに
ラストが近づいてきました。
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自動ドアが開く時間さえもどかしいと思った。
ゆっくりと開くドアの隙間に体を突っ込んで、両手で無理矢理ドアをこじ開ける。
その時ドアに足を引っ掛けて、それでも早く中に入ろうとして、結果的に蒼太は病院の玄関ロビーに、文字通り転がりこんだ。
夕立の時特有の鋭く大きな雨粒に晒された蒼太の衣服は、水に浸けたようにビショビショで、体が床に叩きつけられた時にはバシャッ!!と大きな水しぶきを上げた。
突然の大きな音に、ロビーで診察の順番を待っていたお年寄りや小さな子供達が、驚いて全員が蒼太に注目する。
「ゼェ…ゼェ…ゼェ…」
雨に晒されずともボタボタと水滴が落ちる。
起き上がろうともせずに床にヘタリ込んだまま、荒い息使いを繰り返して、必死に息を整える。
不思議そうにコチラを見詰める人たちの中に年頃の女の子が居ないか確認しようとすると、自然と眉間に皺がよって、睨みつけるようになってしまっていたが、そんなことを気にする余裕は無かった。
比較的近くの席に座っていた老婆が、慄いたように身を引いた様子を見て、初めて蒼太は自分がかなり不審な人物になっていることに気付いた。
「す、スイマセンね…おばあちゃん…怪しい者では…ないん、ですよ」
必死に笑顔を作って見せるが、引き攣った顔しか作れずに終わる。
そうしていると奥が少し騒がしくなって、少ししてナース服を着た女性が走ってきた。
「どうしたんですか? ……ってアラアラ。ビショ濡れね」
走ってきたのは、少し歳のいった四十代ほどのナースだった。
穏やかな雰囲気を持つベテラン風の人で、ロビーにへたり込んでいる蒼太を見ても特に驚いた様子も見せずに、冷静に今の状況を判断しているようだった。
どうしようか迷っている蒼太に、そのナースはゆっくりと近づいて蒼太の様子を観察する。
「…怪我をしている様子は無いわね。顔色も良いし」
一応、と小さく呟いてからしゃがみ込み、息の整わない蒼太の額に手をやった。
「熱も無いようだし…走って来たんだったら、もしかして友達が事故にでも遭った?」
ナースは冷静に蒼太に問いかける。
息も整わず、言うことも混乱してまとまらない蒼太は、焦って大きく咽た。
落ち着いて、と慣れたように言い聞かせるナースの言葉を聞かずに蒼太は叫んだ。
「さくらは!!」
髪が視界を塞いで、目の前に居るナースの女性がぼんやりとしか見えない。
それでも、蒼太は腹の底から叫んだ。羞恥心などという概念はもはや存在しない。
「桜はここに居ますか!? 桜に会いたいんだ!! 会いに来たんだ!!」
すがりつくように、否、実際ナースにすがり付いて蒼太は叫んでいた。
ここでさくらが居なかったら、それで終わり。そう直感していた。
また次の病院を探せばいいかも知れないが、最初の直感で猛の言った病院に来て、そこで会えなかったら、永遠に会えない気がしていた。根拠など無いけど、そう自然と思っていた。
周囲の診察を待っている人たちは、全員が不思議そうな顔をしてコチラを見詰めていた。
「桜に会わせろ!!」
蒼太の叫びがロビー中に響き渡った。
「あら、」
それに対して、目の前のナースの女性は、始めはキョトンと不思議な顔をしていて、そして、納得したような顔をすると、優しく穏やかな手つきで蒼太の濡れた頭を撫でた。
「知らなかったわ。桜ちゃんに、こんな素敵な彼氏がいるなんてね」
◇◇◇◇
1210号室 千羽桜
個室の前には小さな標識があって、そこにはしっかりと、さくらの名前が記してあった。
そして、蒼太のすぐ目の前には横にスライドさせるタイプのドアがあって、そこがこの個室へと続く入り口になっていた。
丁度良い温度と清潔な空気が保たれた病院の廊下の端で、蒼太は立ち止まる。
「ここよ」
「あっ、はい」
緊張を隠せない様子で返事をする蒼太にナースの女性は優しく微笑んだ。
しかし、その微笑はしだいに変化していき、そのうち蒼太の全体を観察するような目線になる。
怪訝な表情を浮かべる蒼太に、ナースの女性は興味深そうに尋ねた。
「お名前はなんて言うのかしら?」
「海原蒼太、といいます」
「なるほど、蒼太君か」
ウンウンと数回頷いたあと、また微笑んだ。
その笑みは、ニンマリともニヤリとも言えないような含みを持った笑みだ。
「コレ。使いなさい」
そう言って、手渡されたのは、清潔そうなタオルだ。
まだポタポタと髪から雫の垂れる蒼太は、ありがたくタオルをお借りして、とりあえず髪の毛の水分だけでもふき取る。
その間も、ナースの女性は含みのある笑みで蒼太を見ていた。
「どこで、桜ちゃんと知り合ったの?」
「え……」
唐突な質問に、ドキリと少し心臓が跳ねた。
なんと説明したらいいのだろうか。本当のことを言って、この人は信用してくれるのか。
先ほどからの視線はひょっとしたら、不審者と疑われているのかもしれない。
かといって、ここで嘘を言うのは抵抗があった。彼女の大切な人の中にこの女性も確実に入っているのだから。
言葉を探して眼を泳がせる蒼太に、女性は慌てたように取り繕った。
「あ、ごめんなさいね~。おばさんちょっと興奮しちゃって。だってあの娘に男の子がお見舞いにくるんだもの、びっくりしちゃって」
ウフフフとナースの女性は口元を抑えて嬉しそうに笑う。
「…珍しいんですか?」
「えぇ。病院じゃ人気者だけど、ご両親以外でお見舞いに来るのはアナタがはじめてよ」
そう言う女性はとても嬉しそうで、まるで我が子にいい事があった時の母親のようだった。
あぁ…大切にされてるんだな…。こんな所でも、彼女のことが知れるのは嬉しかった。
ポツリと蒼太が思っていると、ナースの女性は小さく呟いた。
「桜ちゃんに、会いに来てくれてありがとう」
小さく、それでいてしっかりと聞こえる強さで言ったナースの女性は、「邪魔しちゃ悪いわね」と言って歩きだした。
「あ、ドア開ける時気をつけてね」
「?」
最後に不可解な言葉を残していったナースの女性を蒼太は怪訝な顔で見送る。
廊下の角を曲がって女性が見えなくなると、蒼太はもう一度ドアを見据えた。この向こうに、桜が居る。「数奇な運命」を通して知り合った彼女とようやく会える。
待ち望んだことなのに、何故か不安で一杯だった。
「とりあえず…どうしよう」
不思議なことに、お互い初対面だ。
でも普通の初対面ではなくて、蒼太は彼女を知っている。どうこれまでの経緯を話せばいいのか、見当もつかない。
―――はじめまして、名前も知らないアナタへ。
不意に、桜の手紙が頭をよぎる。
「「はじめまして」…それから名前を…自己紹介をしよう」
手紙の始まりの言葉をそのまま返そう、とそう決めた。
そして、もう「名前も知らないアナタ」じゃなくなるように、名前を教える。
それから、これまであった出来事を全部彼女に話そう。
そう決めて、蒼太は病室のドアに手を掛けた。